スリランカとインド   9日間の旅行記

期間: 2014年(平成26年)  4月13日(日) 〜 4月21日(月) 

第7日目: 2014年(平成26年)  4月19日(土)  

 インド の ファティープル・シークリー観光、アグラ、タージ・マハル観光 へ

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ジャイプール から アグラ へ

◎ 本 日 の ス ケ ジ ュ ール
 場 所  概 要
起床 05:20 *ジャイプール市内のホテル:クラークス・アメール
朝食 06:00 New
ジャイプール市内のホテル:クラークス・アメールのビュッフェ
ホテル 発 07:00 陸路にて≪アグラへ(約198km、約4時間)≫
 途中、アクバル帝の城跡:ファティープル・シークリー観光
風の宮殿 観光  07:20 風の宮殿
 昨日の予定で観なかったので、今日に入る。
ファティープル・シークリー 着 
 (観光 1時間30分)
11:10 【世界遺産】アクバル帝の城跡:ファティープル・シークリー観光 
ファティープル・シークリー 発 12:45 *昼食 へ
昼食 13:15 New
ターリー料理
ファティープル・シークリー 発 14:10 *アグラ へ
アグラ 着 15;00  
アグラ市内観光

 (観光 約2時間30分)
  ≪アグラ市内観光≫
【世界遺産】アグラ城塞
【世界遺産】タージ・マハル

大理石店(30分)にてショッピング
大理石店 発 18:35 *ホテル へ
ホテル 着 18:50 *アグラのホテル:クラークス・シラーズ
夕食 19:30 New
アグラのホテル:クラークス・シラーズ で
インターナショナル・ビユッフエ)
宿泊   New
アグラのホテル:クラークス・シラーズ 

訪  問  地 詳    細
ホテル:クラークス・アメール   05:20

起床
 
 インドはジャイプールにあるホテル:クラークス・アメール、431号室での朝です。

 本日の予定は、ジャイプールから、タージ・マハルのあるアグラに向かいます。
 どうも、インドでは交通渋滞が慢性化しているようで、予定では7時30分にホテル出発でしたが、30分早くなりました。

 そこで、起床もなんと、5時20分というまだ暗い時間に起こされます。

 *起こすのは、ホテルの電話でのモーニング・コールではなく、添乗員さんが直接起こしてくれます。

*昨夜は、部屋のクーラーは点けませんでした。
 毛布1枚で、暑くも無く眠れました。

 遠くで雷が鳴っています。

 雨が降って来ました。

 

朝食 06:00 New
朝食

 インドはジャイプールのホテル:クラークス・アメール内にあるレストランでビュッフェ形式の朝食です。

 しかし、メニューが少なくて、朝から胃の調子がいい私ですが、パンやゆで卵で我慢しています。

出発 07:00 インドのジャイプールのホテル:クラークス・アメール 発

 今日の予定は、いよいよインド観光の目玉である、タージ・マハルがあるジャイプールから東のアグラを目指します。

 ジャイプールからアグラまでは約198km、所要時間は約4時間を予定しています。

 また、途中、アクバル帝の城跡:【世界遺産】ファティープル・シークリー観光も入っています。

*どうやら、雨は止みました。

 今日の服装は、半袖です。
風の宮殿
07:15 風の宮殿 (Hawa Mahal) (ハワ・マハル)

 アグラ へ行く前に、昨日の観光予定からもれていた「風の宮殿」を観ます。

 風の宮殿は、1799年にサワイ・プラテープ・シンによって造られました。
 王様(マハラジャ)の居城、シティ・パレスの東側、大通りに面して建っています。
 宮廷にいる女性が外からその姿を見られずに町を眺めるため、建物の表面全体が石製の格子からできています。
 奥行きが非常に狭い薄っぺらい建物で、風の通りがいいように造られています。
風の宮殿 07:19 風の宮殿 (Hawa Mahal) (ハワ・マハル)

 風の宮殿は5階建てで、窓の数は、およそ350あります。暇な人は窓の数を数えてください。 
*裏から見ると部屋はなく壁だけのような薄さです。
ジャイプール 07:20 *ファティープル・シークリー へ

 ピンクに彩られたジャイプールの街を後にして、東のアグラ方面に向かいます。
 アグラに着く前に、途中、ファティープル・シークリーへ寄ります。

 インド:ジャイプールの街では牛は神聖な動物で使えないので、ラクダが荷物運びに使われています。
ファティープル・シークリー へ   *ファティープル・シークリー へ

 ジャイプールからアグラまでの距離は、約198Kmで、4時間かかるとのことですが、このインドの交通状況では、一体何時間かかるかは、はっきりしませんが、とにかく行って見ましょう。
  
ファティープル・シークリー へ 07:45 *ファティープル・シークリー へ

 高速道路に入る。

 ジャイプールの市街からすぐに、有料の高速道路に入ります。

 道は、デリーからジャイプールへ来た時と違ってかなり空いています。

 道の左右は、平原の畑です。
 野菜は無いようです。
 
 朝が早いと、畑では、男女に関係なく排泄をしている人々が多くいます。
ファティープル・シークリーへ  08:51 *ファティープル・シークリー へ

 アグラまで、あと190Kmぐらいの地点です。

 有料の高速道路でドンドン飛ばせるかと思っていたら、いつの間にか、街の中にも入って、車の数も増えています。
 街の人もこの道路を横断しています。
*このあたりでは、石材屋が多いようです。

 大理石やジャイプールの街の色の赤い石を加工しています。
ファティープル・シークリーへ 09:20 *トイレ休憩

 アグラまで、あと130Kmぐらいのところでトイレ休憩です。
 休憩した場所は、お土産屋さんです。

 利用料として、10Rs払います。

 
ファティープル・シークリーへ   *トイレ休憩

 半袖では寒い!
 インドの北の地区はこの4月でも、もうかなり暑いということでしたが、なんと半袖では、外は涼しい! 気温は、だいたい24度です。
 湿度も少なくて、気持ちがいい。

ファティープル・シークリーへ 10:06 *ファティープル・シークリー へ

 9時30分ごろ、トイレ休憩をしたお土産屋さんを出て、また高速道路に入っています。

 道の左右は、左の写真のように平坦です。

 丁度、麦刈りが終わった時期のようです。

 そこで、麦の穂や茎を小さく切っています。これはレンガ工場での燃料として利用されます。

 インドの女性は、長いサリーを着たまま農作業をしています。
ファティープル・シークリーへ 10:18 *ファティープル・シークリー へ

 レンガ工場です。

 レンガ工場は道の左右に、かなりみられます。

 あと、アグラまで91Kmの地点です。

  道はほぼ直線です。

 デリーからジャイプールへ向かった道路と違って、工事中の道路がありませんでした。
ファティープル・シークリー 11:10 *ファティープル・シークリー着

 どうやら、アクバル帝の城跡の、ファティープル・シークリーに着きました。
【世界遺産】 ファティープル・シークリー (Fatelpur Sikri) 観光の前に
  【世界遺産】ファティープル・シークリー (Fatelpur Sikri)

 「ファテープル・シークリー」とは勝利の都:シークリーという意味です。インドはウッタル・プラデーシュ州の都市アグラから南西約37Kmに位置する、ムガル帝国第3代皇帝アクバルによって帝がグジャラート地方での戦いに勝利したことに因んで名づけられ建設された都市です。

 この地に城が建設されたのは、アクバル帝にはなかなか跡継ぎができないので、この地に住むイスラム教の聖者サリーム・チシュティーを訪ねたら、彼の予言で王子ジャハーンギールが生まれました。そこでサリーム・チシュティーをねぎらいアクバル帝はここに新たな都を造り、東のアグラから都を移してきました。
 城は5年もかけて建設され、3Kmx1.5Kmの広大な城壁に囲まれた敷地内に華麗な宮殿やモスクが出来ました。
 しかし、城は水不足と猛暑のため、アグラから移っては来たものの、わずか14年間(1574年〜1588年)しか使用されず、また都は北のラホールへ移り、その後、使用されない宮殿となリました。

 ファティープル・シークリーの遺跡群は1986年、ユネスコの世界遺産に登録されました。
ファティープル・シークリー
11:24 【世界遺産】ファティープル・シークリー (Fatelpur Sikri)

 ファティープル・シークリーの遺跡群は、台地の上に建設されていて、長方形で囲まれた多くの区画は、幾何学的な計画で実施されており、中心部は、宮廷地区とモスク地区とに分けられています。
 ほとんどの建築物が赤砂岩によって建設されていて、インド土着の建築文化とイスラーム建築の融合がなされた都市遺跡です。

●モスク地区
 モスク地区の観光は飛ばして、専用のバスに乗り換えて宮廷地区に向かいます。
ファティープル・シークリー
11:30 【世界遺産】ファティープル・シークリー (Fatelpur Sikri)

●宮廷地区
 専用のバスに乗って、すぐに、ファティープル・シークリーの入口に着きます。
ファティープル・シークリー 11:31 【世界遺産】ファティープル・シークリー (Fatelpur Sikri)

●宮廷地区

 いまでもきれいに手入れされた宮殿です。

 赤茶けた石でできた城が傷みもなく保存されています。
 
*ディーワーネ・ハース(内謁殿、Diwan-i-Khas)
ファティープル・シークリー ◎階段状になった5層の壁のない建物(パーンチ・マハル)の前の広場では、女性をチェスの駒にして遊んでいたとか。
   
ファティープル・シークリー ◎厩舎には、200頭のラクダや馬を飼うことができます。
  
ファティープル・シークリー 11:42 【世界遺産】ファティープル・シークリー (Fatelpur Sikri)

●宮廷地区

◎謁見の間

 房状の柱の上に、4方から延びた橋があり、その中央に玉座をおいて王は貴賓や来客を迎えたようです。

ファティープル・シークリー 12:25 【世界遺産】ファティープル・シークリー (Fatelpur Sikri)

●宮廷地区

 王の寝床です。

 この地は本当に暑かったようで、王様の寝床もかなり高床です。

 寝床の下には、涼しくなるように水がまかれていました。
ファティープル・シークリー 12:28 【世界遺産】ファティープル・シークリー (Fatelpur Sikri)

●宮廷地区

 シャワー設備
 お妃様が使用したようです。
ファティープル・シークリー 12:29 【世界遺産】ファティープル・シークリー (Fatelpur Sikri)

●宮廷地区

 第1妃の部屋
  王様にはハーレムがあり多くの女性がいましたが、この部屋は特にお気に入りの女性が使用していたようで、小さな部屋ですが柱の模様や外装も凝っています。
ファティープル・シークリー 発 12:45 *ファティープル・シークリー 発

 ファティープル・シークリーの城からまた専用のバスに乗り換えて、下の方に戻って来ました。

 朝はかなり涼しかった気温ももう30度は超えていて、暑くなっています。

 下では、お土産屋さんもたくさんあるのですが、あまりの暑さで、売込みには熱心ではありませんでした。

 これから、昼食に向かいます。
昼食へ 12:57 *昼食へ

昼食のレストランは、ファティープル・シークリーから離れた場所にあるらしく、また高速道路に入ります。
 高速の料金所を過ぎたら、州税を取られました。

*インドは、選挙期間中です。

 街には、選挙の候補者の看板がいくつもありました。
昼食 13:15 New
昼食を。

 4月19日の昼食を取った、JOSHI RESORT レストランです。
昼食 昼食 New
昼食

 今日の昼食は、ターリー料理です。
 左の写真のように、1つの皿(お盆)の上に、ナン(パン)と米の他に、野菜、鶏、漬物など、11種と実にさまざまなものがカレー味で盛られてでてきます。

*味は?
 特に辛くもありませんでした。 
アグラ へ 14:05 *ファティープル・シークリー 発 アグラ へ

 腹ごしらえも出来ましたので、これからアグラ へ向かいます。

 もうアグラまでは、30Kmもない感じです。

 朝は涼しかった気温はドンドン上がっています。36度はありそうです。どうやら、半袖の服装が似合います。

 道の左右には、相変わらず平坦な土地が続きます。

 鉄道もありますが、単線です。
アグラ へ 14:35 *アグラ へ

 だいぶ、アグラの街に近づいたようです。
 インドを象徴するゴミが放置された汚い道です。
アグラ城 15:00 *アグラ 着

 先ずは、アグラ城の観光です。
アグラ (Agra)観光の前に
アグラ (Agra)

 アグラはインドのウッタル・プラデーシュ州に属する同州最大の都市です。
世界遺産に登録されているタージ・マハル廟、アーグラ城塞があることで有名です。

 アグラはガンジス川最大の支流であるヤムナー川沿いに位置し、古代より交通の要所として発展しました。
 この周辺地域における政治、経済、文化の中心地です。
 北にあるデリーまでは、約180Km。西のジャイプールまでは、220Kmの位置にあります。

 アグラは、16世紀初頭、最後のデリー・スルタン朝であるロディー朝がこの地に都をおいたのが始めです。その後、ロディー朝を倒したムガル帝国3代目のアクバル帝がアグラを都としてさらに発展しました。
 そして、ムガル帝国5代目のシャー・ジャハーン帝は、愛する妃:ムムターズ・マハルの死を弔いヤムナー川に面して荘厳なタージ・マハル廟を建てました。

 その後、アグラは19世紀にはインドを植民地化したイギリスの支配下に入り、植民地統治の拠点の一つとなりました。
【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)
 
 ガンジス川の支流であるヤムナー川岸にそびえる、アグラ城塞 はムガル帝国の栄光と権力を象徴する美しい城塞です。
 ムガル帝国3代目の皇帝のアクバルが1565年に建設を開始し、その後18世紀初頭の第6代アウラングゼーブ帝まで建設が続けられました。
 城塞は赤砂岩で囲まれていますが城の中には、宮殿などの諸施設が建てられいて、建物の内部には白い大理石も多用されています。

 概観が赤く見えるので、アグラ城は英語では、レッド・フォート(赤い城 Red Fort)と呼ばれていますが、通常、レッド・フォートというと、これから行く、デリー市内にある方を指します。

 アグラ城内にはタージ・マハルの建設を命じたシャー・ジャハーン帝が7年間幽閉されていた囚われの塔(ムサンマン・ブルジュ)もあります。

 ムガル帝国の衰退化で、アグラ城も戦場となりましたが、修復されて、1983年、ユネスコの世界遺産に登録されました。
アグラ城 15:00 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

 
アグラ城 15:00 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

 アグラ城への入口は、城の南側にあり、堀を渡ります。アマル・シン門(Amar Singh Gate)です。

アグラ城 15:00 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

 さすがに繁栄を誇ったムガル帝国の城です。
 上で紹介したファティープル・シークリー城よりも、頑丈で、それでいて装飾が細かく美しく造られています。

 当然に城ですから、見張りもできます。
アグラ城 15:02 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

 現在の時刻は、午後3時過ぎです。
 温度は分かりませんが、暑さは最高です。

 多くの観光客は、日陰を歩いています。
アグラ城 15:02 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

 *ジャハーンギール殿  (Jahangir Mahal)
 アグラ城の入口を登ると、すぐ右手に見えるのが、ジャハーンギール殿です。
 
アグラ城 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

*一般謁見の間 ディーワーネ・アーム(Diwan-i-Am)
ジャハーンギール殿を過ぎると、広場に出ます。ここが、一般謁見の間 (Diwan-i-Am)です。 玉座は、どこから見ても柱に隠れる位置にありました。
    人に慣れたリスもいます。
アグラ城 15:12 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

*貴賓謁見の間  (Diwan-i-Khas)
 一般謁見の間 (Diwan-i-Am)をさらに奥に入ると、貴賓謁見の間 ディーワーネ・カース (Diwan-i-Khas)があります。
 今は座ることの出来ない玉座の周りです。
 
アグラ城 15:17 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

*ムサンマン・ブルジ (Musamman Burj) - 8角柱形の塔、囚われの塔
 アグラ城も城壁は、赤茶けた石で造られていますが、宮殿は白い大理石で出来ています。

 このムサンマン・ブルジ (Musamman Burj) には、タージ・マハルの建設を命じたシャー・ジャハーン帝が3男のアウラングゼーブによって7年間幽閉され、シャー・ジャハーン帝は、1666年、74歳で亡くなっています。
アグラ城 15:24 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

*ムサンマン・ブルジ (Musamman Burj) - 8角柱形の塔、囚われの塔

 それでは、ムサンマン・ブルジ (Musamman Burj)にもっと近づいてみましょう。

 柱には、きれいな大理石の埋め込み細工がなされ、壁は人型のくぼみが出来ています。
 この人型のくぼみには以前は、宝石が埋め込まれていたようですが、盗まれたようです。
アグラ城 15:28 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

*ムサンマン・ブルジ (Musamman Burj) - 8角柱形の塔、囚われの塔から見えるタージ・マハル

 ムサンマン・ブルジ (Musamman Burj)に囚われた、シャー・ジャハーン帝は、亡き妻:ムムターズ・マハルを悼んで建てた「タージ・マハル」を、遠くから見てさぞ涙していたことでしょう。
アグラ城 15:31 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

*ムサンマン・ブルジ (Musamman Burj) - 8角柱形の塔、囚われの塔から見えるタージ・マハル



 私も幻を見ました!
 現代に甦った、ムムターズ・マハルでしょうか?
アグラ城 15:34 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

*ムサンマン・ブルジ (Musamman Burj) - 8角柱形の塔、囚われの塔から見えるタージ・マハル

 アグラ城から見るタージ・マハルも実にきれいです。

  丁度、この時間 午後3時半頃が光のあたり具合がいいのかも。
アグラ城 15:36 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

*ムサンマン・ブルジ (Musamman Burj) - 8角柱形の塔、囚われの塔

 アグラ城は外だけでなく、内部の装飾もきれいでした。
アグラ城 15:37 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort)

*ムサンマン・ブルジ (Musamman Burj) - 8角柱形の塔、囚われの塔

 左の写真の女性は、特に壁に書かれた文字を見ているのではありません。

 この部屋では、音の反響が良くて、壁際で小声で話しても、反対側の壁際でも聞こえます。

 密談には適していない部屋です。
 
アグラ城 15:50 【世界遺産】 アグラ城砦 (Agra Fort) 

 アグラ城の観光を終えて、これから、いよいよタージ・マハルへ向かいます。

 暑いので、多くの人は、日陰を歩いています。
アグラ市内 15:54 *アグラ市内から タージ・マハル へ

 アグラ城からタージ・マハルまではそんなに距離はありません。

 バスでも10分はかからない距離だと思っていたら、道が渋滞していて、20分もかかりました。
 
タージ・マハル (Taj Mahal)観光の前に
【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal) 

 タージ・マハルは、インド北部の都市アグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛する妃:ムムターズ・マハルの死を弔うため建設した総大理石の白亜の墓廟で、インド=イスラーム文化の代表的建築物です。
 着工は、1632年で、出来上がるまでに、21年かかり、完成は1653年といわれています。

 インドではマハル(Mahal)とは、通常「宮殿」を意味しますが、ここでは、宮殿の意味ではなく、王妃の霊廟をさしています。
 タージ・マハルの言われは、王妃ムムターズ・マハルのムムが消えターズがインド風発音のタージになったといわれています。
ムムターズ・マハルとはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者」を意味する言葉であり、第4代皇帝ジャハーンギールから授けられた称号です。

 1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、2007年には、新・世界七不思議に選出されました。

 タージ・マハルは南北560m、東西303mの長方形の敷地内にあります。
 入口は南側にあります。
 南端の約1/4を占める部分には前庭があり、その北側にある大楼門をくぐって中に入ります。
 大楼門と墓廟との間を占める広大な庭園は一辺296mの正方形をなしています。
 その庭園は水路と遊歩道によって東西南北それぞれにきれいに大きく2等分され、さらにそれぞれの区画が4つの正方形で区分されています。
 庭を過ぎた北側には敷地の約1/4を占める基壇の上に、廟堂を中心に西側にモスク、東側に集会場(迎賓館)が左右対称に配置されています。

 南にある大楼門はダルワーザー、ムガル式の四分された庭園はバギーチャー、廟堂の西側のモスクはマスジド、東側の集会場(迎賓施設)はミフマーン・カーナー(ジャマート・カーナー)とよばれ、そして廟堂を囲む高さ42mの4本の尖塔(ミナレット)があり、墓廟はマウソレウムと言われます。
タージ・マハル 16:14 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal) 

 最近は、タージ・マハル近辺でも自動車等の排気ガスによる汚染がひどいので、タージ・マハルに入るには、バスから専用の電気自動車に乗り換えます。

 白い大理石でできたタージ・マハルも時々は表面の汚れを落としているようです。

 
タージ・マハル 16:16 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal) 

 そこで、タージ・マハルまでの乗り換えの電気自動車は、左の写真のような洒落た自動車かと思ったら、

 こんな、よくあるタイプのミニ・バスでした。

 ガッカリ!

 電気自動車でも、車種で料金が違っているとのことです。
タージ・マハル 16:22 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

 
バスには、3,4分しか乗っていません。
 すぐに、タージ・マハルの南にある、入口に到着です。
 インドらしく、牛が私たちを迎えてくれました。
  

 
タージ・マハル 16:25 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

 タージ・マハルに入るには、当然入場料を払います。

 これが、外国人とインド人では大きく差があります。

 外国人は、750ルピー(約1,300円)ですが、インド人なら20ルピー(約35円)という安さです。

 また、荷物検査も厳しいので、面倒なものは持っていかないことです。

 なお、一番奥の霊廟に上がる際には、ここでも履物を預けて上がりますが、履物にビニールのカバーをかぶせても大丈夫です。私たちのツアーでは、シャンプーの時にかぶる薄いキャップにようなものをくれました。
タージ・マハル 16:29 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●前庭部と大楼門

 厳しい荷物検査を受け、タージ・マハルの入口にあたる大楼門が見えてきました。

 大楼門は赤砂岩づくりで高さは約30mあります。
イスラーム建築で多用される大きなアーチでイワーンと呼ばれます。
 門の両側には八角形の太い塔があります。
 入口のイワーンの上には、ファテープル・シークリーの寺院にも見られる白い鍾乳石の型体をした11個の丸いものがついています。

 ここから、タージ・マハルの特徴の左右対称の美が始まります。
タージ・マハル 16:34 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●大楼門から見たタージ・マハル

 
狭くて多くの人で込み合っている大楼門の入口から、白亜の大聖堂:タージ・マハルが見えてきました。

 まず、この入口から垣間見るその荘厳さと美しさに感動します。みんな、スゴイの感動の言葉しかでません。

タージ・マハル 16:52 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●大楼門から見たタージ・マハル


 大楼門の側には墓廟をバックにした写真撮影用のベンチがあり、こんなボーズで記念写真を撮っていました。
 
タージ・マハル 17:01 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●大楼門から見たタージ・マハル



 サリー姿がきれいでしたので、つい1枚撮ってしまいました。

  (3枚も載せることはない?)
タージ・マハル 17:01 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●タージ・マハルから見た大楼門


●庭園 (ガーデン)

 大楼門をくぐった先に広がる庭園には4本の水路が四方に流れ、この水路が交わるところには池が配置されています。これはペルシャ様式のチャール・バーグ式を踏襲しています。

 水は直径約23cmの管から流れてきます。通常だと取水口から遠い噴水に行くまでに水圧が低下して、水が高く上がりませんが、タージ・マハル庭園ではそれぞれの噴水の下に壺が埋め込まれ、ここに一度水を貯めることで各噴水の高さに差が現れないよう工夫されているそうです。

 霊廟にある庭園は、イスラム教徒にとって砂漠の中の楽園を意味しています。当初のタージ・マハルも列柱回廊で囲まれ、東西には門の代わりにバルコニーを備えた二階の楼台(バラダリ)があり、その中には豊かな花々や果樹が植えられ、季節によってバラ、チューリップ、百合、マリーゴールド、水仙などが咲き、マンゴー、オレンジ、レモン、ザクロ、リンゴ、ブドウなどが実を結んでいたようです。
 現在の庭園は背の低い糸杉の並木と芝が一面に植えられ、大樹がところどころにありますが、これは19世紀にイギリス人が作り変えたものです。
タージ・マハル 17:02 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●基壇と尖塔

 庭園を先に進むと中央の高さ5.5mの基壇の上に、白亜の墓廟が迫ってきます。
 墓廟の四隅には高さ42mの4本の尖塔((ミナレット)が建っています。
 基壇には、向かって左(西)にモスク、右(東)に集会場(迎賓館)があります。
 通常、ムガル帝国の霊廟では、この基壇周囲にはアーチ状の列柱とその後ろに小部屋が据えられ、一族や縁者の墓石を置く慣習がありますが、タージ・マハルの基壇にあるアーチは単なる浮き彫りであり、他の死者用の小部屋もありません。これは、タージ・マハルがあくまでムムターズ・マハル、個人のために建設されたことを表しています。

タージ・マハル 17:03 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

 それでは、もっと白亜の墓廟に近づいてみましょう。

  大楼門では遠くて人ごみが見えなかったのですが、墓廟に入る際にも、また荷物検査があり、そのために基壇にも、またその上の墓廟にも実に多くの人がいます。

  この豆粒のような人たちと見比べると、タージ・マハルの大きさがお分かりでしょう。

 基壇を昇る中央の階段は庭側から直接見えないように設置されています。
 基壇には、左側から入ります。ここから先は、履物を脱ぐか、また履物にカバーをかけないと上がれません。

◎外国人用とインド人用に入口が別れている。
 基壇の登りでは、外国人用とインド人用に入口が2つあり、インド人用はかなり混んでいますが、外国人用は空いていて、すぐに上にあがれます。そこにも、人は一杯いますが。
タージ・マハル 17:08 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●モスクと集会所(迎賓館) −モスクー

 基壇の中央にある、ムムターズ・マハルの墓廟を左右に挟む形で造られているのが、モスクと集会場(迎賓館)です。
 モスクと集会場(迎賓館)は、共に外観が同じ赤砂岩の建て方で対称な形で向かいあっています。

 しかし、その内部は大きく異なっているようです。
 西側にある建物は、西には聖地メッカがあるので、モスクとして使われ、メッカの方向を示すアーチ形のミソラーブがあるのに対し、集会場(迎賓館)の内部には迎賓などのための広い空間だけがあります。
このようなモスクや集会場(迎賓館)がある霊廟は、他のムガル帝国廟にはないそうです。

タージ・マハル 17:11 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●モスクと集会所(迎賓館) −集会場(迎賓館)ー

 確かに、モスクと集会場(迎賓館)の外観は同じです。

 でも、写真のように、太陽の当りかたによって、そのイメージは大きく違います。
タージ・マハル



17:19 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●墓廟


 ムムターズ・マハルの墓廟は横と奥行きが共に57mの正方形で、四隅が切られた変形の八角形をしています。

 高さは丸屋根上部までが58m、この高さには上に据えられた頂華ははいっていません。

 

 墓廟の建物の総重量は12,000トンで、内部にある八角形の石積みの柱がその重さを支えています。

 建物の屋上には中央の丸屋根を囲んで四隅に小さな丸屋根を持つ小楼(チャハトリ)が配されています。

 建物が余りにも巨大で、入口の近くでは、全体の建物の写真が撮れません。

 見上げるだけでも圧倒されます。

  
タージ・マハル 17:18 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●墓廟

 
墓廟への入口が狭く、多くの人が殺到し、また割り込みもありで、墓廟の中に入るのには、かなり大変でまた待たされます。

 内部中央の八角形のホールには、その中心に白大理石にコーランの章句や草花の連続文様が装飾された衝立が囲うムムターズ・マハルの参拝用の墓石がありますが、もう人が多くて、棺には近寄れず写真を撮るのに必死です。
 
 この墓廟の地下にムムターズ・マハル本来の棺が安置されていて、その横には夫:シャー・ジャハーンの棺もあるようですが、余りにも人が多くて、墓廟内部では、勝手に動くことができず、左周りに回って、すぐに外に追い出されました。
タージ・マハル   【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

●ヤムナー川の向こう岸


 タージ・マハルの北側にはヤムナー川が流れていますが、タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンは、ヤムナー川を挟んで、対岸にこのタージ・マハルと似たもうひとつの「黒いタージ」を建てて、2つの建物を橋で結びつける計画を持っていたそうです。
 
 その計画は、シャー・ジャハーンが彼の息子によってアグラ城に幽閉されて実現しませんでしたが、ハーレムの中にいる多くの女性の中からムムターズ・マハルを愛したシャー・ジャハーンの気持ちの大きさが伝わるいい話です。
タージ・マハル   【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

 
タージ・マハルから、ヤムナー川沿いにある、シャー・ジャハーンが幽閉されていたアグラ城の方向です。

 アグラ城からは、タージ・マハルは見えましたが、タージ・マハルからは、アグラ城ははっきりと見えません。

 本当に、タージ・マハルの大きさが分かります。
タージ・マハル 17:42 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

 
いつまで見ていても飽きないタージ・マハルで、大変名残惜しいのですが、そろそろ、出発・集合の時間が来たので、後にします。

 まだまだ、観光客は一杯います。

  
タージ・マハル 17:47 【世界遺産】 タージ・マハル (Taj Mahal)

  タージ・マハルの入口の荷物検査を受ける場所です。

 我々は、帰りますが、まだまだ入場者はいます。

 気温もまだ暑い。
タージ・マハル 17:51 *帰りは、ラクダに乗って。

 
 タージ・マハルに来るときは、電気バスを利用しましたが、帰りは、ラクダに曳かれて帰ります。
 馬車ならぬラクダ車とは、生まれて初めての経験です。

 ラクダも案外馬力ならぬラクダ力があるようで、御者を含めて、6,7人は乗れます。 
大理石店 18:05 *大理石店へ

 タージ・マハルを後にして、近くにある、大理石や工芸品を扱う店に来ました。

大理石店   *大理石店

 大理石細工の価格は、その大きさとまた細かさによって決まります。


白色でない大理石にも細かく細工がされています。
大理石店 18:30 *大理石店

 当然、タージ・マハルもあります。値段は怖くて聞いていませんが。

アグラのホテル:クラークス・シラーズ 18:50 *ホテル 着

 今夜(4月19日)アグラの宿泊ホテル、クラークス・シラーズに到着しました。

 左の写真のクラークス・シラーズの外観でもお分かりのように、このホテルは、昨夜(4月18日)泊まったジャイプールのホテル:クラークス・アメールと同じ系列で、同じような建て方をしています。

 インドでは、現在選挙期間中で、ホテルの庭では、候補者を囲んでパーティが開かれていました。

夕食 19:30 New
夕食
 ホテル:クラークス・シラーズ内にあるレストランで夕食です。

 インターナショナル・ビュッフェ・スタイルです。

 料理は、もうカレーから、普通のメニーにしています。
 毎日カレーでは飽きましたので。
夕食 19:46 New
夕食

 今日は、タージ・マハルを観てその余りにも荘厳さと美しさで気分が高揚していますので、またいつもは口にしないビールも飲んでいます。

 ビールのメーカーは King Fisher で 400Rs(680円)です。
 この価格は、インドでは高いようですが、ホテル内としては、まあまあでしょう。

 昨日のホテル:クラークス・アメールでは、同じKing Fisher でも 450Rsでした。
ホテル:クラークス・シラーズ   *お休み New
ホテル:クラークス・シラーズ

●泊まった部屋は、7階建ての1階の123号室です。

◎ホテルのHpより:
*ホテル:クラークス・シラーズ Hotel Clarks Shiraz
  所在地:54 , Taj Road, Agra 282001, India

 ロケーション:アグラにあるこのホテルの 3 km 圏内には、Mosque and the Jawab、タージ・マハル、アーグラ城塞があります。サダー・バザーとジャミ・モスクも 3 km 圏内にあります。

 ホテルの設備:ホテル クラークス シラーズには、2 軒のレストランのほか、屋外プールがあります。また、バー / ラウンジ、ランドリー設備などもご利用いただけます。

 客室内の設備とサービス:客室にはエアコン、ミニバー、コーヒー / ティーメーカー、専用バスルームが完備されています。
ホテル:クラークス・シラーズ   *お休み New
ホテル:クラークス・シラーズ
 バス・タブも広いのがあります。
 100Vもヘヤー・ドライヤーのところにあり、デジカメ用の充電にそのまま使えます。

◎ 2014年 4月19日(土)は終わりです。
★第7日目は、ジャイプールから、東へ向かいタージ・マハルのあるアグラまでの旅行記です。
  途中、短い間、都であったファティーブル・シークリーも観ました。

◎道路を逆走してくるトラックにたびたび出会う!
  ジャイプールからアグラまで、一応高速道路と呼ばれる道をバスで走っているのですが、高速道路でありながら、走っている車線を、私たちのバスの方に向かってくるトラックがいました。
 それも、あちら、こちらで、逆走車がいるのには、驚きでした。
 日本でも反対車線が工事中で通れないと、作業員などの指示で、逆走することもありますが、この国:インドでは、誰も変更を指示する者がいなくて、堂々とライトを点けて逆走する。
  まったく、交通ルールが分からない国です。
 
◎朝の畑は、トイレです。
  朝早くホテルを出たので、道の周辺の畑で男女にかかわらず用をたしている人が見られます。
  
◎タージ・マハルは、悲しい。
 亡き妻を偲んで巨大で荘厳なタージ・マハルを建てた夫:ガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンは、その後、息子によってアグラ城に幽閉されたということで、ロマンスと人の世のはかなさがあり、タージ・マハルはなお美しさを増すようです。

◎タージ・マハルには観光客が多い。
 上への写真でよく分かるように、タージ・マハルの世界に対する観光価値は絶大です。
 インドの観光収入は、ほとんどが、タージ・マハルのようです。
 しかし、外国人の入場料が750ルピーなのに対して、インド人なら20ルピーとは余りにも差がありすぎです。
 これだけ差のある外国人の利点は、墓廟に入る時に、現地人より並ぶ時間が短いというだけですから。

◎タージ・マハルを際立たせているのは、周りに高層建築がないからだ。
  いやはや、タージ・マハルは大きくて、また美しい。
  周りには電柱も無い。
  左右対称形の美、また4本の塔(ミナレット)が、タージ・マハルを際立たせている。

●インドは映画の国
 インドは、人口も多いのですが、映画の製作数でも、アメリカを凌ぐほどです。
 余り日本で公開されるインド製の映画は少ないのですが、「スラムドッグ$ミリオネアー」では、ムンバイの他に、タージ・マハルも出てきます。
 参考までに。

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2014年 7月20日

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