讃岐 広島へ 帰る旅 

期間: 2015年(平成27年) 10月22日(木) 〜 10月23日(金)


第2日目: 2015年(平成27年)  10月23日(金) 

香川県 の 丸亀 から 讃岐 広島 へ


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 日   程   表
10月 23日
(金)
●丸亀から讃岐 広島へ
朝食 07:00 New
アパホテル:丸亀駅前大通のヴァイキング
ホテル 発 08:30 ホテル発
丸亀港 着 08:40
丸亀港 発 09:25 車にて。備讃フェリーで讃岐広島の江の浦へ
江の浦港 着
10:10 江の浦から釜の越、甲路を経て青木へ
家の確認
厳島神社
青木の浜
昼食 New
 青木には食堂がないため、事前に丸亀のコンビニにて弁当などを購入済み
広島 観光 市井
茂浦
江の浦
立石
江の浦港 発 17:25 備讃フェリーにて讃岐広島から丸亀へ戻る
丸亀港 着 18:10
夕食 18:30 New
 丸亀の「一鶴 本店」で骨付き鳥 
丸亀 宿泊 New
アパホテル:丸亀駅前大通
●このあと、愛媛県の道後温泉、大分県の臼杵、由布院を観光しましたが、割愛しました。

訪  問  地 詳    細
丸亀 07:00 *起床 & 朝食

 昨日(10月22日)から泊まっている、丸亀駅から南に徒歩約8分にある、アパ・ホテル 丸亀駅前大通 です。

 今日の予定は、丸亀港からフェリーに乗って、讃岐 広島の江の浦で降りて、目的地である青木に行き、家やお墓を確認します。
丸亀   *朝食

 アパ・ホテルの3階で、ヴァイキング形式の朝食です。

 アパ・ホテルは、カレー・ライスが名物のようで、日本式の玉子ご飯の他に2種類のカレーも食してみました。

 味は! 流石に宣伝も派手にしているように、2種類とも美味しかった。
丸亀   *丸亀港のフェリー乗場へ

 アパ・ホテルから、JR:丸亀駅の方に向かって、丸亀駅の北側にあるフェリー乗場に行きます。

 これから訪ねる讃岐 広島は、もう過疎が進み、人口も少ないので、昼食をとれるような食堂はなさそうですから、事前に丸亀のコンビニで、昼食を買って準備します。

 今日の天候は、快晴で、暖かです。
丸亀港 08:40 *丸亀港 フェリー乗場

 JR:丸亀駅からなら北口から、歩いて5分程度の近さに丸亀港はあります。

 備讃フェリー株式会社 の待合所があります。
丸亀港   *備讃フェリーの時刻表 −丸亀港→讃岐 広島−

 船便には、客船と自動車も乗れるフェリーがあります。

 丸亀からは、朝の6時頃から讃岐 広島へ船が出ていますが、今日は、自動車もあるので、9:25丸亀港発のフェリーに乗ります。そこで、出航の30分前に港に来ています。

 備讃フェリーの時刻表は、2015年11月20日現在です。
 運航では、曜日の注意もありますので、利用時には最新の情報を得てください。

 船が立ち寄る島によって、到着時間が様々になっていますから、船便には充分に注意してください。
丸亀港   *備讃フェリーの料金表

丸亀港   *備讃フェリーの料金

  丸亀港から江の浦までは、一人 570円で、これに、自動車の料金がかかります。

 自動車料金 5,130円には、一人分の料金が含まれています。
丸亀港   *丸亀港
 
 これから、乗船する、讃岐 広島へ行くフェリーが入ってきました。

 
丸亀港   *丸亀港

 フェリーの名前は、「しわく丸」です。

 讃岐 広島から近くにある、手島(てしま)、小手島(おでしま)にも寄ります。

 ●しわく丸概要
  進水:平成23年8月、汽船、鉄鋼製、丸亀市の所有、269トン、旅客の定員数:150名、ディーゼル機関、441KWx2基、速力:11ノット(1時間に1海里=1,852m)

 この「しわく丸」は、進水が平成23年と新しく、また丸亀市の所有でした。
丸亀港 09:25 *丸亀港 発

 しわく丸に、タンク・ローリーやゴミ収集車、軽自動車などの積み込みも終わりましたから、いよいよ出港です。

 フェリーだと、丸亀港〜讃岐 広島の江の浦 までは、9:25発で10:10到着と、約45分もかかりますが、別に客船タイプもあり、これを利用すると、丸亀港〜讃岐 広島の江の浦 までは約20分で行きます。

 丸亀からは、讃岐 広島は遠くない島ですよ。

 なお、ガソリン・スタンドも甲路の道沿いにありますから、車で来ても安心です。
しわく丸   *フェリー しわく丸

 しわく丸の船内は、こんな感じです。
 
丸亀港〜江の浦へ   *丸亀の競艇(ボート・レース)場

 丸亀といえば、丸亀城と「うちわ」が有名ですが、ギャンブラー間では、昔からある、丸亀競艇も有名です。

 ナイターでのレースもでき、観客用のスタンドも改修されています。

 丸亀の競艇(ボート・レース)場は、フェリー乗場の側にあります。
丸亀港〜江の浦へ   *丸亀港〜讃岐 広島へ

 丸亀港を、フェリーに乗って出港です。

 瀬戸内海の波はいつものように穏やかで、遠くに瀬戸大橋も見えます。

 天気は快晴ですが、流石に海の上に出ると、風が冷たく、ダウンを着ました。

 ●瀬戸大橋の橋桁の多さを見てください。
瀬戸大橋   *瀬戸大橋

 
 ●瀬戸大橋の概要は、第一日目にあります。

 かなり遠方からも見える、まったく、巨大な現代の構造物です。
丸亀港〜江の浦へ   *丸亀にあるタワー

 今出てきた丸亀にもひと際目立つタワーがあります。
丸亀港〜江の浦へ   *瀬戸内海は良い漁場です。

 ママカリ、メバル、カサゴ、アイナメ、ハゼ、コチに黒鯛(チヌ)、飯(イイ)ダコ。
 深海にいるグチやフカ、大潮での砂浜での魚掘り。

 だんだんと、讃岐 広島で育った頃の記憶が戻ってきました。

 季節ごとに、獲れたての魚は、美味しかった。
丸亀港〜江の浦へ   *瀬戸内海は重要な海です。

 大きなタンカーや小さな漁船の他に、警備艇も走っています。
丸亀港〜江の浦へ 09:51 *讃岐 広島

 讃岐の広島が、かなり近くに見えてきました。

●讃岐 広島の概要
 面積:11.66Ku
 最高峰:王頭山(おうとうざん) 312m
 島の外周:18.5Km
 世帯数:146、 人口:216人 (2015年(平成27年現在))
丸亀港〜江の浦へ 10:00 *讃岐 広島 江の浦

 讃岐 広島は江の浦です。

 白い建物は、小学校と中学校のようです。(訂正:休校となった今では、元の、小学校と中学校の校舎というべきですね。)

 前は、讃岐 広島にも子供が多くいて、小学校は、青木と江の浦に2校あり、中学校は、江の浦に1校あり、江の浦にあった広島小学校と広島中学校は別々の建物でした。しかし、児童数の減少により、青木の広島西小学校は廃校になり、2006年(平成18年)に、江の浦の広島中学校の校舎は、広島小学校と同じ建物になったとのことです。
そして、広島中学校には、生徒がいなくなり、2009年(平成21年)4月から休校になっています。

 また、広島小学校も在籍児童がゼロになり、2010年(平成22年)4月から休校になっているそうです。
 
●江の浦概要
 世帯数:25、 人口:34人 (2015年(平成27年現在))
 現在の讃岐 広島の行政・管理の中心地区。
讃岐 広島 10:10 *讃岐 広島 江の浦 着

 
讃岐 広島   *讃岐 広島 江の浦

  讃岐 広島 江の浦の港に着きました。
  丸亀港から約45分の船旅です。

 フェリー便は、大型船なので、45分もかかっていますが、左の写真の小型の客船なら、丸亀から讃岐 広島の江の浦までは、20分という近さです。

 
讃岐 広島   *讃岐 広島 江の浦

 平安時代に若い頃の弘法大師(空海)は、讃岐 広島の青木で、修行をしていました。

 そこで、弘法大師の命日(835年、62歳?)とされる旧暦の3月21日には、島をあげて、お接待(お大師参り)をします。

 私も、小さい頃には、お大師参りで、島巡りをして、醤油でゆでた豆を貰ったり、赤飯やいなり寿司、米のポン菓子もどこかで貰ったような気がします。楽しい行事の1つでした。

 現在もこのお接待(お大師参り)は続いて行われているようです。島の人の優しい気持ちに、皆さんも一度触れてみてください。
 参考;http://homepage2.nifty.com/shinsho/odaishi.html

 四国八十八所巡礼のルーツのようです。
讃岐 広島   *讃岐 広島 江の浦

 讃岐 広島の島おこしの1つとして、島の特産品である「石」を使った碑を島内のあちら、こちらに建てています。

 この写真の「いろは石」も、「いろは歌」に因んで、讃岐 広島の茂浦地区の出身の藤本正樹(玄幽)氏と有志が「青木石」に彫っていて、島の幹線道路沿いに、約500m間隔で建っています。

 また、「いろは石」をもとに、毎年「いろは石ウオーク」が開催され、第10回の「いろは石ウオーク」が平成27年も10月25日(日)に開催されました。
 

 *讃岐 広島の情報を得るなら
  江の浦の船着場の側に、広島市民センターがありますから、ここで、讃岐 広島に関する情報を得るといいでしょう。
  電話:0877−29−2720 です。

   
讃岐 広島   *讃岐 広島について

 また、塩飽諸島や「人名(にんみょう)制度」については、私の、「いきさつ」に詳細に載せましたので、ご利用ください。

 最近(2015年9月、第2版)できた、「Hot な 島歩き マップ」は、讃岐 広島(H)や小手島(O)と手島(T)に関する情報が満載です。

 観光スポット、WCの場所などが、浦々ごとにイラストで紹介されています。
ぜひ、ご利用ください。

 参考までに;これを作成した、ふれ愛の町ひろしまをつくる会のホーム・ページ

  http://www.shiwaku-hiroshima.com/

 以前は、島をめぐるバス便はなかったようですが、フェリーや客船の発着時間に合わせて、コミュニティ・バスも出ていますから、便利ですよ。

 バスの運賃は、大人 200円、子供(小学生以下) 100円です。
讃岐 広島 江の浦から青木へ 10:40 *讃岐 広島 江の浦から青木へ

 江の浦の広島市民センターで、讃岐 広島に関する情報を得ましたので、これから、車で島の海岸線に沿って西に走ります。

 江の浦から釜の越(かまのこし)、甲路(こうろ)と浦々ごとに存在する、今は殆ど人影のない部落を通過します。

 藤本正樹(玄幽)氏と有志が彫った新しい「石碑」は、道の各所にあります。


●釜の越概要
 世帯数:20、人口:33人 (2015年(平成27年現在))
 釜の越は、もともと江の浦地区の管轄だった。

●甲路概要
 世帯数:16、 人口:26人、(2015年(平成27年現在))
 ガソリン・スタンドがあります。
讃岐 広島 青木
讃岐 広島 青木 11:00 *讃岐 広島の青木

 江の浦から島の道を西回りに釜の越、甲路の峠を越えると、今日の目的地;青木が見えてきます。

 この甲路と青木の間にある峠の上に、以前青木の浜の側にあった墓地が、道路計画で削られて移転してきています。
 新しい墓地です。

 ここにも、私たち一族の墓はあります。

 ●広島西小学校は、西の鼻(イチナキ)の上にあった。
  私が小学生の頃に通っていた、元の広島西小学校は、青木部落と西にある市井部落の間にある峠;西の鼻(イチナキ)と呼ばれる場所にありました。

 この広島西小学校には、青木浦と市井浦の子供の他に、青木の東隣にある甲路部落の子供も峠を越えて通っていました。

 今から思うと、甲路から通っていた小学生は、大変な距離を歩いていたものです。

 その広島西小学校の校舎は、1974年(昭和49年)頃(調べたが、はっきりしません)に、今は、広島デイサービスセンターになった建物で、平らな場所に移築されています。

●青木概要
 世帯数:31、 人口:51人 (2015年(平成27年現在))。讃岐 広島では、一番人口が多い地区。

 見所:弘法大師(空海)が修行した、心経山(213m)、厳島神社や青木石の切り出し場、咸臨丸の乗組員;岡田源之助及び山下伊三郎の墓

 通ってきた甲路地区は、もともと青木の管轄地区だった。
讃岐 広島 青木 11:18 *讃岐 広島の青木

 青木にある唯一の雑貨屋「天野商店」です。

 ご主人は、昔の面影が残っていて、子供の頃の話で盛り上がりました。

 食品も扱っていて、青木のコンビニ店的な存在です。
讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 青木には、診療所もありますから、健康の心配はいりません。

 この側に、丸亀市立広島西小学校の校舎があったのですが、児童数の減少により1996年(平成8年)4月に、江の浦にある丸亀市立広島小学校に統合されて、今は廃校になっています。

 その、江の浦にある丸亀市立広島小学校も在籍児童がゼロになり、2010年(平成22年)4月から休校になっているそうです。

 また、江の浦にある丸亀市立広島中学校も、2006年(平成18年)に、広島小学校に移転して小中併設校となっていましたが、こちらも生徒がいなくなり、2009年(平成21年)4月から休校になっています。

 島という場所がもたらす過疎化と高齢化は、他の山村よりも進んでいるようです。
 参考:いきさつ編

 
讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 2階建ての元丸亀市立広島西小学校の建物は、今は広島デイサービスセンターが1階にあり、2階は「石の里資料館」になっています。「石の里資料館」では、青木石の歴史や石切の道具、島の生活道具などを展示しています。

 なお、私が小学生の頃通っていた、広島西小学校は、この場所ではなく、西にある市井地区との間の峠のイチナキと呼ばれる高台場所にありました。

 その昔の広島西小学校の校庭には、薪を背中に背負って、本を読んでいる二宮尊徳の石像があったのを憶えています。

 この二宮尊徳像も「石の里資料館」にあるようです。「石の里資料館」は、担当の人がいなくて入れませんでした。
讃岐 広島 青木 11:30 *讃岐 広島の青木

 家が分からない!

 青木に着いたのですが、生まれた家の近所の家が無くなったり、また、道の広さなどが変わっていて、古い記憶と一致しません。

 特に、木や竹の生長で、家がどこにあるのか、分かりません!
讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 どうにか、以前住んでいた家を探し出しました。

 なんと、このように、木々が大きく生え繁り、建物を覆っていたのです。

 また、道に面した物置のあったところは、屋根が崩れていました。

 本当に、想像を絶した、思いも出来なかった、物凄い変わりようです。
讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 門を覆っていた、つたを取り除き、どうにか入口をこじ開けて、家の中庭に入ると、こんな状況です。


 まるで、ジャングルのように木々が高く生えています。

 信じられない程の変わりようです。
讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 荒れていく建物をどう管理していくのか、これからの、悩ましい問題です。

讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 私の家の隣も空き家ですが、こちらは地元の親戚の人が管理してくれていて比較的まともです。
讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 私たちの、先祖代々の墓は、他の人も管理してくれているようで、きれいになっていました。

 お墓のそばは、鐘突き堂なのですが、鐘がありません。

 戦争時に徴用されたようです。
讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 讃岐 広島の青木部落には、「厳島神社」があります。
 広島県の安芸の宮島として有名な、「厳島神社」の流れを受けているようです。  

 厳島神社は立派な建物で、私が子供の頃、祭礼時には、近隣の島々から多くの舟が大漁旗をなびかせて浜に集まり、船頭さんや石屋の若い衆が担ぐ神輿が出て、練り歩き、最後は海にまで入っていました。
 参道には、たくさんの屋台もでていて、飴を買って貰った気がします。

 今は、祭りはあるのかな?

讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 「百手(ももて)」は今でもやっていた!

 「百手(ももて)」は、かみしもをつけた男子が、弓矢を持ち、五穀豊穣などの願いを込めて的を狙う行事です。

 江戸時代から続いているらしい行事で、私が子供の頃にも行われていました。
 それが、今年(平成27年)も旧正月に開催されたようです。

 この「百手(ももて)」は、青木以外の茂浦でも開催された様子で、その詳細が、小林希(こばやしのぞみ)のホーム・ページにありますので、参考にしてください。
讃岐 広島 青木
讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 青木は石が有名で、以前は、砂浜に細長い船着場しかありませんでしたが、今は砂浜の中央に巨大な石の積み出し場を作っています。

 ここに、フェリーも泊まります。

 
 左の古い写真は、1972年の夏に島に帰った時に撮ったものです。
 
 青木の浜に船着場が、大きく伸びているだけでした。
讃岐 広島 青木 13:00頃
*讃岐 広島の青木

 青木の砂浜で、丸亀のコンビニ店で買ってきた食糧で、昼食です。

 ご覧のように、天気は良く、誰もいない穏やかな海辺で食べるのは、これまた、最高のご馳走です。

 *お店について。
 飲み物の自動販売機もないかと心配していましたが、青木の「天野商店」では、食料も売っていましたよ。

 *スマート・ホンでNETにも繋がりますから、ボートを買って青木に住んでのんびりと仕事をすることも可能です。
讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 今は、青木の浜辺も、中心部に巨大な波止場と道路際に堤防が出来たため、砂浜がかなり狭く、小さくなっていますが、私が子供の頃の浜は、もっと、もっと広く、沖まであったのです。

 夏場は、家の裏の畑でトマトをもぎって、唇が紫色になるまで海で泳ぎ、疲れたら海水で塩味が染みたトマトを食べ、冷えた体を岩の上で温めてはまた泳ぐという日々でした。


 ●一時は、瀬戸内海の海も汚染が酷かった時代もありましたが、今はご覧のように、本当に青く澄んだ、波も穏やかな、水もきれいになった海です。
 何んといっても、この砂浜の白さは裸で寝転ぶには、最高ですね。

 海水浴をするなら、この 讃岐 広島の青木 の浜辺以外には無いでしょう!
讃岐 広島 青木   *讃岐 広島の青木

 海の向こう側には、手島(てしま)、小手島(おでしま)が見えます。

 写真の右にある少し高い岩は、1972年に、私が飛び込みをした岩です。

 
 
 1972年、夏の写真です。潮が満ちた時ですね。
 
讃岐 広島 青木から市井、茂浦、立石へ   *讃岐 広島 青木から市井、茂浦、立石へ

 青木での家とお墓の場所の確認も終わり、昼食も済みました。

 これで、今回の旅の目的は達したので、あとは、帰りのフェリー、江の浦発:17:25に乗るだけです。

 そこで、まだ時間がありますから、讃岐 広島巡りをしました。

 青木から以前、私が通っていた広島西小学校のあった峠を越えて、北にある市井の部落に行きます。

 市井から茂浦へ行き、山を越えて江の浦に戻り、江の浦から立石にある有名な尾上邸へ行ってみましょう。
讃岐 広島 市井 14:30 *讃岐 広島の市井(いちい)

●市井の海岸沿いにある加茂神社です。

●市井概要
 世帯数:13、 人口:12人 (2015年(平成27年現在))。人口の方が世帯数よりも少ないけど、丸亀市の発表は、こうなっていました。
 咸臨丸の乗組員;向井仁助の墓


 
讃岐 広島 市井   *讃岐 広島の市井

 私は、子供の頃を、讃岐 広島の青木で生まれ育ちましたが、青木と他の部落は峠で隔たれていて、お接待(お大師参り)の時を除いて、まったく青木の外には行った記憶がありません。

 誰かから聞いた話では、市井の部落は、平家の落人がいたとか。
 神社が京都にもある「加茂神社」とあるのは、そのせいでしょうか?

 それなら、青木にある「厳島神社」は、なお、平家に関係が深いわけですが。

 讃岐 広島だけでなく、古代からの歴史がある瀬戸内海に住んでいる人々の祖先を遡ると面白そうです。
讃岐 広島 市井   *讃岐 広島の市井

 市井に来ると、青木から見ていた沖の景色が一変します。

 青木からは、沖には手島(てしま)と小手島(おでしま)しか見えませんが、市井からは、岡山県側が見えます。

 堤防では、釣り人が竿をたらしています。
 何が釣れるのでしょうか。
讃岐 広島 茂浦 14:40頃 *讃岐 広島の茂浦(もうら)

 市井から海岸沿いを北に来ると、茂浦(もうら)です。
 この石碑の場所に、讃岐 広島のコミュティ・バスが停まります。

●茂浦概要
 世帯数:16、 人口:24人 (2015年(平成27年現在))。
 見所;「いろは石」の提案者;藤本正樹(玄幽)氏の記念館、松田家の石垣。
讃岐 広島 茂浦   *讃岐 広島の茂浦

 「いろは石」の提案者;藤本正樹(玄幽)氏の実家:藤本邸です。
 白壁がきれいです。

 家は人が住まなければ、荒れるばかりですが、この藤本邸は、チャント手入れされています。


 
讃岐 広島 茂浦   *讃岐 広島の茂浦

 茂浦の見所として挙げられている、松田家の石垣です。

 でも、ここは住んでいる人がいないようです。

 讃岐広島の観光用「HOTな島歩きマップ」を手元にして、青木で育った私も訪れたことの無い、市井地区やこの茂浦地区を観光していますが、車では直ぐに、目的地を過ぎてしまい、道に迷っていたら、優しい茂浦の人が丁寧に案内してくれました。
 茂浦の方、有難うございます。
讃岐 広島 茂浦 15:20頃 *讃岐 広島の茂浦から江の浦に戻る

 茂浦から南の山を越えて、朝来た江の浦に戻ります。

 茂浦の展望台から茂浦地区と対岸の岡山が霞んで見えます。
讃岐 広島 江の浦 15:30頃 *讃岐 広島の茂浦から江の浦

 茂浦から山を下って、江の浦に戻ってきました。

 

青木からは瀬戸内海航路を行き来する大型船は見えませんが、江の浦からは、大きなタンカーや遊覧船が見えます。

 
讃岐 広島 立石 15:40頃 *讃岐 広島の立石から見た瀬戸大橋

 讃岐 広島の立石地区にくると瀬戸大橋がきれいに見えます。

讃岐 広島 立石   *讃岐 広島の立石

 讃岐 広島の立石の見所といえば、もうこの尾上邸でしょう。

● 立石概要
 世帯数:18、 人口:27人 (2015年(平成27年現在))。
 見所;尾上邸、咸臨丸乗組員の墓

●尾上家とは
 江戸末期、瀬戸内海地方と東北を結ぶ海上交易を手広く手掛けた廻船(輸送・買付)業者です。
 その家が、讃岐 広島の立石地区にあります。
 尾上邸の土台として讃岐 広島の特産品の青木石を使った4.5mの石垣や総ケヤキ造りの豪壮な建物は、「塩飽大工」と呼ばれた人たちの技術が随所に発揮されていて目を見張るばかりの民家です。


讃岐 広島 立石   *讃岐 広島の立石 尾上邸

 尾上家は、廻船問屋としてかなりの船を持ち、青森や蝦夷まで行って、随分と儲けたようです。
 

 民家とは思えない立派な造りで、きれいに保存されています。
 
 現在は、空き家で、時々持主が帰ってきているようです。


 
讃岐 広島 立石   *讃岐 広島の立石 尾上邸

 
讃岐 広島 立石   *讃岐 広島の立石

 尾上邸の近くにある、神光寺の梵鐘です。

 これも、尾上氏が寄進したようで、丸亀市の文化財に指定されています。

 また、ここ、神光寺にも咸臨丸乗組員の墓があります。
讃岐 広島 立石   *讃岐 広島の立石

 *讃岐 広島の水道水は、立石から、全島にひかれているようです。
讃岐 広島 江の浦 16:40頃 *讃岐 広島の江の浦

 立石から江の浦に戻り、17:25発の丸亀港行きのフェリーを待ちます。
讃岐 広島 江の浦 16:40頃 *讃岐 広島の江の浦


 もう瀬戸内海もかなり夕闇が迫ってきました。



 16:40発の快速船が、江の浦港を出て行きます。この船は、17;01に丸亀港に到着予定です。
讃岐 広島 江の浦   *讃岐 広島の江の浦

 備讃フェリーの丸亀港行きの時刻表です。

 2015年(平成27年)11月27日現在ですから、注意してください。

 最新の情報は、備讃フェリーです。
讃岐 広島 江の浦 17:26:
*讃岐 広島の江の浦

 江の浦を予定の17:25発が少し遅れているようです。

 乗るフェリーは、朝、讃岐 広島へ来た時に利用したのと同じ「しわく丸」です。
 

 自動車も積み終わり、出港です。
讃岐 広島の江の浦から丸亀港へ   *讃岐 広島の江の浦から丸亀港へ

 フェリー料金は、自動車は、江の浦から丸亀まで ¥5,130 (一人分の乗船料を含む)。
 同じく、江の浦から丸亀まで、大人 一名は、¥570 です。 

 讃岐 広島の江の浦で発行している備讃フェリーの乗船券は、写真のように、古い硬い紙の切符です。

 このような切符は、硬券と呼ばれていて、今は種類が少なくて、マニアの間では希少な券として評判のようです。

 この切符は、当然ながら、丸亀港では回収されます。


 17:25 江の浦発のフェリーは、約45分をかけて、丸亀港に18:10到着予定です。
讃岐 広島の江の浦から丸亀港へ 17:30 *讃岐 広島の江の浦から丸亀港へ出港

 朝、10時過ぎから始まった讃岐 広島の青木へ帰り、育った家とお墓を確認する旅も、どうにか終わりました。

 今度、この讃岐 広島を訪れる日がいつくるのやらと、かなり感慨深い思いがこみ上げ、つい目頭が熱くなりました。
讃岐 広島の江の浦から丸亀港へ 17:45 *讃岐 広島の江の浦から丸亀港へ

 だいぶ、あたりも暗くなってきて、明日もいい天気のようで、空は桃色になってきました。
丸亀港 18:00頃 *丸亀港

  もうすっかり暗くなった瀬戸内海です。

  丸亀港では、フェリーの船着場の側で、ボート・レース(競艇)が、ナイター設備のなか、開催されています。
丸亀港   *丸亀港から丸亀城を望む

 丸亀城もライト・アップされて、丸亀港からきれいに見えました。
丸亀港 18:07 *丸亀港 下船

 フェリーは、讃岐 広島から約40分程度で、丸亀港に到着です。
丸亀 18:20頃 *丸亀の一鶴で夕食

 昨日、宿泊しているアパ・ホテルの従業員から仕入れたグルメ情報では、JR:丸亀駅の北口にある「一鶴」丸亀本店という鳥屋が、骨付き鳥の発祥の店でここの骨付き鳥はお勧めとのことで、入店しました。

 「おやどり」と「ひなどり」が選べて、私は、ひなどりを注文した。
 確かに、これは美味い! 皮はカラッとし、かぶりつくと、肉汁が出てくる。
 少し辛めの味付けが、ビールに最適だった。

 キャベツも、鳥の汁に付けて食べます。

 
丸亀   *丸亀の一鶴で夕食

 とりめしも、お勧めということで、頼んだが、これもうまかった。
 
  骨付き鳥の食べ方も教えてくれますから、初めての方も安心です。

*追記:2015年12月 6日: 一鶴のNETから、鳥と鳥めしを注文してみました。
 価格は、 おやどり 1,008円(税込、送料別)
   ひなどり 894(円(税込、送料別)
  とりめし 462円(税込、送料別)
*味は?
 おやどりが固すぎる・・・レンジで暖めて食べました、おやどりは、まったく固くて食べるのに苦労します。お勧めしません。
 ひなどりは、柔らかくて、美味しい。これは、いけます。
 とりめしは、お店では、金糸玉子が乗っていますが、NETではついていません。味は、普通です。
丸亀泊

  New
 お休み

*丸亀のホテル アパ・ホテル-丸亀駅前大通- 泊

 昨日から泊まっている、アパ・ホテル-丸亀駅前大通 です。
 住所:丸亀市大手町3−6−1
 電話:0877−21−0111

 昨日は、木曜日で、料金は、ヴァイキング形式の朝食付きで、¥5,150−でしたが、今夜は、金曜日ということで、ヴァイキング形式の朝食付きで、¥5,850−と、¥700−高くなっています。

 9階にある大浴場に入って、お休みです。
◎ 2015年 10月23日(金)は終わりです。
 この後、2015年10月24日(土)は、愛媛の道後温泉に泊まり、25日(日)は、八幡浜から、対岸の大分県は臼杵に渡り、臼杵を観光し、26日(月)は、由布院にいって多くの観光客を見ました。
 これらは、時間の関係で、割愛しました。
★丸亀〜讃岐 広島へ

*瀬戸内海での釣り
 ●この讃岐 広島へ帰る旅のホーム・ページを作成していて、子供の頃の釣りを思い出した。
  青木の家には、小型の伝馬船(艪で漕ぐ、5,6人乗りの舟)があって、おじいさんと二人で、よく釣りに行っていました。

 *ママカリ釣り
  瀬戸内海では、ママカリという体長 10cmから15cmくらいの回遊魚がいます。
   
   この魚の釣り方は、非常に面白く、1本の釣り糸に、エサもつけずに5,6個の白い針をつけて、舟からたらしていると、針にかかってきます。
   なんと、エサなしでたくさん釣れるのです。
   ママカリの群れに当たると、1本の糸につけた白い針、5,6個全部にママカリが釣れていますから、挙げるのも大変です。

   なお、ママカリ という名前の由来は、食べると大変においしくて、隣の家から、ご飯(まま です)を借りてまで、食べるので、この名がついたようです。
   食べ方としては、焼いてそのまま食べても、大変に美味しいのですが、私の家では、母が、焼いたママカリの身をほぐして、味噌とゴマと共にすり鉢ですった「さつまじる」という料理法でよく食べていました。
   この「さつまじる」は本当に美味しくて、何杯もお替りをしたのを思い出します。

  また、ママカリが多くつれて、当日に、食べきれない時には、酢漬けにしてとっておきます。
  これも、また、また美味しくて、骨まで食べていました。

 *イイダコ(飯蛸)釣り
  
  
  特異な釣り方をするので、思い出しましたが、瀬戸内海では、5cmから20cmぐらいの小型の蛸の一種、イイダコ(飯蛸)がいます。
  胴体に、ご飯のような粒があるので、イイ(ご飯、米)蛸と呼ばれています。

  このイイダコ(飯蛸)の釣り方もユニークです。
  まず、裏の畑から、水仙の球根を抜いてきて、皮をむいて「白く」します。
  この白い球根を、上に針というか、かえしがついた釣具に巻きつけて、海底に降ろし、釣り糸をゆっくりと上下させます。
  この球根を食べに、イイダコ(飯蛸)がきて、球根に巻きつきます。
  イイダコ(飯蛸)がかかる(というよりは、乗るということです)と、糸が重くなりますから、その重さを感じたら、ゆっくりと引き上げます。
  これで、イイダコ(飯蛸)は釣れます。釣るというより採れますということですか。
  また、引き上げる時に、海面に挙げた途端に、墨を吐いて海中に逃げられますので、微妙な感覚を楽しんでください。
  最近のイイダコ(飯蛸)の用具は、もう、水仙の球根を使わないようです。


  

 *冬場の大潮時には、砂浜で、魚を掘る
   魚をとる方法は、釣るだけではありません。
   砂浜を掘ると、魚が採れます。
   魚も冬場には、泳ぎを止めて、砂の中にもぐって寝ています。
   そこで、大潮などで潮が引いたときには、熊手状の鍬で砂場を掘ると、ベラなどが採れますよ。

 *瀬戸内海にも深海がある?
  あまり深さを感じない瀬戸内海ですが、おじいさんは、海に詳しくて、時々、グチやフカ(小型の鮫)がいる漁場に連れて行ってくれました。
  釣り糸が流されないように小型の重しを糸にたくさん付けた、長い仕掛けを使い、グチと呼ばれる、引き上げると胃袋が口から出て、グー、グーと鳴く魚や小型の鮫の一種でしょうか、白身でまったく美味くないフカも釣っていました。
  グチの煮付けは美味しいですよ。

    
  

*子供の頃の讃岐 広島 青木での生活
  約40年前に、青木に帰って以来、訪れていなかった讃岐 広島ですが、戦後から、小学校5年生まで過ごした島の記憶がありますので、載せます。
 
 *電気が無かった!

  私が子供の頃、戦後まもない頃の讃岐 広島には、まだ電気がきていなくて、夜の灯りといえば、ランプでした。
  ランプのほやに着いたすすの掃除は、手の小さい子供だった私の役目でした。

  その内、島にもディーゼルでの発電設備が導入されたのですが、一日中電気が流れているわけでなく、夕方の2、3時間(記憶が定かではありませんが)しか使えなっかたと思います。
 そこで、夜は、もう明るい内に食事を済ませ、布団の中で、ラジオを聴いていました。
 憶えている番組名は、「赤銅鈴之助」、「お父さんはお人好し」ぐらいです。

 *水道もない。
  当然、水道設備もありませんでした。台所に近い所に井戸があり、水の湧き方はよかったようで、ひしゃくで水を汲んでいました。
  また、庭に別棟としてあった風呂場の側にも、別の井戸が掘っていましたが、こちらは、桶で水を引き上げて、風呂釜に入れていました。
  そう、風呂釜は底の丸いいわゆる「五右衛門風呂」です。
  風呂釜の底や周りに触ると熱かった。
    

 *食べ物
  あまり白米だけを食べた記憶がありません。
  麦と芋を一緒に炊いた「かんころ飯?」をいつも食べていたようです。
  ふかした芋は、いつも台所にあって、お腹が空くと、芋を食べていました。
  

  魚は、上でも載せましたように、ママカリ、グチ、イイダコ、メバルなどこれらは、美味しかった。
  
  また、季節によっては、砂糖きびや、秋には松茸も食べています。
  特別なものとしては、ひしお味噌も作っていて、おばさんは、海から採ってきた「なまこ」なども食べていましたが、子供の私は気持ち悪くて食べられなかった。

  そうだ、山に入ると「やまもも」の木がたくさんあり、この熟れた実も、お腹が一杯になるほど、また口の中が、赤くなるまで食べていましたね。
   

 *メジロを捕っていた
  山で思い出しましたが、山には良い声で囀るメジロがたくさん群れをなしていました。
  このメジロを、棒に鳥もちを付けて捕ります。
  おとりのメジロを使っておびき寄せたり、熟した柿を棒に付けて捕ります。
  鳥もちにかかるまでの、ドキドキした緊張感はいまだに覚えています。


 なお、現在では、メジロの捕獲は、禁止されていますから、注意してください。
 









*荒れ果てていく家をどうするか?

  今回、讃岐 広島の青木にある生まれた家を約40年ぶりに訪れた訳ですが、1972年に家で撮った写真をみると、問題なく宿泊も出来ました。
  なにもなかった、中庭に木々が育って家が荒れ果ててしまったのは、まったく涙がでる思いです。
  今後、この荒れてしまった家をどう管理していくのか、厳しい問題です。

 


*島の歴史や先祖を調べると面白い。
  子供の頃には、自分のルーツには興味がありませんでしたが、今回、この「讃岐 広島へ帰る旅」のホーム・ページを作成するに当たって、「塩飽水軍(海賊?)」や苗字の由来、また塩飽諸島に豊臣秀吉や徳川幕府から認められた自治組織「人名(にんみょう)制度」などを調べだしたが、この作業は面白い。
  特に、「人名制度」で、認められた650人の人たちのその後や漁業権との関係など興味がつきなくなった。

  その後、調べていて、参考になるのは、「宮本常一とあるいた 昭和の日本 第5巻」(出版:東京 農村漁村文化協会)の後ろの方の「塩飽諸島」についての記述がある。
 ここに、青木での人名の株数や、漁業についてかなり詳細な記録があった。
 人名制度は、塩飽諸島に江戸時代中も認められた自治制度だったが、この人名株を有しているという特権が、明治以降無くなってしまい、今はあまりはっきりしないようだ。
  塩飽の人たちは、船大工の特技を活かし、大坂や京都で洒落た家をつくる大工組織を形成していたともある。
  もう、江戸時代から、島での生活ができないことを示している。

*丸亀市に編入される前は、仲多度郡広島村だった。
  昔の記憶を辿っていたら、行政上、元々は、香川県丸亀市広島町青木ではなく、仲多度郡広島村青木となっていたことを思い出しました。
  讃岐 広島が丸亀市に編入されたのは、昭和33年(1958年)5月1日からです。
  塩飽諸島でも、元は仲多度郡だった櫃石島(ひついしじま)などは、丸亀市の隣にある坂出市に編入されています。

  こように、元の塩飽諸島がバラバラの行政区分になっていては、本島から讃岐 広島へ渡る船もなく、歴史をたどる人は大変なようです。


*讃岐 広島 青木における幼い頃の記憶の追加欄:
 2015年11月30日追加:
 ●屋号があった
  私の家系は、かなり歴史があるようで、讃岐 広島の青木においても、本家は「おもて」と呼ばれ青木でも高台に立派な屋敷を有していました。
  本家から分家した家々は、苗字が同じなので屋号で呼ばれていました。
 「しんや」とか「さきね」とかです。ほかに「はま」はあったかな?。わたしの家は「いのし」でした。「いのし」とは変わった屋号ですが、その言われは、もうわかりませんが。

 ●おじいさんは、船を持っていた。
  讃岐 広島の青木にあった家にある写真を思い出した。
  その写真には、かなり大きな貨物船が写っていた。その船は、第2次世界大戦で、軍に徴用されたとのことだった。

 ●島の文化程度は高かった!
  昔から、塩飽の海は、交易が盛んだったせいでしょうか、文化のレベルは、高いものがあったようです。
  私の叔母さんは、青木の女性たちを対象に、お茶とお花を教えていました。
  和服を着た綺麗な女性が、講習会には、かなりの人数で集まっていました。

  お茶会で出される、お菓子が、私にも回ってくることもあり、お茶会は楽しみでした。

 ●ご詠歌を歌っていた。
  讃岐 広島では、お葬式やお盆など、仏事があると、青木の女性たちが家の座敷に集まって、鉦を鳴らして、唱和していました。
  どこか、荘厳な響きを持った歌でした。
  https://www.youtube.com/watch?v=B2BWd9oMzO4
  ご詠歌は、いまだに、伝えられているようです。


●このホーム・ページについてのご意見や感想は、私のブログ 「本音 バージョン」 をご利用ください。

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2015年11月28日:一応 完成で。
2015年11月20日から作成

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