スリランカとインド   9日間の旅行記

期間: 2014年(平成26年)  4月13日(日) 〜 4月21日(月) 

第3日目: 2014年(平成26年)  4月15日(火)  

 スリランカ の シギリア観光、ポロンナルワ観光 へ

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◎ 本 日 の ス ケ ジ ュ ール
 場 所  概 要
起床 05:45 *シギリアのホテル:シギリヤ・ビレッジ
朝食 06:30 New
シギリアのホテル:シギリヤ・ビレッジのビュッフェ
ホテル 発 07:30 *古代都市シギリヤ観光 へ
シギリヤ観光 
 (約2時間)
07:40 【世界遺産】 古代都市シギリヤ観光
シギリヤ・ロック
シギリヤ・レディ
ライオン・テラス
シギリア・ロック 発 10:00 10:00 途中、ローケツ染物工房へ
11:00 途中、木彫り工房へ
昼食 11:40 New
市内のレストランで中華料理
シギリア 発 12:30 *ポロンナルワ へ。
 (約67km、約2時間) 
ポロンナルワ 着 13:20 【世界遺産】古代都市ポロンナルワ観光
ポロンナルワ観光
  (約2時間)
   【世界遺産】 古代都市ポロンナルワ観光
ワタガーゲ
ランコトウ・ヴィハーラ
ランカテイラカ
ガル・ヴィハーラ
ポロンナルワ 発 15:05 *シギリヤ へ戻る
  (約67km、約2時間)
シギリア 着 16:20 *ホテル:シギリア・ビレッジ へ戻る
夕食 19:30 New
シギリヤのホテル:シギリア・ビレッジ で
(インターナショナル・ビュッフエ)
宿泊    New
ホテル:シギリア・ビレッジ (連泊)
訪  問  地 詳    細
ホテル:シギリア・ビレッジ 05:40

起床
 
 昨夜(4月14日)から泊まっているシギリヤ・ロックに近い場所にある、ホテル:シギリア・ビレッジです。

 1棟に2部屋が繋がったコテージ・タイプの客室が120室あります。自然を活かしたつくりです。
  私の部屋は、196号室です。

 
ホテル:シギリア・ビレッジ    *鳥のさえずりで眼が覚める。

 添乗員さんから、朝の 05;45 に直接モーニング・コールがありますが、目覚めのいい私は、コテージの林に棲む小鳥たちのさえずりで起きています。
  
 どこからか、花火のポン、ポンという音もしています。

 今日(4月15日)が、シンハラの正月、元旦に当るので誰かが祝って、花火をあげているようです。

 部屋に虫は入ってきません。
また、クーラーが無くても少し暑いぐらいで、シーツ1枚で寝られます。
ホテル:シギリア・ビレッジ    *宿泊料の高い一画もある。

 私たちのツアーが泊まったコテージとは、少し(かなり?)趣の異なったゾーンもあります。

 デラックス・タイプのようで、私たちの部屋には無かった湯沸しポットやバス・タブも付いているようです。
  
ホテル:シギリア・ビレッジ    *ホテル:シギリア・ビレッジのフロント、レストラン

 宿泊の受付やレストランがあります。食事はコテージから歩いて、ここでします。

 裏には、プールがあり、そこからシギリヤ・ロックが眺められます。
ホテル:シギリア・ビレッジ  06:30 New
朝食
 シギリアのホテル:シギリヤ・ビレッジのビュッフェ・スタイルで朝食です。

 メニューは豊富ですから、本場のカレーに飽きた私はオムレツやはさみ物も食べています。

 ジュースもピーチ味です。

 すいかやパイナップルなど果物もおいしい。

 久しぶりに、朝から腹いっぱい食べました。
ホテル:シギリア・ビレッジ    New
朝食

  レストランのバックには、庭とプールがあり、この後ろの林の向こうに、シギリヤ・ロックが見えます。

  
 
 シギリヤ・ロック  へ 07:30 シギリヤのホテル:シギリア・ビレッジ 発

 *今日の予定
  午前はシギリア・ロックに登り、午後は古代都市のポロンナルワへ行って、またこのホテル:シギリア・ビレッジに戻って来ますから、今日は荷造りは不要です。

 予定では、朝の 8時にホテルを出ることになっていましたが、混雑を考えて、30分早く、ホテルを出発しました。

 泊まっているホテル:シギリア・ビレッジは、シギリヤ・ロックのすぐ側にあるので、バスで10分もしない内に、シギリヤ・ロックの入場口に到着します。

 *今日の天候
  少しばかり蒸し暑さを感じますが、日焼けに注意して、長袖を着ます。
  また、帽子もかぶります。

*足の裏を保護するために、厚手の靴下も、2枚用意しています。

 元宮殿も堀に囲まれています。

 
【世界遺産】古代都市 シギリヤ (Sigiriya) 観光の前に
【世界遺産】 シギリヤ (Sigiriya)

 シギリヤは広大なジャングルの中そびえたつ、200メートルの高さの岩山に造られた宮殿です。
5世紀に岩山の山頂に作られた王宮の周囲は堀や城壁に囲まれ、岩山を望んで左右には高度な技術を要する水の庭園が広がっています。

 このシギリヤの見所は、なんといっても岩山の中腹に描かれた、優美で豊満な美女たちのフレスコ画です。
建設当時は、多くの美女たちの絵画が城壁を取り囲んでいたようですが、今は12体しか残っていません。

  また、美女たちが描かれているフレスコ画の下に位置する場所に「ミラー・ウォール(鏡の回廊)」と呼ばれる壁があり、ここにはカーシャパの悲劇の物語の叙事詩や初期の訪問者による詩などが彫り綴られています。

 さらに、かつての王宮があった山頂へと連なる途中の入り口には巨大な岩のライオンの前足があり、今でも王を守っているかのようです。以前はライオンの前足だけでなく、頭もあったようですが、今は頭は無くなっています。この場所は、ライオン・テラスと呼ばれます。

 そして、山頂では360度の展望が開け王宮や貯水池の跡などがあります。


 
【世界遺産】 シギリヤ (Sigiriya)

 岩山に宮殿が築かれた訳:
 シンハラ王朝の5世紀、ダートゥセーナ(英語版)王の息子カッサパ1世は、王の甥であり軍指令官でもあったミガラの支援を得てクーデターを起こし、477年には父親から王権を奪取する。
 しかし平民出身の母親を持つカッサパ王は、王族出身の母を持つ弟モッガラーナに王位を奪還される事を恐れ、長らく首都であったアヌラーダプラを離れ、より安全な南のシギリヤへと遷都し、防御に適した岩山に王宮を建設した。
 カッサパが在位にあった477年から495年の間、シギリヤは岩山の麓には複雑な市街と防衛機能を併せ持つ都として発展し、即位から7年後にはシギリヤ・ロックの頂上に王宮が完成する。

 一方、兄カッサパ1世からの難を逃れていた弟モッガラーナは、亡命先の南インドから軍隊を引き連れ兄に戦いを仕掛ける。当初はカッサパ王が優勢であったものだんだんと劣勢になり、観念した王は喉を掻き切り自害する。そして、495年、シギリヤは陥落する。

 兄カッサパ1世の亡き後、王位についたモッガラーナはシギリヤを仏教僧に寄進し、再び都をアヌラーダプラへと移した。
シギリヤは13世紀から14世紀頃まで修道院として存続するが、徐々に衰退していった。その後は16世紀から17世紀にキャンディ王国がこの地を分営として利用するまでの間、記録は残されておらず、またキャンディ王国の衰退の後により放棄され、みんなの記憶から無くなっていく。

 そんなシギリアであったが、建設から1400年の後、イギリス統治下の1875年に、イギリス人によって岩山に描かれたフレスコ画である"シギリヤ・レディ"が発見され、脚光をあびることになる。

シギリヤ・ロック 

07:40 【世界遺産】古代都市シギリヤ (Sigiriya) 観光

 シギリヤ観光に際しては、当然入場料をとられます。
 現地での3,900Rs(スリランカ・ルピー 約3,100円)という料金でした。
シギリヤ・ロック
07:50 シギリヤ・ロック (Sigiriya Rock) に登る。

 シギリアというと、岩山の山頂にある宮殿だけかと思っていましたが、岩山の下には、都としての噴水や他の建物もあります。

 *登山ヘルパーもいる
  急な階段が続くシギリヤ・ロックに登るのは、足腰の弱い人は大変なことです。
 そこで、入場口から、親切に手を差し伸べたり、後ろから体を押してくれる、「登山ヘルパー」がいます。
 しかし、登山ヘルパーと言っても、登る前に料金の約束をするわけでもなく、気がついたらいつの間にかお世話になっているという感じで、後で多くの旅行者と金銭面でもめているようです。
 
  ガイドさんから、嫌ならはっきりと断るように説明がありました。
シギリヤ・ロック    *シギリヤの街跡

 

 シギリヤに都を造ったカッサパ1世が亡くなった後は、僧侶たちが街を利用していたとのことで、貯水池や僧侶の修行用の施設跡もあります。 

シギリヤ・ロック  08:00 *シギリヤ・ロックの朝

 丁度、朝の太陽が昇ってきました。

シギリヤ・ロック    *シギリヤ・ロック へ登る。

 これから平らだった下から、階段を昇って行きます。

 いよ、いよシギリヤ・ロックへの登山の開始です。

 まだ、まだ、ツアーのみなさんも元気です。
シギリヤ・ロック  08:04 *岩山のフレスコ画の描き方

 ガイドさんから、岩山の下で、これから見る「シギリア・レディ」がどのようにして描かれたかの解説がありました。それは、

 1.岩の下部に雨水などが浸み込まないように、岩の上部を削る。
 2.石灰を中心とした漆喰を岩に貼り付ける。
 3.その漆喰が乾かない内に(フレスコ=新鮮な)、顔料で絵を描く。

 この岩にもかすかに、絵が残っていました。

シギリヤ・ロック    *シギリア・ロック 入口

 シギリア・ロックに登るには、2つの巨大な石に塞がれた狭い入口を入っていきます。

 まさに、敵からの防御を考えた構造です。

 その岩山にも切り込みがあり、ここにもフレスコ画が描かれていた跡が見られます。
シギリヤ・ロック  08:14 *シギリア・ロック 登山

  段々と登りがきつくなってきました。

シギリヤ・ロック   08:15 *シギリア・ロック 登山

 まだ、まだシギリヤ・レディのところまで着きません。

シギリヤ・ロック   08:17 *シギリア・ロック 登山

 一人が通れるだけの狭い階段と通路です。

 そこで、ここは、一休みできる場所です。

 シギリヤ・ロックの通路は、こんな垂直の崖に作られています。

 私たちのグループもかなり早めに登山を始めましたが、ヨーロッパからのグループもきています。
 シギリヤ・ロック   *シギリア・ロック 登山

 シギリア・ロックの途中の休憩所から下を見ると、こんな感じです。
シギリヤ・ロック  08:21 *シギリア・ロック 登山

 まだ、まだ急な階段と今度は、螺旋階段を登ります。

 シギリヤ・レディは、この先に待っています。


シギリヤ・ロック   08:23 シギリヤ・レディ (Sigiriya Maidens)

*シギリヤ・レディ と会う。

  そのシギリヤ・レディたちは、螺旋階段の先にある洞窟内で、静かに私たちの到着をまっていました。

 幸い、まだ登山客が少なくて、このような写真も撮れました。
シギリヤ・レディ   シギリヤ・レディ (Sigiriya Maidens)
 
 シギリヤ・ロックの洞窟にかろうじて残っている、5世紀のフレスコ画のシギリヤ・レディと呼ばれる美女たちです。

 胸を露わにしてるのが、高貴な女性で、服を纏っているのは侍女だそうです。

 なお、写真撮影において、フラッシュの使用は禁止されています。

 また、当然ながら、美女の胸におさわりすることも、許されていませんから。
 念のため、男性には特に注意しておきます。
 
 シギリヤ・レディ  
 シギリヤ・レディ   
 シギリヤ・ロック 08:30 ミラー・ウォール (鏡の回廊 Mirror Wall) へ

 シギリア・レディたちの洞窟で、約10分ほど過ごして、次は、螺旋階段を真下におります。(下を覗くと、怖い!)

 この壁に挟まれた場所は、「ミラー・ウォール(鏡の回廊)」と呼ばれます。

ミラー・ウォール 08:33 ミラー・ウォール (鏡の回廊 Mirror Wall) 

 ここでは、崖の側に壁が造られています。
 
 この壁の高さは、3m程度で、壁の表面がきれいに磨かれていて、反対側の岩の崖には、ここにも美女たちのフレスコ画があり、その絵が壁に反射してきれいだったようで、鏡の回廊(ミラー・ウォール)と呼ばれています。

 ミラー・ウォールには、ここに宮殿を造ったカーシャパ王の悲劇の物語の叙事詩や7世紀など初期の訪問者による詩などがシンハラ文字で彫り綴られています。

シギリア・ロック 08:39 *シギリア・ロック

 シギリア・ロック登山もどうやら、中腹にまで来たようです。

 こんな、断崖絶壁に階段があります。

 ライオンのテラスは、もうすぐです。
 
ライオン・テラス 08:41 ライオン・テラス (Lion Terrace)

  シギリヤ・レディの場所を過ぎ、シギリア・ロック山頂にある宮殿への入口とされる岩山の北側に広場があります。
 この入口には、左右に大きなライオンの爪があり、通称「ライオン・テラス」と呼ばれています。
 
 
 
 シギリア・ロックへ登山を開始したのが、8時丁度でしたから、ここまで40分かかっています。
ライオン・テラス   ライオン・テラス (Lion Terrace)

 今では、この山頂の宮殿への入口を守るライオンには、左右に巨大な爪しか残されていませんが、建設の当初は、ライオンの顔があり、大きく開いた口が入口になっていたと思われています。

*ライオン・テラスの復元CG図です。

 また、またライオンはシンハラ語では、「シンハ Shinha」で、のどは「ギリア Giriya」といい、このシンハラ語の「ライオンののど」が地名「シンギリア」の始まりといわれています。
*上空より、ライオン・テラスを望む。
シギリア・ロック 08:50 *シギリア・ロックの山頂へ

 少し、ライオン・テラスで休み、再び、シギリア・ロックの山頂を目指します。

 本当に、急な崖に付けられた鉄製の階段をひたすら、足元に注意して歩みます。

 
 
シギリア・ロック 08:54 *シギリア・ロックの山頂へ

 レンガも多くなり、宮殿の跡だと思わせます。

 この階段を登りきれば、シギリア・ロックの最高地です。
 
シギリア・ロック頂上 08:57 *シギリア・ロックの頂上

 ついに、シギリア・ロックの最高地に到着しました。

 シギリア・ロックで一番高い場所です。

 ここまでの階段の総数は、1002段ということです。
 1000段までが、宮殿で、私の足元にある小さな2段を上がると、1002段となります。

 しかし、ガイドさんに聞いても、どこから階段を数えているのか不明で、本当に1002段か、だれも真剣に階段の数を数えている人はいないそうです。
シギリア・ロック頂上   *シギリア・ロックの頂上

 *シギリア・ロックの頂上には、宮殿の跡があります。

 広さは、1.6ヘクタールで、ここには、王宮、兵舎があったようです。

 正しく、360度の展望が開けています。

 ここからは、泊まっている、ホテル:シギリヤ・ビレッジのプールも見えました。
シギリア・ロック頂上   *シギリア・ロックの頂上

 ・王のプール
  頂上には、王が沐浴をしていたのか、また貯水池なのか、大切な水が貯まる池もあります。

 
シギリア・ロック 09:15 *シギリア・ロックの下山へ

 シギリア・ロックの山頂で15分程度休憩して、今度は下山です。

 山頂には、大きな木も少なく、日陰がありませんので、日焼けには注意が肝心です。
ライオン・テラス 09:22 *再びライオン・テラスに戻る。

 シギリア・ロックの山頂からライオン・テラスまで降りてきました。

 我々のグループが朝早くホテルを出発したのは、正解でした。

 この9時30分近くになると、登る人で階段は、正しく長蛇の列となっていました。

 
シギリア・ロック 09:28 *今にもすべり落ちそうな大きな岩

 確かに、シギリア・ロックは要塞です。

 攻めてくる敵に対して、上から大きな岩を転がしてやっつける作戦でしょう。

 大きな岩が、斜面に置かれています。いざという時には、岩の下で止めている小石を外すと岩が下に落ちて行く仕掛けです。

 でも、この岩城が作られてから、1500年近くも下に転がらなかったというのは、設計が凄いのか、また、使えない岩だっだのか?
シギリア・ロック 09:29 *さらに登山者は増えている!

 上のライオン・テラスからの登頂者以上に、途中の休憩場では、多くの人が待っていました。
 この休憩場から、登りの階段が狭くなっているせいです。

 なお、リギリヤ・ロックでは、多くの狭い箇所では、登り道と下り道は分かれていて、一方通行です。
シギリア・ロック 09:39 *会議堂 

 リギリヤ・ロックもかなり下の平地に近い所まで降りてきています。

 ここは、会議が行われていたようで、王が座る岩があります。

  私が中腰になっているのは、後ろの石の台には座ってはいけない為です。

 真剣なポーズですよ。
シギリア・ロック 09:43 *コブラ岩 (Cobra Hood Rock)

 言われてみれば、確かにコブラの頭のような格好をした大きな岩です。

 この頭の下にも、フレスコ画が描かれていた跡があります。

 
 このシギリヤでは、長い尾の大きなリスやサルが多く棲んでいました。
シギリア・ロック 09:49 *ふもとのお土産屋

 シギリヤ・ロック登山も無事終わりです。

 バスが停まっている駐車場の側には、お土産屋さんがありますが、まだ朝早いせいか、これから開店の準備をしているところでした。
シギリア・ロック   *象で遊覧もできる。

 シギリア・ロックの近辺を象の背中に乗って遊覧できます。

 象は大きくて背が高いので、まず、左の木に登って象の背中に乗り移ります。
 
ローケツ染物工房 10:00 *シギリア・ロック発

 シギリア・ロックの観光も終り、次は、シギリヤの東にあるポロンナルワに向かいますが、その前に、シギリア・ロックの近くにあるローケツ染物工房に寄りました。

ローケツ染物工房    10:10 *ローケツ染物工房

 でも、このローケツ染物工房は、正月休みで職人さんたちは来ていませんでした。
 
 そこで、私たちの現地のガイドさんが、職人さんに代わって、ローケツ染ができるまでを説明してくれました。
よく分かりましたよ。


ローケツ染物工房      *ローケツ染物工房

 いつもの私の写真なら、ここで美人の店員さんとの2ショットになるのですが、生憎店員さんがお休みでいませんので、残念ながらマネキンとの写真です。
  
木彫り工房へ    10:40 *木彫り工房へ

 店員のいないローケツ染物屋では、私は何も買わず、次は、木彫り工房へ行きます。

 途中、畑の木の上に小屋があるのを見ました。

 収穫時期には、この小屋に登って象やサルが畑を荒らさないように見張るためです。

 
 木彫り工房   11:00 *木彫り工房
    
木彫り工房      *木彫り工房

 スリランカ名産の魔よけの仮面です。

 お土産用にいかがですか? なお、仮面の左右の耳は取り外せますから、トランクにも入ります。
昼食    11:38 *昼食へ

 あまり買う気のない染物屋や木彫り屋をあとにして、シギリヤの市内にあるレストランに向かいます。
昼食    11:40 New
昼食を。
 
 シギリヤ市内のレストランで中華料理の昼食です。
このレストランには、阪急交通社主催の他のグループもきていました。
 
昼食      *昼食

 予定では、今日の昼食は中華料理とのことですが、スリランカ・カレー料理とあまり変わりはないようです。

 このレストランでも、ビュッフェ・スタイルで好きな料理を選んでとります。
 スイカ、パイナップル、小さなバナナなど果物は豊富です。

 
ポロンナルワ へ    12:30 ポロンナルワ へ

 お腹も満たされたので、シギリアを出発し、これから、陸路にてポロンナルワ へ向かいます。

 シギリヤとポロンナルワの距離は、約67kmで、予定では約2時間のバスの旅です。
ポロンナルワ へ      ポロンナルワ へ

 あまり道順は、はっきりしないのですが、右手に自然公園(ミネリア・シリテール自然保護区)のようなものがありますから、多分、左のような走行で、シギリヤからポロンナルワ へ向かっています。
ポロンナルワ へ 13:06 ポロンナルワ へ

  右手に大きな池が見えて来ました。
  12世紀にこの土地の王になった、パラークラマによって造られたパラークラマ・サムドラと呼ばれる巨大な人造湖です。

  池のほとりにも、新しい大仏があります。

  相変わらず、道路には信号機がありませんので、バスはノン・ストップで走っています。
ポロンナルワ 13:20 ポロンナルワ 着

 予定では、シギリヤからポロンナルワまでは、約67Kmあり、バスで2時間かかるとのことでしたが、道が正月休みですいていたのか、なんと、シギリヤから1時間もかからず、ポロンナルワに着きました。

 これから、ポロンナルワにある、遺跡群を見物します。

 予定としては、南から

 ワタガーゲ
 ランコトウ・ヴィハーラ
 ランカテイラカ
 ガル・ヴィハーラ
 を順にみていきます。
【世界遺産】古代都市ポロンナルワ (Polonnaruwa) 観光の前に 
ポロンナルワ (Polonnaruwa)

 スリランカの中央部に位置する古代都市ポロンナルワは10世紀から12世紀にかけてシンハラ王朝の都として栄えました。

 1017年、南インド・タミル系のチョーラ王朝がランカ島のシンハラ王朝を攻撃してきたため、劣勢になったシンハラ王朝は首都を今までのアヌラーダプラから南にあるポロンナルワに遷都しました。
 シンハラ王のウィジャヤバーフ1世 (Vijayabahu I) はその後攻めてきたチョーラ王朝を1070年に追放しますが、ポロンナルワは首都のままでした。
 
 その後、ウィジャヤバーフ1世の孫にあたるパラークラマ・バーフ1世 (Parakrama Bahu I) がポロンナルワを仏教都市として築き上げます。
 パラークラマ・バーフ1世の治世の間、ポロンナルワは交易と農業が栄え黄金時代を迎えます。その全盛期には、壮大な城郭都市へと姿を変え、タイやビルマから僧が訪れるほど仏教都市として繁栄を見せました
パラークラマ・バーフ1世は、首都の周囲にパラークラマ・サムドゥラ湖(パラークラマ海)と呼ばれる巨大な灌漑用貯水池を建設し、雨の少ない東部地域の乾季でも農耕を可能にしました。

 そして、パラークラマ・バーフ1世の後、王位についた南インド系のニッサンカ・マーラ1世 (Nissanka Malla I) の時代までは、ポロンナルワも繁栄していましたが、王族の怠慢から、徐々に、スリランカ独自の王朝の力は衰え、南インドのカリンガ王朝のマーガによる1214年の侵攻を招き、1284年にはインドのアーリャ・チャカラヴァルティー (Arya Chakrawarthi) の侵攻と続き、ついに南インドのパーンディヤ朝に権力を奪われてしまいます。

 インドの攻撃をうけている間、1232年に首都はダンバデニヤ (Dambadeniya) に移され、ついに1255年シンハラ王朝はポロンナルワを放棄し、シンハラ王朝の都は、島の中央部へと移っていき、ポロンナルワはジャングルの中に埋もれてしまいました。

 1900年代になり、ポロンナルワの遺跡の発掘が始まり、ポロンナルワはアジア有数の大遺跡群として脚光をあびるようになりました。

*クワドラングル(Quadrangle)内の観光

 旧宮殿の北側に位置し、四辺形の城壁に囲まれているので、クワドラングル(Quadrangle)と呼ばれる一画があります。
 
 このクワドラングル内には、11の建物があり、中心には、4体の仏像があるワタダーゲや、シンハラ王朝のシンボルでもあった仏陀の歯を祭った「仏歯寺(ハタダーゲ)」も以前はここにありました。
 
 
クワドラングル 13:20 *クワドラングル(Quadrangle)内の観光

 クワドラングルの入口は南にあり、そばにあるのが、トゥーパーラーマ (Thuparama)です。

 まず、寺院の観光では、もう階段を上がるところから、裸足になりますので注意してください。

  
クワドラングル    13:30 *トゥーパーラーマ (Thuparama) 

 クワドラングル観光の最初は、トゥーパーラーマからです。

*厚手の靴下を必ず履いてください。

 昨日のアヌラーダプラ観光で、裸足では、寺院の日に焼けた敷石や砂の上を歩けないことが分かった私は、朝から厚手の靴下を用意していますから、早速裸足になって、靴下を履いています。

 これなら、かなり熱くなった石の階段や砂の上でも、怖くありません。

*トゥーパーラーマ堂内は、部厚い石で覆われていて、少ない窓しかなく内側も薄暗くなっています。

 置かれている仏像もかなりの年代物で、手や顔の一部が無くなっているなど損傷が目立ちます。
クワドラングル       *トゥーパーラーマ (Thuparama)

 薄暗いトゥーパーラーマに置かれている石仏は、光線によって光ります。

 朝と夕方だけに、小さな窓から差し込む太陽光線によって仏像の顔が輝くようになっています。

 下は、トゥーパーラーマの天井です。
クワドラングル      13:36 ワタダーゲ (Vatadage)

 ワタダーゲは、クワドラングルにある一番大きな円形の仏塔です。

 スリランカ独特の円形の仏塔で、東西南北に4体の仏陀の座像があります。
 

 僧院の一部だったようです。
クワドラングル       ワタダーゲ (Vatadage)の守護神像(ガードストーン)

  ワタダーゲの入口は守護神像(ガードストーン)によって守られています。
  守護神像(ガードストーン)は、東西南北の入口の左右に配置され、悪魔が入り込むのを防ぎ、ご本尊を守ります。
  守護神像(ガードストーン)の頭上には7つ頭の蛇が、足元の左右には小人が、そして片手では吉祥の壺を捧げ持っています。

 この構図は、他の地区での寺院でも同じです。

 
クワドラングル      ワタダーゲ (Vatadage)のムーンストーン
 
 ワタダーゲの入口の足元には、ラクダ・象・馬が描かれた、ムーンストーンが置かれています。
 ムーンストーンは悪霊を拒み、信者を歓迎しています。
 ムーンストーンは建物のあちらこちらにあり、素足で、日に焼けたこれらを踏んでいきます。

 私は、厚手の靴下を履いていますから、日に焼けたムーンストーンの上も平気で歩けます。

 このムーンストーンから先が、寺院となります。
 ポロンナルワの寺院のムーンストーンでは、ラクダ・象・馬と3種の動物が描かれていますが、北のアヌラーダプラの寺院のムーンストーンでは、この他に牛が描かれているそうです。
 どうして、牛がムーンストーンから除かれたかというと、ヒンズー教では、牛が神聖なために、当初描かれていた牛が、後世除かれたとのことです。
 
 クワドラングル   13:43 ハタダーゲ (Hatadage 仏歯寺)跡  

 ワタダーゲのすぐ北側には、ハタダーゲがあります。

*仏歯
 紀元前543年にインドで仏陀を火葬した時の仏陀の歯(仏歯)が、4世紀にスリランカに渡り、それいらい、王権のシンボルとなり、正当な王家としては、仏歯をもっていることが必要でした。
 そこで、都が移るたびに仏歯も移動して、ハタダーゲ(仏歯寺)が建立されています。
 仏歯は、ポロンナルワが都となる前には、アヌラーダプラで祭られていました。

 ポロンナルワのハタダーゲは、12世紀にニッサンカ・マーラ王によって建てられました。

 なお、仏歯は時代と共に、保管寺院が移り、現在は、キャンディ市にあります。

 
クワドラングル      ハタダーゲ (Hatadage 仏歯寺)跡 

  
 クワドラングル    13:50 *ガルポタ (Gal−Potha 石碑)

 ハタダーゲの東側になにやら文字が切り込まれた巨大な一枚石が横たわっています。

 長さは、約9m、幅1.5m、厚さ45cmのこの石には、インドの侵略者や作成を命じたニッサンカ・マーラ王の称賛の言葉が彫られています。 

 これで、クワドラングルの内部の観光は終わり、またバスに乗り、クワドラングルの少し北側にある、ランコトウ・ヴィハーラに向かいます。
ランコトウ・ヴィハーラ    14:00 ランコトウ・ヴィハーラ (Rankot Vihara)

  大きなダーガバ(仏塔)があるランコトウ・ヴィハーラ (Rankot Vihara)に着きました。
 このランコトウ・ヴィハーラは、12世紀に、ニッサンカ・マーラ王により建てられました。
  
 高さ55m、直径55mです。

 かっては、塔の突端は、金で覆われていたようですが、今は金はありません。

 それでは、もっとランコトウ・ヴィハーラに近づいてみましょう。
 ランコトウ・ヴィハーラ    14:05 ランコトウ・ヴィハーラ (Rankot Vihara)

 ランコトウ・ヴィハーラの正面にある、祭壇です。
ランコトウ・ヴィハーラ   ランコトウ・ヴィハーラ (Rankot Vihara)

 手前の人物から、ランコトウ・ヴィハーラの高さ55m、直径55mという大きさがお分かりでしょう。

 これから、裸足で日に焼けて熱い敷石の上を左周りにお参りします。
 でも、厚手の靴下を履いている私は、もう昨日のように暑くはありません。
  巨大な仏塔:ランコトウ・ヴィハーラも1周すれば、もう見る所はありません。
 また、少しバスに乗り、ランコトウ・ヴィハーラの北にある、ランカテイラカに向かいます。
キリ・ヴィーハーラ 14:18 *キリ・ヴィーハーラ (Kiri Vihara)
 
 ランコトウ・ヴィハーラからのバスを降りると、白い色をしたダーガバ(仏塔)がありました。

 これは、キリ・ヴィーハーラと呼ばれ、キリはシンハラ語でミルクを意味しています。

 このダーガバは、パラークラマ・バーフ1世の妃の一人であったサバドラが建てたとされます。

 白い色は、建立から700年が過ぎていますが、ほとんど元のままだそうです。

ランカテイラカ  14:23 ランカテイラカ (Lankatilaka)

 キリ・ヴィーハーラから少し南に行くと、ランカテイラカ (Lankatilaka)です。

 13世紀にパラークラマ・バーフ3世によって建てられ、後に修復されたようですが、頭のとれた大きな仏像など、かなり傷みのひどい寺院でした。

  

*参拝は、勿論、裸足です。
 厚手の靴下を履かないと、日に焼けた敷石では、左のように、足元に注意した情けない歩き方になります。
 
ランカテイラカ  14:27 ランカテイラカ (Lankatilaka)

 今は、首から上がとれた仏陀の立像ですが、これを拝む僧は、絶対に仏陀にはお尻を向けませんでした。

 その戒律は、階段を登る時でも、守られていました。
 では、具体的には、僧はどのようにして階段を登ったのでしょうか?

 ガイドさんがモデルになって説明してくれています。
 左のように階段を登る際でも、体は仏に対して、正面を向けたまま、上がって行きました。

 
これで、ランカテイラカの観光も終わり、また、北のキリ・ヴィーハーラを通って、次のガル・ヴィハーラまで、お土産屋さんやココナッツ・ジュースを売っている売店を少し歩いていきます。

 野生の猿ものんびりとしています。
ガル・ヴィハーラ  14:38 ガル・ヴィハーラ (Gal Vihara)

 暑い中、のんびりと歩いて、ガル・ヴィハーラに来ました。

 ここ、ガル・ヴィハーラには、岩に彫られた巨大な石仏が4体あります。

 像に向かって左から、座った仏像、洞窟内の像、立った像、そして横になった涅槃像です。
 生憎、2番目の洞窟内の像は工事中で見る事はできませんでした。
 
 これらの像は、12世紀にパラークラマ・バーフ1世(Parakramabahu I)によって造られたようです。

*瞑想する仏

ガル・ヴィハーラ   ガル・ヴィハーラ (Gal Vihara)

 2番目の像は、座像で洞窟の内部に収まり、ブラマ、ヴィシュヌらヒンドゥー神像に囲まれているようですが、生憎、工事中で中を見る事は出来ませんでした。

*3番目の立像
  両手を前に合わせたポーズをとる、3番目の立像の高さは、7mあり、悟りを開いてから7日目の仏陀を表しています。

*ここでも、靴は脱いで、裸足です。

 

*熱心に祈るガイドさんでした。
ガル・ヴィハーラ   ガル・ヴィハーラ (Gal Vihara)

*涅槃像
 4番目の涅槃像の長さは、15mです。

ガル・ヴィハーラ   ガル・ヴィハーラ (Gal Vihara)

 
ガル・ヴィハーラ 14:55 ガル・ヴィハーラ (Gal Vihara)

 暑さと歩いているので、喉も渇きます。

 駐車場の近くにある、ココナッツ・ジュースが随分と売れています。
シギリヤ  へ 15:05 ポロンナルワ 発
 シギリア へ戻る。(約67km、約1持間20分)
 
 ガル・ヴィハーラの石仏見物も終わり、これで、今日予定されていましたシギリヤとポロンナルワの観光も終わりです。

 昼食後、シギリヤからポロンナルワに来た時と同じ道を、シギリヤへ戻ります。

 今度は、道の左に、巨大な人造湖:バラークラマ・サムドラが見えます。
 
シギリア 16:20 シギリア 着

 予定では、ポロンナルワからシギリアまで2時間はかかるのではないかということでしたが、信号機の無い道はすいていて、1時間ちょっとで、昨夜から泊まっている、ホテル:シギリヤ・ ビレッジ((Sigiriya Village)に戻ってきました。

シギリア   シギリア ホテル

*部屋が汚い!
  観光から戻って部屋に入ると、ベッドのシーツなどが、朝のままです。
 昨夜、ベッド・メーキングでグループ内の他の人から注意があったのを、ガイドが誤解して、ホテル側に伝えたためのようです。
 すぐに、係りがきて、部屋をきれいにしてました。

◎今夜の夕食は、19:30からの予定ですので、また、ホテルの近くを散策しましょう。

シギリア   *電線で、鹿や猪が観光地に入らなくしている。

 シギリヤ・ロックの周辺だけでく、自然保護区の周辺にも電線が張り巡らされていて、地区内に鹿や猪、象などの動物が入らないようにしています。

 しかし、サルやマングースは入れるので、ガイドさんの話では、あまり効果が無いようです。
シギリア    シギリア ホテル近辺

  朝、シギリヤ・ロックで見た観光用の象が、ホテルの近くまでお客を乗せてきてました。

 飼われている象です。
シギリア 17:00 シギリア ホテル近辺

 もう、夕方の5時ですが、シギリヤ・ロックには、まだ登山者がいます。

  郵便ポストも日本的で懐かしい形です。
夕食 19:30 New
夕食

 ホテル:シギリヤ・ ビレッジの庭が見えるメイン棟にあるレストランで夕食です。朝食をとった場所と同じです。

 インターナショナル・ビュッフェ・スタイルで、好きなものをとってきます。

 でも、毎日同じような、メニューでかわりばえがしません。
 といいながら、しっかり食べてはいますが。
夕食   New
夕食

 昨日(4月14日)は、シンハラ暦の年末で、酒等のアルコールをとることはできませんでしたが、今日からはアルコールも解禁です。

 そこで、余りアルコールに強くない私もビールを頼みました。

 ビールのメーカーは、”3 Coins(スリー・コインズ)”という、スリランカのメーカーです。
 料金は、450Rs(スリランカ・ルピー)(360円)でした。

 味は、すっきりしています。

ホテル:シギリヤ・ ビレッジ    *お休み New

 昨夜(4月14日)から泊まっている、ホテル:シギリヤ・ ビレッジ 196号コテージです。

*飲みすぎた!
 最近は、余りビールも飲むことがなかったのですが、この夜は、ちょっとばかり飲みすぎたようで、部屋に帰っても、体が火照り、頭がふらついていました。
◎ 2014年 4月15日(火)は終わりです。
★第3日目は、午前中にシギリヤ・ロックに登り、シギリヤ・レディに会い、午後は、ポロンナルワの仏教遺跡の観光でした。

◎シギリヤ・ロック登山は印象に残る体験だ!
 
断崖絶壁のシギリヤの岩山の山頂に宮殿を造るとは、敵から身を守ることを考えると、当然の発想です。
 日本の城でも外敵に対しての構えとして同じようなことは言えます。
 しかし、生活に欠かせない水の補給の困難さや食料の備蓄などから、水が湧かない高い岩山での生活は、結局長続きしなかったのも、これまた当然でした。

◎ホテルを早めに出てよかった!
 
シギリヤ・ロックを目指す観光客は随分と多いので、狭い登山道は込み合っていて、登るのに時間がかかります。
 観光客が多いとお目当てのシギリヤ・レディの写真も充分に撮れませんから、朝早めの登山をお勧めします。

◎シギリア・レディの数は、18体、12体、また少なくなった?
  
以前の旅行本を読んでいたら、シギリア・レディの数は、18体という記述がありました。
  新しい、旅行ガイド・ブックには、シギリア・レディの数は12体とあります。
  私が、シギリヤの洞窟で撮った写真には、どうやら12人写っていますが、シギリア・レディの一部は損傷がひどくなって徐々にその数を減らしているようです。
 
  下の写真をクリックすると、拡大写真がでます。


◎シギリヤ/ポロンナルワ間の道路事情
 
最初の予定では、シギリヤ/ポロンナルワ間は、約67Kmあり、車で約2時間かかるとなっていましたが、今回の旅では、1時間程度で到着しています。
 シンハラ暦での新年で、みんな休みをとっていて、道が空いていたせいでしょう。
 
 道路の舗装状態は良いです。また、信号機がありませんから、狭い道でも対向車がこなければ、かなり車のスピードは上げられます。


◎足裏対策は充分
 
スリランカでの寺院を参拝するに際して、裸足で日に焼けた敷石や砂の上を歩けないことは、昨日(4月14日)の旅行記で書いたとおりです。
 今日の寺院を参拝に当っては、靴下を2枚用意して、裸足になっても足の裏は熱くありません。


◎ビールを飲みすぎた!

 
私の夕食がひととおり終わったあとで、添乗員さんが席にきたので、彼と話していたら、かなり飲んだビールの量が多かったようで、部屋に戻ると頭はガンガンするわ、体は熱いわ、吐き気さえして、なかなか寝られず大変でした。
 翌日は、少しばかり二日酔いで、気分がすぐれませんでした。

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2014年 5月21日 第1稿 Up

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