▲TOPへ戻る

2020年の映画・演劇 評論

 燃ゆる女の肖像  (フランス映画)

あらすじ: 時は、18世紀。フランスは北西部に位置するブルターニュの島に住むある伯爵夫人(ヴァレリア・ゴリノ)から、今まで修道院で暮らしてきて余り結婚に乗り気でない娘:エロイーズ(アデル・エネル)の見合い用の肖像画を描いて欲しいと依頼された女流画家のマリアンヌ(ノエミ・メルラン)は、島に渡る。エロイーズの姉が結婚を嫌がり崖から飛び降り自殺をしたことに懲りた伯爵夫人はエロイーズに外出を禁じていたが、マリアンヌを散歩係と身分を偽らせて、エロイーズを観察させる。しかし、マリアンヌには僅かな時間しか与えられず、どうにかエロイーズの肖像画を描き上げたが、エロイーズの表情の出来栄えは納得いかなかった。マリアンヌが画家と知ったエロイーズは、自らモデルとなり、もっと内面の表現がある肖像画となることを望んだ。エロイーズとマリアンヌは、キャンバスを挟んで見つめ合うだけでなく、共に散策し文学を語り、音楽を奏で、また召使:ソフィー(ルアナ・バイラミ)の堕胎に関わるなどで、二人の仲は、段々と親密なものになっていくが。。。


同性愛を語るには、まだ、まだの監督:セリーヌ・シアマ!

 久し振りのフランス映画で、監督と脚本は、自らレスビアンであることを公言しているらしいセリーム・シアマとあるが、私はこの監督を知らない。

 タイトルとなっている「燃ゆる女の肖像」は、映画の中の焚火の祭りで、火がエロイーズのスカートに燃え移った時の思い出として、後にマリアンヌが描いた一枚の画のこと。

 監督のセリーム・シアマとしては、女性の行動が制約されていた近世(いや、現代も)を題材にして、もっと女性の活動を認めて欲しいと言う気持ちが強い。

 例えば、マリアンヌは多くの絵を描いたのに、全部父親の名前で発表されたとか、母親が決めた結婚には、絶対逆らえない娘:エロイーズ。結婚していない娘が身ごもれば、中絶しかない召使とかである。

 だけど、これらを女性同士の愛情にまで結びつけるには、かなり抽象的な映像が入り込み過ぎだ。

 確かに、毎日、多くの時間をキャンバスを介して互いに見詰めあっていれば、そこにはある種の感情は生まれるだろうが、それが進んで男女の関係のように肌を寄せあうというなら、特に、理由は不要で、もともと、女性が好きな女性同士が結ばれたとすればいい。

 女性の行動が制約されたことになっている封建時代を借りて、本当は、女性の方が好きなのに、いやいや男性の元に嫁いで子供をもうけましたとしては、いくら、音楽会で嗚咽しても、その愛情は伝わり難かった。
 こんなにまどろっこくしなくても、正調派でレスビアンの映画は作れる。

 昔の日本でも結婚は親が決めることであり、結婚前の娘が妊娠することは許されないことであったため、かえって、時代を古くしたために、レスビアンを認めてくれという主張よりも、どうして、その時代に同性愛を入れ込んだのか、この展開が、退屈な出来となった。

 ポケットのあるスカートだけでなく、衣裳は綺麗だし、召使の中絶をしているシーンでは傍に赤ん坊が無邪気に遊んでいたりする生死の対比、ヴィヴァルディの四季から、「夏」を選ぶなど印象的なシーンは多いけど、全体として訴えてこないのは、字幕の日本語訳が下手なのかも知れない。

 同性愛の映画は; 「ムーンライト」 (2017年)

 約束のネバーランド

あらすじ:高い壁に囲まれ世間から隔離された孤児院「グレイス=フィールドハウス」では、首筋に番号が入れられた子供たちからママと呼ばれ慕われている養育係の美しくて優しいイザベラ(北川景子)のもと、みんな元気に、また幸せに暮らしていました。「グレイス=フィールドハウス」では、誰でも16歳になるまでに里子として施設を出て、外の世界でも幸せに暮らしているとの事ですが、外に出て行った子供たちからはまったく手紙は来ませんでした。もうすぐ16歳になる頭がいいエマ(浜辺美波)とノーマン(板垣李光人 いたがき りひと)は、もう一人の頭がいいレイ(城桧吏 じょう かいり)からこの孤児院は、鬼の為の「食用児を育てる農園」で、ママはすぐれた飼育者だと知らされて、何とか全員で孤児院からの脱出計画を練りますが、ノーマンは、ついに出荷されてしまいます。それでも、後に残されたエマとレイは、希望を捨てず耳に埋め込まれた発信機を利用して。。。


表情の足りない北川景子にぴったりの役どころだ!

 原作は、「週刊少年ジャンプ」連載もので白井カイウ、水ぽすか とあり、これを、後藤法子が脚本し、監督は、平川雄一朗とあるが、まったく、漫画には興味がない。

 でも、予告編では、北川景子の無表情な役どころが変に気になり、また最近その演技に注目している浜辺美波が出ているので、取りあえず観た。

 タイトルの「ネバーランド」と言えば、もともとはピーター・パンからで、子供が妖精たちと無邪気に暮らす楽園ということだけど、この映画では、そうはいかない。

 鬼と人間が互いに仲良くやって行く為に、鬼のために人間の子供の飼育場をつくるとは、残酷度が凄い発想だ。
こんな、人間が食べられるための孤児院を設定しているとは、そう狂人のようなアイディアが「少年」漫画雑誌に載り、それが人気を得ているとは、いくら漫画のテーマが「飼育場」からの子供たちの脱出劇であり、最後まで「希望を捨てないこと」であり、それは表現の自由、思想の自由といっても、人間性の基本の部分で間違えている考え方だ。

 評判になっている「鬼滅の刃」にしても、人と相対し、人間を食べる鬼に現代社会の「悪」や「解決できない問題」を象徴させているなら、もっと具体的、ストレートに表わすべきである。
みんな叶わない事を説明ができていない、曖昧な存在の鬼のせいにしているのは、現世から逃げた行動にしか感じ取れない。

 と、鬼論や未熟な漫画を原作にする議論はここまでにして、映画として観ると、次に何が起こるか分からない展開は、かなり面白い。

 優しくて綺麗なママ役を演じている北川景子には、裏に潜んでいる悲しい定めを知っているというこの設定は、合っている。
良い人か、悪い人か分からないのが、彼女の特徴である、表情の演技の乏しさによって、この作品では活かされている。

 また、浜辺美波にしてみれば、まだ16歳前という設定だけど、彼女の童顔では、(本当の撮影年は知らないが)、まあ許せるし、ほぼ同年代の少女を伸び伸びと演じていていい。
子供たちのリーダー役がうまくこなせている。

 そして、「万引き家族」で一躍有名になったレイ役の城桧吏も、かなり成長した演技を見せているのは、今後が楽しみだ。

 さらに、ノーマンを演じた板垣李光人は、まったく知らない若者だけど、常に声のトーンを落とし淡々とクールな天才の役を演じたのは、平川雄一朗監督の指導もあるだろうが、この演技は、立派なものだ。

 さらに、ママのアシスタントとして、孤児院へ送り込まれた渡辺直美についても触れずにはいられない。
下の「新解釈・三國志」でも納得のいかない”絶世の美女役”で出ていたが、今回もその体型と目力の魅力は、確かに存在感があり、監督としては、どこかで使いたくなる役者だ。

 たびたび漫画界から題材を取ってくる映画界の人材不足は残念だけど、一応面白い。

 最近やたら映画に出ている北川景子は; 「ドクター・デスの遺産 ~BLACK FILE~ 」 (2020年) 、「スマホを落としただけなのに」 (2018年)
 怪物的な、渡辺直美は; 「新解釈・三國志」 (2020年)
 まだ、子供だった浜辺美波の; 「アルキメデスの大戦」 (2019年)
 城桧吏なら; 「万引き家族」 (2018年)

 新解釈・三國志

あらすじ:時は、西暦200年前後の中国。普段は、戦が嫌いな蜀の劉備(りゅう び、大泉 洋)だったが、酔うと立派なことを言い勇ましいので多くの人から慕われていた。劉備は軍師として新しく諸葛孔明(ムロツヨシ)を招き入れ、呉の国の孫権(岡田健史)と共に、北の魏の王:曹操(そうそう、小栗旬)と闘っていた。そして、ついに「赤壁」で戦になる劉備と曹操だが、曹操の軍は、80万。一方、劉備の軍勢は、3万人。これでは、劉備軍の敗色が濃厚だが。。。


出演者をコントロールしない監督では、話がまとまらない!

 話の基になっているのは、中国の古典「三國志」で、それを、福田雄一が新しい解釈で脚本を書き、また、監督をしている。
この福田監督の作品としては、「今日から俺は!! 劇場版」を観ていて、そのバカバカしい程の弾け方が私には受けたので、かなり期待して劇場に足を運ぶ。

 話の展開としては、「新解釈」とあるように、西田敏行が扮する怪しげな歴史の先生の解釈として、彼が語りを勤めて進む。

 「三國志」の故事として有名な、劉備・関羽・張飛の3人による桃の花の下での「桃園の誓い」や諸葛孔明を軍師として迎える「三顧の礼」なども出てくるが、これらが「新解釈」ということで、桃の花は咲いていないし、諸葛孔明も1回で軍師を引き受けるという軽すぎる想定だ。

 福田監督としては、「新解釈」という誤魔化し方で、笑いをとる積りだろうが、これが見事に失敗している。

 ろくな台本も無く、大泉やムロキヨシなどのアドリブをそのまま観客にみせてはいけない。
我々、観客は、映画のメイキング版を観るために、お金を払う気はない。

 特に、佐藤二郎が出てくるシーンは、酷い。彼の好き勝手なセリフと演技には耐えられない。
また、かなり太っている渡辺直美を当時の絶世の美女:貂蝉にさせたのは、美女の判断基準が現代とは異なっているというおかしな解釈は、大目に見ても、彼女のぶよぶよダンスでは、他の出演者が笑いをこらえるのに必死の場面を使うとは、もうこれは、映画作品としては、最低のものだ。
そして、渡辺直美が実は広瀬すずだったと言う設定は、必要か。

 福田監督作品ということで、他にも彼の取り巻きの賀来賢人、橋本環奈。またちょい役で、山田孝之や城田優も出ているが、悪ふざけが残るだけで、話も解釈もバラバラでファミコンの世界から脱出できていなかった。

 大泉洋が出ていた; 「駈込み女と駆出し男」 (2015年)
 小栗旬が出ていた; 「罪の声」 (2020年

 ドクター・デスの遺産 ~BLACK FILE~

あらすじ:ある少年から病気に苦しんでいた父親がいつもの医者でない別の医者が来たとたん死んだのは変だという110番通報で警視庁の刑事:犬養隼人(綾野剛)と高千穂明日香(北川景子)が動き出し、その父親の遺体を解剖すると、死亡原因を分からなくする薬物が検出された。遺族を問い詰めると、安楽死をすすめるサイトがあり、そこに連絡して、安楽死させたことが分かった。そのサイトの調査から、多くの病気に苦しんでいる家族が浮かび上がり、無料で安楽死を引き受ける医者:寺町(柄本明)と看護師の雛森めぐみ(木村佳乃)をつきとめ、雛森の証言から、殺したのは寺町と分かり逮捕できたが、寺町の動機がおかしい。果たして真犯人は誰か。そんな時、難病の腎不全を患って生きることに苦しむ犬養の娘:沙耶香(田牧そら)も安楽死のサイトへ。。。


女:深刻な安楽死の扱いが別の猟奇的殺人に向かったわね!

男:原作は、中山七里で、それを、川﨑いづみが脚本を書き、深川栄洋(ふかがわ よしひろ)が監督した。
女:タイトルの「ドクター・デスの遺産」は、海外で実際に安楽死を行っていた医者の別名「ドクター・デス」の意思を、日本で引き継いだということのようね。
男:でも、副題の「BLACK FILE」となると、これは、「犯罪です」という主張だな。
女:いつまでも治らない病気に苦しむ患者が、殺してくれといった時に、家族はどうするかという「安楽死」を扱ったのね。
男:医療方法が進んでも、生き続けられない難病を罹っているいる人は、苦しみが続くなら自発的に早期に殺して欲しいと望む時に、周りの人たちはどう対応するのが正しいかの葛藤がある。
女:患者が自殺をすれば、事件にはならないけど、例え本人が死を望んでも医者が薬物を投与した場合には、日本では裁判で犯罪となる例もあるのね。
男:この映画では、刑事たちは、医者による殺人事件、つまり犯罪だとして追及しているけど・・・
女:本当は、犯罪と言い切れるのか微妙な位置にある安楽死のテーマが、いつの間にか無くなっていたのね。
男:病人の家族にとっては、いつまでも続く看病生活なら終わりにしたい気持ちもあるし、一方、病人も意識があり、家族の看病疲れを見ていれば、本人からもできるなら、終わりにしようとは、思うだろうね。
女:でも、生きていれば、苦労をしても家族として共に暮らした日々の楽しかったこと、悲しかったことが、笑い声、涙の表情などがまだ続いている訳でしょう。
男:その葛藤をもっと、もっと描いて欲しかった。
女:刑事が活躍する謎解きになったのは、原作のせいか、脚本のせいか知らないけど、この展開では、不自然さが目立つわ。
男:まずは、男刑事の綾野剛の設定だ。
  刑事にしては、ホワイト・ボードを殴ったり、看護師が借りている隣の部屋のドア・ノブを大家がいるのに壊したりと、これでは、いくら急いでいるとしても器物損壊犯の行動で刑事としては失格の性格付だ。
女:女刑事の北川景子の設定は、もう万能女子なのね。
  犯罪者心理に長けていて、似顔絵は、証人の裏をかいて書けるし、オートバイには乗れるし、綾野剛の子供の「思い出の場所」には、間一髪で辿り着けるしで、すごい女子だったわ。

男:この映画では、看護師役の木村佳乃に触れないではいられないね。
女:そうね。大体、映画のチラシでも木村佳乃が出ていることが記載されていないのよね。
男:そこで、細かくそのチラシを見ると、名前が消されたような跡がある。
女:警察の取り調べ室での木村佳乃は、スッピンで、最初は、木村佳乃とはまったく気がつかなかったわよ。
男:映画の後半で中心となる彼女の設定が、実に杜撰なので、これが、不評の一因だ。
女:いくら元看護師と言っても、薬品の入手方法、それから、綾野剛の子供がいる病院に簡単に潜入できたこと、その子供を簡単に洗脳できたことなんかは、端折り過ぎよ。
男:彼女も「思い出の場所」を知っていて、前もって「小屋」を借り切って殺すのに用意万端とは、いつの間にできたんだと言うことだね。
女:木村佳乃と綾野剛が長々と揉めるのも、煮詰めた脚本でないのよ。
  ここは、綾野剛の娘が殺される設定があっても良かったわ。

男:この映画をどう製作するのか。
  原作のアイディアに注目した当初から世間に妥協しない製作側の態度があれば、これだけの俳優を揃えれば、もっと面白い展開が出来たと思う。
女:高齢な私たちにとって、「安楽死」は、身近な問題だけに、真剣な議論も欲しいのよね。
男:あれ、きみはまだまだ若いと言っていたんじゃなかたっけ。
女:そォ・・・、そうだったわ。
  
危なく本音がでそうに・・・

男:何かいった?
女:いや、何も言っていませんっ。

*この映画は、休日の昼に観たけど、映画館は、依然として下の「鬼滅の刃」を見る人で、一杯でした。

深川栄洋監督は; 「神様のカルテ」 (2011年)
北川景子の; 「スマホを落としただけなのに」 (2018年)
安楽死(尊厳死)を扱った; 「終(つい)の信託」 (2012年)
           「海を飛ぶ夢」 (2005年)

 劇場版 鬼滅の刃(きめつのやいば) ~無限列車編~ (アニメーション)

あらすじ:時代は、大正。幼くして父親を亡くし、母や弟妹と雪深い山の中で炭焼きをし、生計を助けている竈門炭治郎(かまど たんじろう、声:花江夏樹)が、町で炭を売るために家を空けたある夜、一家は、人肉を食らう鬼に襲われ、妹の禰豆子(ねずこ、声:鬼頭明里)を除いて、惨殺されてしまった。生き残った禰豆子だったが、このままでは鬼になる。何とか禰豆子を元の人間に戻すために出会った鬼たちを成敗する「鬼殺隊」に入り剣術を磨く炭治郎に「無限列車」で、鬼がおかしなことをしている話が伝わり、炭治郎は箱に入れた禰豆子を背負い、同期の我妻善逸(あがつま ぜんいつ、声:下野紘)や嘴平伊之助(はしびら いのすけ、声:松岡禎丞)たちと共に鬼殺隊最強の「柱」のひとりである「炎柱」の煉獄杏寿郎(れんごく きょうじゅろう、声:日野聡)を中心に、夢を操る鬼の「下弦の壱:魘夢(えんむ、声:平川大輔)」と壮絶な闘いをくりひろげ、どうにか、下弦の壱を退治できたが、続いて現れた「上弦の参:猗窩座(あかざ、声:石田彰)」の前に、ついに煉獄杏寿郎は、命を落とす。残された炭治郎たちに、まだまだ多くの鬼が立ち塞がる。。。 


一部の熱烈なファンが、ここまで他の観客を動かした!!

 この「鬼滅の刃 ~無限列車編~」は、新型コロナウイルス感染症が、世界中に蔓延して、日本の映画館でも、限られた観客席数でしか公開されていない中、10月16日に公開されて以来、11月16日現在、興行収入は、233億円を超え、観客動員数は、累計 1,750万人という驚異の数字で、まだまだその評判は衰えを知らず、これだと、日本の映画史上最高の売り上げと観客動員数になると予想されている。
 そこで、まったく漫画とかそのアニメーションには興味がないが、一応観ておく。

 シネマ・コンプレックスでは、多くのスクリーンで、この「鬼滅の刃」が、僅かな時間をおいて上映されているので、平日なら、どこかのスクリーンですぐに観られる仕組みだ。

 原作の漫画は、「週刊 少年ジャンプ」に吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)が、連載し、もうその連載は終わったようだ。
映画化の前に、テレビでアニメーション化され、第1話から、今回の「無限列車編」の前の話が放映され、「無限列車編」は、テレビの話を引き継いだようだ。

 監督は、外崎春雄。アニメーションの製作は、ufotable(ユーフォーテーブル)社とある。

 まったくこのアニメの世界は興味がないから、作者の吾峠呼世晴の読み方や、竈門炭治郎、禰豆子などの古い漢字を引っ張り出し、読みをふるのもたいへんな作業で、製作会社のufotableの読み方も知らない。

 テレビ版の続編ということだけど、回想シーンも多くて、あらすじを書くのには、そんなに困らない展開だ。

 話の基本的な流れは、家族を殺した鬼たちを、仲間を集めて退治する「桃太郎」の延長線上にあり、特に目新しいテーマがある訳ではない。

 鬼となると殺しても復活するのは「ゾンビ」だし、牙をむき出し血を吸い、日光に弱いのは、「吸血鬼 ドラキュラ、ヴァンパイヤ」のままだ。

 そこに彩を添えるのは、優しかった母親の思い出や家族愛であり、友情だ。
この「無限列車編」なら、「家族で過ごした心が安らぐ、夢のような日々の連続」と、「人間が衰えていくことは、特に悲しい事ではない」ということで、これも、そこそこの人生をおくってきている人たちには、当然な話だ。

 強い人は、弱い人を助けるものというのも、今更何をいっているのかという程度のもので、現実には、この世は「焼肉定食」いや間違えた「弱肉強食」であることを知っている人たちの逃避の戯言だ。

 絵のタッチにしても、新しい技術がある訳でもなく、闘いの描き方も漫画は漫画のままの筆遣いだ。

 私の感覚には、特に何も訴えることのない漫画だけど、数回、いや数十回も映画館に足を運ぶ、一部の熱狂的なファンの支えがあり、それが、映画界を動かす強い「うねり」とまでなったことは、驚嘆すべきことだ。

 しかし、アニメしか、映画界を支えるものがない現実は寂しい。

 アニメは; 「アナと雪の女王」 (2014年)、 「君の名は。」 (2016年)、 「風立ちぬ」 (2013年
 

 Beautiful ~The Carole King Musical~ (帝国劇場)

あらすじ:時は、1960年代のアメリカは、ニューヨーク。母親(剣 幸)の手だけで育てられ、音楽が大好きな16歳のキャロル・キング(平原綾香)は、母が望む教師になることよりもポップな音楽の作曲の方が好きだった。そこで、同じ学校で文学が得意なジェリー・ゴフィン(伊礼彼方)に詩を書いてもらい、二人は音楽プロデューサーのドニー・カーシュナー(武田真治)に曲を売り込み、二人が作った「Will You Still Love Me Tomorrow」は、シュレルズが歌い大ヒットした。恋仲となったキャロルとジェリーは結婚し、子供もでき、キャロルは子育てに追われながらも、二人が作った楽曲はその後も、ドリフターズやボビー・ヴィーなどに歌われ、特に、キャロルの家の子守りだったリトル・エヴァが歌った「ロコモーション」は、ヒット・パレードでも1位になり、好調な生活を送っていた。また、二人の音楽活動で良きライバル関係にあるバリー・マン(中川晃教)とシンシア・ワイル(ソニン)とも打ち解けた付合いをしていた。しかし、キャロルの夫のジェリーは、精神的に弱く、作詞に行き詰まり、浮気に走ったため、ついにキャロルとジェリーは離婚する。そこで、キャロルは気分転換で、西海岸に引っ越し、自作自演のアルバム「つづれおり Tapestry」を発表し、このアルバムはアメリカだけでなく世界的な大ヒットとなり、カーネギー・ホールでコンサートが開かれる。。。


おばさん感が増した平原綾香?!

 この作品「Beautiful」は、私も観ている2017年の再演だ。
16歳から数々のヒット曲を飛ばし、初恋の相手と結婚し、子供をもうけ、夫の浮気で離婚し、28歳でシンガー・ソングライターとしてリリースしたアルバム「つづれおり」が世界的な大ヒットとなった、あのキャロル・キングの若き頃をミュージカルとしている。

 アメリカ版がもとにあり、使われている音楽は、役のままの、ジェリー・ゴフィン/キャロル・キングとバリー・マン/シンシア・ワイルの作詞/作曲。
日本版での歌の訳詞は、60年代(その後も?)には、エルヴィス・プレスリーの熱狂的なファンでまた音楽評論家として知られている湯川れい子。
全体の翻訳は、目黒 条。
演出のリステージは、上田一豪とある。

 舞台の構成は、前回と同様のようで、バンドは、通常の舞台下のオーケストラ・ボックスではなく、舞台の後方に隠れて陣取り、かなりの音量で、客席に楽器を響かせる。
帝国劇場という天井が高い舞台では、中二階をいかに埋めるかという問題があるが、これは、適当に人の出入りを配してカバーしている。

 今年の舞台では、どうしても新型コロナの影響は述べなければならないだろう。
10月に同じ帝国劇場で観た「ローマの休日」では、客席は、隣を空けていたが、今回は、やや自主規制が緩和されたようで、隣の席を空けることはなかったが、満席とまではない。
また、チケットには、緊急連絡先として氏名が記入され、電話番号も申告制だ。

 公演の初日に観た感想としては、前半ではかなり固さが目立った。
歌の部分は、それなりの成果があるが、平原や武田真治だけでなく、セリフのやり取りで、変な「間」が、あちら、こちらに感じられ、コロナ禍で十分な稽古ができなかったとのではと推察される。
会話の弾みがなかった。

 後半では、段々と固さも取れてきている。

 それにしても、平原綾香が歌う「A Natural Woman」は、素晴らしい。
音楽好きな私は、よくキャロル・キングの曲を、豪華な音響装置で再生されたレコードで聴いているけど、高音の出し方は、平原綾香の方がよく出ている。
オリジナルのキャロル・キングを超えたカバー作品として薦められる出来栄えだ。

 前回(2017年)よりもやや太った感じの平原綾香は、前回感じた以上におばさん感があり、これなら他のミュージカルでの役も貰えそうだ。

 懐かしさを憶える歌を参考までに。
※①から⑧まで 作曲・作詞:ジェリー・ゴフィン/キャロル・キング
※⑨から⑬まで 作曲・作詞:バリー・マン/シンシア・ワイル

① ♪ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー(1960)歌:シュレルズ
② ♪サム・カインド・オブ・ワンダフル(1961) 歌:ザ・ドリフターズ
③ ♪テイク・グッド・ケア・オブ・マイ・ベイビー (1961) 歌:ボビー・ヴィー
④ ♪イット・マイト・アズ・ウェル・レイン・アンティル・セプテンバー(1962)歌:ボビー・ヴィー
⑤ ♪アップ・オン・ザ・ルーフ (1962) 歌:ザ・ドリフターズ
⑥ ♪ロコ・モーション(1962) 歌:リトル・エヴァ
⑦ ♪ワン・ファイン・デイ(1963) 歌:シフォンズ
⑧ ♪プリーザント・ヴァリー・サンデー(1967) 歌:ザ・モンキーズ

⑨ ♪ヒーズ・シュア・ザ・ボーイ・アイ・ラブ(1962) 歌:ザ・ロネッツ
⑩ ♪オン・ブロードウェイ(1963) 歌:ザ・ドリフターズ
⑪ ♪ウォーキング・イン・ザ・レイン(1964) 歌:ザ・ロネッツ
⑫ ♪ユーヴ・ロスト・ザット・ラヴィング・フィーリング(1964)歌:ザ・ライチャス・ブラザーズ
⑬ ♪ウィ・ガッタ・ゲット・アウト・オブ・ディス・プレイス(1965)歌:ザ・アニマルズ


アルバル『つづれおり(タペストリー)』(1971)収録曲より、
①♪つづれおり(Tapestry)
②♪ソー・ファー・ラウェイ (So Far Away)
③♪イッツ・トゥー・レイト (It’s Too Late)
④♪ユーヴ・ガット・ア・フレンド (You've Got a Friend)
⑤♪ナチュラル・ウーマン (A Natural Woman)
⑥♪アイ・フィール・ジ・アース・ムーヴ (I Feel The Earth Move)

 なお、キャロル・キング役は、水樹奈々とダブル・キャストです。

前回の;  「Beautiful」 (2017年)
ソニンが出ていた; 「マリー・アントワネット」 (2018年)
伊礼彼方が出ていた; 「王家の紋章」 (2016年)
中川晃教が出ていた; 「きみはいい人、チャーリー・ブラウン」 (2017年)

 罪の声

あらすじ:京都に住む、今は亡くなった父親:光雄から引き継いだ紳士服の仕立屋を営む曽根俊也(星野源)は、戸棚の奥から、英語で書かれた黒革のノートと1本のカセット・テープを見つける。そのテープを再生すると、そこには、子供の頃の自分の歌声に交じった、変な調子の声も入っていた。また、ノートには、「ギンガ」とか「萬堂」など有名な菓子メーカーの名前があり、興味を持った俊也が、ネットで調べると、1984年頃にギンガの社長が身代金目的で誘拐され、その時の金銭の置場を指定する声も公開されており、その犯行に使われたのは、まさしく、子供時代の俊也が吹き込んだ自分の声そのものだった。どうして、自分の声が、未解決のまま35年が過ぎた「ギン萬事件」で使われることになったのか、身内から調べる俊也。一方、新聞記者の阿久津英士(小栗旬)も、社命として「ギン萬事件」のその後を取材することになり、調べている内に、俊也と英士は、めぐり逢った。そこで、情報を交換し合うと、事件には、当時の学生運動家とヤクザが絡んだ株価の操作が浮かび上がって来た。また、犯行に使われた声は、俊也の他にも、生島という男の中学三年生の娘:望と小学二年生の息子:聡一郎だと分かるが、生島家の人々の消息は不明だった。事件を追及する二人に、犯罪者の家族の悲しい時の流れが。。。


女:犯行で使われた子供たちに焦点をあてるとは、ユニークな発想ね!

男:事件は、1984年から1985年にかけて、実際に関西で起きた「江崎グリコの社長誘拐事件」や「丸大食品」や「森永製菓」などを脅迫して、菓子に青酸を入れたことを扱っている。
 当時は、マスコミにも犯行グループから、警察を揶揄する挑戦的な手紙が送られてきて、世間を騒がしたのを思い出した。
女:この事件で警察が目撃した容疑者として「キツネ目の男」を発表したけど、結局誰も捕まらず時効となった訳ね。
男:その犯行で、子供の声が使われていたとは知らなかった。
女:原作は、元新聞記者の塩田武士が書いていて、それを、野木亜紀子が脚本し、監督は、TBSの土井裕泰(どい のぶひろ)ということね。
男:原作は読んでいないけど、事件の経過は、実に細かく調べている感じだ。
女:犯人らしい人物を県警の縄張り争いからとり逃がしたとか、連日マスコミを騒がせた派手な犯行だったけど、誰も被害者がでないで、また、脅迫されていた金銭も獲られていないという不思議な事件だったのね。
男:そこで、江崎グリコ会社の株価操作で儲けるためとか、当時盛んだった学生運動家たちの犯行かとか、様々な憶測が流れた。
 作品としては、曽根俊也の母親が、どうしてこんな重大な証拠となる「音声テープ」をいつまでも処分しないで残しておいたのかと、スタートには、かなり疑問符がつくが、充分に謎解きの面白さは広がっていく。
女:35年も前に自分たちの声が犯罪に使われたという子供たちの心情と生活に焦点をあてたのは、いい発想ね
男:その犯罪に関わった子供でも、曽根俊也のようにテーラーとして世間から何の関心も寄せられずに、のんびりとでもいうか、生きてこられたパターンと、父親を殺され、ヤクザに軟禁された生島家の子供ではその生き方がまったく異なる状況だったという対比が上手い。
女:それができるのが、脚本家の野木亜紀子と監督の土井裕泰ってことね。
男:また、役者としての星野源が、よくもこんなに普通の仕立て屋を演じられるものだと感心する。
女:この人は、過去の映画でも、また歌手としても評判がいいけど、いつでもその役に染まっていけるとは、凄い才能をもっているわ。
男:どんな作品でも、灰汁の強い個性で押し通すのも、役者としての生き方だけど、それだと、出られる物が限られるから損だ。
女:最後に重要な役柄で出てくる宇崎竜童も記憶に残るいい役を貰ったわね。
男:どうして、イギリスのヨークまで逃げているのか、これもよく分からないけど、僅かな出演場面でも良い雰囲気を出した。
女:でも、昔、学生運動に少しは絡んでいたあなたにとって、この纏め方は一言あるようね。
男:そうだね。
  歴史的にみて、学生運動は、連合赤軍の「あさま山荘」や仲間割れで、あまり評価が良くないけど、大学内の運営の改革面では、随分と成果を上げた運動だった。
 それらが、全て意味がないと言われると、多いに心外だ。
女:40年以上時が流れても、未だに、学生気分が抜けないとは、たいしたものよ!
男:ありがとう。
  体は衰えても、心は、若いからね。
女:べつに、褒めてはいないのだけど・・・
男:えっ?

土井裕泰監督の; 「ビリギャル」 (2015年) 、 「~麒麟の翼~ 劇場版・新参者」 (2012年)

 ローマの休日 (ミュージカル) ~帝国劇場~

あらすじ:とある国の王女:アン(朝夏まなと)は、ヨーロッパ各国への親善訪問で自由にならないスケジュールと決められたスピーチなどにイライラが募り鎮静剤の注射をうたれたが、開放的なイタリアのローマで宿泊先の大使館から街に逃げ出した。薬のせいで気分がもうろうとしているところを、通りかかったアメリカの派遣記者:ジョー・ブラッドレー(平方元基)に出会い彼の狭い下宿で眠りにつく。最初はアンが王女だとは知らなかったジョーだったが、新聞でアン王女が急病で、予定していた記者会見が中止になったとの報道写真を見て、アンの素性を知り、アンのプライベートな顔をスクープする気になり、カメラマンのアーヴィング(太田基裕)を呼んでアンと行動を共にする。ローマの名所:スペイン広場、真実の口、夜のはしけでのダンス・パーティなどを過ごしたアンとジョーの仲は次第に密接なものとなるが。。。


舞台を観て、更に映画「ローマの休日」の出来の良さを、認識した!

 このミュージカル舞台劇「ローマの休日」の基になっているのは、あの女優:オードリー・ヘプバーンを一躍有名にした映画「ローマの休日」であることは、言うまでもない。
今回の上演は、1998年に東宝が日本で独自にミュージカルにしたものの再演とのことだ。

 演出は、山田和也で、脚本: 堀越 真。音楽は、大島ミチル 作詞は、なんと斉藤由貴とある。

 2020年の初めから世界中に蔓延している新型コロナウイルス感染症の影響をもろに受けて、映画界も最近どうにか再開できたが、セリフが飛び交う舞台となると、出演者の誰かがコロナに感染すると直ちに公演の中止や延期になる恐れがあり、そのため、いつもなら事前に配られているチラシが全くない。
この公演のいろいろな情報は、ネットでしか手に入らないという状況下だ。

 また、チケットには、購入者の氏名と緊急連絡先まで登録が必要という厳密な体制がとられての開演だった。
劇場内でも、席は1つ空けての座り方で、通常の注意事項の他に、コロナ対応のアナウンスが度々あるという状態だ。

 話の展開は、映画のとおりで進む。
ジョー・ブラッドレーの狭い部屋で憧れのパジャマで寝る話、長い髪を切る、スペイン広場でジェラート(アイスクリーム)を食べる、真実の口でジョーのいたずらで手首が無くなり心配する。
祈りの壁(これは、映画にはなかったか?)。そして、夜のはしけでのダンス・パーティと探しに来たアンの国の秘密警察官との騒動。アンがギターで秘密警察官を殴るシーンもちゃんとある。
最後には、アンが記者会見を行い、ジョーが新聞記者であることを知る悲しい別れと成長したアン。

 アン役の朝夏まなと にしてみれば、当然映画でのオードリー・ヘプバーンと比較されることは分かっていると思えるが、これは、結構遜色がない演技だった。
人を疑わない純真さと、王女という地位がもたらすオーラも出ている。

 舞台構成については、映画をなぞる構成でこれは、大変さがよくわかる。
冒頭の大使館からの脱出の細かさ、ジョーの狭くてごちゃごちゃした下宿の感じ、美容院、多くの人物が出てくる屋台、そして本物のバイクまでも登場させるとは、手を抜いていないので好感が持てる。
だけど、これらの装置が、帝国劇場という大きな中空間がある舞台だとどうしても、上部に空きができるのは残念だった。(画面合成のバイクでの観光シーンを除いて)

 そう、残念さで言えば、ミュージカルと謳っていながら、曲と歌詞が記憶に残らない平凡さもある。
また、下宿の夫婦のイタリア語での争いなどが笑いをとっていない訳の不満も残る。

 でも、2020年としては、全く、久し振りに観た舞台の演者と観客席での拍手の交流は、「舞台劇は本当にいいなあ」と感じさせる出来栄えだった。

 アンのダブル・キャストになっている土屋太鳳版でも観たいと思わせる内容だ。

 朝夏まなと の; 「オン・ユアー・フィート!」 (2018年)、 「マイ・フェア・レディ」 (2018年)
イタリアのローマを知りたいなら; 「駆け足で回ったヨーロッパ」 (イタリア編)

  

 望み

あらすじ:小さな設計事務所を開いている石川一登(堤真一)と自宅で校正の仕事をしている貴代美(石田ゆり子)には、サッカーが好きだったが怪我のため将来を悲観している高校生の息子:規士(たかし、岡田健史)と有名高校を目指す娘の雅(清原果耶)がいた。最近、息子の規士は素行の悪い友達とつき合っており同級生が殺された事件後、規士は家にも連絡がなくなり、行方不明となった。警察やマスコミからの情報では、殺害現場から2人の若者が逃走し、また一人が殺されているかも知れないとのことだった。規士が小刀を買ったのを知っている父親の一登は、規士が加害者の一人かと疑うが、母親の貴代美は、被害者でも加害者でもあれ、只生きていることを望んでいた。家族の思いとは、無頓着に事件を加熱気味に報道するマスコミ。警察の捜査が進んで行くが。。。


これだけの事を、よく引き延ばしたものだ!

 監督は、出ている堤真一に似た苗字の堤幸彦で、原作は、雫井脩介の同名の本があるようだ。
脚本は、奥寺佐渡子。 

 同級生が関係する殺人事件が発生したタイミングで、その悪い仲間と遊んでいた息子が居なくなり、犯人たちは逃げていて、その後の捜査では、もう一人が殺されたかも知れないとの情報で、父親の思い、母親の思い、また少しだけ、妹の思いも交錯するという話。
タイトルの「望み」とは、生きていて欲しい、加害者でなくて欲しいとのことか。

 警察のはっきりしない捜査情報と、息子が殺人の加害者である事を前提にした、よくある適当に過熱しているマスコミの取材方法によって、揺れ動く家族の騒動が、事件後の数日にわたって描かれるというやり方。
まあ、私にしてみれば、そんな殺人事件に現実には遭遇したこと事はないので、ここは、監督:堤幸彦がいかに共感できるかの演出をしたかである。

 残念ながら結論としては、描かれている内容が上滑りしていて、事件の当事者の家族の気持ちまでには入れなかった。
報道陣の家族に対するインタビューにしても、よくあるパターンの域を出ていないし、一登が被害者の葬儀に出席して、罵倒されるが、規士も殺されていたと分かると、罵倒した者が土下座までして謝るのも先が読めた、臭い演技だった。

 大体、悲しみを「大声を出して叫ぶ」「涙を流す」でしか表現できないのなら、それは、多くの監督が使う平凡な演出の範囲で終わる。
それに輪をかけて、結局息子は、父親の言うことをきく「いい子」でしたでは、実に退屈な纏め方であった。

 また、事件の発端となったサッカーで怪我をさせた理由と、殺人現場での争いで誰がどうなっているのかも分からないのも、ダメな演出と言える。

堤真一の; 「本能寺ホテル」 (2017年)、
石田ゆり子の; 「マチネの終わりに」 (2019年)
雫井脩介の; 「検察側の罪人」 (2018年)

 浅田家!

あらすじ:三重県の津市に住む浅田政志(二宮和也)は、小学生の頃、専業主夫の父親(平田満)から貰ったカメラから写真が好きになり、進学した専門学校でも「家族」を題材として校長賞をとる。政志の写真の撮り方は家族が望むことを叶えることだった。そこで、地元で働いている兄の幸宏(妻夫木聡)に無理をいって、父親の希望する消防士、看護師の母親(風吹ジュン)が憧れた極道の妻、兄がなりたかったカーレーサーなどをそれぞれの衣装と場所を借りて撮った写真集「浅田家」を完成・出版でき、権威のある賞もとれ、どうにかプロの写真家として地方からも家族写真の依頼がくるようになった。そんな2011年の3月11日、三陸沖で巨大な地震とそれに伴う大津波が発生し、被害は甚大だった。そこには、かって政志が撮影を頼まれた家族もおり、すぐに被災地へ向かった政志が目にしたのは、夥しい瓦礫の山と汚れた多くの写真を慣れないやり方で洗っている千葉からきた学生の小野陽介(菅田将暉)の姿だった。慣れていない陽介を手助けするために現地に残った政志の元に父親が行方不明のままの少女内海莉子(後藤由依良)から父親の思い出として家族写真を撮って欲しいと言われるが、想像を絶した酷い震災の被害に接し、大きく心を病んだ政志には、もうシャッターを押すことはできなかったが。。。


女:心の優しい、良い人ばかりのそれなりの話ね!

男:監督は、宮沢えりが出ていた「湯を沸かすほどの熱い愛」の中野量太で、脚本も菅野友恵との共作だ。
女:参考にしたのは、実の写真家の浅田政志さんの写真集があるようね。
男:その写真集には、映画のような消防士なら消防服を着て消防車と写っていたりする写真があるらしい。
女:映画の予告編からは、2011年3月に起きた「東日本大震災」が中心で、そこで受けた心の痛手から、もう写真を撮ることができなくなったカメラマンのお涙頂戴の話かと思ったら、前半は、面白い展開だったわ。
男:そうだね。
  私も予告編からでは、三陸に住んでいるカメラマンの退屈な人情話かと想像していたけど、東北からは遠く離れた三重県での家族関係の挿話から始まるとは、意外な導入部だった。
女:でも、ここでの弟思いの兄、家族を大切にする家庭を切り盛りする父親、好きなことをやらせている母親なんて、かなり本当の日本の多くの家庭から離れた描き方が、私には、納得がいかないわ。
男:特に経済的に苦労をした君だけに、そこは、ひっかりがあるんだろうね。
女:多くの人の人生は自分の思いどうりにはなっていないってことも、言いたいわね。
男:本当に起きたことをベースにしていても、どこか、ウソ臭い、作り物、作為的な画像があるんだね。
女:そうよ。
  黒木華が演じている政志の彼女の川上若菜が、東京に行くシーンでどうして足場の悪い防波堤にまでキャリー・バッグを引きずっているのよ、とか、黒木華の借りているアパートに政志が同居していて、男女の関係はどうなっていたのかとか、とかね

男:私としては、被害を受けた写真を見せるために、目線よりかなり高い位置まで貼り付けている無神経さが気になる。
  人が見るのに梯子が必要とは、残念な盛り込み方だ。
女:そして、堤防だけでなく、お寺など同じロケ地の使い方も下手に多いわね。
男:確かに、年代の推移で配役が変わっても、これでは、数年ではなく、数日しかたっていない感が残るね。
女:堤防と言えば、黒木華から政志への逆プロポーズは、笑えるシーンだったわ。
男:私も若い頃は、ペンタックスのカメラを愛用していて、テニスやスキーに行っては、写真を撮りまくり、アルバムを作ったもんだよ。
女:そうね、アルバムとなって、写真が貼られていれば、みんなが集まった時は、それを見て思い出話に華が咲くけど、今のデジタル・カメラ時代では、ネットで写真を公開しても、アルバムまでは作っていないわね。
男:この「浅田家!」の落ちとなる父親の葬式での写真を選ぶとしたら、私の場合は、平凡に笑っている物にするかな。
女:普通なら、ここで、まだ元気でいてよって、言いたいけどね・・・
男:ごめん、ちょっとばかり、辛気臭い話で・・・

 この映画での菅田将暉の演技力は凄い! まったく、千葉からきた学生に成りきっている。

中野量太監督の; 「湯を沸かすほどの熱い愛」 (2016年)
菅田将暉が活きてない; 「糸」 (2020年) 、 また活躍の 「アルキメデスの大戦」 (2019年)
演技力を買っていない二宮和也の; 「検察側の罪人」 (2018年)、 「硫黄島からの手紙」 (2006年)
黒木華と妻夫木聡の; 「来る」 (2018年)  、「小さいおうち」 (2014年)

 

 TENET テネット

あらすじ:ウクライナのキエフにある劇場でテロリストたちの騒動が起き、CIAの工作員「名もなき男」(ジョン・デヴィッド・ワシントン)も特殊部隊の一員として参加したが、テロリストに捕まり自殺カプセルを飲む。しかし、彼は目覚め、第三次世界大戦を防ぐために未来からきた組織により時間が「逆行」できることを知り、彼らに加わる。将来起きる戦争の鍵を握っているのは、ロシアの武器商人:アンドレイ・セイター(ケネス・ブラナー)が狙うプルトニウム241であることを、仲間のニール(ロバート・パティンソン)と共につきとめ、奪うことができたが、セイターの妻:キャット(エリザベス・デビッキ)の命と引き換えで、また奪われてしまう。プルトニウム241は、ある科学者が発明した地球破壊装置「アルゴリズム」の1つで、これで全てのアルゴリズムを手に入れたセイターは、癌で余命がないことから、全人類を道ずれにする地球壊滅を考えていたのだ。「名もなき男」たちは、起爆装置が働く前にアルゴリズムを回収することができるのか。。。


アイディアは凄いが、一人よがりだぜ、クリストファー・ノーラン監督!!

 監督と脚本は、「ダークナイト」、「インセプション」や「インターステラー」などのクリストファー・ノーランだ。

 あらすじを書くのが実に難しい出来だ。

 物語の展開としては、上の「あらすじ」だけど、これに「時間の順行」と「時間の逆行」がものすごいスピードで、しかも同じ画面で同時に展開しているので、まったく今がどうなっているのか内容が掴めないという酷い作品。

 時間の順行や逆行と言っているが、何が基準にあるのかは、ノーラン監督の頭にしか無いようで、私には、説明ができない。
一度起きたことを流すフイルムを、次には背景として逆廻しし、同じシーンでまた、別の時間の流れを見せられる。
この説明だけで映像を理解できた人は、もう、この「TENET」を観た人だけでしょうが。

 例えば、クライマックスの「アルゴリズム」奪回の戦闘シーンでは、1つの部隊が、攻撃をしている戦場を、「名もなき男」たちは、時間に関係なく進んでいき、一方で、爆破や建物の崩壊は、逆行しているという訳の分からない映像を見せられる。
混乱だけが、脳内に残る。

 タイトルの「TENET」は、日本の回文(前から読んでも、後ろから読んでも同じ)に当たるとのことで、これが、時間の「逆行」も示しているようだけど。 

 どこか当初から違和感があるのは、監督が選んだ名称だ。
「プルトニウム241」なら、核爆弾の材料かと当然に思うが、これが「アルゴリズム」という工作機械の一部とか。
そして、「アルゴリズム」というなら、これは、普通なら理論上の方法や手段を表わす言葉であるが、これを「簡単な組み立ておもちゃ」のような現物の物で表わされては、びっくりするだけだ。
こんな、簡単なおもちゃで地球の破壊ができるとは、物凄い発明ではある。

 まったく、観客を無視したこのよう映画を、よく作らせたものだと製作会社に呆れていたら、ノーランが製作者の一人だった。
通常の製作会社なら、こんな企画にはのらないか。

 似たように訳の分からない; 「インセプション」 (2010年)

 ミッドウェイ

あらすじ:1941年12月8日(日本時間)。ハワイの真珠湾に停泊していたアメリカ艦隊は、突然日本軍に襲われ多大な損害を受ける。報を受け空母エンタープライズに乗っているパイロットのディック・ベスト(エド・スクライン)らも真珠湾に戻るが、もう、日本軍はおらず同僚達が多く亡くなっていた。アメリカ海軍は早急に立て直しを図り、総司令官に、ニミッツ大将(ヴディ・ハレルソン)を任命した。ミニッツは、日本にも滞在したことがある情報将校のレイトン少佐(パトリック・ウィルソン)に日本の連合艦隊司令官:山本五十六大将(豊川悦司)の作戦を読むように命じた。日本軍が出す暗号文を解読したレイトンの進言で、日本軍の次の攻撃目標はミッドウェイ島だと予想したミニッツは、空母や潜水艦をミッドウェイの海に送り大規模な迎撃態勢を敷く。それを知らない南雲忠一中将(國村隼)や山口多聞少将(浅野忠信)は、アメリカ軍と壮絶な戦闘を交えることになる。。。


20年もリサーチをして、この出来とは、ローランド・エメリッヒ監督も才能がない?!

 監督は、ドイツ出身で「インデペンデンス・デイ」や「GODZILLA」などのローランド・エメリッヒで、製作にも名を出している。
チラシによると彼が、20年にも及ぶリサーチを経て鮮明に描くとある。

 20年もかけてリサーチした割には特に目新しいものがない。
太平洋戦争に負けた日本としては、ミッドウェイ海戦において敗色が強まった事は知っているし、勝ったアメリカにしてもイクサは時の運でもあることは分かっていることで、闘う前から必勝の二文字はない。

 この映画では、日米を公平に扱ったというけど、日本軍がアメリカ兵を捕虜にし、彼がアメリカ軍の状況を話さないと、錨を付けて海に投げ込むシーンがあっては、いくらなんでも、これでは日本軍の残虐さが強調され、観客の意識を操作している。

 それにしても、これだけ日本人(らしき東洋人)がでていて、彼らが話す日本語の酷さには、もう耐えられない。
下手すぎるセリフの抑揚、何を話しているのか聞き取れない日本語とは、ローランド・エメリッヒには映画作りの基本ができていない。

 海軍内における地位の差や指揮系統もこれでは不明だ。
日本人スタッフもかなり参加しているのに、この酷さを監督に助言できないとは情けない。

 戦争であるからには、戦闘のシーンがCGやVFXの技術を多用して作られているが、これらも出来が悪い。
戦闘機と戦艦の距離が近すぎたり、日米戦闘機同士の空中戦も迫力がない。

 急降下爆撃もセリフでカバーしているだけで、繰り返されても、全然面白くない。

 また、製作費の関係で中国資本が途中から入ったせいか、アメリカ機が東京空襲後、中国へ不時着する話は、まさにとってつけた感じで、必要性がない。

 他に観るべき映画がないので観たが、131分という上映時間は長すぎた。

 無駄な感じの映画だったが、本当に戦争という野蛮な行為がなくなる日が早くくることを、強く思う帰り道だった。

 反戦は、 「海辺の映画館」 (2020年)

 事故物件  ~怖い間取り~

あらすじ:大阪に住み、お笑いコンビを組んでいた山野ヤマメ(亀梨和也)だったが、売れないため相方の中井(瀬戸康史)から解散を言われ、テレビ・プロデューサー(木下ほうか)の「事故物件」に住んで何か面白い事があれば、テレビに出してやると言う話にのり殺人事件があった訳ありの部屋を借りる。借りた部屋に霊感の強いヤマメのファン:小坂梓(奈緒)が来るとビデオ・カメラに白い何かが写っていた。このヤマメの話はテレビでも受けるが、ヤマメと中井は同時に赤い服を着た亡霊をみて自動車にはねられるという不思議な現象があった。怪我から回復したヤマメは、次に母親が引きこもりの息子に殺された部屋に住むが、訪れた梓は亡霊に殺されかける。そんな、危ない物件に住むヤマメの話は、売れて全国的になるが、中井の家族には災難が及び、とうとう梓が心配していたような。。。


女:怖さを誇った中田監督も、もうテクニックが出尽くしたのかしら!

男:監督は、「リング」や「貞子」などのホラー映画で有名になった中田秀夫だ。
  この映画の元になっているのは、芸人の松原タニシが本当に事故物件に住んだ話があるようだ。
女:宅地建物取引主任士のあなたなら「事故物件」も詳しいわよね。
男:でも何が「事故物件」に該当するかというと案外曖昧なんだよ。
  借りたい部屋で自殺や殺人があれば、一応不動産屋としては、告知するけど、時間がかなり過ぎたら告知しない場合もあるからね。
  また、不動産屋として、自殺や殺人を知らない物件もあるから、その場合は、告知できないことになる。
女:この映画では、殺人事件のあった部屋で血の残ったままの畳が出てくるけど、それはありなの。
男:部屋の模様替えは大家さんの判断だけど、この映画のように多くの血がついた畳は、さすがに交換してもらうね。
女:そんな訳ありの部屋なら幽霊や怨念は出やすいと、誰もが考える暑さ凌ぎの映画ってことね
男:怖さを売り物にした割には、お笑い芸人を主人公にしたために怖くない仕上がりになっている。
女:だいたい、恐怖映画の基本の「暗闇、突然、背後から、気持ちの悪い音楽」は、もうマンネリでしょう。
男:カメラに写った「白い何か」とか「亡霊に殺されそうになる」など不思議な現象があるなら、その部屋に住み続けて、再発現象を追及する方が自然な気がする。
  どうして、次から次へと転居するのか、強引な持って行き方だ。
女:「事故物件」でも、結局、なにも起こらない事実では話にならないので、転居で話を長くして時間稼ぎをしているようね。
男:事故物件の全てを操っている黒マントを纏った悪魔がいることになっているけどこの存在も怖さがない。
女:悪霊退散に、上野駅で変な人が売っている700円のお守りが効いたり、悪霊のボスをやっつけるのに、都合よく元の相棒が飛び込んできて、どこで手に入れたのか、これも適当な線香の火玉を使うとは、本当に安易な持って行き方で、怖さより、笑ってしまったわ。
男:悪霊より怖いのは、不動産屋に勤める「事故物件」担当の 江口のりこ の方かな。
女:冒頭で出てくるビニール製の傘が、また最後に出てくるけど、相合傘が持っている二人の「愛」が、悪霊を退治できましたでは、これも退屈な締めだったわ。
男:才能があると思われていた中田監督も、毎回大当たりは出せないんだね。
女:その点、単に映画を観て、良い出来だとか、酷い作品だとか言ってるだけのあなたは、気楽なものね。
男:そっ、そんなことはないよ!
  観た映画の感想を、どこの配給会社にも属さずに、素直に言うことを続けてきたエネルギーは、努力の積み重ねだよ。
女:まあ、自分だけ、そう思ってやっていれば、このホーム・ページも続けて行けるでしょうね。
男:それは、慰めになっていないけど・・・

中田監督の; 「スマホを落としただけなのに」 (2018年)
アメリカ版; 「ザ・リング」 (2002年)


 ジョーンの秘密

あらすじ:2000年のある日のイギリスの片田舎。今はもう夫にも先立たれ、息子も弁護士として独立し、一人穏やかに余生を過ごしていた老女:ジョーン・スタンリー(ジュディ・デンチ)が、MI5にスパイ容疑で逮捕される。内容は、先日亡くなった外務官のミッチェル卿の残した資料から、ジョーンが第2次世界大戦の頃、研究に関わっていた、国家機密であった原爆開発のデータを当時のソ連に渡していたというものだった。60年前のジョーン(ソフィー・クックソン)は、ケンブリッジ大学で物理学を専攻し、友人には、共産主義者が多くいて、その中のロシア系のレオ・ガーリチ(トム・ヒューズ)と深い仲になったが、レオがカナダに移ったため、その恋は終わった。大学を卒業して核開発研究機関の中心人物:マックス・ディヴィス教授(スティーヴン・キャンベル・ムーア)の助手となったジョーンの元に、レオがソ連のKGBのスパイだと身元を明かして、ドイツに対抗するために同盟国であるソ連に原子爆弾の開発状況を教えろと近づくが、ジョーンは断った。そして、1945年8月6日、アメリカ軍は広島に原爆を落とし、多数の犠牲者が写しだされたニュース映画を観て、今後のアメリカの軍事力が巨大化することを恐れたジョーンは、核爆弾開発の機密資料を対抗勢力となるソ連に流した。米ソ・東西の陣営が核爆弾を有した冷戦時代は。。。


スパイ映画にしては、スリルがない!

 イギリスで当時80歳を超えていた老女が本当に、50年前の第2次世界大戦のころのスパイ容疑で逮捕された話を基にしたとのことだ。
イギリスでは、時効制度がないのかな?

 モデルになった女性がソ連に核爆弾開発の資料を流したのは、本当だったようで、この「ジョーンの秘密」でも、この件では争いはない。
だが、原題は「RED JOAN 赤=共産主義者 ジョーン」であり、この映画では、ジョーンは、熱心な共産主義者では無いような描きかたをしているが、もう、このあたりで主題がおかしいかと思う。

 映画の進行は、年取ったジョーンのジュディ・デンチが、MI5の捜査官から過去の出来事について尋問をうけるたびに、若い頃のソフィー・クックソンに代わるという、時代が交錯する手法だ。

 最後にジョーンが言う「私は愛国者です。核爆弾開発の情報を共産国のソ連に流したが、第2次世界大戦後の東西冷戦の時代でも核兵器の使用はバランスを保ち、日本の広島・長崎に原爆が投下されて以降は、実際に核爆弾は使われていない事実」は確かにある。

 だけど、この映画の描き方では、ジョーンは本当にソ連のスパイであって、イギリスに対してそれほど愛国心があったとは、言い難い。
それは、ジョーンと恋人のレオ、また教授とジョーンなど男女の愛の描写が強くなっているため、スパイ活動をしたのは、後世の東西陣営の力のバランスまでを考えた、理性的な思惑から情報をソ連に流したとは思えないためだ。
軽い恋に身を任せてスパイに走った女性の性(さが)の方が優先し、広島・長崎から核爆弾が実戦で使われていないというのは、後から言い逃れのための屁理屈としか受け取れない。

 それにしても撮影方法が下手だ。
やたら、顔をアップする、昔どこかで流行ったやり方の連続では、あきる。
それに、イギリスからカナダへ、ソフィー・クックソンと教授が艦隊と共に洋上をのんびりと航海している描写も、無駄な場面だ。

 丁度、8月は、日本では終戦の月でもあり、広島も出てくる核爆弾のスパイ物ということで観たが、スリル感が無く過ごしてしまった。

 本当に、国家間の意地の張り合いの戦争という愚かしいものが、この地球上から無くなる日が早く来て欲しいものです。
また、国境という人民を隔てる存在も無くして、「地球民」の意識が浸透することも強く思います。

同じ、広島も出てくる; 「海辺の映画館」 (2020年)
ジュディ・デンチが出ていた; 「キャッツ」 (2020年)、 「マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章」 (2016年)

ソ連のモスクワやKBGを知りたいなら; 「ロシアの旅」 もあります。

 糸

あらすじ:共に平成元年に北海道で生まれ育った高橋漣(南出凌嘉)と園田葵(植原星空)は、中学1年生の時出会い恋を知る。しかし、複雑な家庭に育った葵は、漣には何も告げず、夜逃げのように、北海道から母親と居なくなった。それから、8年後、高校を卒業し地元のチーズ工場で働く漣(菅田将暉)は、東京で開かれた親友:竹原(成田凌)の結婚式で葵(小松菜奈)と再会する。互いに意識はするものの、大学生の葵には、もう、金持ちの恋人:水島(斎藤工)がいて、漣は北海道で生き、葵は海外で自分を試す道を進む。それから10年後、ガンで妻(榮倉奈々)を亡くした漣とシンガポールでネイルサロンの経営に失敗した葵が、見えない糸に導かれたのは、平成が終わり、令和の時代になる函館だった。。。


纏まりのない、菅田将暉の無駄遣いの映画になった!

 脚本は、「空飛ぶタイヤ」や「予告犯」などを手掛けた林 民夫。
監督は、「64-ロクヨン- 前編/後編」を手掛けた瀬々敬久(ぜぜ  たかひさ)で、製作者が予告編でも歌われる中島みゆきの「糸」に刺激されて作ったとある。
「糸」の詩の中心は「なぜ めぐりあうのかを 私たちは なにも知らない。~縦の糸はあなた 横の糸はわたし・・・」だ。

 私は、「糸」が与える印象から、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災をメインに扱った内容かと想像したが、確かに東日本大震災も二階堂ふみが少しばかり出ているシーンで取り上げられているが、主ではない。
「糸」からインスパイヤーされた脚本の林民夫は、「なぜ、男女はめぐりあうのかを知らない」を中心にしている。
まあ、めぐり逢いだけでなく、「運命」が待っている将来は、誰も知らないけど。

 歌「糸」でのめぐり逢いと同時に、31年で終わった「平成」という時代も、漣と葵を平成元年生まれにし、平成が終わる函館で映画も終わるという構成で、一つの意味を持たせている。

 描いている内容が、薄っぺらで、映画の中に入っていけない。
中学生での二人の出会いでの自転車の横転から始まり、訳ありの家庭で育っている葵。ガンで亡くなる漣の妻(榮倉奈々)の健気さとそれを受け継いで「泣いている人を抱きしめる」幼い娘。

 漣の生き方にしても、最初は、チーズ工場ではダラダラと働くが、途中で仕事の重要さに目覚めて、美味いチーズ造りに熱心になり、世間に認められる。
よくある話を、よくある程度のまとめ方をしている。

 では、葵の生き方はというと、こちらは、正に劇にしてもいいほどの波乱万丈だ。
経済的に苦しくても(はっきりしなけど、多分)いつの間にか大学には行けて、キャバクラで働いて、金持ちの若手実業家(斎藤工)の愛人となり、彼が事業に失敗し、債権者に追われる身でありながら、のんびりと釣りをしている沖縄まで追いかけて行くことができ、別れ際にかなりの金を貰って、今度はシンガポールでネイルサロンを開くが、これまた共同経営者の山本美月に裏切られて、東京に舞い戻るとは、実に、無駄に海外までロケを重ねている。

 かなりカットされたのか知らないが、葵と斎藤工との交際関係が、どうもはっきりしていなくて、適当な描き方だし、一度、シンガポールで成功するエピソードも、ただ、屋上プールなどの観光を兼ねてシンガポールへ、スタッフが行きたいというのでいれてみました程度の必要性だ。

 多くの映画での常套的な、わめく、涙する、愛する人の死、良く出来た子供、損得を考えない食堂の存在、すれ違い。
そして、まったく下手な音楽「糸」の挿入の仕方。

 これでは、役者として期待している菅田将暉が、活用されていない。
残念な出来だった。

 歌としては、「糸」よりも、カラオケで成田凌が歌う「糸」と同じ中島みゆきの歌の「ファイト」の方が、心に沁みた。

菅田将暉の; 「アルキメデスの大戦」 (2019年)
小松菜奈も出ていた; 「来る」 (2018年)

瀬々敬久監督の;  「64-ロクヨン」 (2016年) 、 
林民夫 脚本の; 「空飛ぶタイヤ」 (2018年) 、 「チア☆ダン ~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~」 (2017年) 


 海辺の映画館 ~キネマの玉手箱~

あらすじ:広島県は尾道にある映画館「瀬戸内キネマ」は今日で閉館。最終日の上映作品は、オールナイトで日本の戦争特集だった。映画好きの3人の青年:馬場毬男(厚木拓郎)、鳥鳳介(細山田隆人)そして団茂(細田善彦)は、映写技師の杵馬(小林稔侍)が流す江戸時代などの戦いの映画を観ていたが、突然襲ってきた稲妻のせいで、スクリーンの中にタイム・スリップしてしまった。幕末の戊辰戦争、会津での白虎隊や女子隊の悲劇。満州で始まった日中戦争、沖縄での壮絶な戦い。そして、8月6日、広島に原爆が投下される。3人の青年は、その時々の映画に巻き込まれ、ヒロインの希子(のりこ:吉田玲)や、一美(成海璃子)、和子(山崎紘菜)また、広島で移動劇団にいる橘百合子(常盤貴子)らと出会うことになるが。。。


女:反戦を主張する大林宣彦監督の意図ばかり出過ぎで、退屈な出来ね!

男:今年(2020年)4月10日に、82歳で亡くなった大林宣彦(おおばやし のぶひこ)監督の最後の作品になった。
女:大林監督は、脚本にも関わっているわよ。
男:大林監督と言えば、広島県の尾道出身で、尾道を題材にした尾美としのりと小林聡美が出ていた「転校生」、原田知世を有名にした「時をかける少女」、富田靖子の「さびしんぼう」などで有名だね。
女:大林監督は、タイム・トラベルとか、時空を超えたファンタジーを扱うのが好きなようね。
男:今度の「海辺の映画館」もその延長線上にある作品だ。
女:でも、アニメ的で、まったく纏まりががないまま編集して、その結果が179分という長さは、もう高齢者の我儘を押し通した感じだけね。
男:前半の部分や、宇宙船に乗っているらしい高橋幸宏、寝ているだけの犬塚弘などのシーンは、まったく不要だ。
女:太平洋戦争の時に使う英語が敵の言葉として字幕で説明されるなんて、いる?
男:戦場での弾丸の光跡も、漫画でしかない。
女:映画として完成前に1回ラフに編集して、関係者で話し合えば、カットできると思えたシーンが随分とあったわ。
男:スタートとして、新人の吉田玲をヒロインにしたことから、この作品が素人の学芸会のまま終わったんだ。
女:そうね。セリフも棒読み、演技も当たり前では、大林監督の特徴かも知れないけど、3時間は持たないわけね。
男:時々ある、裸の女性の胸や下半身にしても、今どき、こんなタイツを履いているのか、ぼやかしている積りなのか分からないけど、なんだ、この映像は、というふざけた印象だ。
女:だいたい、兵隊の笹野高史があの歳で山崎紘菜を犯すシーンって見苦しいだけよ。
男:また、中原中也の詩を多用するけど、大林監督の年齢なら有名な他人の言葉を借りずに、自分の意見を堂々と述べろって言いたいね。
女:この出来の悪さでも、成海璃子と常盤貴子は存在を示していたわ。
男:特に、成海璃子はもっと活躍していい女優だ。
女:チケット売り場の白石加代子がいう、原爆が落ちて「ピカ」だけを知っている人は、すぐに亡くなり、「ピカドン」を知っている人は、少し生きていて、そのあとの「黒い雨」までを知っていれば、生き残れる可能性があったということは、寂しい話よ。
男:第2次世界大戦が終わり、日本でも戦争の実体験者が少なくなる今日、再び戦争を起こしてはならない。
  多くの若者の青春を人殺しにさせてはいけないと大林監督が言いたいのなら、もっと、遊ばずに描いて欲しかった。
女:でも、あなたみたいに、いろんなところで、自己主張を強く出していると、他の人から嫌われるよ
男:もう、他の人から嫌われても、なんとも思わない今日この頃だけど。
女;頑固な爺さんは、あなたに適役ね。
男:褒めてくれてありがとう。
女:別に、褒めていないのだけど・・・
男:何かいった?
女:いいえ、なにも言っていません。

大林監督の映画ではないけど、舞台での; 「異人たちとの夏」 (2009年)

 コンフィデンスマン JP ~プリンセス編~

あらすじ:用意周到に準備して人を騙すダー子(長澤まさみ)の次の獲物は、亡くなったアジアの大富豪:レイモンド・フウ(北大路欣也)が、行きずりの恋人に産ませた、今は行方が分からないミシェル・フウを10兆円ともいわれる財産の相続人に指定したことだった。フウ家の長女:ブリジット(ビビアン・スー)、長男のクリストファー(古川雄大)と次男のアンドリュー(白濱亜嵐)にとっては、我慢のできない遺言だったが、フウ財閥の全てを取り仕切る執事のトニー・テン(柴田恭兵)から告げられては、従うほかはなかった。ダー子は、身寄りがなくて新しく仲間にしたコックリ(関水渚)をミシェルに仕立て上げ、自分は母親として、また、以前からの仲間のボクちゃん(東出昌大)は、ボディーガードに、リチャード(小日向文世)は、日本領事にして、フウ家が住むマレーシアのリゾート地、ランカウイ島に向かう。ランカウイ島では、世界中からこの噂を聞きつけた詐欺師たちが、この娘がミシェル・フウだと名乗り出るが、正体がばれていた。ダー子たちは、ブリジットのDNAをとり、どうにかコックリを、ミッシェルだと騙すことにこじつけた。まだどこかコックリの身元を疑っているトニーの監視の元、フウ家の財産を相続するために、英語の勉強、食事のマナー、立ち振る舞いなど厳しい教育が待っていたが、コックリは見事に成長していった。しかし、コックリが財産を相続することに反対のアンドリューは、日本のヤクザの親分:赤星(江口洋介)に殺しを頼んでいた。そして、正式に、コックリがフウ家の跡取りとして披露される時に。。。


流石に、何度もコンフィデンスマンを見ていると、騙されかたは、少なくなった?!

 もとは、2018年にフジテレビで連続物として放映され、また、2019年5月には、劇場版の「ロマンス編」が公開され、長澤まさみが好きな私は、テレビも映画版も見ている。

 監督は、テレビで数話を演出し、「ロマンス編」も手掛けた、田中亮で、騙しのテクニックで重要な脚本は、今回も古沢良太だ。

 肝心の騙しのテクニックにおいては、テレビも全部見て、映画版も観ていると、流石にダー子たちが殺されるのは、今後のこと(またの続編?)もあるし、無いとは分かるが、そこに至るまでのネタばらしも相変わらず巧い。

 この役を得て、長澤まさみが今まで以上に、可愛さと綺麗さと、それに弾け方も出して、観客に、私の演技を十分に堪能してと言っている。
金持ちに扮した彼女の衣装は、朝羽美佳が担当のようで、これも、長澤まさみの魅力を引き出した。

 前作でモナコに扮した織田梨沙を抜擢し、今回は、コックリ役で関水渚を使うとは、次の映画界も考えた新人活用戦略で、これも評価できる。
コックリの設定が、以前は眼鏡をかけた人見知りをする冴えない娘だけど、フウ家に入ると、眼鏡を外し、背筋を伸ばし、堂々たるスピーチができるまでに成長するのは、これは、「ローマの休日」からとったと分かるのが、憎い。
大体、名前の「ミシェル・フウ」の「フウ」は、英語にすると「WHO?」で、最初から「本当の、ミシェルって実在するの?」との隠された意味があったのかと、観終わって納得した。

 ダメな身内に継がせるより、出来の良い他人を選ぶことも企業では必要なことだ。

 役どころとしては、ボンヤリした東出昌大もリチャードの小日向文世も、また、お笑い役の小手伸也も慣れた演技をしている。
しかし、小手伸也とデヴィ夫人とのくだりは、いらない。
いらないというか、どうして、滝藤賢一がホテルの支配人なの?
ラーメン屋をやっている広末涼子をどうして、引っ張り出したの?
など、遊び心の部分には、かなり無駄を感じる。

 他にも、登場人物では、セリフがあまりない貧乏画家の濱田岳。
「ロマンス編」では、ダー子の恋人で、最近、自殺した三浦春馬も、今回はダー子と派手にダンスしている。この撮影後、三浦春馬に何があったのか知れないが、合掌。
GACKTも道を教えにでるし、生瀬勝久は、終わりに映画の「蒲田行進曲」に絡んでチョットでてくる。
など、訳の分からないほど多くの有名人がでるのは、ここまで、やる必然性がない。

と不満もあるが、前半に、強引な立ち退きなどの布石を打って、回収し、また、金儲けの為でない大掛かりな詐欺師の話は、これからも、ダー子に立ち向かってくる展開を感じさせるヤクザの赤星の存在を含めて、続編が期待できる仕上がりだった。

母親役が無理だった、長澤まさみの; 「MOTHER」 (2020年)、
前作; 「コンフィデンスマン JP ~ロマンス編~」 (2019年)
 
東出昌大の; 「聖の青春} (2016年)

 透明人間

あらすじ:ちょっとした出会いから、金持ちで、天才光学者で、変質者のエイドリアン・グリフィン(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)に気に入られたセシリア・カシュ(エリザベス・モス)は、多くの監視カメラが取り付けられた彼の豪邸で拘束された生活を送っていたが、我慢ができず妹のエミリー(ハリエット・ダイアー)に連絡をとり、エイドリアンの家から脱出をして、刑事のジェームズ(オルディス・ホッジ)の家に逃げ込んだ。そこへ、エイドリアンの兄で弁護士のトム(マイケル・ドーマン)から連絡があり、エイドリアンは、セシリアが居なくなったことを悲観し自殺したが、セシリアに巨額の遺産を残していることを告げる。しかし、エイドリアンの性格を知っているセシリアは、彼が自殺などする筈はないと思っていた。エイドリアンが見えない存在としてセシリアの周りにいることを、妹や刑事のジェームズに話すが、誰も信じなかった。そして、レストランでセシリアが妹の首を切る事態となり、世間は、セシリアを狂人として扱う。しかし、エイドリアンは、透明になる特殊なスーツを開発して、妊娠しているセシリアとの復縁を図っていたのだ。凶暴化するエイドリアンに立ち向かうセシリアは、ついに。。。


透明人間になりたいと願うのは、ストーカーの男子か!

 監督は、リー・ワネルで彼が、脚本も書いている。
原作というか、原案は、SF作家のハーバート・ジョージ・ウェルズの「透明人間」が当然にあるが、設定は、現在だ。
原題は「The Invisible Man」。

 原題にあるように「透明人間」は、いつも「男 Man」ということ。
どうして、「透明になること」を男性は、願うのだろうか。
気になる女性の私生活を、覗きたいというスケベな願望が「透明人間」を生んでいるようだ。
女性は、「透明」になることをあまり望んでいない?

 話の展開は、もう、ホラー映画の常套テクニックを多用する。
そう、暗闇、後ろから、突然、そして気味の悪い音楽で構成される。

 透明化するのには、以前なら薬だったが、今は、光学的なスーツを着れば、誰でもなれるというのは、斬新的なアイデアではあるが、他の設定がお粗末。

 まず、エイドリアンの自殺が嘘ってことになる訳だけど、死体の検証方法がはっきりしないで、警察も自殺で動いているのは、まあ、おかしい。

 透明人間になって、タオルケットに乗ったり、椅子に座っているのは、観客にその存在を知らせる手段としては、平凡だけど、まあ、許す。

 だけど、スマホを持って屋根裏に隠れていたとか、包丁を盗むのは、意味が分からない。
セシリアに透明人間の存在を分からせるためなら、まったく不要な話だ。

 最後の透明スーツを隠すのも、ぬかりないエイドリアンなら、事前にスーツが盗まれていて、それを発見していたと強く感じる不自然さだ。
なにより面白くないのは、主人公の女優:エリザベス・モスが、ここまで、エイドリアンに執着させるほどの美人でも、容姿端麗でもない、普通のおばさんにしか過ぎなかったことだ。
監督のリー・ワネルの演技指導と撮影方法も、良くないってことだけど。

 冒頭の波のシーンは、日本の「東映」のタイトルから、獲った?

 MOTHER マザー

あらすじ:男関係にだらしなく、また、働くことも嫌いなシングル・マザーの三隅秋子(長澤まさみ)は、生活保護を受けていたが、ゲームセンターで遊んだりしていつも金が無くなり、そのたびに、息子の周平(幼少期:郡司翔、奥平太兼)を使って、両親や妹から金を借りていたが、それも、できなくなった。そんな時に知り合ったホストの川田遼(阿部サダヲ)と同棲し、二人して美人局をして金を稼ぐが、障害事件を起こし、二人は周平を残して、田舎に逃げる。幸い、傷害事件は公にはならなかったが、秋子は妊娠し、遼は秋子の元を去って行った。それから、5年後、秋子は冬華を産んだが、相変わらず仕事にもつかず、16歳になった周平が、学校にも行かずに、秋子と冬華の面倒をみていた。児童相談所の高橋亜矢(夏帆)たちの世話で、三人は住む場所ができ、周平も学校に行くが、また遼が三人の所へ飛び込んできて、金のない生活が厳しく周平の肩にのしかかる。また、秋子の異常な母親愛がついに、周平を。。。


女:ダメな女を長澤まさみでは、表現できなかったわ!

男:監督は、大森立嗣(たつし)で、彼と港岳彦が、埼玉県で実際に起きた17歳の少年が祖父母を殺害した事件をヒントに脚本を書いたとのことだ。
女:実際の事件はともかく、この映画では、母親はいつまでも息子を自分の分身として持っていて、息子を世間から遠ざけたということね。
男:母親がいつまでも息子を可愛がるのは、まあ、理解できるかなって部分はあるけど、男の子がいつまでも母親の言いなりになるのは、かなり作り過ぎで、共感できないな。
女:息子が学校に行っていないとかはあっても、はっきりとは分からないけど、生活費を稼ぐために仕事はしていたようで、世間一般の男の感情として親離れはあるんじゃないの。
男:映画を観終わっても、スッキリしないのは、こんな母親もあるだろうなとは、思うけど、いくら息子が母親依存でも、祖父母まで殺す気持ちが理解できない表現方法の拙さだろうね。
女:はっきり言って、長澤まさみには、この女性・母親の心情・生活感がまったく理解できていないで、演技らしいものをやっているようね。
男:それは、脚本段階での人物の設定が、ちゃんとできていないせいだな。
  男をすぐ好きになるだらしない女でありながら、昔の男にここまでつくすのでは、性格に一貫性が見られない。
女:荒んだ生活をしていることになっているけど、長澤まさみがアップで画面に映し出されても、顔のつやはピンピンだし、足もスベスベで綺麗という、演出はないわね。
男:それは、ホスト役の阿部サダヲにも言えるね。
  この演じ方では、暴力を無駄にふるっているだけで、セリフもどこか、喜劇調で、凄味が無い。
女:生活感が薄いのは、息子の髪型で、一部が金髪のメッシュになっているのは、どん底の生活を送っているらしい、この流れでは、溶け込めないわね。
男:ダメだとか、無駄となると出来の悪い映画では、たくさん指摘できる。
  ついでに、母子が働く建築会社での社長とできてしまう話、そこで泥棒をするのも、なんだか、とってつけたようで、意味が分からない。
女:いつものようにあなたにとって最大の不満は、お目当ての長澤まさみが、裸にならないことじゃないの。
男:悪女で男性関係を描くなら、せめて、胸や太ももぐらいは、見せて欲しい・・・なんてことは、思っていません!
  危うく、きみの誘導尋問にのってしまうところだった。
  クワバラ、クワバラ。
女:あなたの本音は、やっぱり、そこなのねっ。

長澤まさみの; 「コンフィデンスマンJP -ロマンス編」 (2019年)、 「海街diary」 (2015年)、 「マスカレード・ホテル」 (2019年)
同じようなダメ家族は; 「万引き家族」 (2018年)

 ストーリー・オブ・マイライフ ~わたしの若草物語~

あらすじ:時は、1860年代、南北戦争の頃のアメリカは北部にあるマサチューセッツ州のコンコードに住むマーチ家では、父親は北軍の従軍牧師として不在だったが、近所の貧しい家族の面倒までみる心優しい母親(ローラ・ダーン)を中心に、結婚したい長女のメグ(エマ・ワトソン)、作家志望で独立したい次女のジョー(シアーシャ・ローナン)、音楽好きで内気な三女のベス(エリザ・スカレン)、そして絵の才能がありお金が好きな四女エイミー(フローレンス・ピュー)の四姉妹が、時には、ジョーが書いた舞台劇の真似をしたり、また些細なことで喧嘩をしながら、豊かではないが仲睦まじく、賑やかに、そして楽しく暮らしていた。隣に住む金持ちのローレンス家にヨーロッパで暮らしていた若いローリー(ティモシー・シャラメ)が戻り、マーチ家とローレンス家の付き合いも親密になって行き、ローリーはジョーにプロポーズをするが、男性に頼る生活を望んでいないジョーは、ニュー・ヨークに出て小説を書いたが、出版社から色好い返事はなかった。三女のベスが病気になったので、コンコードに帰ったジョーは、今まで起きた家族の事を書いて「若草物語」として発表する。。。


行き来する時間をもう少し、整理したら、更に評価が高くなるが!

 原作は、1868年に、ルイーザ・メイ・オルコットが書いた彼女の家族の自伝小説「Little Women 若草物語」であり、度々、アメリカでも映画化がなされていて、私は、1949年製作の、四女のエイミー役をエリザベス・テイラーが演じ、彼女が鼻を高くするために、寝る時に洗濯ばさみで鼻をつまむという、日本人から見たら、それ以上、鼻を高くして、どうするのって、感じたことを思い出した。

 今回の「若草物語」は、女性のグレタ・ガーウィグが監督をし、彼女なりの脚本をしているのが特徴だ。
配役としては、「あらすじ」で出ている、「レディ・バード」で使ったシアーシャ・ローナンやティモシー・シャラメの他に、金持ちの叔母さんには、メリル・ストリープも出ている。

 原作者のルイーザ・メイ・オルコットは、四姉妹の内、次女のジョーであり、映画もこのジョーを中心に進むが、これが、現在と、約7年前のマーチ家での少女時代の様々な出来事と、なんども行き来する構成だ。

 1949年版でも憶えているのは、舞踏会に行く前に、スカートを焦がして、人前で踊れなかった話、病気の父親の看護に行く母親の旅行代を工面するために大切な髪を切って売った話、三女のベスに隣の金持ちがピアノをくれる話などは、今回もでている。

 しかし、女性の監督:グレタ・ガーウィグが、今回の映画化で大きく言いたいのは、もう、女性の幸せは男との「結婚」だけではないということだ。

 ジョーが本の出版に当たって、編集者が求める世間受けのする「ハッピー・エンド」、つまり、「ヒロインは結婚するか」、「死ぬか」にしないと出版できないと言われたことに、本当は、反対していたことを付け足していることは、このグレタ・ガーウィグの主張だ。
当時のオルコットは、編集長に妥協して、ジョーを結婚させたが。

 か細いシャシャー・ローナンの演技がいい。
観ているおじさん(?)としては、もう、そんなに頑張らなくて、素直におじさんの腕の中に飛び込んでおいでと、腕を大きく広げたくなる。

 か細い二枚目といえば、ティモシー・シャメラもチャラい感じから、いい男への変化を魅せる。

 他に気になったのは、四女役のフローレンス・ピューだ。
容貌と演技も目立ったが、そのドスの効いた低い声も、これから、映画界でたびたび聞くことになりそうだ。

 凄いのは、衣裳が、みんな綺麗で俳優たちの演技を高めていることだ。
衣裳の担当は、ジャクリーヌ・デュランで、2019年のアカデミー賞の「衣裳デザイン賞」をとったとのことだけど、女優陣がそれぞれ纏う上着、スカート類が、みんな彼女らの体に合っていて、どここらみても、彼女らを引き立たせる。
いいや、女優陣だけでなく男のティモシー・シャメラにも、最適な衣装を提供している。

 カメラ・ワークもよく、ここまでいい評価が続く「ストーリー・オブ・マイライフ」だけど、時がたびたび行き来して、かなり、「若草物語」を知っている筈の私も、いまいつの時代にいるのか、分からない話になるのが、少しばかり、残念だった。

グレタ・ガーウィグ監督の; 「レディ・バード」 (2018年)
シアーシャ・ローナンなら; 「つぐない」 (2008年)、 「グランド・ブダペスト・ホテル」 (2014年)
メリル・ストリープの; 「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」 (2018年)
ティモシー・シャメラの; 「ビューティフル・ボーイ」 (2019年)
南北戦争なら; 「ハリエット」 (2020年)

 デッド・ドント・ダイ

あらすじ:アメリカの田舎町。センターヴィルでは、最近、飼っている猫や犬がいなくなる事件が多発し、警察署長のロバートソン(ビル・マーレイ)とピーターソン巡査(アダム・ドライバー)は、森の浮浪者:ボブ(トム・ウェイツ)の仕業かと思ったが、それは違っていた。原因は、北極の方で地球環境に重大な変化を与える開発事業が行われていてその影響で、地球の自転軸が狂い、墓場から死者が「ゾンビ」となり生き返ってきたのだ。ゾンビに咬まれた人間は、またゾンビとなって、世界中に拡がっている。最近町にきた素性のはっきりしない葬儀屋のゼルダ(ティルダ・スウィントン)やピーターソン巡査は、ゾンビのやっつけ方を知っていた。それは、ゾンビの首を刎ねることだった。しかし、ゼルダが日本刀で、また、ピーターソン巡査がナタでゾンビの首を刎ねても、刎ねても、子供のゾンビまで出てきて、とうとう、生きている人間は。。。


遊び過ぎだぜ、監督:ジム・ジャームッシュ!!

 監督と脚本は、「ブロークン・フラワーズ」などのジム・ジャームッシュだ。
出ているのは、ジム・ジャームッシュと懇意にしているビル・マーレイを始めとして、「スター・ウオーズ」で有名になり過ぎたアダム・ドライバーや、ティルダ・スウィントン。
そして、私は知らないが、他にも有名らしい、クロエ・セビニー、スティーブ・ブシェーミ、トム・ウェイツ、セレーナ・ゴメス、ダニー・クローバー、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、イギー・ポップなど、音楽が好きな一部の人には受けている人たちも出ていて評判らしい。

 話の展開は、葬儀屋のティルダ・スウィントンは、実は、宇宙人で話の途中でUFOに乗って消え去るし、森の住人は、いつまでも、被害を受けないのかよ、とか、秘密基地に隠れた3人の若者は、その後、どうなったんだい、とか、ゾンビが蔓延している墓場に、どうして何となく3人の警官が入り込み、当然に犠牲になったりなど、深く考えることを拒否するものである。

 人間のはらわたが食われたり、ゾンビの首を刎ねたり、その首をぶら下げるなど残酷なシーンが多いので、観るにはある程度の注意が必要だけど、ゾンビとなって生き返ってくるのは、生前自分が好きだったコーヒーを飲みたいとか、ギターを弾きたいとかで、あちらこちらのセリフは、クスクスと笑いをとる。

 「スター・ウォーズ」でカイロ・レンを演じたアダム・ドライバーには、「スター・ウォーズ」のキー・ホルダーを持たせたり、正体不明のティルダ・スウィントンは、まるでクエンティン・タランティーノ監督の「キル・ビル」からとってきたりで、他にも映画通なら、このシーンは、あの映画からとか、一人で納得がいくような仕掛けがある。

 極めつけの、アダム・ドライバーがいつも言う「これは、まずい終わりになる」ことを知っているのは、前もって、ジム・ジャームッシュ監督から全編を書いた台本を渡されていたからだと、ネタ晴らしまで、映画の中に入れるとは、笑えるけど、もう、悪ふざけの段階だ。

 日本車のプリウスが性能のいいのは分かるが、まったく、他愛のない出来だった。

 ジム・ジャームッシュ監督の;「ブロークン・フラワーズ」 (2006年)
 日本刀を扱った;「キル・ビル」 (2003年)
 「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」 (2019年)

 ハリエット

あらすじ:1800年代中頃のアメリカ。奴隷制度を巡って南北戦争(1861年~)が始まる前のメリーランド州にあるブローダス農場は、農場主の死亡で経営が厳しくなり奴隷のミンティ(シンシア・エリヴォ)を売り出すことになった。いつか自由な身になれると思っていたミンディは、夫と共に、奴隷制度の無い160キロ先のペンシルベニア州に逃げようとする。夫は捕まるが、一人となっても、濁流を横切り、奴隷ハンターの手を逃れ、どうにかミンディは、黒人奴隷の逃亡を助けているウィリアム・スティル(レスリー・オドム・Jr)に出会い新しく「ハリエット・タブマン」の名前を得て人生の再出発をした。しかし、残してきた家族が心配なハリエットは、再びメリーランドに戻り、家族の逃亡に成功した。この経験を活かし、他の黒人奴隷の逃亡を組織的に助けることになったハリエットは、白人たちからヘブライの民を助けた「モーゼ」と呼ばれ、その逮捕に多額の懸賞金まで懸けられる存在となっていた。そして、南北戦争では、女性でありながら、黒人兵の指揮を執るまでになる。。。


アメリカでいつまでも解決しない黒人問題は分かるが、この逃亡劇では緊迫感は、かなり薄い!

 監督と脚本は、女性のケイシー・レモンズ。
扱っているハリエット・タブマンとは、2020年に発行されるアメリカの20ドル札にも登場する、実在の有名な黒人奴隷逃亡救助活動家とのこと。

 2020年では、1月頃から、新型コロナウイルス感染症が世界中に蔓延したために、日本でも映画館や劇場、野球場なども閉鎖されたが、どうにか、収束ではないが、新型コロナウイルス感染症への対応ができるようになり、映画館も、6月5日(金)から、前後左右の席は空ける対応で、営業が再開されるという厳しい状況にあったことは、後世に伝えたい。
 という訳で、3月から6月まで、新しい映画の公開が全くなくて、この「映画・演劇 評論」も更新が無かったが、どうやら、映画館での映画の公開があり、このサイトも再開ができたという次第だ。
しかし、実際の映画館には観客は、10人程度しか入っていなくて、これなら、特にコロナの心配は不要だったが。

 映画の「ハリエット」に話を戻そう。

 アメリカでは、奴隷解放から150年以上も過ぎたが依然として社会には根強く白人による黒人への差別意識があり、最近では、2020年5月25日、ミネソタ州ミネアポリス市で白人警官により取り押さえられた丸腰の黒人:ジョージ・フロイドさんが窒息死させられた事件を契機に、「Black Lives Matter (黒人の命を守れ)」をスローガンにした、デモや暴動も起きている。
 この事件だけでなく、白人警官による丸腰の黒人の殺人事件は、過去から多発しており、そのたびに、社会的に取り上げられているが、まったく改められていない程、警察・司法だけでなく、白人の黒人への差別意識が、アメリカ社会にあるという悲しい現実がある。

 この変わらない黒人差別問題を背景にしてか、ハリウッドでもアカデミー賞の候補にも、黒人問題をテーマにした映画は、「それでも夜は明ける」など余り映画の出来に関わらず「黒人問題映画枠」があるとの噂がある。

 それはさておき、この映画の見せ所は、いかにハリエットが、生まれたメリーランド州から遠く離れたペンシルベニア州まで、たった一人で逃げることができたかである。
 日本人には、メリーランド州とかペンシルベニア州と言っても、まったく距離感が分からないので、地図を用意した。

 確かに、地図を見ると、ハリエットが逃亡に苦労した河がある。
しかし、この河を渡るのにそれほど問題もなく、また、ある時は、川底の深さまで、神の予言的に分かったりするのは、作り過ぎで、発想と描写が下手すぎる。
神がかりといえば、ハリエットの持病が実は神の声を聴くもので、奴隷ハンターたちの待ち伏せも予言されるでは、海を分けた十戒の「モーゼ」を意識し過ぎで、現実の逃亡劇では、それは、端折り過ぎだ。

 ここは、神に頼らずに、メリーランドへの侵入だけでなく、度々ペンシルバニアへ戻るまでの身分調査など実際の苦労話を映画として、観客に示して欲しいところだ。
余りにも、都合よく、手を抜いた作品で緊迫感がない。

 また、ジョー・アルウィンが扮する農場主とハリエットとの関係で、白人のジョー・アルウィンが本当は黒人のハリエットを人間としてみていたような曖昧な描き方も、黒人差別を扱っていながら、白人の観客にも、いい子でいようとする監督・脚本の主張の甘さがある。
黒人奴隷が人間として扱われなかったとするなら、もっと徹底した悪役の白人とすべきだった。

 主演のシンシア・エリヴォの歌「スタンド・アップ」がいい。
通常、黒人霊歌と言われる音楽が、まるでミュージカル映画のように多用されているのは、効果があった。

 黒人女性をフランスの「ジャンヌ・ダルク」のように見立て、また「モーゼ」に擬するには、まだまだ、未熟な脚本だった。 

 黒人奴隷の; 「それでも夜は明ける」 (2014年)
 黒人差別の; 「グリーンブック」 (2019年)

 新聞記者

あらすじ:アメリカで育ち、今は、東京にある東都新聞社に勤める記者:吉岡エリカ(シム・ウンギョン)の父親も新聞記者だったが、大きな誤報を流し、責任をとって自殺をしていた。エリカは、父の扱ったニュースが本当に誤っていたのかを追跡しているが、まだ、真実は掴めなかった。そんな時、新聞社に、新しく医療系の大学ができるが、その管轄を内閣府がするという内容のファックスが送り主不明で届く。通常なら大学の新設は、文部科学省の管轄なのに、どうして内閣府が絡むのか。疑問に思った社は、エリカを担当にして調べさせる。調査を進めると、内閣府の神崎(高橋和也)の存在が浮かび上がって来たが、詳細を掴む前に神崎は投身自殺をした。エリカが神崎の葬儀の取材中に出会ったのは、外務省時代に北京で神崎の部下であった杉原拓海(松坂桃李)だった。今の杉原は、内閣情報調査室に出向しており、上司の多田(田中哲司)の命令でSNSやツイッターを通じて、政府にとって都合のいい内容を流していた。しかし、杉原は、この業務について大きな疑問を抱き、また官僚の先輩として尊敬していた神崎の自殺にも納得ができなかった。神崎の自宅から新聞社に送られてきた新設大学のオリジナル文章を見つけたエリカに動かされた杉原が官庁内で調べると、そこには、政府が大学を新設して極秘裏に細菌兵器の開発をする計画が明らかになった。この事実を報じた東都新聞だったが、頼りの杉原が。。。


新聞社では、正義追及は、女性しかできないのか!?

 この「新聞記者」が映画館で公開されたのは、昨年(2019年)の6月28日からで、いくら好評な映画でも、この3月では、もう公開は終わっているはず。
それが、2020年3月6日開催の第43回日本アカデミー賞でこの「新聞記者」が「最優秀作品賞」を、主演の松坂桃李が「最優秀主演男優賞」を、さらに主演のシム・ウンギョウンも「最優秀主演女優賞」をとるということで、3月中旬から凱旋公開となっているので、「新型コロナウイルス」の感染を恐れない私(?)だったが、意を決して、映画館に足を運ぶ。

 大体、日本アカデミー賞の選考において、賞をとった過去の多くの作品を私は観たこともなく、また、観た作品であってもその賞を与える評価の基準がまったく私の「好み」とは、かけ離れているので、日本アカデミー賞の発表がテレビであっても、チラット見るだけで、どれが、「最優秀作品賞」かなんてことには歯牙にもかけていない。

 しかし、この映画が、実在の東京新聞の記者である望月衣塑子(もちづき いそこ)も絡んでいるとなると、興味を惹く。
というのは、この、望月衣塑子という記者は、菅官房長官の記者会見でいつも厳しく食い下がり、当たり障りのないことしか質問しない他の記者たちとは、まったく違った存在であることを、ネットで知っていたからだ。
自分で積極的に事件の裏までを深堀りしないで、当局から一方的に発表された表面のことだけを、ただ右から左に流しているだけの「記者クラブ」において、望月衣塑子の存在は、頼もしく思った。
そこで、今度ばかりは、こんな映画のあることを知らせてくれた日本アカデミー賞の存在価値はあったと思う。

 監督は、藤井道人で原作は、望月衣塑子の同名の「新聞記者」があるようだ。

 どうして、主役のエリカが、韓国の女優であるシム・ウンギョンになったかというと、作品の内容が余りにも、政治的で日本の女優たちが、尻込みして出演を断ったという噂もある。

 そう、この作品で取り上げているのは、官邸の肝いりで安倍総理大臣のお友達である加計孝太郎氏が関係する「加計学園」が愛媛県に獣医学部を新設するという、国会でも度々取り上げられた誰でも知っている実際の話であることが、すぐに分かる。
この加計学園の獣医系学部の認可に関しては、文部科学省の事務次官で内閣府の関与を認めた前川喜平氏に対して、読売新聞は、前川氏が新宿、歌舞伎町の「出会い系バー」に出入りしていたと、争点の認可問題にまったく関係のないスキャンダルねたを記事として流しており、これは、明らかに、この映画「新聞記者」が取り上げた、暗躍している政府筋の情報操作にのったもので、読売新聞はジャーナリストとして非難されるやってはいけないニュースだった。

 問題の「加計学園」に関係して、この映画でも度々、本物の前川喜平氏や望月衣塑子氏らがメディアについて討論するシーンが流される。

 映画の展開は、「加計学園」問題という実話を基にした、実に政治色の強い話を、その存在が明確でない内閣情報調査室と、また、映画の手法としてよくある、公務員は「国民に奉仕する」という気概に燃えながらも、生まれたばかりの赤ん坊や官庁内における自分の身の保全を考えて、正義を貫くことに挫折する官僚を描く。

 この官僚が葛藤する描き方は、もう定理にのったやり方、つまり、家庭を守るか、組織での将来を考えるか、いや、公務員だろうとその狭間で揺れ動く心では、退屈過ぎる。

 エリカ役のシム・ウンギョンは、映画の初めでは、普通に見られる女性新聞記者だったが、事件を追及していくうちに、一つの信念を持った、たくましい新聞記者になっていく変化が良く演じられている。
男は家庭に縛られ、権力の圧力に抵抗できない。
閉塞した日本の社会を明るくするのは、女性の力だ。

 内閣情報調査室での映像を統一して青暗くしたのは、巧い編集だ。
その存在がはっきりしない内閣情報調査室では、こんな、暗い感じでパソコンのモニターだけを見て、隣の席の人とも会話が無く、熱心に書き込まれたSNSやツイッターを覗き、対応策を練っている公務員がどこかにいると思わせてくれる。
内閣情報調査室では、上司役の田中哲也もいい味を出している。

 だけど、扱っている題材が、未だにはっきりしないままの「加計学園」問題では、その結末は映画でも同じとなり、観終わってもスッキリすることができず、また、今日の新聞記者には、事件の取材活動においても、特に期待することのない現状では、出来としては、眠くはならない程度の普通だった。

◎この評論を書いているジャストのタイミングで、2020年3月18日発売(3月26日号)の週刊文春では、この「加計学園」問題と並んで、安倍総理大臣への忖度から国有地の廉価売却で公文書の改ざんが問題となった「森友学園」問題で、2年前に自殺した近畿財務局の赤木俊夫氏の妻が夫の手記を発表し、上司の「すべて佐川局長の指示」だとしている。
 この「森友学園」の事件も、「加計学園」問題と同じように、その実態が明確でなく、曖昧なままだ。
以前の新聞記者なら、曖昧なまま終わらせることが無かったと思われる2つの事件を、またまた週刊誌が追及することに、現在の新聞記者の覇気のなさを、強く感じる。

 気骨のあるアメリカのジャーナリストを描いた; 「ペンタゴン・ペーパーズ」 (2018年) 、 「スポット・ライト」 (2016年) 

 ジョジョ・ラビット

あらすじ:時は、ヒトラーの元、第二次世界大戦下のドイツのある街。10歳になったばかりのジョジョ(ローマン・グリフィン・デイビス)には、優しい母親:ロージー(スカーレット・ヨハンソン)がいたが、父親は、2年前に戦場から行方不明になっていた。ナチスの教育に洗脳されたジョジョの夢は、ヒトラー・ユーゲント(青年隊)に入って、ヒトラーの為に戦うことだったが、母親のロージーは、そんな息子を心配していた。ヒトラー・ユーゲントの訓練に参加して、ウサギの首を折れと命令されても、殺すことができなかったジョジョは、「弱虫、ジョジョ」と友達からからかわれあだ名は「ジョジョ・ラビット」だった。そんなジョジョには、空想上の友達のヒトラー(タイカ・ワイティティ)がいつもそばにいて、このヒトラーに励まされていた。ある日、母親が留守なのに、二階で物音がし、行ってみると、隠し部屋に少女:エルザ( トーマシン・マッケンジー)を見つけた。エルザはユダヤ人で、亡くなった姉に似ており、母親が密かに匿っていたのだ。エルザの存在を通報したらジョジョや母親も協力者として殺されるというエルザに、匿う交換条件としてユダヤ人の秘密を教えてもらうことにしたジョジョだったが、だんだんとユダヤ人もドイツ人とまったく変わらず、劣っていない人種だと分かって来た。しかし、ユダヤ人狩りが厳しくなり、ついに、ジョジョの家にも。。。


笑いのなかに、見事に、ナチズムを批判出来ている!

 監督と脚本、製作、そして、空想上のヒトラー役までを、タイカ・ワイティティがこなしている。
2020年のアカデミー脚色賞を受賞した作品だ。

 公開が、2020年の1月17日からだけど、3月の中旬という長期にわたり上映を、この「新型コロナウイルス」の感染が心配される時期とこの密室の映画館で、続けている作品なので、それなら、何かあるのではないかということで、観に行く。
未だに、下の「ジュディ」と違って、新型コロナウイルスの感染を恐れない(?)程映画が好きな人がかなり入っていた。

 この「ジョジョ・ラビット」の予告編では、子供がヒトラーと話している場面から、これでは、ただ子供を使ってヒトラーを揶揄するだけのコメディかと思っていた。
 そう、確かに笑いの場面も多くあるが、しっかりとナチズムに対する皮肉や大げさでない家族愛も込められた良い出来だ。

 この高評価は、主演のジョジョを演じたローマン・グリフィン・デイヴィス君が憎めない可愛らしさを持っているという配役の良さにもよるが、それ以上に全体の作り方がいい。

 冒頭にビートルズが歌う「抱きしめたい」のドイツ語版を入れてくるとは、もうこれだけで、セリフは英語でも、場所はドイツだとわかる巧さ。
ウサギを殺せないほどの優しさをもった子供が、ナチスの「洗脳」教育によって、ユダヤ人であるというだけで、残酷に虐殺できる恐ろしさ。

 幼い子供であれば、ナチスの行動が間違っているなんて思うことはできず、ただ、軍服の持つかっこよさと教育によりヒトラーを崇拝することになっているが、これの裏側にある「大人の私たち」も、ヒトラーの行為を止められなかったという歴史上の事実、ヒトラーの巧みな演説に脳が魅かれていった事実を忘れてはいけない。

 母親を演じたスカーレット・ヨハンソンの役どころも、表立った反ナチでない設定も好感が持てる。
成長していく男の子の気持ちを察し、まだ、子供であることも理解している役どころを、しっかりと演じている。
脚本の上手さは、川べりでスカーレット・ヨハンソンが履いていた靴を、靴紐も交えて強調しておいて、彼女が縛り首で殺されているシーンでは、顔を映さずその「靴」だけで、ジョジョと観客に、悲惨さを心の底まで訴えるとは、本当に巧みな演出だった。

 この監督:タイカ・ワイティティの上手さは、子供に煙草をたびたび勧めたり、紙のような軍服を着せたり、「ハイル! ヒトラー!」を無駄に連呼させるなどの笑いの他に、ハラハラさせるシーンも取り込んでいることだ。

 ドイツ軍の教官を演じるサム・ロックウェルが、エルザの身元を庇うシーンでの「間」のとりかたは、秀逸。

 また、「アンネの日記」そのままに、隠れているエルザが、最後には死んでしまうのではないかという不安への持って行き方は、憎いやり方だ。

 「生きていれば、必ず光は見える」。しかし、何の罪もなく殺された人種、多くの無辜の人たちの魂は、どこへ行けばいいんだろうか。

 新型コロナウイルスの感染を恐れない映画ファンとしては、良い映画を観た充実感で一杯だった。

 スカーレット・ヨハンソンが出ていた; 「ルーシー」 (2014年)
 あちらこちらに出ている、サム・ロックウェルの; 「スリー・ビルボード」 (2018年)
 太ったレベル・ウィルソンが出ているという; 「Cats」 (2020年)

 ジュディ ~虹の彼方に~

あらすじ:子役時代から映画界で活躍し、1939年の「オズの魔法使い」で、ハリウッドだけでなく歌手としてもトップに立っていたジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)だったが、薬物依存とアルコール中毒のせいで、舞台を無断で休んだりしたために、収入も少なくなり、1960年代には、ホテル代も払えず、三番目の夫:シド(ルーファス・シーウェル)と子供たちの親権で争っていた。そんな時、ミッキー・ディーンズ(フィン・ウィットロック)と知り合い、まだ、ジュディの人気が残っているロンドンで5週間連続の公演をすることになったのは、1968年のことだった。ライブ初日のジュディは相変わらず、気分がすぐれなかったが、一度舞台に立つと、今まで培ったショー・ビジネスの世界の感を取り戻し、万雷の拍手を浴びた。このまま、ロンドン公演は、無事終わるかと思ったが。。。


女:レネー・ゼルウィガーの演技は、圧巻ね! だけど、映画としては、退屈ね!

男:主演のレネー・ゼルウィガーは、この「ジュディ」で2020年のアカデミー賞の主演女優賞をとったんだよ。
  監督は、ルパート・グールドとあるね。
女:アカデミー賞を獲ったという評判のわりには、映画館にお客さんは、まったく入っていなかったわ。
男:最近流行りの「新型コロナウイルス」の感染を恐れてだろうね。
  映画館という環境は、密閉されていて、換気の悪さでは、一番、新型コロナウイルスの感染が心配される場所だ。
女:でも、映画館なら、特に話を交わす訳でもないし、新型コロナウイルス対策として、席を1つおきに離して観るという話もあったようだけど、そんな混雑の心配は、まったく不要の人数だったわ。
男:それで、話を映画に戻すと、「オズの魔法使い」で有名になったジュディ・ガーランドが少女時代に受けた「太ることの禁止」と覚せい剤の使用、またアルコール依存症が、彼女の生活を47歳という若さで終わらせたということになるかな。
女:ジュディを演じたレネー・ゼルウィガーは、若い頃は私も観た「ブリジット・ジョーンズの日記」に出ていたのよね。
男:「ブリジット・ジョーンズの日記」は、面白かった。
  そのレネーもちょっと観ないうちに、もう50歳になっていて、顔つきも、体型も「ブリジット・ジョーンズの日記」を演じたとは思えないほどの変わりようだ。
女:レネーにジュディがのりうつったという人もいるような、凄い演技力よ。
  薬物の影響と睡眠不足からの痩せ方をだすための努力は、ここまでするのって程の迫真の持っていき方ね。

男:それに、映画の中でジュディが歌っている曲は全部レネーが自声で歌っているとは、これも巧くて驚きだ。
女:もともと、レネーは、リチャード・ギアやキャサリン・ゼタ=ジョーンズも出ていた、ミュージカル映画の「シカゴ」でも歌っていたのを、思い出したわ。
男:その頃の彼女のカタカナ表記での名前は「レネー」でなくて、「レニー」だったね。
女:私は、ジュディ・ガーランドの歌声は、彼女が出ている「オズの魔法使い」での主題曲の「虹の彼方に」を歌っている子供時代の声しか聞いたことがないけど、「ジュディ」でのレニーのジャズの歌い方は、もうレニーも歌手としてライヴ公演ができる程のうまさよ。
男:そんなにレネー・ゼルウィガーの熱演は、すごいけど・・・だね。
女:話の展開が、よくある歌手の過去と落ちぶれて行く自伝を描いた映画で、良い印象を得るために使われる多くのパターンが他の映画の横取りなのよね。
男:子供思いの母親の話もその一つだね。
女:一流の売れ続ける歌手としてやって行く為には、家庭はある程度犠牲になるという、世間一般の、当然の理論が、いつもアメリカ映画では「家族愛」を、どこかに入れなければいけないようで、それが話の味付けを曖昧にしていて、映画としての総合の完成度を下げる結果になるのね。
男:この映画のように遠く離れた子供たちと電話で何とか接触を保とうとする良き母親像を描く前に、すぐに新しい男とくっつく女性としての倫理観の薄さが観客に違和感を与えて、映画の評価を全体として落としているんだ。
女:アメリカ社会が重要視する「愛情が中心」といってしまえば、それで終わるかも知れないけど、少しは、離婚・再婚で父親が替わる子供の気持ちも考えることも必要よ。
男:それに、ジュディの熱心な男性ファンとして二人のゲイが出てくる設定も、唐突感が強くて、適当だった。
女:大体、ジュデイ程の有名な歌手が初めて会ったファンの家にまで簡単について行くってことからしておかしいし、その家で卵料理が上手く出来ないとは、もう無駄な話というか、これは、最後と絡めるためだけの強引な創造なのよね。
  ゲイとすることで、観客に特に記憶に残させたいようだけど、これは、もう単に熱心なファンでいいんじゃないの。
男:その最後のステージでジュディが「虹の彼方に」を歌いきれなくなった時に、この二人のゲイが助けて歌いだすというこれまたよくある展開は、もう「サウンド・オブ・ミュージック」を出すまでもなく、ウンザリするほど他の映画でもよく使われる、想定できる「盛り上げ」の演出だったな。
女:ここは、少女時代の過去をたびたび挿入するより、母親:ジュディ像は捨てて、思い切り、歌手:ジュディを中心に取り上げて、イギリスなら「ビートルズ」か「ローリング・ストーンズ」との共演の仮定話をもってくると、俄然、面白くなったわ。
男:それなら、かなり受けそうだね。
  でも、薬物を乱用すると若くして死ぬことになるんだ。
  怖いね。
女:その点、あなたは変なサプリメントにも依存していないから、長生きできそうね。
男:いいや、私が長生きできるのは、みんなきみに依存しているからだよ。
女:あれっ、今日のあなたは、どこか体がおかしんじゃないの?
  映画館で、「新型コロナウイルス」に感染して、熱でもあるんじゃない?

男:たまに、わたしも真面目な時もあるんだけど・・・
女:・・・

 レネー・ゼルウィガーの舞台での歌い方を見ていたら、大竹しのぶ が歌う「エディット・ピアフ」が、いつの間にか、重なった。
 「キャバレー」に出ていた、ライザ・ミネリが、ジュディ・ガーランドの娘とは、知らなかった。

レネー・ゼルウィガーが出ていた; 「シカゴ」 (2003年)
音楽映画なら; 「ボヘミアン・ラプソディー」 (2018年)


 スキャンダル

あらすじ:時は、2016年のアメリカ。高い視聴率をとっているフォックス・ニュース社の2階。社で絶対的な力を持っている最高経営責任者:ロジャー・エイルズ(ジョン・リスゴー)は、いつも放送される画面をみて、厳しい「ダメ」を現場に出していた。そのロジャーが女性キャスターに望むのは、視覚効果を考えた体の線がはっきり出る衣裳とミニスカートからのぞく脚だった。最近、ロジャーの言うことをきかなくなったベテラン・キャスターのグレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)には、「醜い」と暴言をはき、キャスターになりたい若いケイラ・ポスピシル(マーゴット・ロビー)には、キャスターになりたいなら忠誠心を見せろと迫る。以前から続いている、ロジャーのこのようなセクシャル・ハラスメントに我慢できなくなっていたグレッチェンは、ロジャーの暴言を録音するなど証拠をもって、ついに会社を辞め、ロジャーをセク・ハラで告訴した。グレッチェンが告訴すれば、ロジャーから性的被害を受けている他の女性達も、グレッチェンに同調して立ち上がると期待したが、ロジャーがテレビ業界に持つ絶対的な権力と彼の力で有名になったという思いから、なかなか次の告訴は出なかった。そんな中、局でも中心的な存在でロジャーのセクハラを受けていたメーガン・ケリー(シャーリーズ・セロン)が、ついに声をあげた。しかし、ロジャーも、対抗する。。。


男の女性に対する行為の多くがセクハラと言われたら、どうしたらいいのだろうか?

 映画の内容はフォックス・ニュース社で実際にあったセクハラ騒動の話で、当時は、芸能欄でも大きく取り上げられた。
登場人物のCEOのロジャー・エイルズや、ニコール・キッドマンが演じるグレッチェン・カールソン。そして、シャーリーズ・セロンが演じているメーガン・ケリーも実名だ。
若手のキャスターを目指すマーゴット・ロビーだけは、創作らしい。

 このセクハラ事件を後々まで残したいと考えた、チャールズ・ランドルフが脚本を書き、「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」のジェイ・ローチが監督し、出演しているシャーリーズ・セロンも製作に名を連ねている。
今年(2020年)のアカデミー賞では、シャーリーズ・セロンをメーガン・ケリーのそっくりさんに似せたカズ・ヒロが、メイク・ヘアスタイリング賞を受賞したことでも有名になった。

日本でのタイトルは、「スキャンダル」で一見原題と同じかと思ったら、本題は「Bombshell」で、これは、裏の意味もあり日本語に訳すのは、面倒なようだ。

 映画の出だしの部分は、フォックス・ニュース社のアメリカでの政治的な立ち位置で、トランブ支持とか、支持しないとか、政治的な発言をするキャスターの存在など、日本のマスコミ社会と大きく異なっていて、分かり難い。
しかし、中盤のロジャーのセクハラが問題となってからは、話が面白くなる。

 ロジャーにしても、女性に性的な行為を強制することには注意をしていたようで、直接的な言葉を使わず「忠誠心」を見せろ、とか、口での行為までに止めていたというのは、男の本音としては、勉強になる?

 だけど、会社の経営者の立場なら、テレビに出る以上、女性に「化粧をしろ」とか「スカートを履け」とか、は、つい言いたくなる。

 確かに、倫理的には、スカートをめくりあげさせたり、あれを口にほうばらさせる行為は、もうある程度付合い関係が進んだ状況でないと許されないとは、私も感じるが。

 しかし、それをすることによって、相手の女性も得るものがある訳で、仕事上での「Give & Take」の関係と割り切った気持ちもある。

 男の女に対する性的な行為の全てが、地位や権力を後ろ盾にした「性的暴力」と捉えられては、男の感情が行き先を失う。
常に抑えた感情でこの世を生きていくなら、オスの力はいつ発揮できるのか。
そんな、世界なら、実につまらない。

 女性の立場から、女性が望まない全てが「ハラスメント」というなら、男の存在は寂しいばかりだ。

 このフォックス・ニュース社のセクハラ事件を契機に、続いてハリウッドでも、「シカゴ」や「アーティスト」などの大物プロデューサーのハーべイ・ワインスタインのセクハラが暴露され「#MeToo」運動が起きている。

 ロジャーがフォックス・ニュース社を解雇されても、また、ロジャーと同じ物を感じさせる、白人の大金持ち;マードックが代りに会社の責任者になるのでは、流石に若いマーゴットが、耐えきれず会社を辞めるのは、正解だろう。

 ニコール・キッドマン、シャーリーズ・セロンそして、マーゴット・ロビーと良い女優を配したが、憎まれ役のロジャーを演じたジョン・リスゴーの演技も評価する。
まあまあ、面白い出来だった。

 ジェイ・ローチ監督の; 「トランボ ~ハリウッドに最も嫌われた男」 (2016年)
 ニコール・キッドマンの; 「ビガイルド ~欲望のめざめ~」 (2018年)
 マーゴット・ロビーの; 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」 (2019年)

 メーキャップをしたカズ・ヒロの; 「ウィンストン・チャーチル」 (2018年)

 

 1917 命をかけた伝令  

あらすじ:時は、第一次世界大戦の最中。場所は、ドイツ軍が攻め込んでいるフランス領土内。イギリス軍も反ドイツ軍として加わっていたある前線。攻勢にでたイギリス軍に対してドイツ軍は撤退をしたが、それはドイツ軍が仕掛けた巧妙な罠と知ったエリンモア将軍(コリン・ファース)は、通信網がないため、ブレイク上等兵(ディーン=チャールズ・チャップマン)とスコフィール上等兵(ジョージ・マッケイ)を伝令として、大至急、攻撃をしようとしているマッケンジー大佐(ベネディクト・カンバーバッチ)宛に攻撃中止の命令を持たせる。しかし、マッケンジー大佐までの道のりには、まだ、ドイツ兵も多く潜んでいる。果たして、二人は、マッケンジー大佐のもとにたどりつけるのか。。。


女:訴えるものが、全然ない、できね!

男:監督は、「007 スペクター」や「007 スカイフォール」などの、サム・メンデスで、彼が脚本も書いている。
女:2020年のアカデミー賞でも、かなりの部門にノミネートされた作品ね。
男:そして、チラシでの売りは「驚愕の全編ワンカット映像」だね。
女:ワンカット撮影っていうのは、1台のカメラで、1回限りのシーンを撮るってことで、日本映画では「カメラを止めるな」のような、長回しのことね。
男:ワンカットにすることで、緊迫感は確かに出るけど、撮影する方は、綿密なリハーサルが必要で、また、カメラ・ワークとしても持ち運びなどに、随分と苦労したようだ。
女:そこで、撮影の日時や、天候の影響もあって、さすがに全編ワンカットとはいかず、うまく編集で繋いでいる部分もあるみたいね。
男:でも、チラシにあるように、常に主人公の側にいるという臨場感は、もたらされている。
女:主人公の前や後から撮ったり、また、360度回転したり、上から撮ったりと、この撮影技術は、褒められるわね。
男:撮影時には、主人公の周りには、音声担当や照明係など、俳優以外のスタッフがかなりいる訳だけど、本当に何度もリハーサルをしないと、これら余分な人が映り込むから、その苦労は、評価できる。
女:でも、話は、戦争で伝令を描くので、その周辺を取材したら、塹壕での仕掛け、戦場での赤ん坊、ドイツ軍の狙撃手、前線での歌声などが出てきたので、取りあえずくっつけて、2時間映画にしてみましたという雑なまとめかたなのよね。
男:そんな挿入されているエピソードが映画の流れから、はみ出していることが、この映画の出来の悪さだ。
女:敵が去った塹壕に爆弾が仕掛けられていて、二人いた伝令のうち一人は、ここで、死んだかと思ったら、それはまだ、前半なので、軽かったことにして生かしておいて、次の親切心で助けたドイツの飛行士にブレイク上等兵が殺されるというのは、いつまでも伝令が二人いては、最後での感動が半分に薄れるので、上映時間的にも、ここらで伝令は一人にしましょうという安易な魂胆が透けて見えてたわ。
男:それにも増してのひどさは、フランス娘との出会いと、ミルクを欲しがる赤ん坊の登場だね。
女:このとってつけた話は、何なのかしら。
  前に牛乳を水筒に入れたくだりを、赤ん坊で回収した積りでしょうが、部屋の近辺にはまだ、ドイツ兵が多数いるのに、おかしいわよ。

男:最悪な違和感は、川に流されて、どうにか仲間の隊と合流するシーンだね。
  静かに歌を聴いている隊に、誰の咎めもなく、堂々と入っていけるとは、いくら第一次世界大戦だといっても、この長閑さは無理があった。
女:亡くなったブレイク上等兵の兄に、弟の形見の指輪などを渡すのも、よくある終わり方で、映画として、本当に「戦争はむごいものです、二度と起こしてはいけません」というまでの強い感想がないわ。
男:予告編では、ここまで出来が悪いとは、分からなかったね。
女:でも、それでいいのよ。
  予告編で、作品の悪い点まで触れたら、誰も観ないでしょう。
  ワンカットの緊迫感だけでも、味わえれば、そんな、映画もあったという、精神の肥やしになるのよ。

男:えっ、今日のきみは、物分かりが良すぎるけど・・・
  そうか、きみも、だいぶ歳をとったということか
女:何か言ったっ
男:いいえ、「歳」なんて言っていません・・・

 ワンカット映画なら; 「カメラを止めるな!」 (2018年)
 サム・メンデス監督の; 「007 スペクター」 (2015年)

 

 CATS キャッツ   

あらすじ:ロンドンのゴミ置き場に捨てられた臆病な雌猫のヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)は、人間から自立した猫の集団であるジェリクル・キャッツの一員のマンカストラップ(ロビー・フェアチャイルド)と親しくなり、今夜、長老猫のオールドヂュトロノミー(ジュディ・デンチ)が開く「ジェリクル舞踏会」へよばれる。「ジェリクル舞踏会」で踊りや歌が上手いと、オールドヂュトロノミーから表彰を受け、その猫は、特別に「天界」へ行くことができるのだった。「ジェリクル舞踏会」には、グルメで金持ちの猫、気弱な魔法使い猫、昔の栄光を引きずる老猫など多くの猫が集まっていた。また、悪猫のマキャヴィティ(イドリス・エルバ)も、なんとか「天界」へ行くことができないかと悪だくみをしていた。そんな「ジェリクル舞踏会」を影から見ている孤独な猫:グリザベラ(ジェニファー・ハドソン)に気付いたヴィクトリアが。。。


正しく、期待外れで気持ちの悪い猫のミュージカルだ!

 日本でも劇団「四季」が何年にもわたり公演しているので、ミュージカル・ファンなら、たいていその名は知っている「CATS」が、映画化されたとのことで、早速、映画館に足を運ぶ。
しかも、折角のミュージカル映画なら音響設備のいい「ドルビー・アトモス」を備えた日本橋の映画館で、通常料金に プラス 200円も払って観た。
「レ・ミゼラブル」や「ミス・サイゴン」など、私も多くのミュージカルは、観ているが、この「CATS」については、そのタイトルと主題歌の「メモリー」は知っているが、「猫」が出るんだな、という程度の知識であり、勿論、話の展開は、全然知らない。

 映画化に当たり、監督は、トム・フーバーで、彼は、「レ・ミゼラブル」の映画版も作っている。
音楽は、アンドリュー・ロイド=ウェーバーとある。

 それにしても、酷い出来だ。

 一体、映画として何を言いたいのか、全然分からない。
手品師を出してきたのは、子供向けのファンタジーを狙っているのかと思ったが、ゴキブリを食べたりしては、子供も気持ちが悪くなるだろうし、大人も感心しない。

 歌詞にしても、何か裏に掛言葉でも隠されているのかと、注意して英語の方も聞いていたが、新しく作ったという「Beatiful Ghost」もそこまで、ハイ・レベルな内容ではない。

 登場する猫達が、そのまま人間社会を写す鏡となっているようだが、悪猫、金持ち猫、手品師猫、孤独な猫が、こんな、何の捻りもない描き方では、まったく、面白くもない。

 踊りはと言えば、クラッシック・バレー・ダンサーのフランチェスカ・ヘイワードがクルクルと回ったり、もう今どき、誰も評価しない古典的な動きのタップ・ダンスが出てきたりと、振り付けも特に目新しくもなく、平凡で、また、カメラ・ワークがこれまた、撮り方が下手で、踊りの熱意が全然盛り上がってこない。

 また、猫の格好は、VFX技術を使って、髭を描き、毛を全身にまとわせ、尻尾をちょろちょろさせているが、これも、また可愛くない出来栄えばかりである。
可愛くないというより、本来、文句なく可愛くあるべきの、主人公のフランチェスカ・ヘイワード猫も、時々、気持ちが悪くなるという程の技術の悪さは、もう映画作りの基本がどこかに飛んで行ったようだ。
今の技術なら、猫毛のフワフワ感がもっと出るはずだ。

 テーマに選んだ猫が「天界」に行くのが、最高の願いとなる背景もどうして、そうなるのって感が強い。

 有名な「CATS」という名に魅かれて観たが、まったく、何度も眠りに誘われるつまらない映画であった。

 ジュディ・デンチが出ていた; 「マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章」 (2016年)、 「007 スペクター」 (2015年) 
 ジェニファー・ハドソンなら; 「ドリームガールズ」 (2006年)
 トム・フーバー監督の; 「レ・ミゼラブル」 (2012年)

 フォード VS フェラーリ   

あらすじ:時は、1960年代の初頭、業績が思わしくないアメリカの巨大な自動車会社:フォードの2代目社長:ヘンリー・フォード二世(トレーシー・レッツ)は、業績回復の鍵はカー・レースに勝つこととの提案を受け、ル・マンの24時間耐久レースでトップに立つフェラーリ社を買収しようとしたが、失敗する。そこで、1964年のル・マンでの勝利を目指し、元レーサーでル・マンに勝ったことがあるカー・デザイナーのキャロル・シェルビー (マット・デイモン)にマシンの開発を頼んだ。確かに、フォードのレーシング・カー:GT40は良くなったが、レーサーの技量が足りなかった。そんな時、シェルビー は、巧みなレーシング・テクニックを持ったケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)を知り、彼にル・マンを走らせようとするが、フォード社の重役は、もう若くも無く我儘なマイルズを気に入らず、ル・マンではマイルズを外した。その結果、フェラーリが勝ちフォード車は全車リタイヤーの憂き目をみた。これを反省したフォード社は、1966年のル・マンには、マイルズを起用し、再び過酷な24時間のレースが、爆音も高く始まった。。。


レースのシーンは、見ごたえがあるが、人間関係の描写が実に退屈!

 予告編を観ても、特に観たいと思わせるような内容ではなかったが、カー・レースの抜きつ抜かれつは、私も好きなので、どうなっているかと思い、映画館に足を運ぶ。

 私の記憶では、1960年代や1970年代のスポーツ・カーとしては、フェラーリやポルシェなどが強かったと思っていたが、フォードも勝ったことがあったんだという認識が新しく加わった。
確かに、この映画で出てくる「フォード・マスタング(ムスタング)」のスタイルは、随分と魅力的なデザインだったことを思い出した。

道路を走る車で、最高速度300Km/時の世界を私は体感したことがないが、私でも、スピードは、まっすぐな道なら出せるが、次に来る曲り角でスピードを余り落とさず、どうテクニックを使って曲がり切るかが、運転において大変に難しいことは分かる。

 そのためにレーシング・ドライバーに求められる資質があることも分かるので、この映画のように、テクニックはあっても協調性がなく扱いにくいドライバーとしてマイルズの存在も、かなり強調された描き方だけど、あるとは思う。

 だけど、この映画「フォード VS フェラーリ」では、無駄に自動車だけでない事柄を取り込んだために、話が退屈だ。
 例えば、フォード社内の重役がやたらシェルビーに介入するが、社長が排除しましたとか、一度は「ル・マン」から外されても、どうにか、戻ることができて栄光を掴みましただ。

 こんな決済までに数人のサインが必要な大企業の内部とか、一度は挫折しても見事に復活しましたは、もう他の映画やテレビで見飽きている描きかたで、今更、とり上げる必要がない。

 それに増して、マイルズの家庭のあり方が、これまた、典型的に健気な息子と、喧嘩はするけど思いやりに溢れた妻では、まったく、レースの緊張を大きく損ねる。

 どうして、アメリカ映画では、多くの映画で、何度もみたことのある、このような家庭環境を、同じパターンで挿入し、描くのか、映画製作社(者)の態度を疑う。これは、キリスト教徒が抱えている信念によるものなら、もう、不要な発想だ。

 また、映画では、マット・デイモンが演じるのが単なるカー・デザイナー的で、彼の下にエンジン開発チームがいるはずだけど、マット・デイモンでは、エンジン開発の苦労が分からないのが、この映画を更に、面白くなくしている。

 増してマット・デイモンが、レース中に、隣のフェラーリのピットからストップ・ウオッチを盗んだり、ナットを落とすなんて、フェア・プレイの精神からも全くいらないシーンだった。

 つまらない人間関係を多く入れたための脚本ミスがあり、折角のレース・シーンの凄い迫力が画面から消されてしまった。

 でも、この頃のピット・インでの給油の仕方、タイヤの交換などを見ていると、現在のピット・インのスピードが歴史的に向上したのが、よく分かった。

マット・デイモンが出ていた;「オデッセイ」 (2016年)、 「ミケランジェロ・プロジェクト 」 (2015年) 、 「プロミスド・ランド」 (2014年) 、 「インビクタス/負けざる者たち」 (2010年) 、 「ヒア アフター」 (2011年)
クリスチャン・ベイルが出ていた; 「アメリカン・ハッスル」 (2014年) 、

 パラサイト ~半地下の家族~  (韓国映画)

あらすじ:繁華街の場末にある衛生状態も悪い半地下の部屋に住んでいる4人家族のキム一家は、父親のキム・ギテク(ソン・ガンホ)が失業し、ピザの箱を仕上げる内職で、細々と生きていた。そんな時、何度も大学受験に失敗している息子のギゥ(チェ・ウシク)に、大手IT企業の社長の娘の家庭教師をしている大学生の友人が、彼は留学することになったので、彼の代わりに社長の娘の英語の家庭教師をしないかとおいしい話を持ってきた。大学には合格できないギゥだったが、そこそこの英語の知識と受験テクニックはもっていたので、すぐに、疑うことを知らない若くて美人の社長夫人(チェ・ヨジョン)と、恋に憧れている娘の心をとらえて豪邸に出入りするようになった。そのうち社長夫人から、絵が好きな息子が、精神的な面で問題があるとの相談を受けたギゥは、美術大学を目指している妹のギジョン(パク・ソダム)を、アメリカ帰りの美術と心理学の先生に仕立てて、妹も、豪華な社長邸に出入りするようになった。社長一家が、金になると分かったキムの家族は、お抱え運転手を父のギテクへ代えさせ、社長一家がこの家に引っ越してくる前から住み込んでいる家政婦(イ・ジュンウン)さえも、母親(チャン・ヘジン)に代えさせて、完全に社長家の「寄生虫」となることに成功した。そして、社長一家が、郊外のピクニック場に泊りがけでいなくなった隙に、キム家の一同が社長邸で酒盛りをしていると、前の家政婦が、悲壮な顔で、訪ねてきた。そして。。。


女:韓国らしい生活と、奇想天外な展開をうまくとり入れたわね!

女:映画の話に入る前に、あなたの「映画・演劇 評論」のホーム・ページでは、年初の映画の評論は、どうして、いつも更新が遅いのかと、言われたわよ。
男:そうか。
  更新が遅くなるのは、私の 「マンション管理士 香川事務所」 に絡んでいるからだよ。
 それは、例年、年末に、国家資格の「マンション管理士」と「管理業務主任者」の2つの試験が行われていて、その試験問題文、共に50問で、2つ合わせて100問あるんだけど、それをホーム・ページに載せ、さらに試験問題の全部の解説 を行っているからなんだ。
女:本当に、去年の12月からのあなたは、年末年始の休みもなく、問題文をテキストに変換したり、図書館へいって、出題関係の法律の本を読んで、解説の根拠となる条文を探したりして、まったく大忙しね。
男:マンション管理士と管理業務主任者の試験問題の解説は、この2つの制度が開始された平成13年からズーットしている。
女:物凄い知識量と時間をかけてしているマンション管理士と管理業務主任者の試験問題の解説を、どうして、「無料のネットで公開する」のか、わたしには、分からないわ。
男:確かに区分所有法の解説や過去問題の解説の知識は本にすればお金にはなると、その筋から連絡も来るけど、今では多くの人がマンション生活をしていてマンションの管理は、一部の人だけの関心ごとではない状態になっているんだ。
 そこで、ネットで、 「区分所有法などの解説」  と一緒に、多くの人が利用できるように、無料で、お使いください、という形にしたんだ。

女:まあ、それは、置いといて、話を映画に戻しましょうか。
男:監督は、私は観ていないが「グエムル -漢江の怪物-」や、「母なる証明」の、ポン・ジュノだね。
女:出だしの描写は、大学進学が難しくて、また就職難の韓国らしい映画ね。
男:段々と分かってくるけど、「地上」は富裕階級で、「地下」は貧困階層を象徴しているようだ。
女:タイトルの「パラサイト」は、「寄生」とかで、この映画の場合「寄宿」となるのね。
男:地上の高台にある豪邸に寄生する階級は、完全な貧民ではないので、「半地下」生活者ともなるんだね。
女:人を疑わない社長の奥さんに取り入ったり、以前からいる運転手や家政婦を追い出す部分は、随分と喜劇的で、面白いわね。
男:お抱え運転手を追い出すテクニックで、ギゥの妹が、パンティを車の中で脱ぐシーンは、最初は、どうなるのか分からなかったけど、うまくまとめている。
女:そんな喜劇を一転させ、怖い話に持って行って、観客を飽きさせないのは、ポン・ジュノ監督の力量のすごさね。
男:韓国の金持ちの家なら、北朝鮮の核攻撃に備えて、地下に核シェルターを作っているのは、あるんだろうね。
女:そこに、人が隠れて暮らしているというアイディアは、本当に意外性のある展開だわ。
男:前半のコメディ・タッチから、後半の人殺しという深刻な話にうまく持って行っている。
女:何年も地下生活をしているのに、色白でないとか、髭や髪が伸びていないなどは、まあ大目に見れる範囲ね。
男:その他にも、モールス信号を出す電気のスイッチが、どうして、地上の人が気付かない地下にあるのかは、もっと、脚本を煮詰めて欲しいところだね。
女:洪水となるシーンの撮影は、かなり苦労のあとがみられるわ。
男:息子のギゥたちが自分の家に戻るさいの、コンクリートの壁が続く垂直な場所は、印象的だね。
女:半地下の部屋が水没しても、妹のギジョンが落ち着いていて、タバコを吸ったり、排水が逆流しているトイレの蓋にのっているのは、気分転換になったわよ。
男:この映画では、「臭い」がキーになっているけどね。
女:社長の家族にはキム一家が持っている「臭い」が分かることね。
男:まあ、現実にキム一家は、そんなに臭っていなくても、貧しい家庭が無意識に放つ「貧困臭」を、上流階級の人は、敏感にかぎ取るということだ。
女:半地下や臭いなど、表面だけの描写の裏にある物も、この映画は見せてくれてるってわけね。
男:そして、登場人物の設定がちゃんとなされている点も、高評価の一因だ。
女:貧しい人たちからの一方的な主張だけでなく、お抱え運転手や家政婦を首にするさいの社長夫人の優しさがあるのも、良いわね。
男:キム一家のような、陽当りの悪い半地下でない南向きの部屋に住んでいる私たちは、本当に、恵まれていることに、感謝すべきだ。
女:それよりも、あなたは、「臭い」に注意すべきよ。
男:加齢臭には気を付けているけどね。
女:それ以外にも、「ケチ臭」が良く出ているわよ。
男:エッ、使うところには、チャント使っているでしょうが。
女:いいえ、まだまだ、本当の使い方を知らないようね。
男:それは、いらないけど・・・

日本の似たような; 「万引き家族」 (2018年)











*総合ページへ*映画・演劇評論へ*楽しいゴルフへ*写真集へ*目指せ!マンション管理士・管理業務主任者へ*「超解説 区分所有法」へ*ヨーロッパ旅行記へ*ヨーロッパ 写真集へ*ヴェトナム、アンコール・ワット旅行記へ*スリランカとインド旅行記へ*ロシア旅行記へ *「讃岐 広島へ帰る」へ 、*金町団地の建替闘争の記録へ ★「マンション管理士 香川事務所」へ


inserted by FC2 system