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2021年の映画・演劇 評論


 キングスマン/ファースト・エージェント

あらすじ: 時は、1914年。第一次世界大戦が始まった。イギリスの貴族のオックスフォード公(レイフ・ファインズ)は、かっては、戦争で手柄を立てて勲章を貰ったこともあるが、妻を戦争で失い、今は、平和主義者になっていた。しかし、若い一人息子のコンラッド(ハリス・ディキンソン)は、強い愛国心に燃え戦死した。喪失感から無気力になったオックスフォードを立ち直らせたのは、コンラッドの家庭教師だったホリー(ジェマ・アータートン)と執事のショーラ(ジャイモン・フンスー)だった。オックスフォードは、拡大する戦争を終わらせるためにアメリカの参戦を画策するが、謎の羊飼い集団が邪魔をする。帝政ロシアでは、怪僧ラスプーチン(リス・エバンス)が暗躍している。オックスフォードと羊飼い集団の壮絶な闘いが続く・・・


大きな戦争の裏側には、こんな話が隠されていたんだ??

 元は2015年に日本公開でヒットしたコリン・ファースが活躍する「キングスマン」があり、続けて2018年には第2作目の「キングスマン/ゴールデン・サークル」が製作され、この「キングスマン/ファースト・エージェント」は、このシリーズの第3作目にあたる。
 私は前の2作とも観ている。

 この映画も下の「007/No Time To Die」のように、コロナ禍で、2019年末に公開が予定されていたが、延びに延びて、2021年12月にやっと公開されたという代物。

 という訳で映画館でのこの映画の予告編は、もう何十回も観ている。

 今回も今までと同じ、脚本・監督はマシュー・ヴォーン。

 設定としては、イギリスはロンドンにある高級服の仕立て店「キングスマン」に本拠をおく、どこの国にも属しない世界的なスパイ組織がどうして出来たかを内容としている。

 しかし、続編としては、かなり趣が、過去の「キングスマン」とは異なった仕上がり方となっている。

 第1作目の「キングスマン」は、おちゃめな感じのアクションで面白かったが、第2作目の「ゴールデン・サークル」は、行きすぎた、悪ふざけの内容で酷い出来だった。

 そんな悪い思いもしていたが、こう度々予告編を流し、上映中止にならなかったのには、どこか、映画館としても捨てられない思惑もあるのだろうと理解して、観に行った。

 で、話が面白い。完成度が高いという感想になる。
息子が父親の思いに背いて戦争に行き、別の人の名を借りたために戦死するくだりは、ふざけもなくこの戦場の話だけでも充分に感動を与える良い出来だ。

 そして、ロシア帝国で暗躍しているラスプーチンとの戦闘シーンで、コザック・ダンスを取り入れたアイディアの良さは、もう素晴らしい。
怪僧ラスプーチンを演じたリス・エバンスも上手い。
音楽もロシアということで、チャイコフスキーの「1812年(序曲)」を採用するなど、監督のマシュー・ヴォーンの真面目な思いについ乗せられる。

 情報の入手網は、世界中に張りめぐらされた使用人連盟って設定も面白いし、アメリカの参戦が遅れたのは、大統領のセックス・スキャンダルが原因だったとは、知らなかった。

 他にも歴史上の人物が多く登場していて、この映画で歴史の隠れた部分が分かるかも(?)。

 勿論、過去の作品と同じようにマシュー・ヴォーンのおちゃめな点も今回は高評価出来る。
ラスプーチンが、レイフ・ファインズの太ももの傷をなめて直すとか、ラスプーチンは、毒を常時食べていて、毒には強いには、心から笑ってしまった。

 飛行機が転落してレイフ・ファインズが崖をよじ登る方法は、山羊に教わるし、そして、「羊飼いの集団」のボスに片方の角を切られたカシミヤ山羊の復讐は、こう持ってきたかと多いに納得した。

 単なる二番煎じの「マトリックス」などと違って、本物の歴史を絡めた新しい形の続編としてこの作品「キングスマン/ファースト・エージェント」は、成功した。

 第1作目の; 「キングスマン」 (2015年) 第2作目は、評論文が無くなっていました。
 レイフ・ファインズなら; 「007/No Time To Die」 (2021年)
 ジェマ・アータートンが出ていた; 「007/慰めの報酬」 (2009年)


 崖の上の要塞なら; スリランカのシギリヤを思い出した。

 マトリックス/レザレクションズ

あらすじ: ゲームの世界で「マトリックス」のヒット作を産み出し有名になったトーマス・アンダーソン(キアヌ・リーブス)だったが、会社からは次のゲームの製作をせかされて、気分が不安定な状態になり精神科医(ニール・パトリック・ハリス)に通っていた。そんなある日、コーヒー店で子持ちの女性:ティファニー(キャリー=アン・モス)に出会う。トーマスとティファニーは初めての出会いだったが、どこか懐かしい気持ちがした。トーマスがいつものように会社で仕事をしていると犯行予告があり、会社は大混乱になるが、トーマスはスマホに入ったメッセージに従いトイレに逃げ込む。するとそこには、「仮想世界」からのモーフィアス(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)が居て、トーマスは、仮想世界を救う「ネオ」だと告げられる。なにが現実で何が仮想世界か、2つの時空が互いに交錯する中で、敵のエージェント・スミス(ジョナサン・グロフ)との因縁の闘いも始まるが・・・


鮮度もなく、不可解なだけの再映画化だ!!

 映画「マトリックス」といえば、裏返しになった緑色の多数の文字が画面の上から下へと流れ、主演のキアヌ・リーブスが長いコートを着て、超スローモーションでのけぞりながら弾丸を避けるということで、評判になった作品だ。
それは、記録によると、日本では1999年9月に公開され興行的に儲かった。
そこで、続いて2003年には「マトリックス リローデッド」と「マトリックス レボリューションズ」が立て続けに公開された。
この、「マトリックス」シリーズの3作品は、全部今まで観ている。

 監督は、当時はアンディ・ウォシャウスキーとラリー・ウォシャウスキー兄弟だったが、今は二人とも名前を変えて、アンディはリリーと名乗り、ラリーはラナになり、兄弟から姉妹になっている。

 3作目までは、脚本と監督はアンディとラリー、二人の共作だったが、今度の「マトリックス レザレクションズ」は、ラナの単独脚本、単独監督となっている。

 3作目から18年たった4作目のタイトルの「レザレクションズ RESURRECTIONS」とは、「復活、とか、復興」の意味で、キリスト教的には「全人類の復活」の意味もある。
「マトリックス」では、タイトルに「リローデッド RELOADED (再装填する)」とか「レボリューションズ REVOLUTIONS (革命、回転)」など 「RE-」のタイトルで続編を作っているようだ。

 確かに「レザレクションズ」で、過去の「マトリックス」で死んだ筈のトリニティが、見事に生きかえっている。そう歳をとって復活している。それは、主演のキアヌ・リーブスも同じだけど。

 20年も前に当時の映画界にとって革命的だった超スローモーションでの弾避けの映像や、コンピューターが支配するという話がどのように変化、進化したかを懐かしむ気持ちで観た。

 で、感想としては、映像は何も目新しくなく、話も退屈で、途中で眠たくなったということ。

 大体映画のシリーズ物は、第1作目は良くても、続編になればなるほど、出来が悪くなるという世間の常識に従っていて、もう、2003年の3作目でこの「マトリックス」は終わっていた。

 映画の中で、ゲームを作成するスタッフに扮した人たちが言っているように、既に完結した作品を製作会社の儲け主義が優先し、続編を強引に作らされては、いくら才能のある監督のラナ・ウォシャウスキーであっても以前の「マトリックス」を凌駕する作品には出来なかった。

 いや、以前の「マトリックス」よりも出来は悪くなっている。
トリニティの再生や老婆がトップの新しい世界という展開は、以前より分かり難いし、新しいモーフィアス役は、過去の俳優:ローレンス・ジョン・フィッシュバーンほどのインパクトはないし、新エージェント・スミスにいたっては、活躍が少なくて、いい意味での敵役になっていない。

 それに、アクションも他の映画で使われているのと同じ程度のインパクトで、トリニティが運転しているバイクでの走行と戦闘ももう画期的な内容ではない。

 なんで、今、2021年にこの「マトリックス」を再映画化をしたのか、本当に、興行的な思惑だけが感じられる退屈な映画だった。

 相変わらずラナ・ウォシャウスキー監督は、日本ひいきのようで、日本的な建物や、新幹線的な列車もでます。

 旧作の; 「マトリックス リローデッド」 (2003年)、 「マトリックス レボリューションズ」 (2003年)
 キアヌ・リーブスの: 「ジョン・ウイック パラベラム」 (2019年)

 あなたの番です ~劇場版~

あらすじ: とあるマンションに住む手塚菜奈(原田知世)と夫の翔太(田中圭)は、同じマンションに住む人たちを招いてクルーズ船上での結婚パーティを開くが、その船のスクリューにロープで縛られた嫌味な言動をするマンションの管理人(竹中直人)の死体が絡み付き、船は当分動けない状況になった。早速、警察から刑事の水城(皆川猿時)や神谷(浅香航大)が乗り込み犯人探しが始まるが捜査は難航していた。そんな中、怪しい行動をとる二階堂忍(横浜流星)と親しくしていた黒島沙和(西野七瀬)も殺される。これらの殺人事件の裏には・・・


女:観客の出番がまったくない、本当に出来の悪い映画ね!!

男:元は2019年の日本テレビのドラマがあって、それが映画化されたようだが、元のドラマは見ていない。
女:監督は、佐久間紀佳で、出演者の多くは、テレビの設定と同じキャラクターのようね。
男:一体、この作品は、どこに主体を置いて作られたのか実に分からないね。
女:出だしは、竹中直人の無駄に大げさな演技があったのでコメディで笑いをとるのかと思っていたけど、その後は一見難しいような殺人事件を持ってきて、それなら推理でもさせるのかと思ったけどそれも無いのね。
男:この展開では真犯人は誰かと犯人探しをさせるほどに煮詰めた物語には出来ていないから、どんなに頑張っても犯人探しは無理だね。
女:いつの間にか、管理人殺しの犯人捜査から外れて、西野七瀬が演じている黒島沙和とその恋人達のよく分からない話になっているのは、もう前もって充分に検討された脚本らしい脚本が無いってことね。
男:そうなんだよ。
  誰が管理人の竹中直人を殺した犯人かは、最後まで描かれていないし、これが話の中心でなくなっているのは、酷い話の持って行き方だね。
女:偶然にも捜査にきた刑事が元の彼氏でしたは、まあ、映画だから大目に見て許してあげても、呆れたのは、殺した女性を彼一人であんな高い足場の悪いマストにどうやって綺麗に縛り付けられたのかということよ。
男:それだけでなく、この映画では、炎上する人間への火の付け方、サメに首を食われている男、どうしてここにいるのかわからない3外人など、意味不明、説明不足な点が多すぎる。
女:テレビに出ていた俳優達を、映画でも同じように出しましたでは、まったく脳の無い使い方ね。
男:数回に渡って放映され登場人物の説明ができる時間があるテレビと違って、時間が短い映画にする際には、登場人物をもっと整理すべきという基本的な事がことが分かっていない素人集団が作った映画だ。
女:その登場人物の整理がされていないところに、門脇麦のような新しい人物を加えたのが、この映画の出来の悪さに輪をかけたということのようね。
男:そして、もっと悪いことは、新人の西野七瀬や横浜流星に演技の指導ができない佐久間紀佳が監督だったと言うことだ。
女:演技力をいうなら、原田知世にも辛く当たっていいんじゃないの。
男:いいや、もう、原田知世は、出ているだけの特別な存在で、そんなに強くは望んでいないから。
女:あなたにとって原田知世は、いつまでも「時をかける少女」の時代の若くて可愛い残像があるのね。
  でも、あなたと同じように原田知世も歳をとるのよ。

男:それは、分かっているけど・・・

 田中圭の: 「そして、バトンは渡された」 (2021年)

 ディア・エヴァン・ハンセン

あらすじ: 人見知りが激しく付合い下手で、カウンセリングに通い薬も飲んでいる高校生のエヴァン・ハンセン(ベン・プラット)は、幼い頃に両親が離婚して、今は看護師をしている多忙な母親:ハイジ( ジュリアン・ムーア)と二人で質素に暮らしていた。そんな彼だから、学校でも孤独で、好意を持っているゾーイ・マーフィー (ケイトリン・デヴァー)を遠くから見ているとゾーイの兄のコナー(コルトン・ライアン)に絡まれ、骨折治療中のギブスに「コナー」と強引にサインをされ、また治療のために書かされている自分宛ての手紙もコナーにとられてしまった。そのコナーがエヴァンから奪った手紙をポケットにいれたまま自殺した。残されたマーフィーの家族は、遺書のようなエヴァン宛ての手紙の内容とギブスのサインから、息子とエヴァンは親友だったと勘違いをして、エヴァンから息子の思い出話を聞く。コナーとは何の付合いがなかったエヴァンだったが、悲しみに打ちひしがれたコナーの母親:シンシア(エイミー・アダムス)の話に合わせて、様々に嘘の思い出話を作り上げ、家族の信頼を得、ゾーイとの仲もうまく行きだした。学校でも活動家のアラナ・ベック( アマンドラ・ステンバーグ)が主催する「コナーを偲ぶ会」で行ったスピーチがSNSで大評判となるが、嘘はいつまでも続かない・・・


自殺予防の映画を長々とみせられても、飽きるだけだ。映画化では、ボロが出る!!

 元になっているのは、2015年のミュージカル舞台劇があり、これが、トニー賞とか、グラミー賞などを獲ったので映画化したとのこと。

 監督は、スティーブン・チョボスキーで、脚本は、スティーブン・レヴィンソン。音楽は、ダン・ローマーとジャスティン・ポールとある。
 主演のベン・プラットは舞台でもエヴァン・ハンセンを演じたらしい。
 タイトルの「ディア・エヴァン・ハンセン Dear, Evan Hansen」とは、英語の手紙の書き出し文だ。日本文なら「拝啓、エヴァン・ハンセン殿」とか「前略、エヴァン・ハンセン様」にあたる。

 内気な高校生がついた、「思いやりの嘘」で世の中がハッピーになりましたっていう予告編に乗って、つい、観てしまった。

 まず、ミュージカルとはいっても、話の流れとかなり離れた突然な形でエヴァン・ハンセンが歌いだしたのには、ミュージカルに慣れている私でも戸惑った。
この映画では、全体を通じて、歌と話の展開がマッチしていない。

 本来なら注目を浴びることのない内気な青年が、ふとしたはずみで、悪意もなくついた「嘘」。
これが、いま流行りのSNSに投稿され、多いに受け、人気者になる訳だが、その内容を、突き詰めると実に、不自然さが目立つ。
精神的な欠陥をもっている若者の下手な話で方では、いくら程度の低いフォロアーといっても評判にはしないだろうし、そのSNSに投稿されるエヴァンのスピーチのシーンは、肝心のマイクが倒されていて、彼の声が拾えていない筈。

 また、善良なコナーの母親の思い出話に乗って、エヴァンはコナーとの付合い話を次々と広げていくけど、これも、母親が全て話しているというのは都合よく出来過ぎだ。

 そして、活動的な女子:アラナも実は、エヴァンと同じ様に精神的な病を持っていて、それを克服するために、積極的な活動を無理にしていますでは、良くある強引なくっつけ方で、不自然過ぎる。

 さらに、コナーの夢だった果樹園を再開するために、やり手のアラナが立ち上げたクラウド・ファンディングが予定の10万ドルに達する前のネット上の炎上だが、この炎上した原因が、エヴァンがついた嘘がバレたのか、マーフィー家のゴタゴタがバレたのか、話がゴチャ、ゴチャしていて分からない。
また、本来なら、クラウド・ファンディング募集の条件が違っているのなら、募集は中止になるのが正当だろうに。

 瞬間的に出て、また消えるスマホの略された英語の文章は、日本人の私には、すぐには読み取れない。

 エヴァンがついた終局の嘘は、彼は木から落ちたのではなく自殺を図ったということは、途中から分かった。

 舞台という限られた場所の、省略化され、想像力が働く狭い空間での展開なら曲も話も「間(ま)」のとり方や演出で何とかなり、感動を与えたかも知れないが、この映画化では、観終わったら、ゴチャ、ゴチャとしているだけの印象しかなく、「孤独な若者よ、簡単に自殺をするな」という呼びかけで、ミュージカルとしても、特に記憶に残るメロディもなく出来が悪すぎた。

 久し振りに見たエイミー・アダムス、太ったね; 「メッセージ」 (2017年)、 「ビッグ・アイズ」 (2015年)

 今年のミュージカル映画は; 「イン・ザ・ハイツ 」 (2921年) もあります。
 感動の舞台 ミュージカルは; 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 もあります。

 土竜(モグラ)の唄 FINAL

あらすじ: 警察学校を最低の成績で卒業し谷袋警察署管内の交番勤務だった菊川玲二(生田斗真)は、かなりスケベだったが正義感は人一倍強くて、婦警の若木純奈(仲里依紗)との仲もうまくいっていたが、署長の酒見(吹越 満)から、日本一凶暴なヤクザ組織:数寄矢会に潜入捜査官(通称:モグラ)として潜り込みその会長の轟 周宝(岩城滉一)を逮捕するよう極秘命令を受けた。モグラの過酷さを知らなかった玲二だったが、何とか数寄矢会 日浦組の組長:日浦(堤 真一)の信任を得て彼と兄弟の盃を交わし、数寄矢会への潜入に成功した。そして、今では轟会長のボディ・ガードとまでになっていた。数寄矢会を息子の烈雄(レオ、鈴木亮平)に讓る事を考えた周宝は、最後の大取引として、イタリア・マフィアから6000億円もの覚醒剤をスパゲッティに混ぜて密輸する計画を実行する。周宝を逮捕することは、兄弟として信頼してくれている日浦を裏切ることになる。何も知らない恋人の純奈との仲もこじれる・・・


弾けているぜ! 生田斗真!!

 元々は、高橋のぼるのコミック「土竜の唄」があり、これを、2014年に、宮藤官九郎の脚本、監督は、三池崇史で「土竜の唄 潜入捜査官 REIJI」として映画化したら、かなりヒットしたので、柳の下のドジョウを狙い、第2作目を、2016年「土竜の唄 香港狂騒曲」として公開したところ、これが、前作よりもいい収入となったので、「土竜の唄 FINAL」を第3作目として、製作したということだ。

 あまり暴力シーンが横行する映画は好きではないが、映画公開に先駆けて、TVで第2作目の「香港狂騒曲」が放映され、これをダラダラと見たら、スタイルの良い菜々緒が殺し屋に扮して、くだらなく面白そうなので、劇場に足を運ぶ。

 第3作目ということだが、前半に今までのあらすじが紹介されるので、初めて「土竜の唄」を観る人でも、これまでの話は分かる展開だ。

 観ての感想は。
「生田斗真の裸のシーンが多い」だ。

 過去の作品でも生田斗真の裸、特に「股間」に関するシーンが、この映画の「売り」だったが、今回は、冒頭のイタリア・マフィアから張りつけにさせられてカモメに裸をいたぶられる長いシーンから始まり、日本の銭湯でも「ラップ」まで取り入れた「股間」中心のシーンは、ここまでする必要がないと思う程、長い。

 これは、脚本担当の宮藤官九郎の好みか、それとも監督の三池崇史のアイディアかは知らないが、案外私には「バッチ」来た。

 その裸を主演の生田斗真が、当然のことのように受け入れて演じていて彼のこの役に対する熱意が全編に溢れている。
普通の俳優なら、ここまでやるのはかなり躊躇するという状況を超えて、立派に、恥ずかしがらずに、演じ切っているのは称賛に値する。
「土竜の唄」は、彼、生田斗真の代表作と誇れる作品だ。

 尻に矢が刺さっても全然平気な「レオ」や、玲二の服に着いた煤を菜々緒の鞭で払いとるなど、チョコチョコした笑いも、宮藤官九郎らしくて受ける。

 戦闘シーンについて言えば、アメリカ映画などのように拳銃を撃って、バンバンとすぐに終わるのではなく、基本の素手でいつまでも闘うというのは、銃社会でない日本の特殊性として分かる。
また、日本独特のヤクザ社会での親分・子分の関係、兄弟の盃が持つ重要性は、本当の家族関係よりも絆が深いという設定は、昔の東映の映画のままだけど、まあ許せる。

 堤真一の義足が空を飛べたり、彼が豪華客船よりも大きなエイ(マンタ)を呼び出せる能力を持っているというのは、まったく納得しないが、今回の「土竜の唄 FINAL」は、面白く観られた。

 それにしても、レオ役の鈴木亮平は、TVの「TOKYO MER ~走る緊急救命室~」の医者役の印象と多いに違う。
幅の広い印象に残るいい役者だ。

 生田斗真の; 「予告犯」 (2015年)、
 堤真一の; 「望み」 (2020年)、  「俺はまだ本気出してないだけ」 (2013年) 、「クライマーズ・ハイ」 (2008年)

 三池崇史監督の退屈な; 「ラプラスの魔女」 (2018年)
 宮藤官九郎脚本の; 「謝罪の王様」 (2013年)

 アイス・ロード

あらすじ: 冬も終わろうとする頃のカナダのダイヤモンド鉱山でガス爆発事故が起き、26人の鉱夫が閉じ込められた。坑内の酸素は30時間しか持たない。至急、30トン近くあるガス抜き装置を現場に運ばなければならないが、ヘリコプターは使えない。ガス抜き装置が置かれている場所では、予備用の2基のガス抜き装置を含めた計3台の巨大トレーナーが用意されたが、現場までの近道として氷が解け始めて危険な厚さ80cm程になったウィニペグ湖上のアイス・ロードを、走らなければならなかった。早速、経験のある運転手を集めるよう命じられたジム・ゴールデンロッド(ローレンス・フィッシュバーン)は、自分の他にイラク戦争で心理的な障害を抱えているが優秀な整備員の弟:ガーディ(カーチス・トーマス)思いのベテラン・ドライバー:マイク・マッキャン(リーアム・ニーソン)のペアと先住民で兄が鉱山に閉じ込められた妹:タントゥ(アンバー・ミッドサンダー)を、成功報酬として20万ドル(約2千200万円)をだす約束で採用した。3台の18輪を持った巨大トレーナーが1列となって現場へと動き出した。しかし、タントゥの車に同乗してきた保険会社から派遣されたというトム・バルネイ(ベンジャミン・ウォーカー)の動きがどうもおかしい。重い3台のトレーナーが渡るウィニペグ湖の氷も限界が来ている。そして、鉱山でも・・・


こんな、雑な作りでは、ハラハラもドキドキもしない!!

 監督と脚本は、「アルマゲドン」を脚本したジョナサン・ヘンズリーだ。
地球の北の方の寒い地方では、冬場には湖が凍って、その上を車も走っていけることは知っている。
 しかし、氷の上を走ることは、いつ氷が割れるかの危険性を秘めていて、これは、実際問題としても面白い題材だと感じていたので、観た。

 なお、カナダのウィニペグ湖の位置は、以下の場所にある。
  

 70歳近くになったリーアム・ニーソンが、本当に氷の張った湖に入って撮影をしたとか、CGはなるべく使わないカー・アクションにしたとかの宣伝用惹句は目にする。

 限られた時間での救出、危険な道、謎を秘めた登場人物、そして、妨害工策。

 映画や物語でよく使われる展開だ。
あらすじは、よく使われるテクニックであっても、チャンとして理論的に無理がなければ、まあまあ許される場合もあるだろうが、この作品に関しては、その雑さは目に余る。

 だいたい、スタートとして重いトレーラーを3台を同時に、危険な薄い氷の上を走らせるところから、疑問符が着きだす。
バックアップを取るというアイディアは活かしても、緊急事態を考えれば、2台までだろう。
また、2台でも時間を開けて走らせた方が安全ではないか。
どうして3台を繋げて同時に走らせる必要性があるのか。
そして、ドライバー選びも、このご時世、登場人物が男ばかりではダメだと製作会社に言われるので、仕方なく、女性もドライバーに仕立て上げ、それも強引に先住民にして、バランスをとってみました程度の杜撰な設定では、観客は誤魔化されない。

 それにしても、一緒するリーアム・ニーソンの弟役の整備士が余りにも有能すぎる。これも、言語障害があるという、余分な話にしているが、必要か。
氷の上で複雑に横倒しになった重いトレーラー2台をワイヤー・ロープで簡単に元の状態に戻せるとは、凄い技量を持った人たちだ。
そのあと迫る度々の危機も不思議なことにいつの間にか、どこからか準備された器材で乗り切れるとは、呆れるほど凄い。
車の壊れたガソリン・パイプを直すくらいなら、トレーラー自体を交換した方が時間がかからないだろうに。

 雪道でのカー・チェイスで、大型トレーラーを蛇行させるのは、迫力はあるが、この撮影テクニックでは緊迫感が出ない。
また、敵はトレーラーの進行を邪魔するために先回りをしてダイナマイトを使って、雪崩を起こすが、それなら、簡単に通行路を爆破して通れなくする方が賢い考え方だけど。

 弟のガーディが壊れた橋の扉を閉めに行って車と扉に挟まれて死んでしまうのは、いるか?
ここも、このやり方だと、挟まれると先が読める下手な脚本だ。
ここまで敵を巻いたのなら、もう犠牲者をださない話でいい。

 本当に、ダメな映画での、間一髪でもなんとか助かるのは、もう先が見え見えで興奮しない。
 結局、採掘会社の現場の人が、どうしてガス爆発を隠蔽しようとするのか、これもよく分からないまま終わる。

 氷の張った湖だけでの話に展開できなかった才能の無さは、残念だった。

 ローレンス・フィッシュバーンが出ていた; 「ジョン・ウック パラベラム」 (2019年)

 リスペクト

あらすじ: 別居している母親(オードラ・マクドナルド)が預けた父親フランクリン牧師(フォレスト・ウィテカー)の元で育てられて10歳になったアレサ(スカイ・ダコタ・ターナー)は、歌がうまく、父親に言われるまま、家で開かれるパーティでもたびたび歌っていた。成長したアレサ(ジェニファー・ハドソン)は父親の教会で歌うゴスペル・ソングで評判を呼び、父親の勧めでレコード・デビーを果たすが、そのレコード会社はゴスペル路線をとらず、ヒット曲に恵まれなかったアレサは、別のレコード会社へ移籍し、そこで出会った白人バンドと組んで出した「貴方だけを愛して(I Never Loved A Man (The Way I Love You)」が大きくヒットし、続けて出したオーティス・レディングの「リスペクト」のカバー曲も音楽チャートで全米第1位になった。好調の波に乗ったと思われたアレサだったが、夫でマネージャーのテッド(マーロン・ウェイアンズ)は、独断的でよく暴力を振るい、父のフランクリンとは仲が悪く、とうとう、アレサは実家には戻れない状態になった。精神が不安定なアレサの頼れるものは酒だったが、ついにコンサートで倒れる。黒人差別問題も深刻さが増すが・・・


女:いくら歌がうまくても、映画の出来にはつながらないということね!!

男:監督は、女性のリーズル・トミーで、脚本は、レイシー・スコット・ウィルソンとあるね。
女:いうまでもなく、黒人の教会での音楽:ゴスペルの女王:アレサ・フランクリンの半生を、歌のうまいジェニファー・ハドソンが演じたという映画ね。
男:音楽に詳しい私でも、アレサの曲は、「小さな願い (I Say A Little Prayer)」が最初で、その前の曲の「貴方だけを愛して」や「Think」は知らない。
女:彼女がカバーしているキャロル・キングの「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」やサイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋 (Bridge Over Troubled Water」は、私も知っているわよ。
男:アレサが歌うと元の曲の良さに黒人特有の感覚、そう、黒人でなければ出せないソウルフルな感情が曲に加わるからなおさら心に響く。
女:今では、黒人が教会で歌っていた曲はゴスペルとして認識されているけど、初めてレイ・チャールズの「What'd I say?」 や「Unchain My Heart」を聞いた時には、「何! この音楽は!」って驚いたものよ。
男:正しく、脳の芯に響く「ソウル・ミュージック」だったって訳だ。
女:アレサは、オバマ大統領の就任式でも歌ったわ。
男:それが、2009年で、そのアレサも、2018年8月に76歳で亡くなった。
女:そんなアレサの半生が描かれる訳だけど、出来が悪いわね。
男:まず、筋が分かり難いね。
  あらすじを書いていて、冒頭のアレサと時々来る母親、育てているフランクリン牧師の関係は実の夫婦ではなく、アレサも牧師の所にいる他の子供たちのように、私生児で牧師に育てられていると感じた。
女:私もそう感じたけど、本当の父親はどうなっているのかしら。
男:また、10歳ぐらいの女の子が妊娠させられるのは、描く必要があったのかな。
  これを描くならアレサの子供に対する愛情表現に、もっと注意をした演出が必要だ。
女:演出の前に撮影が実に下手ね。
  家の中にしても、皆んな暗すぎて表情が読み取れないわ。

男:1960年代を象徴する黒人解放の公民権運動にアレサも関わったことは知っているが、そのリーダーだったキング牧師の活動や拳銃で撃たれる話も出てくるけど、この扱いも中途半端だ。
女:曲と曲との間に、そのキング牧師の話や他の当時を代表する歌手のサム・クックなんかもチョコ、チョコと入れていて、アレサの半生がまったく纏まりがないのね。
男:無名の歌手が苦労して有名になり、その後ヒットが出なくて苦しみ、酒に溺れる。だけど、また初心に帰って、再起する。
  こんなよくある表だけの話しをニュースのようになぞっただけでは、まったく平凡な展開で、今までの多くの伝記映画に使われているままで呆れる作りだ。
女:それを、146分という長い時間をかけて見せるのね。
男:作品の狙いが曖昧だったということだ。
  ゴスペルという歌い方に秘められた黒人の悲哀がアレサを介して世間に拡がりましたとした方が良かった。
女:いくら歌がうまいジェニファー・ハドソンを主演に持ってきても、映画はいい出来上がりにはならなかったってことね。
男:そうだね、でも本当の歌手じゃなくても、常に発声の練習は、私たちも含めて、しておいた方がいいと思うね。
女:それは、あなたが、ただカラオケに行きたいだけじゃないの。
男:いや、そっ、そっれはないよ!
女:あなたの考えていることは、もう、バレバレよっ。
男:え・・・

 ジェニファー・ハドソンなら; 「ドリームガールズ」 (2007年)、
 黒人歌手のレイ・チャールズなら; 「Ray/レイ」 (2005年)
 ナチュラル・ウーマンを作曲したキャロル・キングなら; 「Beautiful」 (2020年) 
 歌手の半生なら; 「ボヘミアン・ラプソディー」 (2018年) 、 「ジュディ」 (2020年)

 そして、バトンは渡された

あらすじ:幼くして母親を亡くしたみぃたん(稲垣来泉 いながき くるみ)は、チョコレート工場で働く父親の水戸秀平(大森南朋)に男手一つで育てられたが、泣き虫と言われてもいじけることなく、いつも友達には優しくしていた。そのみぃたんが7歳になった時、父親が同じ工場で働いていた梨花(石原さとみ)と再婚し、梨花が新しい母親になった。梨花は持てるだけの愛情をみぃたんに捧げ、みぃたんも梨花に馴染み、みぃたんは、父親がカカオ栽培にブラジルに行くと言っても、日本に残ると言う梨花との生活を選んだ。派手好きな梨花とみぃたんの生活は楽ではなかったが、ピアノを習いたいというみぃたんの望みを叶えるために、梨花は高齢ではあるが、金持ちの泉ヶ原(市村正親)と再婚し、みぃたんの望みは叶った。一方、いつも笑顔を絶やさない高校生の優子(永野芽郁)は、母親はいないが、料理の上手い血のつながらない父親:森宮(田中圭)の強い愛情のもとすくすくと育っていた。その優子も3年生になり、卒業式で合唱する「旅立ちの日に」のピアノ伴奏をすることで知り合った、ピアニストの才能がある早瀬(岡田健史)を好きになるが、早瀬は、音大に進み、二人の仲は終わるかと思われた。また、居なくなった梨花は・・・


愛情は、血のつながりが無くても生まれる!!

 原作は、瀬尾まいこの同名の本があり、これを橋本裕志が脚本し、監督は前田哲だ。

 映画用のチラシを見ても、また予告編を観ても、永野芽郁の話と石原さとみの家族の話が繋がらず一体どうなっているのかと確かめたくて映画館に足を運ぶ。

 観終わると、そうか、そういうことかと、充分に布石が敷かれた内容に納得する。
うまい仕掛けを取り入れた出来栄えとなった。
普通なら多くのいい人、善人だらけが溢れる退屈な家族愛の物語で終わる所を、ミステリー仕立てにしたのは、立派。

 当初は、幼い頃のみぃたんと石原さとみの貧しさや一転して豪華な生活への変わり方に、どうしてそうなるのかと疑問を抱かさせるが、これも石原さとみの持つ美貌ゆえと理解できる。
まだ、子供を持つ母親役には早すぎると思われる石原さとみだけど、華やかな衣裳が実に冴えていて魅力的だ。

 そして、優子役の永野芽郁の本当に飾り気が感じられない健気な演技には、涙もろくなった老人でなくても、多くの人に観ているだけで涙を浮かべさせる。

 日本全国のお父さんが、娘ならこう育って欲しいと願う姿の永野芽郁の演技が、実に素直に画面から感じられる。

 原作者の瀬尾まいこは、優子の生活にからむ3人の父親間で次々とバトンが渡され、最後に夫になる男性にバトンが託されるとしているようだけど、この映画を観ていると別のバトンがあり、それは料理とピアノに代表される音楽だと思う。

 料理も好きだったという音楽家:ロッシーニを映画でも出してくるように、おいしい食事とその場に合った素敵な音楽があれば、そこには正に生きている幸せがある。
お腹と精神の2つを満たしてくれる言うことのない幸福感だ。

 この料理と音楽の世界は、これからも、バトンを引き継いでくれる人がたくさんいるでしょう。

 田中圭もしっかりした演技をしていて、頼もしい。

 世間によくあるいい人だけの映画に終わっていなかった。

 ただ、優子の卒業式に梨花が来ていたのに、優子が気がつかなかったのは、変だけど。
私は、後姿でも気がついた。

 永野芽郁がいい; 「キネマの神様」 (2021年)
 髭だらけの市村は; 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 の公演中の撮影だったのかな?
 石原さとみは、 「シン・ゴジラ」 (2016年)

 最後の決闘裁判

あらすじ:時と場所は、1380年頃のイギリスと100年戦争をしていたフランス。フランス軍の騎士:ジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)はスコットランドへ出兵中にかっての親友:ジャック・ル・グリル(アダム・ドライバー)に強引に犯されたという妻:マルグリッド(ジョディ・カマー)の言葉を信じ、裁判を起こし、ジャックを訴えるが、ジャックは、マルグリッドも同意していた反論する。目撃者がいないため、王の判断でどちらか勝った方が正しいという命をかけた「決闘裁判」となった。ジャンからみればジャックは戦闘中に命を助けた程の仲だったが、その後ジャックは領主(ベン・アフレック)に取り入り、ジャンが継ぐはずの地方長官の地位や土地を奪った憎い男だった。一方、ジャックにしてみれば、文字も読み書きができない無粋な戦士のジャンが夫では、才能と美貌を持ったマルグリッドが結婚生活に満足していないと考え、多くの女性に持てる自信から、マルグリッドと関係をもったのだ。しかし、当のマルグリッドは、心底からジャックに対して恋心はなく、強姦されたことを裁判でも訴えた。多くのレイプされた女性が、耐え忍んでいたが・・・


リドリー・スコット監督の纏め方の上手さに、脱帽だ!!

 フランスを舞台にした妻のレイプから決闘になった元の話は、実際にあったようで、それを参考にして出演もしている、マット・デイモンとベン・アフレックそして、ニコール・ホロフセナーの3人が協同で脚本を書いた。
監督は、リドリー・スコットだ。

 映画の展開としては、冒頭にジャンとジャックの馬上の決闘のシーンを持ってきてから、過去に戻り、ジャンが語るこれまでのいきさつ。続いて、ジャックの立場からの話、そして3番目に、中心となるマルグリッドの受け止め方となり、また決闘のシーンに戻る。

 事件の当事者であるジャックとマルグリッドの他には誰も目撃者がいない強姦事件であるだけに、当事者であっても自分はこう感じたと言われれば、他の人たちは、どちらの話が真実かは、正しく「藪の中」で分からない。

 この心裏にからむ複雑な話を、最初のジャンには、戦闘を中心にして淡々と時系列で述べさせて、次のジャックには、自分がいかにして領主の寵愛を得て地位をあげてきたのか、またマルグリットに対して恋心を抱いたのかを言わせ、最後のマルグリッドには、決して好きでジャックを受け入れたものではないと強く言わせている。

 同じようなシーンが、たびたび重なって出てくるが、同じ場面でもその立場、立場での受け止め方が各々の見方によって異なるので、かなり複雑な内容も徐々に分かってくるという描き方は、脚本が上手い。

 例えば、ジャックは何の苦労もしないで領主に好かれていたと思われたが、本当の彼はどうすれば税金を徴収できるかと悩み、夜遅くまで領主の財政問題を解決するために「そろばん」をはじいていたとか、マルグリッドを襲う時に、ジャックはマルグリッドが靴を脱いだと解釈したが、マルグリッドにしてみれば、ジャックから逃げる為に靴が脱げたという描き方はいい。

 土地や地位を奪われその上に妻を強姦されて後は名誉を守るため闘うことしかない夫、その妻も本当は悦んでいたという強姦男の身勝手さ、男社会で本当の声をあげることが出来なかった弱すぎる女性の立場。

 これって、600年前の、中世ヨーロッパだけの話ではないことに気がつきませんか。
最近のアメリカの映画プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインによる性的虐待問題から始まる「#MeToo」運動を大きく反映している。

 時代こそ中世にしているが、根本は、現代でも同じことが繰り返されていると非難している内容だ。

 また、この映画でも女性が悦ぶと強姦でないと反論があるが、強姦か和姦かは、その事件の際には、両当事者だけしかいないことが多く、罪が成立するかの判断は、過去から裁判でも難しい。
 参考までに、日本の刑法の強姦罪(今は、改正されて、強制性交等)177条は、
 「第百七十七条 
 十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。)をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の者に対し、性交等をした者も、同様とする。」
 である。

 強姦罪も変遷があり、男性から女性に対する行為だけでなく、女性から男性に対する行為も該当するようになっている。

 話を映画に戻そう。
ジャン、ジャックそしてマルグリッドの3人による事件の回想のあと、ジャンとジャックの馬上での壮絶な決闘シーンとなるが、これも迫力がある。
撮影が上手い。
ジャンとジャックの表情だけでなく、他人の生死をショーとして楽しんでいる王や観客のアップも効果的だ。

 戦闘のシーンは、首を刎ねたり、口の中まで短剣を押しこんだりと、かなり残酷で血も飛び散るが、上映時間153分を堪能した。

 でも、アダム・ドライバーがハンサムというのは、かなり無理があるかな・・・

 リドリー・スコット監督の; 「ゲティ家の身代金」 (2018年)、 「オデッセイ」 (2016年)
 マット・デイモンの; 「フォード VS フェラーリ」 (2020年)
 アダム・ドライバーと言えば; 「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」 (2019年)、  「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」 (2017年)

 007/ NO TIME TO DIE

あらすじ:5年前にイギリスの諜報機関:MI6のエージェントを引退したジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)は、恋人のマドレーヌ(レア・セドゥー)と共にカリブ海の島で魚釣りをしたり、ヨットのセイリングをしてのんびりと暮らしていた。しかし、世界制覇を企むスペクターは、DNAを操作して殺人ができる技術を開発したヴァルド・オブルチェフ博士(デビッド・デンシック)を仲間にした。これを知ったCIAの旧友フィリックス・ライター(ジェフリー・ライト)から、スペクターの計画を阻止するように頼まれたジェームスは、再びスペクターと闘うが、そこには、スペクターよりも強いリュートシファー・サフィン(ラミ・マレック)の組織があった。また、マドレーヌとサフィンの間には、誰にも言えない秘密の過去があった。サフィンの秘密基地に潜入したジェームスは、その命と引き換えに・・・


女:ロケ地の良さとカー・アクションの見どころは、さすが、007ね!!

男:9月末に東京の葛飾から、岡山市に引越してからどうやら荷物の整理も終わったので、久し振りに映画館での映画鑑賞だ。
女:岡山への引越し場所の条件が、歩いて映画館とゴルフ場に行ける所とは、普通の人はなかなか理解できないようね。
男:もう、この歳ならあとの人生は、自分の好きなようにおくりたいからね。
女:それは置いといて、映画の話にもどりましょうか。

男:この映画「NO TIME TO DIE」もコロナの影響で随分と公開が伸びた映画だ。
女:チラシや映画館での予告編は、2020年の4月頃から観てたわよ。
男:主人公を演じるダニエル・クレイグの007としては最後の作品ということは、聞いていたが、確かにもうこのダニエル・クレイグでは、顔の皺や体型などから、アクション映画の主人公は無理だね。
女:冒頭での老けたダニエルを観てまた彼のしゃがれた声を聞いた時には、こんな歳になったのかと驚いたわ。
男:監督は、日系のキャリー・ジョージ・フクナガとある。
女:それで、敵役のラミ・マレックが日本の能面を被り、終わりにはサムイのような服装をして、白砂を敷いた日本庭園のような基地に棲んでいたわけね。
男:そこでダニエルが正座して、また土下座をするのは、どこまで、他の国の人が分かったかは多いに疑問符がつくところだね。
女:007(ダブル・オー・セヴン)としての歴史は、冒頭のタイトル・シーンでは受け継がれていたわね。
男:ピストルを撃つ出だしから、いつも、007シリーズの冒頭のシーンは良く出来ている。
女:そこにビリー・アイリッシュが歌う主題歌「007/ No Time To Die」が切なく重なるとは、これも流行るわね。
男:この歌では「No Time To Die」を「死に身を委ねている暇などない」と訳しているけど、どことなくピンとこないな。
 「(やることが多くて)死んでなんかいられない」って感じかな。
女:でも、007は死んじゃうのね。
男:ロケ地の選択がいいね。
女:イタリアのマテーラという場所でカー・チェイスやバイクのぶっ飛ばしを撮影したようね。
男:そのマテーラは世界遺産だ。
女:狭い石橋の上で、両サイドから追い詰められたボンドが下に飛び込むのは、迫力があったわ。
男:アクションは、まあまあだけど、肝心の筋が粗すぎるよ。
  過去のスペクター関係で厳重な警護で捕らわれているクリストフ・ワルツは、どことなく「羊たちの沈黙」を思わせるし、どうしてラミ・マレックが、スペクターに対抗して秘密の基地などをもてるのか、説明が足りない。
女:そして、最近のアクション映画にありがちな、敵の無数の弾丸や攻撃は、全てボンドや味方には当たらないけど、ボンドの攻撃は、適当に撃っても全部上手くいくという、設定ももう余りにも不自然ね。
男:飛行艇でいろいろな設備が完備している筈の秘密の基地に潜入しても敵がまったく気付かないという、ずぼらな脚本はいただけない。
女:だいたい、ボンドに娘がいたというこの設定は、孤独なエージェントである007に対する冒涜よ
男:アメリカ社会の家族中心主義や黒人俳優も使わなければならないという流れでは、もう日常生活から離れたクールで格好のいいエージェントを描くことは、出来ないんだね。
女:そして、007の売り物の「ボンド・ガール」がいないのも、あなたの評価が悪い点じゃないの。
男:いや、私は、女性を目当てにして映画を観ているわけじゃないよ。
女:でも、新人CIA役のアナ・デ・アルマスが、半分オッパイを覗かせているドレスを着ているパーティのシーンでは、身を乗り出して居たわよ。
男:いっ、いや、そんなことはないよ・・・
女:隠してもだめねっ。もう、バレバレなんだから。
男:・・・

追記:エンド・ロールによれば、ダニエル・クレイグのボンドは死んでも、007は生きて、また映画をつくるそうです。

 007の前作: 「スペクター」 (2015年)、 「スカイフォール」 (2012年)
 ラミ・マレックと言えば: 「ボヘミアン・ラプソディー」 (2018年)、 「パピヨン」 (2019年)

 マスカレード・ナイト

あらすじ:若い女性がロリータ風の格好をして時限電気装置で殺される。さっそく、警視庁は、稲垣(渡部篤郎)を本部長として捜査を開始するが、犯人の手がかりは掴めなかった。そこへ、一通のファックスが届き、犯人は、大みそかにホテル・コルテシアン東京で開かれるカウント・ダウンの仮装パーティ「マスカレード・ナイト」に現れるという。「マスカレード・ナイト」の参加者は500名。そこで、捜査本部は、大みそかに向けて大掛かりな捜査陣を敷き、新田浩介刑事(木村拓哉)らはホテルマンに、また本宮刑事(梶原善)などは客に扮装させ、犯人を捕まえる体制を調えたが、お客様の要望を叶えることを優先するホテルのコンシェルジェ:山岸尚美(長澤まさみ)と人を疑うことが原点の新田刑事とは、いつも意見が合わなかった。怪しい行動をとる日下部(沢村一樹)や仲根(麻生久美子)。また、ホテルを愛人との密会に使う曽野(勝村政信)など、ホテルには、正体が分からない人々で溢れていた。そしてついに、大みそかとなり、500人が参加する本当の「仮面パティー」が開かれるが・・・


相変わらず殺人の動機が不十分だけど、こんなもんだと思えば、気楽に観られる?!

 長澤まさみと木村拓哉がコンビで出ていた「マスカレード・ホテル」に続く作品だ。
設定としては、長澤まさみは、ホテルのコンシェルジェに昇格(?)している以外は前作と同じ。
長澤まさみは、今度も健康的で嫌味もなく、模範的なホテル・マン(ホテル・ウーマンが正しい?)だ。
刑事役の木村拓哉は、この映画でも、セリフも演じ方も、どの役でもそうだけどカッコを付けた、「俺は木村拓哉」である。
 役柄に関係なく、いつでも「木村拓哉」を通し続けられる木村拓哉は、もう立派としか言いようがない。 

 原作は、東野圭吾で、監督の鈴木雅之も前の映画と同じ。

 まあ、多くの人が出入りするホテルを舞台にしているので、当然と言えば当然で、ちょい役を含めて今回も多くの俳優が出ている。
前作では何処に出ているのかさっぱり分からなかった明石家さんまは、今回は、動きはないがはっきりと分かる。
この、明石家さんまの顔を風船で隠すアイディアは、笑えた。

 前回ではあまり活躍していなかった小日向文世は、今度は、かなり出番があった。でも、もっと活躍の場が欲しい役者ではある。

 だけど、もったいないと言えば、勿体ない俳優の使い方だ。
冒頭で、木村拓哉と情熱的にタンゴを踊っている中村アンは、後で木村拓哉と絡むのかと思ったが、何もなく、冒頭の出番だけで終わるとは。

 後半に出てくる、のぞき見をしていた息子の母親役の木村佳乃や、ロリータの服装をさせられる高岡早紀もそれらしい演技をしないで、簡単に扱われるとは。

 原作の東野圭吾の話の展開はどうなっているか知らないが、この映画のやり方は、基本的に推理物ではない。

 前半で怪しい行動をとる沢村一樹や勝村政信などの人物は、テレビでよくあるように絶対犯人ではないし、明らかに怪しいと思われるようにしている博多華丸にしては、いくら何でも、ゴルフのキャディー・バッグをいつもホテル内で担いでいるのは、不自然過ぎた。

 犯人となる麻生久美子の演技はいいが、双子の妹がレイプされ、警察の捜査でまた辱めを受けたのが原因で妹が自殺したので、警察組織に恨みを抱いて殺人事件をしましたでは、動機として、無理があり過ぎだ。

 布石の回収も先が見えた。
終わりの「マスカレード・ナイト」の会場で、冒頭でみせたタンゴをまた踊るのは、まあありかなと思うが、長澤まさみが身に着けている時計がいつも5,6分遅れているのが、殺人事件を未遂に終わらせました、めでたし、めでたし、というのは、もう推定できた。
これでは、推理物としては、実に設定が弱い。

 気楽に構えて観れば、こんなものかという出来だ。

 前作; 「マスカレード・ホテル」 (2019年) 
 賞をとっても納得していない長澤まさみの; 「MOTHER」 (2020年) 、「コンフィデンスマン JP ~プリンセス編~」 (2020年)
 木村拓哉の; 「検察側の罪人」 (2018年) 
 最近やたら出ている木村佳乃は、 「騙し絵の牙」 (2021年)、 「ファーストラヴ」 (2021年)、 「ドクター・デスの遺産」 (2020年)

 ドライブ・マイ・カー

あらすじ:赤色の車:サーブ900ターボを愛用している舞台俳優であり演出もしている家福悠介(かふく ゆうすけ、西島秀俊)は、ロシア語なども取り入れた演出で好評を得ていた。悠介の妻:音(おと、霧島れいか)は、元女優だったが今は、脚本家として名をなしていた。音が考える話は、二人のセックス中に思い浮かび、音がベッドで話した内容を翌日、悠介が繰り返して文章にするという物だった。音が度々男優と寝ていることを悠介は知っていたがそれには触れないでいた。ある日、音から重大な話があるので早く帰ってと言われた悠介だったが、音の話を聞くことが怖くて、意識的に遅く帰ると、居間には音がクモ膜下出血で倒れており、音はそのまま帰らぬ人となった。それから2年後、悠介は、広島の国際演劇祭で上演される多言語劇「ワーニャ叔父さん」の演出家として招かれる。出演者のオーディションには、日本人の他、ロシア人、中国人また韓国人や手話しかできない女性も集まり、そして、音と関係があった高槻耕史(岡田将生)もいた。それでも悠介は高槻をワーニャ叔父さんに抜擢した。悠介は、生前に音がカセット・テープに録音しておいてくれていた「ワーニャ叔父さん」のセリフを、宿泊所から稽古場へ行き来する間にも、自分が運転する車の中で聞いて、演出の参考にすることを望んだが、主催者側は、以前自分で車を運転していた演出家が自動車事故を起こし、公演が中止になったため、専用の運転手:23歳の渡利(わたり)みさき(三浦透子)を付けてくれる。北海道出身のみさきは、水商売で疲れて寝ている母親の送迎を18歳になる前からやっており、そのため丁寧な運転で、悠介も満足する。あまり自分のことは話さないみさきだったが、育ててくれた母親を土砂崩れで亡くし、その後、北海道から広島まで流れてきて、ゴミ・トラックの運転手をしたことなどを、悠介に話し出した。一方、劇の方は、読み稽古、立ち稽古と上演に向けて動き出したが、自分との年齢差がある役に悩む高槻は悠介によく相談するようになり、音がセックス中に悠介に話した「好きな男子生徒の家に忍び込む女子高生」には、悠介が知らない続きがあるという。暴力も振るう短気な高槻が、事件を起こし・・・


女:良く出来た話だけど、3時間は長すぎるわね!!

男:正確な上演時間は、179分となっているけどね。
女:村上春樹の短編小説からヒントを得て、濱口竜介と大江崇允(おおえ たかまさ)が脚本を書き、濱口竜介が監督したのよ。
男:長ったらしいセリフには、随所に村上春樹ワールドを持ってきている。
  村上春樹の作品にはビートルズが歌っていた「ノルウェイの森」もあるけど、この「ドライブ・マイ・カー」もビートルズの「Baby, You Can "Drive My Car"」から取ってきたようだ。
女:「俺の車を運転してもいいよ」って、ことね。
男:それに肝心な場面では、レコードが再生されるのは注目点だね。
女;未だに古いレコードを聴いているあなたの自慢を入れたわね。
男:世界的な作家:村上春樹ってことで、出演者もコン・ユンスやイ・ユナ、ジャニス・チャンなど多国籍だ。
女:日本語の他に韓国語や英語があるけど、それに手話まで盛り込んで、またこの手話が最後にいいところを取っていくのは、上手い手法ね。
男:何処までが原作にあるのか知らないけど、セックスの最中に面白い話を浮かべるとは、普通の人では想像ができないね。
女:それも、夫が知っているのは、話の途中までで、愛人は、最後まで知っているという設定はもう尋常の発想では追いつけないわ。
男:それに「八つ目うなぎ」を絡めるとは、凄い話だ。
女:もっと凄いのは、亡くなったみさきの母親は、二重人格で、時々8歳の子供の人格が現れるのよ。
男:映画の中で出てくる劇が、サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」とアントン・チェーホフの「ワーニャ伯父さん」で、これらのセリフに濱口竜介が非常に同調しているんだね。
女:確かに耳で聞く日本語でなく、眼で見る字幕でも観客に感動は与えられるけど、韓国の手話を字幕にするとは、全くオリジナリティに溢れる脚本ね。
男:夫である悠介が妻の浮気を知っていてもそれから逃げていた為に、助けられたかも知れない妻の死に対する自責の念。
  また、ドライバーのみさきは、土砂崩れで下敷きになった母親を見捨てた、これも自責の念。
  この2つの後悔が合わさり、最後には、手話で「それでも生きましょう」ってことか。
女:でも、その後の、頬の傷も治したみさきが韓国に渡っていて、スーパーで買い物をしてましたは、よく分からない付けたしね。
男:結局男女の関係では、互いに相手の全てを知ることには、何にもメリットがないということかな。
女:そうよね。
  どこかミステリアスな影が残っている方が魅力的よ。
  でも、今のあなたには、何もミステリアスさがないし・・・

男:何かいったっ!
女:いいえ、何もいってません。

 この映画では、岡田将生がいい。

 西島秀俊が出ていた; 「奥様は取扱い注意」 (2021年)、 「空母いぶき」 (2019年)、 「任侠学園」 (2021年)

 ワイルド・スピード / ジェットブレイク

あらすじ:ストック・カー・レースのドライバーであった良き父親をレース中の事故で喪ってから、兄のドミニク・トレット(ヴィン・ディーゼル)と弟のジェイコブ(ジョン・シナ)は、仲違いをし、その後の二人は別々の道を歩んでいた。今のドミニクは、政府系の工作員を引退し、レティ(ミシェル・ロドリゲス)と、亡き恋人が残した幼い息子と共に平穏な生活をしていた。そこへ、昔の仲間:ローマン(タイリース・ギブソン)達が訪れ、世界をデジタル技術で掌握する装置「アリエス」を奪おうとするある国の元首の息子:オットー(トゥエ・エルステッド・ラスムッセン)の計画を阻止するので、仲間に加われと誘われる。もう以前のような行動はしないつもりだったドミニクだったが、オットーの側には、弟のジェイコブも絡んでいることを知り、再び仲間を集めオットーと対決することになる。資金の豊富なオットーは私設の軍隊を組織し、執拗に「アリエス」を奪おうとする。それに向かう、ドミニクと彼のファミリーは・・・


本当に筋は粗いけど、壊した車の数は凄い?!

 なんだ、かんだといいながら、この「ワイルド・スピード」のシリーズも2001年に第1作目が公開されてから、この「ジェットブレイク」で9作目になるとのことだ。
ズット、車はスカイ・ラインに乗ってきたスピード好きな私としては、この映画が持つカー・チェイスのスピード感は好きで、案外観てきた。

 だけど、いつもながら、このシリーズの筋の粗さにはまいる。
あらすじを書こうにも、どうしてそうなるのか、まったく纏められない程、適当さが目立つ。
引退した筈のドミニクがどうしてこうも簡単に、昔の生活に戻るのか。
どうして、仲違いした弟がいつの間にか、ドミニクの側に戻り活躍するのか。
死んだとなっていた昔の仲間:ハンも実は生きていました。

 透明なかごのような中にどうして、シャーリーズ・セロンがいるのか。
(シャーリーズ・セロンは、前作で出ているとのことだけど。)
運転の上手いヘレン・ミレンがどうして、急にでてくるのか。

 さらに、潜水服を改造した宇宙服を着て、中古の車にジェット・エンジンを付けて宇宙空間にいけるとは!
 ここが、サブタイトルの「ジェットブレイク」の元だろうが、笑いは取れるが酷い話だ。

 と、ストーリー展開でのダメ出しや摩訶不思議な点は、おいといて、また、深く考えないでこの映画を観ると、シリーズ物なので、前と違った何か新しいこと考えましたという箇所は評価できる。

 その1つは、「地雷原」でのカー・チェイスだ。
舞台を地雷原にするとは、よくまあ、考えだしたものだ。
地雷の上を踏んでも時速130Kmを出せれば、地雷の爆裂は車の後方となり、乗っている車には影響がないとは、本当かどうかは知らないが、一見科学的で面白い。

 もう一つは、強力な磁石パワーで車を引き付けたり、離したりできるというこの都合のいいアイディアもうける。
 ハイ・スピードで走っている車から、的確に敵の車に対して磁力を向けられるかもおいといて、このアイディアはオリジナリティが感じられて良い。

 地雷原でのロケット攻撃と爆破だけでなくロンドンらしい街中でも、車を壊す、また壊す、そして、また壊すのは、観ていても気持ちがいい。

 VFXなり、CGIも多用されているのだろうが、メイキングの映像をみてもかなりの数で実物の車がぶつけられ壊され、また転覆している。
オットーが作戦の本拠としている長いトレーナーのような車は、本当に上に上がって一回転している感じだ。

 どこか中国のような東京の街もでてくるが、スピード感は充分に堪能できた作品だった。

 エンドロールを観ると、これも、また続編を作る気のようだが。

 私が観た前作は、 「ユーロ・ミッション」 (2013年)

 キネマの神様

あらすじ:78歳になった通称:ゴウと呼ばれている円山郷直(ごうちょく、沢田研二)は、飲んだくれでまたギャンブル好きで娘の歩(寺島しのぶ)や妻の淑子(よしこ、宮本信子)には借金で迷惑をかけていた。そんな彼だったが無類の映画好きで、若い頃から付合いのある名画座の館主:テラシンこと寺林新太郎(小林稔侍)の所で映画を観ることは、彼の生活の一部だった。そして、話は、ゴウがまだ駆出しの映画の助監督で、出水宏監督(リリー・フランキー)の作品のカチンコを鳴らしていた頃に戻る。・・・ゴウ(菅田将暉)と映写技師のテラシン(野田洋次郎)は映画作りに燃え、よく夜遅くまで議論を重ねる間柄だった。撮影所の近くにある食堂では、監督の出水や美人女優:桂園子(北川景子)らがよく集まっていた。その食堂の看板娘:淑子(永野芽郁)をテラシンが好きになり、恋文を書くが、淑子が好きなのは、監督としての初めての台本「キネマの神様」の撮影初日に怪我をして失敗し田舎に帰るゴウだった。・・・それから、約50年後、歩の息子:勇太(前田旺志郎)が引っ張り出してきた昔の台本「キネマの神様」を新しく書き直して、それは、脚本賞をとるが・・・


話題は、いろいろとあるが、可もなし不可もなしの出来上がりだ!!

 松竹映画が100周年記念作品としている。
それなら、当然に監督は、山田洋次で、脚本は、山田洋次と共に、山田監督とは付合いが長い(?)朝原雄三も参加している。
原作には、原田マハの同名の小説があるらしいが、映画ではコロナ禍や亡くなった志村けんをかなり想定した内容で、どこまで、原作に忠実かは知らない。

 この映画は、志村けんと菅田将暉のダブル主演で決まり、2020年3月にクランクインして、半分を撮り終えたところで、志村けんがコロナのため亡くなり、撮影が中断され、後任に沢田研二が決まったが、コロナが収まらないため撮影もままならない状況下でどうにか完成までこぎつけて、2021年8月6日に公開されたという代物だ。

 感心するのは、志村けんの後を引き継いだ沢田研二の覚悟の良さだ。
映画のセリフは、最初から志村けんを想定して書かれているようで、口調は志村のままだし、志村の「東村山音頭」まで歌うとは、本当にあの大歌手ジュリー(沢田研二)としては、自分を殺し、ここまで志村に似せるには相当な感情の入り組みがあったと推察するが、見事に演じている。

 確かに松竹に代表される当時の映画人が映画に賭けた情熱と、映画が娯楽の中心になり始めた、その古きよき時代は描けている。

 松竹だけでなく日本の映画界が世界に誇れる監督:小津安二郎や当時の大女優:原節子もリリー・フランキーと綺麗な北川景子で表しているし、いつまでも反骨精神を失わない山田監督としては、撮影所のセットのあちらこちらに、労働者として「合理化反対」などのビラを貼っているのにも気がついた。
 また、山田監督も経験したと思える、自分が初めて監督になった時のカメラマンとの撮影構図での争いも面白い。ベテランのカメラマンは、なかなか新人監督の思い通りにはならないようだ。ここは、笑える。

 だけど、この映画でゴウが力を入れている肝心の脚本の話、そう、寂しい人妻が毎日映画を観ていると、スクリーンの中から主演の男優が突然彼女に声をかけてくるという話は、私にはすぐに、これは、以前観たことのある映画「カイロの紫のバラ」のままだと分かり、これでは、斬新な脚本とは言えない。
いわゆる、パクリであり、このアイデアを誇らしく使うのは、ないだろうという感じだ。
 この「カイロの紫バラ」の話をどこまで、原作者の原田マハや山田監督が知っていて、この作品で取り上げたのか知らないが、これでは、レベルが低い。

 この映画では、初めて永野芽郁をしっかりと観たが、本当に若い娘の天真爛漫さが、よく出ていて、好印象だ。

 山田洋次監督に対しては、当初から想定していた志村けんを亡くし、沢田研二への変更、また、その後のコロナ禍が続くという苦労の多い中、よく完成させたということは分かるが、出来としてはそつなく纏めた程度だ。
回想で過去を表し、口ではなんだかんだと言いながらも、実は絆はある家族では、よくある設定で、あまり評価できない。

 山田洋次監督作品は; 「男はつらいよ 50 お帰り寅さん」 (2019年) 、「家族はつらいよ 2」 (2017年)
 活躍している菅田将暉は; 「キャラクター」 (2021年)、 「花束みたいな恋をした」 (2021年) 、「浅田家!」 (2020年)、 「糸」 (2020年)
 こちらもよく出ている北川景子は; 「ファーストラヴ」 〈2021年)、 「約束のネバーランド」 (2020年)、 「ドクターデスの遺産」 (2020年)
 リリー・フランキーの; 「騙し絵の牙」 (2021年)、 「万引き家族」 (2018年)

注:「カイロの紫のバラ」は、後で調べると、ウディ・アレン監督の1985年製作でした。寂しい人妻は、ミア・ファローが演じていました。

 イン・ザ・ハイツ (ミュージカル)

あらすじ:ニューヨーク市の北に位置するワシントン・ハイツ地区は、ドミニカやキューバなど中南米からの移民が多く暮らしている貧しいが人情に溢れた地区だった。そこに住むウスナビ(アンソニー・ラモス)は、父親が残してくれたあまり儲からない食品雑貨の店を甥となんとか切り盛りしていたが、幼い頃を過ごしたドミニカに帰り、バーを開くことを夢見ていた。そこへ、地元の期待を背負ってカリフォルニア州にある有名なスタンフォード大学に進学しているニーナ(レスリー・グレイス)が戻って来た。ニーナは学費が高くて、タクシー会社をやっている父親の収入では勉強を続けることが難しく、また、学生寮ではラテン系であるだけで泥棒と疑われる程の人種差別がある大学をやめる気だった。ウスナビは、ファッション・デザイナーを目指しているヴァネッサ(メリッサ・バレラ)が好きだったが、口には出せずにいた。そんな時、ニューヨーク中が停電に襲われる。停電は、3日間も続いたが、ハイツの人たちは、歌って踊って陽気に過ごしていた。だが、いつも街の人々を優しく見つめていたアブエラ(オルガ・メレディス)が静かに息を引き取った。地価が高騰し変わって行く街で、「夢(エスーニヨ)」を追う移民の生活も・・・


女:ミュージカルもラップとラテンのリズムで構成されるのね!!

男:元になっているのは、ブロードウェイの舞台でヒットしたミュージカルを、ジョン・M・チュウが監督した。
 原作の作詞・作曲は、製作もしているリン=マニュエル・ミランダとのことだね。
女:冒頭からラップで始まるミュージカルとは、新しいわね。
男:でも、ラップの早口では、流石に英語が堪能な私でも、よく聞き取れない箇所がでてくるね。
女:あなたが英語に堪能かどうかは疑問符がつくところだけど。
  あらすじには、チラシで出ている4人の男女の内、「仕事と恋を追い続ける青年:ベニー」の存在が抜けているわよ。

男:彼は、あらすじに出ない程の印象しかない描き方だったという事だけどね。
女:ここまでラップ調だと字幕の日本語訳を追うだけでも目が疲れたわ。
男:それに、英語の他にドミニカあたりの移民ってことで、スペイン語もよく出てくるから、これも日本人には面倒な映画だったね。
女:でもスペイン語で「夢」が「エスーニヨ」は憶えたわよ。
男:その他に、エンド・クレジットの後にもでてくる「かき氷」は「ピアグラ」と言うんだね。
女:この映画の売りは、大勢でのダンス・シーンだけど、本当に多くの人が集まって踊っていたわ。
男:通りでのダンスは、540人が参加したとか。
女:そして、プールでも大勢の人が、カラフルに踊っていたのよね。
  圧巻だったわ。

男:美容室の女性たちもインパクトのある扱いだった。
女:ほぼ全編、陽気なラテン系のリズムがあったわね。
男:この賑やかなラテンのリズムと大勢のダンスを見ていたら、インド映画を思い出した。
女:それは、ヴァネッサ役のメリッサ・バレラがインド的な美女のせいかもね。
男:ラテン系の人たちのニューヨークを舞台にしたミュージカルというと、プエトリコからの人が出てくる「ウエスト・サイド・ストーリー」にも、どこか繋がる。
女:移民の人たちは、未だに、安い賃金で働き、また人種差別を受けていることも言いたいのね。
男:カリブの島から夢を追ってアメリカにきても、96000ドルの宝くじにでも当たらないと夢は叶わないってことか。
女:そのカリブだけど、冒頭でウスナビは、ワシントン・ハイツでの生活は過去のもので、今は、カリブの島に戻ったことになっていたのに、最後には、ワシントン・ハイツから戻っていないのは、脚本のミスね。
男:まあ、原作がどうなっているかは、知らないけど、ウスナビが冒頭でカリブの海岸を背景に子供たちに話すシーンは、終わってみると違和感が残るやり方だった。
女:また、ビルの垂直な壁で歌って踊るシーンも、やりすぎって気がしたわよ。
男:いや、私は、これは、映画らしいファンタジー感がだせたと、好印象だったけど。
女:今まで、下にある「ライトハウス」とか、「Mr.ノーバディ」とか、狂気じみた映画が続いたけれど、この「イン・ザ・ハイツ」は、気が休まる仕上がりね。
男:青い、青い海と白い砂に囲まれたカリブの島か。
  一度、ゆっくりと旅して見たいね。
女:カリブの女性がみんなメリッサ・バレラのような美人ではないわよ!
男:いや、イヤ、私は別に女性が目当てで行きたいわけではないけど・・・
女:あなたの考えは、もうバレバレよ。
男:そっ、そんなぁ・・・

 ライトハウス THE LIGHTHOUSE (白黒映画)

あらすじ:時は、1890年代。ハドソン湾にある霧がよくたちこめる孤島の灯台(ライトハウス)に二人の灯台守が交代でやって来た。一人は、ベテランのトーマス・ウェイク(ウィレム・デフォー)で、もう一人は、以前は木こりをしており、今度が灯台での初めての仕事になるイーフレイム・ウィンズロー(ロバート・パティンソン)だ。先輩のトーマスは、厳しくイーフレイムを監督し、石炭運びや灯台の修理、設備磨きなど、肉体労働は全部イーフレイムにやらせていたが、灯台の一番上の光源室には、誰も入らせなかった。イーフレイムは真面目で、勤務中は酒を飲んではいけないという規則を守っていたが、トーマスは、大酒飲みで、酔うと昔の船乗り時代をよく話し、イーフレイムは毎晩聞かされるその話には飽きていたが、4週間が過ぎれば、次の交代が来ると我慢していた。しかし、その4週間目に、猛烈な嵐が続き、交代の船は来ず、それから長い間、島は孤島となり、食糧にも事欠く状態から、ついにイーフレイムは、精神異常となり、人魚の幻想を見るだけでなく、トーマスとの争いも酷くなってきた。そして、ついに・・・


狂気を評価できるのは、同じような狂気を持っている人だけだ!!

 監督は、脚本も共同執筆している、ロバート・エガースとのこと。

 予告編での、ミステリアスな感覚に惹かれて観た。
まず、画面が、今どきありえない、白黒で、また、サイズも、横長でなく、ほぼ正方形の35mmサイズに驚く。
それが、いつも暗い、また暗い。

 全編に流れる「ボーッ、ボーッ」という灯台の音と、気持ちの悪い効果音。
主演者は、ウィレム・デフォーとロバート・パティンソンの二人がほぼ全編をしめ、僅かに幻想として、人魚の女性が顔と体を表わす。

 やたらに船乗りと海の神話に詳しいウィレム・デフォーの饒舌ぶりには、観ていて面倒くさくまったく飽きる。一介の灯台守がここまで、知識があるとは、脚本家が勉強して本を書きましたという自身の自慢話にしか過ぎず、設定上も無理がある。
また、真実を隠しているのはロバート・パティンソンだけでなく、ウィレム・デフォーもという展開もただ、話を長くさせているだけだ。
ウィレム・デフォーの前の助手は、気がふれて自殺したとか、カモメを殺すと不吉なことが起きるとかの布石も、この程度ならいらない。

 だいたい、灯台が男根を象徴し、灯台の光が性のクライマックスを象徴しているのが、暗い白黒画面では、伝わってこない。

 ウィレム・デフォーとロバート・パティンソン、この二人の演技の素晴らしさと、撮影したジェアリン・ブラシュケの上手さはあるが、監督の独りよがりの狂気は、理解できなかった。

 ロバート・パティンソンがでていた; 「TENET」 (2020年)

 Mr.ノーバディ

あらすじ:アメリカは、とある街の郊外に住み小さな金属工場で会計を担当しているハッチ・マンセル(ボブ・オデンカーク)には、妻:ベッカ(コニー・ニールセン)と息子(ゲージ・マンロー)と娘がいる。妻から言われている毎週のゴミ出しには、いつも間に合わず、通勤には路線バスを利用するごく平凡なうだつの上がらないおじさんだった。そんな家庭が、2人組の強盗に襲われ、息子は勇敢にも強盗に立ち向かうが、ハッチは抵抗もしないで小銭を奪われる。これで、息子の信頼をすっかり失くし、気分がむしゃくしゃしたまま、いつものバスに乗っていると乱暴な5人のチンピラたちがバスに乗り込んできて、乗客の娘をからかう。それを見かねたハッチは彼らと闘い、みんなを半殺しにした。そのチンピラにはロシアン・マフィアのボス:ユリアン・クズネツォフ(アレクセイ・セレブリャコフ)の弟がおり、ハッチへの復讐に燃えたユリアンは、ハッチを探しだし激しい闘いとなるが、実は、ハッチは・・・


女:どこかで似たような話があったわね!

男:チラシによると、この映画「Mr.ノーバディ」の脚本を書いたデレク・コルスタッドは、キアヌ・リーヴスが演じているアクション映画の「ジョン・ウィック」でも脚本を書いた人だ。
  監督は、イリヤ・ナイシュラーとのことだけど、彼の他の作品は、観ていない。
女:そう、「ジョン・ウィック」は、観ているので、話の無茶さやこの殺し方から、どこか似ていると感じたのね。
男:今は何の取り柄のない中年のお父さんが、息子が軽蔑するので、隠していた昔の経験を活かしましたということだ。
女:この言葉「ノーバディ」は、過去を消して、昔の記録からその存在も無くなった男って事なのよね。
男:うん、その男・ハッチの過去を記録したファイルはFBIにあり、当時の彼は「会計(accounting)」と呼ばれる特殊任務を処理していたとのことで、冒頭の金属会社でも「会計」担当ということが、英語での引っ掛け言葉になっている。
女:「会計」から「清算」に繋がって、「闇の清算人=仕置き人」となるのね。
男:冒頭で流れる曲を知っているかい。
女:勿論よ。
  1960年代に、アニマルズが歌ってヒットした「悲しき願い」で原題は「Don’t Let Me Be Misunderstood」でしょう。

男:日本では、アニマルズでヒットしたけど、この映画のように、ニーナ・シモンがオリジナルなんだね。
  和訳すると「誤解されたくない」となるかな。
女:この映画の内容を上手く表した曲の選択ね。
  見かけだけで人を判断するとひどいことになったわけね。

男:他にも、豪華なカラオケ舞台でアレクセイ・セレブリャコフが歌う「The Impossible Dream 」は、マフィアの彼がこの歌を選ぶのかよと笑えたし、ルイ・アームストロングの「What a Wonderful World」など沢山の曲が効果的に使われていた。
女:それで、映画の展開だけど、どうしてもキアヌ・リーヴスが演じる「ジョン・ウィック」での殺し方の二番煎じで、主人公が違うだけで、まったく新しくないのね。
男:何十人の敵がいても、相手の攻撃はハッチには全然致命傷を与えないでは、痛快さを超えて、逆に、そんなのありかよって退いた気持ちの方が強くなるんだね。
女:これは、シルベスター・スタローンの「ランボー・シリーズ」でも感じる不都合さよね。
  工場に仕掛けをして相手を殺すのは、ランボーと同じだったわ。

男:普通の人が暴力をふるい、簡単に人殺しをしてヒーローとなるのは、好ましくないな。
  それに、相手が未だにロシアン・マフィアでは、単純にアメリカ万歳、敵国ロシアをやっつけましたの構図で、これも、古いセンスのままだ。
女:でも、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、科学者のドクに扮していたクリストファー・ロイドが元気で、ハッチの父親役を務めているのは、見ものよ。
男:クリストファー・ロイドは、今年82歳らしい。
  「ファーザー」でアカデミー賞をとった83歳のアンソニー・ホプキンスといい、まだまだ、歳をとっても活躍できるんだね。
女:それは、彼らはちゃんとした生活をしているからよ。
  あなたみたいに怠惰な生活をしていると、悪玉コレステロールで長生きは出来ないわねっ。

男:確かに、最近はコロナのせいで、体重も増えてきたし・・・
女:豪華な食生活は、体に良くないのね。
  今日からは、質素な料理にしましょう。

男:今までも、充分に質素だったけど・・・
女:何か、言った!
男:いや、何も・・・

キアヌ・リーヴスが出ていた; 「ジョン・ウィック ~パラベナム~」 (2019年) 
アンソニー・ホプキンスの; 「ファーザー」 (2021年)

 クワイエット・プレイス PartⅡ 破られた沈黙

あらすじ:ある時、宇宙から地球に飛来した怪獣は、音を立てる人類を次々と襲い、アボット家でも夫と息子が犠牲になった。母親のイヴリン( エミリー・ブラント)は、出産間もない赤ん坊と耳の不自由な長女:リーガン(ミリセント・シモンズ)そして息子のマーカス(ノア・ジュプ)を連れて新たな避難場所を求めて移動し、鉄工所跡で、同じ町のエメット(キリアン・マーフィー)に出会う。拳銃でも殺せない固い皮膚に覆われ高速で人類を襲う怪獣だったが、リーガンが付けている補聴器の高音が弱点で、この高音を流すと顔面が割れ、その割れた顔面を狙えば、怪獣を退治することが出来、また泳げないようだ。鉄工所に隠れている間に、ある島に生きている人々がいるとわかったが、足を痛めたマーカスと赤ん坊がいては、イヴリンは、鉄工所跡から動けない。利発な娘:リーガンが反対する母親を振り切って、エメットと二人で島の場所を探しに行くが。。。


観ない方がいい映画だった!

 この「クワエット・プレイス」には、2018年公開の前作があるようだけど、私は観ていない。
監督と脚本は、前作同様に、ジョン・クラシンスキーとある。

 前作は、低予算ながら、アメリカでは好評だったようで、すぐに柳の下の2匹目のドジョウを狙ってパート2が製作されたが、このコロナ過で、日本でもパート2は、2020年公開予定が伸びに伸びて、2021年6月にやっと公開されたという状況。

 そこで、私も、もう1年近くこの作品の予告編を見せられていて、これほどまでに映画会社が力を入れているなら、面白い何かがあるのではと、宣伝に乗せられて観た。

 しかし、酷い出来だった。
前作を知らないで観たため、宇宙からきたことになっている怪獣が、音に対して敏感であることは分かるが、どうして人間を狙うのか、また、僅かな間に、どこにでも居るほどどうして繁殖したのか。
話が前作の延長線上で展開されるため、「あらすじ」を書くだけでも、NET上のあちらこちらのデータを参考にしないと纏めることができなかったほどの、愚作。

 本当に脚本が安易で練られていない。
「静かにしなければならない」の対極にある「泣き声を出す生まれたばかりの赤ん坊」の設定。
この処置だけど、泣き声を外に漏らさないために、変な防音の子守り篭を開発して、しかもその赤ん坊が酸素ボンベでおとなしくしているなんて、もう、無茶苦茶なアイディアで、話にならない。

 決して外に出てはいけないと母親に言われても、溶鉱炉みたいな場所からでていく、お馬鹿な息子。
このフリなら、だれが考えても、その馬鹿息子は、怪獣に襲われるよね。
そして、「間一髪」で救出されることも、もう、普通の観客なら、先が読めるお話。

 耳の不自由な娘の勇敢さには、感動するけど、耳が聞こえないならどうして、怪獣に聞かれないよう、音を立てずに行動できるかの不自然さ。
そして、危機にあっても、もう、これも、誰かに助けられることも、当然でつまらない。

 もっと分からないのが、港にたむろしている人たちは、どうして、ボートが沢山あるのに、島へ移動していないのか。
などなど、でたらめの内容ばかりで、全く見る価値のない映画だった。

 エミリー・ブランの; 「メリー・ポピンズ リターンズ」 (2019年)、「プラダを着た悪魔」 (2006年)

 キャラクター

あらすじ:絵は上手いが目指している猟奇的な漫画の主人公の特徴がいまひとつ描き切れないために、出版社に作品を持ち込んでも売れない山城圭吾(菅田将暉)だったが、アシスタントをしている漫画家から「幸せそうな家」のスケッチを頼まれて住宅街に行くと、親子4人家族が惨殺されたばかりの現場にでくわし、逃げていく冷酷な殺人犯を目撃する。しかし、圭吾は事情聴取をする刑事の清田(せいだ)俊介(小栗旬)や真壁孝太(中村獅童)には、犯人を見たことを隠し、この事件を元にした連載漫画「34(さんじゅうし)」を発表した。実際の殺人者と犯行現場を見たことで、今までの圭吾には欠けていた冷酷な殺人鬼「ダガー」が出来上がり、すぐに圭吾は売れっ子漫画家となった。セキュリティも万全な高級タワー・マンションに結婚したばかりの川瀬夏美(高畑充希)と移り住むが、彼が連載している「34」を模倣した殺人事件が起き、両角(もろずみ)と名乗る「34」のファン(Fukase)が、圭吾の作品をなぞって実践したと告げる。両角は、圭吾が以前目撃した殺人犯だった。両角を殺人犯と疑う清田が殺されて、「幸せな4人家族」になるはずの圭吾の家庭にも。。。


最後まで残忍さが欲しかった!

 監督は、CMで有名な、永井聡(ながい あきら)で、俳優の菅田将暉とは、「帝一の國」で一緒したとのこと。
漫画界を題材にしているので、元には漫画がありそれを映画化したのかと思ったら、長崎尚志(ながさき たかし)という元は漫画の雑誌の編集者が、川原杏奈、永井聡を交えてオリジナル脚本を書いている。
製作には、東宝とフジTVが絡んでいるが、映画用のオリジナル作品にフジTVが手を出すとは珍しい。

 殺人鬼の両角には、音楽バンド SEKAI NO OWARI のメンバーの Fukase(深瀬)が、扮しており、彼の映画出演は、初めてとのことだ。

 現実に起きた猟奇的な犯罪、また小説や映画などで創作されたストーリーを誰かが真似をするという「模倣犯」の発想はそれほど目新しくない。
それでも、なんでもありの漫画で「幸せな4人家族殺人事件」に設定した、長崎尚志の意欲は買える。

 漫画の手法を借りれば、どんな残酷な内容でも許される。
だけど、映画にする以上、ある程度の背景の説明は必要だが、それが欠けた。

 例えば、両角がどうして「幸せな”4人”家族」を憎むことになったのか、頭の弱い別の容疑者:辺見と両角との接点の説明不足、最後で山城が拳銃に撃たれても生きていられたチョッキの強さの描き方の足りなさなどが挙げられる。

 また、この残虐さを持つ展開なら、両角は双子を身ごもっている夏美の足を刺すのではなく、当然に身ごもった腹を刺して、終わりにすべきだった。
どうせ、毎回4人の家族を殺すという冷酷で残虐な映画なら、ここは、もう遠慮しないで、徹底した残忍さで締めくくるべきだった。
誰に対してか不明だけど、中途半端な話の妥協が、作品の主張を弱めていて、悔やまれる。

 確かに、漫画界を知っている長崎尚志を介して、人気漫画家が実に高収入を得て、凄い豪華な生活をしているとか、最近の漫画の書き方が、コンピューター利用のグラフィック画面になっていることは、分かる。

 この映画では、両角に扮したFukaseの演技力が、素晴らしい。
映画出演が初めてとは思えないほど、役にはまっている。事前に役を研究した成果が、十二分に発揮されている。
Fukaseは菅田将暉といい勝負をしている。
だけど、小栗旬と中村獅童は、損な役を貰った。小栗旬の役が元暴走族だったとは、まったく、余分で目立たない。

 筋の展開では、かなり粗さもあるが、まあ、観られる作品だった。

 菅田将暉の; 「花束みたいな恋をした」 (2021年)、 「糸」 (2020年)、 「浅田家」 (2020年) 、 「アルキメデスの大戦」 (2019年)
 小栗旬の; 「罪の声」 (2020年)、 

 アオラレ

あらすじ:美容師で離婚調停中のレイチェル(カレン・ピストリアス)は高齢の母の介護や同居する弟とその彼女の世話などで経済的にも苦しくて気分がすぐれず、今日も朝寝坊をして息子のカイル(ガブリエル・ベイトマン)を学校へ送る途中、大渋滞に巻き込まれる。そのため職場からはたびたび時間を守らないので首といわれ、いつも以上にイライラしていた。そんな道路で、前の車が青信号になっても発車しないので、大きくクラクションを鳴らして追い抜いた。しかし、次の信号で停車していると、追い越された車の男(ラッセル・クロウ)が隣に来て、運転マナーがなっていない「謝れ」と言われるが、レイチェルは拒否して、どうにか息子を学校に送り、ガソリン・スタンドで給油をしていると、追い越された男がつけてきていた。店員から彼は「凶暴な男」と告げられ、怖くなったレイチェルは彼から逃げようとするが、車の中に置いてきたスマホが彼に盗まれ、スマホ内の情報から親しくしていた弁護士や弟の彼女も彼に殺される。警察に通報するが、もう怖いものがないその男は、レイチェルの息子を殺そうとする。。。


女:内容はハチャメチャだけど、それなりに怖いわね!!

男:監督は、デリック・ボルテで、脚本は、カール・エルスワースとあるが、二人とも知らない。
女:何気なく追い越した車に執拗に追われるって話は、どこかにあったわね。
男:若い頃のスティーブン・スピルバーグが監督して評判になった「激突!」だ。
女:その「激突!」でも、追い越された車の運転手は、追い越した車の運転手を殺そうとするけど、この「アオラレ」では、現代的にスマホを絡めて、運転していたレイチェルだけでなく、彼女の周りにいる人たちも殺して行くのが、怖いわね。
男:本当にスマホには、住所や現在地は勿論のこと家族や友人など個人情報が満載で、これを盗まれるともうお手上げだ。
女:凶暴な男に扮しているラッセル・クロウがどうしてここまで怖いもの知らずになったかも分かる筋になっているので、観られるわよ。
男:冒頭で元の妻を殺し家を焼くシーンで、ラッセル・クロウの凶暴な性格を上手く説明している。
女:日本でのタイトル「アオラレ」は、最近の高速道路での「アオリ」運転から、この映画の内容がよくわかる上手い付け方ね
男:英語でのタイトルは「Unhinged」で日本語に訳すと「狂気の(男)」だけど、「アオラレ」はこの狂気と自動車が絡んでいるのがよくわかる。
女:髭をはやし、太っているラッセル・クロウの役作りもいいわね。存在感があって怖いわ。
  こんな性格の男なら、もう自分の人生を捨てても、生意気な女性をしつこく追い廻して、その家族までも殺す雰囲気が充分に出ていたわよ。

男:レイチェルの車からスマホを盗んで代りに自分の携帯電話を置いたり、タブレットを彼女の車の座席の下に貼り付けるのは、いつやったのかかなり強引な手法だけどね。
女:それにしても、昔ながらのカーチェイスも一応観られるできじゃない。
男:運転中にスマホを見たり、化粧をしたりで、実に現代の自動車運転は危険に満ちていることも、監督は言いたいんだね。
女:凶暴な男に対しても、我が子を守る母親の愛情は強いってことも言えるのよ。
男:また、スマホには、ちゃんと画面ロックやパスワードを設定して、盗まれても情報が漏れないようにすることだね。
女:えっ、スマホを充分に使いこなせないあなたが、それをいうわけ?
男:理論的な話なら、私でもできるよ。
女:ようするに、口先だけってことね。
男:そういわれては・・・

歌うラッセル・クロウは; 「レ・ミゼラブル」 (2012年)
スマホの危険性は; 「スマホを落しただけなのに」 (2018年)

 いのちの停車場

あらすじ:東京の大きな病院で救命医師の白石咲和子(吉永小百合)は、同じチームでまだ医師の資格を持たない野呂聖二(松坂桃李)が止む無く注射をした行為の責任をとって、父親:達郎(田中泯)が暮らす故郷の金沢に戻り、在宅医療を専門に行う「まほろば診療所」の院長:仙川徹(西田敏行)に代わって医者として働きだした。そこには、交通事故で同乗していた姉を亡くして以来、自動車に乗れなくなった看護師の星野麻世(広瀬すず)が優しく末期を控えた患者たちに接していた。東京から咲和子を慕って来た野呂も加わり3人で、自宅で命の終わりを迎える人たちの人生を。。。


それで、何を言いたいのか!!

 監督は、吉永小百合とは、「ふしぎな岬の物語」で一緒した成島 出(いずる)で、原作は、現役の医者:南 杏子。これを、平松恵美子が脚本を書いた。

 全体として、大女優?吉永小百合にかなり遠慮をした物語の展開と撮影方法だ。
また、大男優?西田敏行にも気を使っているので、覇気がなく、話がかみ合わない。

 まず、吉永小百合に関しては、この歳にしては、確かに顔には皺もないし、シミもない。
しかし、首筋の皺は隠せないし、声の出し方、話かたの速度と元気の無さ、歩き方など、これでは、父親役の田中泯の娘ではなく、夫婦とした方が適役だ。

 また、吉永の年齢を補ったと明らかに分かる撮影方法も下手だ。
赤い光線を使用し暗くした食事のシーンが多く出てくる不自然さ。
通常の場面でも、背景をぼやけさせ、はっきりさせない見た目に違和感だらけのこれも、おかしな撮影方法。

さらに、筋の展開も、咲和子は医者でありながら、痛みに苦しみ、意識が無くなって行く父親の要望を叶えるために「安楽殺人」を選んだ筈なのに、それを実行していない終わり方は、吉永小百合を犯罪人にさせたくない監督の余計な忖度だ。
ここは、医者の「殺人」として、世間に問題を投げかけるべきだった。

 そして、足腰が弱り、満足に歩けない西田敏行の起用は、いくらなんでも無理だった。
西田には車椅子での役を与えたが、これでは、制約が多くて、映画としての幅が持てない。

 いくら、脚本と金沢の観光名所の撮影で誤魔化そうとしても、そこには、無理がある。

 いや、脚本のできもおかしい。
咲和子に反発し、ちらちらと着物姿で出てくる芸者役の小池栄子は、一体何を言いたいのか。
有名な囲碁棋士役の石田ゆり子は単に川べりで記念写真を撮っているだけで、どうして、ここまで咲和子を信頼することになったのかも分からない。

 極め付きは、子役の佐々木ゆみちゃんが、生き返るなら人魚になりたいと言ったとしても、松坂桃李が肩に背負って海で泳がせるのは、行きすぎた演出だった。
ガンに侵された病人に海の水は厳しく身に染みる。

 そして、脊髄損傷でも会社に出てくる役の伊勢谷友介をチラシから削除した映画会社の思惑も姑息。

 基本的に、高齢の吉永小百合と病人の西田敏行を主役として配したことが、この映画の過ち。
ここは、若い広瀬すずと松坂桃李をもっと前面に押し出し、これからも生きることと決められた死の対比を描くと良かった。

 それにしても、田中泯のこの演技は、いつもながら凄い。

 吉永小百合と成島 出監督の; 「ふしぎな岬の物語」 (2014年)
 成島 出監督の; 「ちょっと今から仕事やめてくる」 (2017年)、 「八日目の蝉」 (2011年)
 松坂桃李なら、; 「新聞記者」 (2020年) 、 「あの頃。」 (2021年)
 広瀬すずの; 「ちはやふる」 (2018年) 、 「三度目の殺人」 (2017年)
 佐々木ゆみちゃんが出ていた; 「万引き家族」 (2018年)

 安楽死なら; 「ドクター・デスの遺産」 (2020年)、 「終(つい)の信託」 (2012年)
           「海を飛ぶ夢」 (2005年)

 

 ファーザー

あらすじ:イギリスのロンドンに一人で住んでいる81歳のアンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、最近認知症がすすみ、面倒をみていた介護人も腕時計泥棒だと疑われて辞めていき、見かねた娘のアン(オリヴィア・コールマン)は、自分の家に引き取る。アンの家に引っ越しても、依然として元のフラット(住宅)での生活だと思ったり、事故で亡くなった下の娘の絵自慢などをして、生活のリズムを狂わされたアンの夫は施設に入れろというが、アンは新しい介護人(イモージェン・プーツ)を採用して何とか、自宅での介護に望みを託すが、アンソニーの認知症は、もう。。。


地味な、本当に地味な映画だ!

 一応、本年(2021年)のアカデミー賞候補だったけど、あまり前評判には上がっていなかったのに主演男優賞を、83歳のアンソニー・ホプキンスが獲った作品だ。
監督はフロリアン・ゼレールで脚本は、彼とクリストファー・ハンプトンで、監督のフロリアン・ゼレールの原作がある。この「ファーザー」は、アカデミー賞の脚色賞も獲った。

 映画を観ていて、この主人公:アンソニー・ホプキンスのやたら長いセリフ回しと背景となる場面の少なさ、また登場人物の少なさから、これなら、舞台劇にした方が適していると感じ、調べると、逆に、元は舞台劇であったのを映画化した物だった。

 認知症が進む老人の幻想なのか、いや、それは現実なのか。
これは、認知症の老人に対する家族愛ではなく正常な老人を、家族が精神異常者にさせるサスペンス物語としての出来上がりだ。

 認知症と言われている患者の眼から見ている内容と、娘など他の人からの視線での別の映像が繰り返され、時には登場人物が違って再現されるので、観客にはどちらの映像が真実かは分からない。

 老人でも気分が高揚すれば、若い娘の前で、今まで家族に披露したこともないタップ・ダンスを踊る。
しかし、エンジニアとしての父親しか見たことのない娘は、ダンサーとしての父親を否定する場面があるが、これは興味深い。

 当然、父親には、娘が生まれる前の、彼女が知らない人生経験がある訳で、単に娘の言葉を信用することはできない。
と言うように、かなりミステリアスな内容の映画だ。

 多くの人が、83歳のアンソニー・ホプキンスの演技の素晴らしさを高く評価しているが、これは、彼が言っているように、ただ「歳相応の演技」をしているだけで、私には、元気だからこなせた役としか写らない。
多くの役者が70歳を超えると足腰が弱り長時間の演技が出来なくなるが、80歳を超えてもなおこの役が出来るとは、演技力の前に彼の体力の保持の仕方を讃える。
役者としての健康管理の素晴らしさがある。

 映画として観るには、特に盛り上がりも無く、地味さだけだった。

オリヴィア・コールマンの; 「女王陛下のお気に入り」 (2019年)
チョットだけ出ていた、イモージェン・プーツの; 「ビバリウム」 (2021年)

 モンスターハンター

あらすじ:アメリカの砂漠で小隊が突然行方不明となったのを捜索に来たナタリー・アルテミス大尉(ミラ・ジョヴォヴィッチ)の隊が、巨大な砂嵐に巻まれて気がつくと、別の世界にいた。そこには、行方不明となった兵士達の遺体だけでなく多くの朽ちた船も横たわり、砂の中から大きな人食い蟻のような怪獣が彼らを襲い銃や手榴弾も効果がなかった。どうにか、洞窟に逃げるが、今度は、暗闇に住む、これも巨大な蜘蛛のような怪獣に襲われ、生き延びたのはナタリー一人となった。そこへ言葉も通じない弓矢をもった男:ハンター(トニー・ジャー)が現れ、二人は敵と思い闘うが、違うことが分かり仲間となる。ハンターの助けで、砂漠の怪獣を無事退治したナタリーは、草木が繁る土地に案内され、そこで、大団長が率いる集団に紹介される。彼らの話では、元の世界に戻るには、塔に住む火を噴く怪鳥を退治しなければならないが。。。


女:まったく筋らしい筋がないのに、よく観たわね!

男:日本のコンピューター・ゲーム会社「カプコン」が作った「モンスターハンター」を、これもゲームソフトの「バイオハザード」シリーズを実写化してヒットさせた、監督: ポール・W・S・アンダーソンが妻であるミラ・ジョヴォヴィッチを主役にして、実写化したんだね。
女:だいたい、あなたがコンピューター・ゲームをしていたのは、カセットを押しこむ任天堂のファミリー・コンピューター時代の「スーパーマリオ」や「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」で、その後の新しいのは、知らないでしょう。
男:そうだね。
  ゲームを中断する前には、必ず暗号の言葉を記録していないと、再開が出来なくて何度も、最初から始めたのを思い出した。
女:「バイオハザード」も当然知らないのよね。
男:ゲームの方は知らないけど、TVで放映されたのは、暇つぶしに見たことがあるよ。
女:それで、でていた女優のミラ・ジョヴォヴィッチに惹かれたという訳ね。
男:この発音が難しい名前のジョヴォヴィッチだけど、本当の発音は、ジョヴォヴィッチと言うのかな。
女:そんなことは、あまり問題にしなくていいの。
   話は、映画のこと。

男:正しく、ゲームでの展開で、敵のボスがいてそれを退治して、また次のボスにむかいそれを退治するというだけだね。
女:よくある、まだ幼い主人公が、敵との争いで経験を積んだり、様々な武器を手に入れ、旅をしていくうちに成長し仲間も増え、ラストの強力なボスに挑むという筋じゃないのね。
男:いくらゲームとはいえ、弓矢の方が、機銃や爆弾よりも強いとはおかしいし、巨大な蜘蛛が昔の映画の「エイリアン」の様にネバネバと人間を捕らえているのも、創作不足だし、ミラがハンターにチョコレートを差し出すシーンでは、あれだけ闘っていても、溶けない板チョコとは余りにも凄いし、草原にあれだけの仲間がいるなら、もっと前にミラを助けに行けよだ。
女:映画の終わりの方に、日本の女優:山崎紘菜もチョコっと変な眼鏡をかけて出ていたわね。
男:ほんとうに、チョコっとだけの出演だね。
  本人は、この「モンスターハンター」に出演できて大喜びだけど、これでは、演技の評価もできないほどの映り方だ。
女:そこで、猫の料理番も出てきたけど、これは何かしら。
男:ゲーム版では、何か重要な存在らしいけど、この扱い方では、どうしてここで猫がという登場方法で、違和感だけが残った。
女:またまたコロナが拡がって政府からも緊急事態宣言が出されて、東京の映画館は全部休館中にも関わらず、千葉まで行って観た割には、残念な映画という訳ね。
男:いや、いや、青い瞳をしたミラ・ジョヴォヴィッチのアクションを大型画面で堪能できた。
女:まったくいつまでたっても、美人が好きとは、懲りない男ね。
  そんなことをしていると、コロナに感染するわよ。

男:なんだかんだといっても、わたしのことを心配してくれるんだね。
  ありがとう。
女:別に、褒められても・・・

 騙し絵の牙

あらすじ:本が売れなくなって経営の危機に瀕している大手出版会社:薫風社は、創業社長の伊庭が亡くなり、文芸本に固執する宮藤和生(佐野史郎)と改革を進める東松龍司(佐藤浩市)が次期社長の座を巡って争っていた。東松は、雑誌「トリニティ」に編集長として新しく速水輝(大泉洋)をスカウトしてきた。速水は、文芸部から本の好きな本屋の娘:高野恵(松岡茉優)を異動させ、彼女が気にかけていた新人作家:矢代聖(宮沢氷魚)の作品に目を付けて、「トリニティ」から、デビューさせる計画を立てていたが、文芸部の編集長:江波百合子(木村佳乃)から、横槍が入る。。。


活字を愛している人たちの最後のあがきか!

 原作は、塩田武士が、主演の大泉洋を最初からモデルにした本「騙し絵の牙」があり、それを、楠野一郎と監督をしている吉田大八がかなり内容を変更した脚本にしたようだ。

 タイトルの「牙 ~K・IBA~」は、またそれなりに意味を持っている。

 出ている俳優たちが、上で紹介した大泉洋、松岡茉優たちの他に、文芸評論家として小林聡美、大物作家として國村準、社長の息子として中村倫也、またリリー・フランキーや斎藤工、そして私は余り知らない池田エライザなど、豪華に?ちょこっとばかり登場する。

 「騙し絵」というけれど、そんなに大げさな「騙し」ではなく、企業の生き残り作戦を他の人に知られずに実行するというだけのことで、チラシがいう程の、別に凄い逆転劇ではない。

 良くある話の次期社長の座をかけての社内での争いでは、これも特に目新しくもない出来栄えだ。

 登場人物が多すぎた。
各々に役目を持たせたために、的が絞り込まれていない。
ここは、元アイドルの池田エライザと新人作家の宮沢氷魚にスポット・ライトをあてた話に集中して、國村準や経営コンサルタントの斎藤工などの話は、削除した方がよかった。

 いわゆる総花的となっていて、印象が薄くなる。

 もう活字文化は衰退していて、一人の作家の行動や作品が、この映画のように、大きなニュースとして取り上げられることが無い現状では、活字に愛着を持つ作家の塩田武士と監督の吉田大八が、「活字の本」を何とか復活させたいと思う気持ちは分かるが、この出来栄えでは、退屈。

 だいたい、コメディしかできない大泉洋にしっかりした主張をもたせるという配役からミスがあったのだろう。
出版社の屋上で、大泉と松岡の熱い議論は、残念ながらアドリブ的で内容が伴っていない。

 最初から、ヒットを期待しないで作られた映画かな。

 それにしても、佐藤浩市は、凄く疲れた表情で、見ている方が健康状態を心配する。

 吉田大八監督の; 「紙の月」 (2014年)
 塩田武士原作の; 「罪の声」 (2020年)
 大泉洋の ; 「新解釈・三國志」 (2020年)、
 松岡茉優の ; 「万引き家族」 (2018年)、 「ちはやふる」 (2018年) 
 木村佳乃と中村倫也の ; 「ファーストラブ」 (2021年)

 ミナリ

あらすじ:1980年代、軍事政権下の韓国からアメリカのカリフォルニアに移民してきたジェイコブ・イー(スティーヴン・ユァン)は、ヒヨコの雌雄選別で生計を立てていたが、農業で一旗揚げようと、アーカンソー州のまったく片田舎の土地に、妻:モニカ(ハン・イェリ)、そして、娘:アン(ノエル・ケイト・チョー)と心臓に穴が空いていて走る事を禁じられている息子:デヴィッド(アラン・キム)と共に引っ越し、ハリケーンが来たら飛ばされそうな、ぼろいトレーラーハウスに住む。夫婦は、近所の孵化場で働きながら、信心深いアメリカ人のポール(ウィル・パットン)を雇って水に恵まれない土地を耕し、モニカの母親:スンジャ(ユン・ヨジョン)も呼び寄せる。突然同居することになった韓国語しか話せない祖母に幼いデヴィッドは、戸惑うが、花札遊びや小川への散歩などをしているうちに、親しくなった。しかし、スンジャが脳梗塞で倒れ、また苦労して収穫した作物も売れず。。。


韓国からアメリカへ移民してきた家族のアメリカ製作の映画とは、かなり複雑!

 題名の「ミナリ」とは韓国語で、日本語では香辛料の「芹(せり)」のこと。この「せり」は、韓国から来たおばあちゃんが、小川の岸辺に植えることから取ったようだ。

 映画の製作は、アメリカだけど、監督と脚本は、韓国系のリー・アイザック・チョンで、出演者も殆どが韓国系の俳優で、セリフも韓国語がかなり英語に交じっている。

 予告編を見た限り、あまり感動するようなシーンもなかったが、アカデミー賞うんぬんで、一応観に行く。

 軍事政権下で先の見えない韓国から脱出し、広大なアメリカという慣れない土地で苦労しながら成功を目指す移民とその家族の話だ。

 映画の進め方としては最後の納屋の火事を除いて、正しく、淡々と描いているが、飽きさせはしない。
韓国語しか話せないおばあちゃんが下品な言葉を使ったり、寝小便のくだりも笑わせる。
子役のデビッドを演じたアラン・キムが実に上手い。

 でも、子供と動物を使った映画なら、人間ならだれでも、本能として「可愛い!」と思わせるように遺伝子がなっているので、子役が上手いだけでの評価は厳しい眼で見なければいけない。

 おばあちゃんを呼び寄せて、一緒に暮らすというのは、東洋的で分かるが、ここまで苦労を分かち合い、夫の夢についてきた妻が、成功が近づいてきたのに、もう耐えられず離婚を考えているという脚本が分からない。
韓国系の監督のリー・アイザック・チョンだけど、顔立ちは韓国人でも、この夫婦間の感情表現は、かなりアメリカ的であった。

 妻役のハン・イェリは、美人ではないけど、うまい演技をしている。
だが、昨年の好評だった韓国映画「パラサイト~半地下の家族~」の流れを受けて、評判がいいようだけど、この展開では、あまり共感はできない。

 韓国映画なら; 「パラサイト~半地下の家族~」 (2020年)、 「野球少女」 (2021年)

 ビバリウム

あらすじ:ある日、恋人同士のジェマ(イモージェン・プーツ)とトム(ジェシー・アイゼンバーグ)は、新居を求めて不動産屋を訪ねると営業担当のマーティン(ジョナサン・アリス)から、新興住宅地「ヨンダー」にある、同じ形をした緑の家々が立ち並ぶ一角にある9番の家を薦められ内覧する。二人が家の内部や裏庭を見ていると、いつの間にか案内人のマーティンの姿が消えていた。奇妙さに気がついた二人は、車を走らせ何とかこの「ヨンダー」からの脱出を試みるが、とうしても9番の家の前に戻されてしまう。ヨンダーにある他の家には、誰も住んでいなく、スマホは圏外だし、空の雲の形も全然変わらない。味気のない食事がいつの間にか家の前に置かれ、助けを求めるが外の世界からも反応はなく、家を燃やしても、翌日には、元にもどっているという不思議な迷宮に入ったようだ。そんなある日、玄関の段ボールに赤ん坊が置かれていて、「この子を育てれば、解放される」とあったので、止む無くその赤ん坊を育てるが、成長が異常に早いその子は。。。


女:何か新しいことがあるかと期待したけど、結局何もないのね!

男:予告編からは脱出できない迷宮の一角での子育てとは、面白うそうな感じがしたんだけどね。
女:監督は、アイルランド出身のロルカン・フィネガンで、脚本は、ギャレット・シャンリー とあるわね。
男:監督としては、最近の世の中の流れとして、隣の人が誰かも分からない郊外の新興住宅街で一戸建てを持って子育てをしても、それは、他人の子を育てる程度でしかないということなのかな。
女:題名の「ビバリウム」ってどういう意味なの。
男:難しいタイトルだ。
  辞書では「動植物飼養場、動物施設、小動物保存施設」とあるけどね。これでは、日本語でもピンこない。
女:映画の冒頭ででてくる鳥のカッコウが他の鳥の巣に卵を産みつけて育てさせる「托卵」のイメージがこの映画の内容なのね。
  タイトルの「ビバ」からは、セレブ達が住むビバリーヒルズに関係しているかと思ったけど。

男:人類でない生物が私たちの近くにいて、彼らの子を強制的に人類に育てさせて、その子が成長すれば、人類の夫婦は死んでしまうという映画だった。
女:迷宮とよその子を育てるなんかは、新しいアイデアでしょう。
男:その迷宮からは、赤ん坊を育て上げないと脱出できないというのは、面白いね。
  だけど・・・
女:合理的・理論的な面で納得がいかないと、あなたは気が済まないのね。
男:このような映画にまで、理論的な整合性を求めてはいないけど、どうして庭に穴を掘るのか、とか、最後に成長した子供が地下に逃げ込む訳は、もっと説明が欲しいね。
女:そうね、一度前に掘られた穴なら、もっと土も柔らかいだろうし、行き着いた先に、袋に入った人間があるのも、唐突なつなぎ方ね。
男:他人の子供を育てる関係で、男は、もうその子を殺そうとするけど、女性は育てている内に情が移り、子供を守る立場になるのは、そうだろうと思う。
女:私としては、監督のロルカン・フィネガンのアイルランドでも、昔の近所付き合いや、地域の人情が無くなっているという方に興味があるわね。
  地域としてのコミュニティは、日本だけでなく、世界レベルで崩壊しているのね。

男:私も自治会の役員をしているけど、本当に住民が地域の活動に関心がない事では、災害時の事を考えると、ぞっーとするね。
女:話が面倒な方向に行ったけど、結局は、一軒家を持っても寂しいことになるということかしら。
男:でも、私も好きなように庭に穴を掘りたいときもあるけどね。
女:もう、そんな力もないくせに、口先ばかりよ。
男:えっ、なにかいった?
女:いいえ、なにも言っていません
男:最近は、耳も遠くなったのかな・・・

ジェシー・アイゼンバーグの; 「ソーシャル・ネットワーク」 (2011年)、 「ハミングバード・プロジュクト」 (2019年)

 ノマドランド

あらすじ:2008年にアメリカで起きたリーマン・ショックから深刻となった経済不況は、ネバダ州のとある町の企業を倒産に追い込み、その企業に依存していた町は消滅してしまった。その町に住み、夫を亡くし代用教員だった60歳を超えたファーン(フランシス・マクドーマンド)は止む無く、最低限の生活用品を狭いバンに詰め込んで、一人、車上生活の旅を余儀なくされた。生活費は、大手物流会社の配送倉庫や飲食店、また自然公園のバイトなどでつないでいた。車上生活をしている人は多く、彼らは自分たちを現代のノマド(遊牧民)と呼んでいた。人懐っこい彼らが集まるキャンプ地では、物々交換会があったり、石を集めている人などとも知り合え、「さよなら」ではなく「またどこかで会おう」といって別れる。普通の家庭生活をおくっている姉やファーンに好意を持ってくれるデヴィッド(デヴィッド・ストラザーン)からも普通の家で一緒に住もうと薦められるが、ノマドとなったファーンは、もうフカフカのベッドでは眠れなかった。。。


管理された社会を知っている高齢者でないと、この内容にはついて行けない?!

 監督は、中国生まれの女性のクロエ・ジャオで、元になっている本は、ジェシカ・ブルーダーの「ノマド: 漂流する高齢労働者たち」があり、主演のフランシス・マクドーマンドもプロデューサーを兼ねている。

 タイトルとなっている「ノマド」を日本語のチラシでは、「遊牧民」と訳しているが、この訳では、羊や牛を追って移動するモンゴルの遊牧民を想像するが、これでは、映画の内容から外れている。
本当の「ノマド」は、定住地を持たない人々のことで、「放浪者」とか原題の「漂流者」が適した訳だろう。
また、この映画のお陰で、「ノマド」の意味として新しく「車上生活者」が加えられるだろう。

 映画の展開としては、町がなくなったので、小さなバンに亡くなった夫との思い出の皿や生活用品を詰め込み、生活の糧は、アマゾンなどでバイトをして得、自由にアメリカ各地を放浪する高齢の白人女性の物語だ。
車上生活と行っても、アメリカの各地には、無料か有料かは分からないけど、多数の車が一度にキャンプできるかなり広い場所があり、そこでは、長期の滞在者もいて彼らは「ノマド」として、一種のコミュニティを作っているようで、この存在が、日本人の私にはピンとこない。

 放浪をしている人の多くは孤独な高齢者であることに注目したのが、監督のクロエ・ジャオで、それで映画にしたという。
映画の中で、ノマドの民が、ガンを患っているとか、「ホーム・レス」ではなく「ハウス・レス」だとか、特に気取ったりせず淡々と語るのが実に印象的。
その彼らだが、エンドロールでリンダとかスワンキーなどあだ名のクレジットと、関係情報から、この映画で俳優と言えるのは、フランシス・マクドーマンドとデヴィッド・ストラザーンの2名だけで、他の出演者たちは、本当にキャンプ地で知り合った素人のノマドの人たちで、彼らには、台本はなく、自由なセリフを言っているようだ。

 つまり、この映画の大部分は、ノンフィクションということで、この手法もマニア的な映画ファンから、高評価を得ているらしい。

 定職につかず、各地を旅する人と言えば、私には渥美清が演じた「フーテンの寅」が連想されるけど、この「ノマドランド」では、笑いがないのが、かなり退屈。

 フランシス・マクドーマンドのウンチ・シーンとか裸での水浴は、特に見たくもない。

 自由がきかない会社員生活は、誰でも嫌だし、そこそこの金があれば、そりゃあ、皆な適当に旅をして、気楽に暮らしたい。
社会的な拘束や家族のしがらみから逃げている人たちが選んだ孤独は、当然の報いで、同情する余地はない。

 齢をとっても気楽な車上生活を送れるのも、どこか、アメリカでの白人だからかなと思う。
白人だから、高齢者でも、適度にバイトもできるのだろう。
これが、黒人やアジア人なら、この「ノマド人」のコミュニティに入れるのだろうか。

 かなり共感できなかった部分がある映画だった。

 大きな恐竜の模型があったり、沢山の燕や砂岩山?がある広大なアメリカの自然は綺麗に撮影されています。

 フランシス・マクドーマンドがよかった; 「スリー・ビルボード」 (2018年)
 

 奥様は、取扱い注意 (劇場版)

あらすじ:とある組織の工作員だった菜美(綾瀬はるか)は、戦闘中に頭を撃たれて名前も過去の記憶も思い出せず、夫だという、優しく介護をしてくれる高校教師の桜井裕司(西島秀俊)の妻:久実としてメタンハイドレートの開発基地となった珠海市で暮らしていた。しかし、裕司は公安警察に務めていて、メタンハイドレート開発に費やされる国の資金のかなりの部分がロシアの黒組織に流れているという捜査のために珠海市に潜入していたのだ。珠海市では、衰えていく漁業の将来を考えて開発に賛成する市長の坂上洋子(檀れい)と、美しい海を守ろうとする五十嵐晴夫(六平直政)をリーダーとする洋子の元の夫の矢部真二(鈴木浩介)達の開発反対派が次の市長選挙を巡って対立していた。ロシアと関係が深い調査会社は、現市長を再選させたくて反対派の人たちをヤクザを使って脅す。徐々に記憶と身体能力が戻って来た菜美がついに。。。


綾瀬はるか って、アクション女優を目指しているの?!

 この「奥様は、取扱い注意 ~劇場版~」の元になっているのは、2017年に日本テレビで放映された同名のドラマがあるとのことだけど、私は、それは見ていない。

 監督は、テレビと同じ佐藤東弥で、脚本は、まなべゆきこ とある。

 映画版の撮影は、2019年に終わっていて、コロナの問題がなければ、昨年:2020年6月ごろに公開される筈の映画で、私も2020年に公開のチラシも持っている。
それが、2021年3月に、まだコロナ禍は解決されていないがどうにか公開されたということだ。

 話の展開はテレビ版の最終回を引き継いでいるようだけど、テレビ版を見ていない私には、前半の記憶を失った綾瀬はるか が普通の主婦として料理や弁当を作ったり、自転車に乗って町のコロッケ屋で買い物をするシーンも、この後、いつ記憶を取り戻しどのような活躍をするのかと期待をもっていた。
また、登場人物の素性が分からないので、開発反対派には、だれか賛成派のスパイが紛れ込んでいるのかというハラハラ感もあった。
しかし、結局この映画では、そこまでの展開は無かったけど。

 タイトルの「奥様は、取扱い注意」からは、かなりコメディの場面もあるのかと思ったが、観終わるとこれは、単純に、綾瀬はるか という女優のアクションだけが取り柄だった。
その活躍、アクション・シーンだけど、これって全部、綾瀬はるか がこなしたの?
作品情報では、スタントを使わずに、全部、綾瀬はるか がやったというけど、これらの動きは実に早くていい。
多分にスピード感は、カメラ・ワークの上手さによるものだけど、入念なリハーサルを重ねたことは分かる。

 狭い船の中で、こんなに大人数が暴れまくるのでは、やっている方も撮影の方も大変だ。
だけど、この船の中でのアクションは筋が粗すぎる。
最初は、素手同士で闘い、次は、銃もマシンガンもあり、さらに手榴弾も出てくるが、それなら最初から銃を使えよっと言いたくなる矛盾を感じる。

 ロシアの掘削船ということで、当然闘いの場は、掘削機の上の方に移って、最後は、高いところから、誰かが落ちるとの予測が、最初から出来るのは、脚本の甘さだ。
その脚本としては、前に心臓付近を貫く事故があっても、奇跡的に一命を取り留めたという話から、綾瀬はるか が銃で撃たれ、高所から海に落ちても死んではいませんという纏め方も、杜撰。
日本の平凡な警察組織でも、その場で落ちた綾瀬はるか の体の回収に向かうよ。

 まあ、これだけでなく、開発会社に買収されたという地元警察にしても扱いが緩いし、肝心の悪役の面々がまったく強くないのが、全体としておふざけ映画に止めさせた。

綾瀬はるか がアクションをしていたのを思い出した。NHKの「精霊の守り人」があった。

 綾瀬はるか が目覚めた; 「海街diary」 (2015年) 、 退屈だった; 「本能寺ホテル」 (2017年)
 西島秀俊の; 「空母いぶき」 (2019年)、 「散り椿」 (2018年)
 

 綾瀬はるか が最後に行った; ヨーロッパ大陸の西の果てのポルトガルをもっと知りたいなら; 「スペイン・ポルトガルの旅」 もあります。

 野球少女 (韓国映画)

あらすじ:女の子ながら、小さい頃から野球が大好きで、リトル・リーグでも評判がよかったチュ・スイン(イ・ジュヨン)は、高校でも野球部に入り、ピッチャーとして活躍し、幼馴染のイ・ジュンホ(クァク・ドンヨン)と共に、プロ野球選手になる事を夢見て来た。高校卒業を控え、イ・ジュンホはプロ野球球団に入れたが、投げる球の最高速度が134キロメーターで、また女性ということでスインは、入団テストさえ受けることができなかった。そんな時、スインの高校の野球部のコーチとして新しく、チェ・ジンテ(イ・ジュニョク)がきた。チェ・ジンテもプロ野球選手になるため何度も入団テストを受けたが失敗していたので、スインの球速では、プロとして通用しない事が分かっていて、夢を諦めろと諭すが、スインは練習を続けた。指先から血を流しながら投げるスインの姿をみて、チェ・ジンテは、早い球ではなく、打たれない球:ナックルを教える。そして、どうにか、ある球団のテストを受けることができ。。。


怖さ知らずの青春は出ているけど、話は単なるスポーツの根性物だ!

 監督と脚本は、チェ・ユンテだ。
チラシでは、主演のイ・ジュヨンは、テレビ・ドラマの「梨泰院クラス」で韓国でも評判がいいらしいけど、「梨泰院クラス」は知らない。

 監督のチェ・ユンテが取り上げたのは、女性だからプロ野球の選手にはなれませんのようだけど、これは、かなり無理がある。

 女性でなく、男子にしても、プロ野球選手になることは、韓国だけでなく、日本でも狭き門であることはみんな知っている。

 スポーツだけでなく、他の人から秀でた存在であるには、小さい頃から他の人よりも多くの練習や勉強を重ねる以外にない。

 練習や勉強以外にその人には天賦の才能があったので「あの人は他の人より秀でている」なんていう人は、逃げ口上で、自分が努力をしないことを認めているだけだ。

 じゃあ、この「野球少女」のように、指先から血を流してまで練習と努力をしたのに、プロ野球選手になれないのは、やっぱり、本人の「ちから」以外のものがあるからじゃあないのというだろうが、それは違う。

 いくら頑張っても、人間には個人差が生じ、また世間の評価も異なる。
例えば就職活動にしても、ある会社では採用されなかっても、別の会社では、採用されている。
努力を重ねた自分に「ちから」があるなら、自分を正当に評価できない会社に採用されないことを誇りに思うべきだ。

 と話が映画の内容とは少しばかり違った方向に走ってしまったが、この出来では、以前の日本のテレビや漫画で良く取り上げられた、バレー・ボールや少年野球などの「スポーツ根性物語」の域をでていない。
一生懸命に練習をし、根性を鍛えられたら、どうにかうまく行きましたというだけ。

 設定の背景も貧しい家庭、理解のない母親では、よくある話であった。
このスインの母親役を演じたヨム・ヘランは、印象に残るが、母親にも若い頃には夢があったというのも、もう当然過ぎる持って行き方だ。

 なによりも、主演のイ・ジュヨンは、特訓を受けて、スタントなしに投げたりしているらしいが、ピッチャーとして投げる際に、ユニフォームでなく、ウインド・ブレーカーを着たまま投げるのは、おかし過ぎたし、また、この投球フォームでは、ちからのある球は投げられないと思わせることだ。

 父親が韓国の「宅地建物取引主任士試験」を何年も落ちているという点は、私は日本の「宅地建物取引士」を持っているだけに、妙に気にはなったが。

 面白かった韓国映画は; 「パラサイト ~半地下の家族~」 (2020年)

 

 あの頃。

あらすじ:2001年頃の大阪。大学生の劔 樹人(つるぎ みきと、松坂桃李)は、バイトをしながら、好きなバンドでベースを弾いていたが、余りにも下手と言われて落ち込んでいた。そんな時、友達の佐伯(木口健太)が貸してくれた松浦亜弥のDVDを見て衝撃を受け、すぐにCDを買いに走った。熱心に松浦亜弥や、彼女の所属する「ハロー!プロジェクト」のコーナーを見ていると店員のナカウチ(芹澤興人)から、松浦亜弥や「モーニング娘。」達について語る「ヲタク」のイベントへ誘われる。そのイベントで知り合った、プライドが高くてひねくれているコズミン(仲野太賀)や集まりでいつも部屋を貸してくれる気の良いイトウ(コカドケンタロウ)達との腹を割った付合いは今まで劔が経験したことのない交わりだった。ヲタクを大学の学園祭で紹介したり、「恋愛研究会」の名前でバンドを組み、劔の青春は輝いていたが、仲間達も歳を取り、コズミンがガンに侵されて。。。


人生で無駄な経験なんてない!

 原作は、本当のベース弾きで松浦亜弥が大好きなヲタクだった(今も?)劔 樹人が書いた自伝的な「あの頃。男子かしまし物語」があり、これを、冨永昌敬が脚本し、監督は、今泉力哉だ。

 タイトルで「あの頃。」と「。」があるので、ヲタクでなくてもこれは、「モーニング娘。」の「。」に因んでいると分かる。

 だいたい、モーニング娘とか、ハロー・プロジェクト(ハロプロ)というアイドルの世界には一般的なニュース程度でしか興味がないが、秋元康が絡んだ「おニャン子クラブ」から始まり、その流れを引き継いだ、つんく♂のハロプロ、そしてまた秋元康が目覚ましい成功を納めている世界的な「AKB48」関係のプロジェクトをみると、このアイドル文化は、アニメや漫画と同じように、単なる一部の人のものでなく、日本が世界に誇れる「ヲタク文化」と言える。
 また、アイドルを創造する1つのビジネス・モデルを確立した秋元康の優れた才能も認める。

 そこで、私も時々秋葉原をうろついている際に出会う「ヲタク」たちは、一体どのような生活をしているのかが気になり、また、女性歌手としての松浦亜弥は、戦後では美空ひばり、岩崎宏美、森昌子の流れを受け継ぐ、歌の上手い歌手と思っていて、彼女がどのような扱いを受けているのかも気になり映画館に足を運んだ。

 まず、2000年代の「ヲタク」を扱っているのかと思ったら、以外にも冒頭で1970年代に一部の人に受けていたフォーク・ソングの「サルビアの花」が歌われたのにびっくりした。
でもこの曲のお陰で、この後に出てくるモーニング娘。達の楽曲を知らなくても、ついていけた。

 流石に自伝であるだけに、仲間うちの付合い方や女の子にもてない話の描写が現実的で納得できる。
各々が好きなアイドルについて熱く語るのも、矢口真里や石川梨華を知らなくても、私なら映画の女優について、他の人には理解できないような、同じように熱い言葉を発していたのだと思える。

 女性にもてるとか、ふられたという事以上に、グダグダと特に意味もなく同じ趣味を持つ男子同士で、DVDを見たり、CDを聴き、また銭湯につかり、オナラを食べてふざけている方が気が休まる。

 だけど、20代も後半となり、歳を重ねるうちにこの生活がいつまでも続かないことも、世間を見ていると分かる。
それは、多くの場合、金銭問題からくる圧迫だ。

 でも、金(かね)を稼ぐために、面白可笑しく過ごせる生活を捨ててもいいのだろうか。
何も怖くなかったあの青春時代を振り返り、物事に熱中すること、同じ趣味を持つ仲間との出会いの大切がわかる映画だった。

 それにしても、コズミンを演じた仲野太賀は、存在感をドンドン増してきている。

 なお、松浦亜弥の扱いは少なく、彼女の握手会に本物の松浦亜弥は出ませんでした。

 余り金がない劔がどうして、高価なフェンダー社のベース・ギターを持っているのかこれも気になった。

 松坂桃李がでていた; 「新聞記者」 (2020年)

 ファーストラヴ

あらすじ:アナウンサー志望で就職活動をしていた女子大生:聖山環菜(ひじりやま かんな、芳根京子)が、父親の画家:聖山那雄人(板尾創路)を、彼が教える大学のトイレで包丁で刺し殺して逮捕された。しかし、環菜は父親を殺したと言いながら、「動機はそちらでみつけてください」なんて訳の分からないことを言っており、この事件のルポを書くことになった公認心理師の真壁由紀(北川景子、幼少期:菊池麻衣)は、環菜の国選弁護人となった義弟の庵野迦葉(あんの かしょう、中村倫也)と協力して事件の真相を追及する。由紀は、感情の起伏が激しい環菜と面会を重ねるうちに、環菜の幼児期に秘められた性の問題があることを突き止める。父親が主催するデッサン会で環菜が幼児期に受けた忌まわしい記憶は、由紀の幼児期にも繋がり、それは、環菜の母親(木村佳乃)の。。。


女の子が受けた幼児期の性の虐待が、伝わってこない!

 原作は、島本理生(しまもと りお)の同名の本があり、それを、浅野妙子が脚本し、監督は堤幸彦だ。
私は、原作は読んでいないが、環菜がモデルになるデッサン会の場面をどこかで観たような気がしたので、調べると、2020年にNHKで放映していた。
しかし、このNHK版は、タイトルや出演者を含めて殆ど記憶には残っていない。

 タイトルとなっている「ファーストラヴ」の言葉と予告編からは、これは、てっきり主演の北川景子の「初恋物語」の映画かと思ったら、多いに違っていた。
また、通常私が感じる「初恋=ファースト・ラヴ」の言葉からのイメージ、甘酸っぱく切ない青春の思い出と、この映画での「ファーストラヴ」は、かなり違いがある。

 この映画で「ファーストラヴ」を「人生最初の異性に対する恋心」と素直に捉えれば、それは、幼い環菜が怪我をした時に手当をしてくれたコンビニのお兄さんへの恋心となるかも知れないが、どうも、この演出では、違った「ファーストラヴ」がある。

 それは、「初めて人生の理解者」に巡り合ったという意味合いだ。

 加害者の環菜が理解を求めていた母親からは疎外され、優しく面倒を見てくれたコンビニのお兄さんも居なくなり、父親の殺害事件を介して、心理師の真壁由紀という人物に出会い、初めて今までズーット打ち明けられなかった心の奥深くに漂っていた物を外に出すことができた、ということが環菜の「ファーストラヴ」となる。

 でも、こんな面倒臭い話では映画として面白くない。

 また、環菜と同じように幼児期の忌まわしい記憶を抱いていることになっている由紀の、この設定が実に弱い。
例えば、車のダッシュ・ボードに沢山の幼い女の子の写真があるが、父親が車の中に変な写真を見られる状態で置くのかよって、突っ込めるし、由紀が晴着で興奮している成人式の日に、車の中で母親が「お父さんはフィリピンで幼児買春をしていた」と告げるとは、このタイミングで言う必要があるのかと、実に不自然だった。 

 そして、由紀の、今は義弟となった迦葉との、こちらは通常の「初恋」だけど、初めて出会った男に長い髪を切らせるのもピンと来ないし、ベッド・シーンに至っては、確かに北川景子の胸を出すのは出来ないとしても、シャツを着てのベッド・シーンはいくら何でも、これは監督:堤幸彦の下手すぎる演出法だ。
このような北川景子の肩も隠した形でしか撮影が出来ないなら、ベッド・シーンはカットすべきだし、最低、北川景子の鎖骨ぐらいは、みせる撮影が出来たはず。
北川景子が、この程度の肌の露出しか許していないとは、まだまだ、女優としての意気込みが足りない。

 突っ込みどころを言い出すとキリがないが、女子大生の環菜がリスト・カットをするのにあんな大きな「包丁」を購入するのか。
原作はどうなっているか知らないが、通常なら、リスト・カットには、手頃なカッター・ナイフを使うけど。

 まだまだ、由紀と迦葉との仲を知りながら結婚した、良く出来た夫:真壁我聞(窪塚洋介)の設定も甘すぎるけど、基本的に、監督:堤幸彦のこの演出では、女の子が抱える性的な虐待を世間に訴える技量が無かったってことに尽きる。
 でも、余裕をもった窪塚洋介と、神経質な母親役の木村佳乃の演技力はいい。

 *「公認心理師制度」があるとは知らなかった。
  そこで、調べると、2017年施行で「公認心理師法」があり、国家資格となっている。その目的は「この法律は、公認心理師の資格を定めて、その業務の適正を図り、もって国民の心の健康の保持増進に寄与することを目的とする」とのことだ。

 最近、よく映画に出ている北川景子は; 「約束のネバーランド」 (2020年)、
   木村佳乃も出ている;  「ドクター・デスの遺産 ~BLACK FILE~」 (2020年)
 芳根京子は; 「今日も嫌がらせ弁当」 (2019年)、 「累」 (2018年) 
 
 堤幸彦監督の; 「望み」 (2020年)

 屋根の上のヴァイオリン弾き ~ミュージカル~  (日生劇場)

あらすじ:帝政ロシアの頃の田舎の村:アナテフカには、貧しいながら牛乳屋を営み、宗教心に篤いユダヤ人のテヴィエ(市村正親)が、勝気な妻:ゴールデ(鳳蘭)と共に5人の娘をしっかりと育てていた。古くから定住の地を追われてきたユダヤの民にとって、その地に住み続けるのに必要なのは「しきたり」を守る事だった。しかし、長女のツァイテル(凰稀かなめ)は、しきたりの見合い結婚を断り、幼馴染のしがいない仕立て屋のモーテル(上口耕平)と恋愛結婚をし、次女のホーデル(唯月ふうか)も、革命を志す青年:パーチク(植原卓也)を愛し、しきたりを守らずシベリアに旅立つ。娘たちの幸せを願い「しきたり」に従わない二人の気持ちを認めたテヴィエだったが、三女のチャヴァ(屋比久知奈 やびく ともな)が望む、民族と宗教が違うロシア人のフョートカ(神田恭兵)との結婚は、どうしても許すことができず、チャヴァを勘当する。そんな時、ロシア皇帝は、ユダヤ人に対してロシアの領土から立ち退く命令を下す。ユダヤの民に「約束の地」はどこにあるのか。。。


よく練られた物語と音楽の展開が、何度観ても心に沁みわたる!

 1964年にアメリカで上演されたミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」を日本版として上演したのは、1967年の帝国劇場で当時のテヴィエは、森繁久彌でゴールデは、越路吹雪とある。
なんと、日本でも、もう初演から半世紀を超えた54年が過ぎ、また、まだ新型コロナ感染症が収まらない2021年2月に、森繁亡き後、上條恒彦、西田敏行そして今回の市村正親と受け継がれてきたテヴィエがどうにか、日生劇場で上演されたわけだ。

 私も、この長い期間に渡る「屋根の上のヴァイオリン弾き」の舞台を、森繁版から始まるテヴィエを観てきており、また、市村と鳳蘭のコンビによる公演も前回の2017年だけでなく、度々観ている。

 しかし、何度観ても、この作品の出来の良さには、毎回感動する。
何故か。

 それは、当然、オリジナルの演出と振付をしたジェローム・ロビンスが取り上げた、ユダヤ人の問題。
そう、住んでいる土地からいつも追い出させられるユダヤの民が過去から抱えている歴史的な悲哀を取り上げたことが大きい。
ユダヤ人迫害は、この物語のロシアだけの問題で終わらず、現実に、この物語の後にくる、ドイツのナチスが行ったユダヤ人大虐殺「ホロコースト」にも繋がり、より悲しみの感情を深めている。

 そして、「しきたり」は変わるものだ、また、変えられるものだという共通の認識がある。
親も時代の変化と共に受け継がれてきた「しきたり」であっても、いつかは変わり、過去と同じ「しきたり」が永遠に守り続けられないことは、もう自分の人生において実感しているため、強く「しきたり」を守ることを若い人には強制できない。
いくら宗教を中心にした「しきたり」であっても、変わることは、許される。
これは、元になったアメリカ人だけでなく、日本人も含めて、人類が共通して抱いている気持ちで、「しきたり」を守らない娘たちの行動を許す父親:テヴィエの考え方にも納得がいく。

 一方、テヴィエが拳をあげて言うように、「しきたり」のように変わるものがあっても、変わることのないものがある。
それは、「親が注ぐ子供への愛情」だ。
親として子供に対して、何だかんだと言っても、最終的に子供が望むものなら、それを叶えてやりたいという、これまた人類が持つ普遍性を物語に取り入れた巧みさに、この作品が、国を超えて、いつまでも、なんど観ても感動をもたらす一因がある。

 また、ミュージカルと仕立てるなら、音楽を担当したジェリー・ボックスの才能にも触れる必要がある。
「もし金持ちなら IF I WERE A RICHMAN」」のように楽しい元気な旋律はともかく、華やかな結婚式で哀愁を帯びた「陽は昇り又沈む SUNRISE SUNSET」を持ってくるとは、これから先に起こるユダヤの民の不幸を知っているだけに、目頭が濡れる。
さらに、「チャヴァよ CHAVA SEQUENCE」で踊られるダンスでは、涙が溢れる。

 でも、アメリカの作品を日本でここまで回数を重ねて、観客を呼べる作品にしたのには、日本での演出と初演者:森繁久彌の演技が優れていたからだ。(過去の演出者は、知らないが、現在は、寺﨑秀臣と鈴木ひがしの共同演出。)

 当初、森繁が入れる、学生の名前「ピーチク」にかけて「パーチク」のようなダジャレ的なアドリブは、演出者から余分な笑いで嫌がられたようだけど、市村版でも引き継がれているように、舞台の役者:森繁がこなしてきた姿は、この作品の見本となり偉大な功績だ。

 ここまでくると、翻訳の倉橋健と訳詞の滝光太郎と若谷和子の努力も加えたい。
日本の舞台にあったセリフと意味を的確に日本の観客に伝える難しさを、見事に克服した。
各々のセリフと歌が、問題なく脳に入ってくる。

 と、前口上が長くなったが、今回の舞台も、コロナ禍が収まらない状態で、稽古もままならなかったと推測されるが、市村正親と鳳蘭の夫婦の「間(ま)」は、もう言うことがない。
流石に、たびたび、この作品でコンビを組んでいる巧さがあり、さらに、役柄に磨きがかかった感さえある。

 市村が他の役柄でみせる「大見えを切る」臭い演技がないのが、好感が持てる。
過去の評論でも述べたが、役はその年齢でないとどうしても演じられないものがあるが、70歳を超えた市村が、未だに劇場中に響き渡る音量で演じる父親役は本当に立派だ。
また、鳳蘭も体型的にも声もしっかりした家庭を守る母親になっている。

 特筆すべきは、結婚紹介役のイエンテを演じた荒井洗子だ。
この役を長く演じているようで、舞台を引っ張る一人になっている。

 娘たちを演じた凰稀かなめ、唯月ふうか、そして屋比久知奈は、先輩たちの良き演技を観て成長するだろう。

 今後、いつまで上演出来るかは、主演の市村正親の健康状態にかかっているが、彼の年齢を考えると製作の東宝としては、ここらで、次期テヴィエを見つけなければならないが、当分、市村版を観たい気もする。

 毎回見ても、夢の中で出てくるお化けのフルマ・セーラの背の高い演技には、どうなっているのか悩まされます。

前回の; 「屋根の上のヴァイオリン弾き」 (2017年)

ロシアをもっと知りたいなら; 「ロシア 6日間の旅」 もあります。

 花束みたいな恋をした

あらすじ:ある晩、別々のコンパに参加していた、大学生の山音麦(やまねむぎ、菅田将暉)と八谷絹 (はちやきぬ、有村架純)は、共に終電を逃がした偶然から出会い、家に帰れないまま過ごしたファミリー・レストランで好きな本や音楽、どうしてじゃんけんでは、紙のパーが石のグーに勝てるのか分からないなどを話し合っているうちに、同じ趣味と価値観を持っていることが分かり恋に落ちた。卒業しても就職が難しい中、駅からは遠いが多摩川の側で、楽しく同棲生活をしていた。しかし、このままではいけないと感じた麦は、どうにか就職をすると、仕事が面白くて会社人間になり、絹と同じ家にいても、話題がかみ合わなくなってきた。そして、すれ違いがついに二人を。。。


女:架純ちゃんも、こんないい演技ができるようになったのね!

男:脚本を手掛けたのは、坂元裕二で、監督は、土井裕泰(どい のぶひろ)だ。
女:今の映画界でよくある青春漫画からの映画化でなく、オリジナル作品のようね。
男:予告編からでは、若い男女が出会って恋に落ちるという、単純で軽いラブ・ストーリーかと思って観たら、これが、切ない別れに繋がるとは、脚本の坂元裕二の手腕が冴えている。
女:冒頭のトイレット・ペーパーから始まり、多く出てくる作家、明大前とか調布などの駅名、多摩川への愛着、ファミリー・レストランでの場面、ビデオ・ゲームなどこだわりが実に多い映画よね。
男:残念ながら、だびたび出てくる本やその作家、またミイラの話。
  そして、じゃんけんでのパーがグーに勝つという話には、まったく興味がないけど、イヤホンで、右と左の音を別々の人が聴くと、それは、もう同じ曲ではないというのは、オーディオ・マニアの私としては、うけた。
女:話の展開は、菅田将暉君と有村架純ちゃんのまさに、ダブル主演で、あの菅田君の演技を架純ちゃんがどこまで上手に受け止められるかが心配だったけど、これなら、問題なかったわ。
男:二人の他にも、戸田恵子や小林薫、そして、オダギリジョーなども出ているけど、この映画の焦点は、あくまでも菅田将暉と有村架純の二人で他の人たちは添え物だという演出がいい。
女:有名な俳優が出ると、どうしても監督は、目立つようにするけど、それが無かったわけね。
男:地に着いた恋愛話と、就職の苦労、共に暮らせば、相手に対する不満もでてくる。
女:漫画でない実の生活感がちゃんと入っていたわけね。
男:男女は、基本的に何かを機会に、偶然に出会い、互いに会話や態度を通じて、ある場合には、共感をし、ある場合には、自分に足りない物を見つけて、恋に落ちるんだね。
女:その背景がガス・タンクでも、観覧車でも何でもいいのよ。
  ただ、二人で過ごす時間と思い出を分かち合えれば、それだけで、青春は楽しくて充実しているのよ。

男:だけど・・・
  その感情が、永遠には・・・
女:楽しい時間がいつまでも続かないのは、分かるけど、それで終わりにして別れるというのも、1つの選択肢だけど、その時期を超えて、先にある子育ての楽しみと苦労や悲しみも分かち合って二人で生きるという考え方もあるわ。
男:この映画では、ホンの一時期の恋愛を花束に例えて、咲き誇っている「花たち」もいつかは、枯れて終わりを迎えるということで、「花束みたいな恋をした」のタイトルになるわけか。
女:考えの相違が原因で別れれば、今の相手に対する不満だらけの感情から救われるという保証もないけど、そんな生き方を人類は繰り返してきているのよ。
男:それが、最後に菅田将暉と有村架純が別れ話をしているファミリー・レストランの遠くの席で、若い清原果耶と男が、昔の二人のように本の話をしているシーンに重なっていく。
女:男女の出会いだけでなく、歴史は、本当に繰り返すということが、分かればいいんじゃないの。

  たまには、私の濡れた髪を、ドライヤーで乾かしてくれれば、また、何かが始まるわよ。

男:いや、もう、きみとは、これ以上、別に・・・
女:何かいったっ!
男:いや、なにも・・・

土井裕泰監督と有村架純なら; 「ビリギャル」 (2015年)
土井裕泰監督の; 「罪の声」 (2020年)
菅田将暉なら; 「糸」 (2020年)、 「浅田家」 (2020年) 、 「アルキメデスの大戦」 (2019年)
期待の清原果耶だけど; 「望み」 (2020年)


 キング・オブ・シーヴズ

あらすじ:若い頃は、度々強盗を犯し、危ない橋を乗り切って、その世界では「泥棒王(キング・オブ・シーヴズ)」とよばれていたブライアン(マイケル・ケイン)だったが、高齢となった今は引退し静かな日々を送っていた。が、最愛の妻が亡くなり、心に隙間ができた時、若い友人で監視システムを知っているバジル(チャーリー・コックス)から、ロンドンの宝石店の地下にある貸金庫を襲う話を持ちかけられ、それに乗ることになった。早速、昔の仲間のテリー(ジム・ブロードベント)、ケニー(トム・コートネイ)、ダニー(レイ・ウィンストン)、カール(ポール・ホワイトハウス)を集め、綿密な計画を練り、実行に移す。しかし、犯行がスムーズに行かなくなり、ブライアンは、仲間から降りてしまった。残ったテリー達だけで、貸金庫を破り、25億円とも言われる現金、金塊そして宝石を盗むことに成功した。それを知ったブライアンは、計画を立てたのは自分だと言って分け前を要求するが、他の者たちは納得しない。犯行現場の監視カメラから、警察も容疑者に辿り着く。余生がない犯人たちの心情は。。。


おじいさんの泥棒ばかりでは、色気もなく、話が盛り上がらない!

 話はイギリスはロンドンにある宝石店で2015年、実際に、平均年齢が60歳以上の窃盗団の犯罪があったのを元にしたとのことだ。
監督は、車椅子の天才物理学者スティーヴン・ホーキング博士を描いた「博士と彼女のセオリー」のジェームズ・マーシュ。

 日本の公開は、2021年1月だけど、イギリスでは2018年の製作で、出ているマイケル・ケインにしても、1933年生まれとあるから、撮影当時はもう、80歳は超えていた訳で、他の主な俳優も、バジル役のチャーリー・コックスを除いて、実際に60歳は超えていたらしい。

 という高齢者の犯罪者集団では、ある者は耳が遠いし、ある者は股関節が痛むと体に問題を抱えている。
しかし、もう余生が残り少ない事を悟り、捕まってもいいから、若い頃の窃盗で感じた高揚感を再び得たいということが犯行に走らせたということのようだ。

 犯行にしても防犯カメラがあることを知っていても、変装もしないし、防犯ベルが鳴っても余り慌てないとか、壁に穴を開けるドリルが壊れれば、実行を翌日に伸ばすなど、犯行に緊迫感がまったくない演出だ。

 という訳で、出だしから、退屈な出来で、これが、犯行後となると、さらに退屈さが倍増する。
奪った金品の分け前争いが中心になっているが、このくだりが実に分かり難い。

 まず、仲間同士の争いで、名前がテリーだとか、ケニーとか、ダニーだとか、日本人にとっては、役者と名前が中々一致せず、馴染めないので、一体誰と誰が親密で、誰が疑われているのか分からなかった。
大体、犯行を途中で降りたマイケル・ケインが、それでも、分け前を要求するというのが、この設定において、私も納得できない。

 全体の纏め方が、下手過ぎて、また長々と取り留めも無く続いては、退屈な作品となった。

 ジェームズ・マーシュ監督の; 「博士と彼女のセオリー」 (2015年)
 マイケル・ケインが出ていた; 「キングスマン」 (2015年)

 

 おとなの事情 ~スマホをのぞいたら~

あらすじ:数年前の台風による水害下、コン・ビーフを3日間食べ続けてどうにか生き延びることができた3組の夫婦と1人の男は、その後も仲間としての絆が生まれ、年に一度は、集まって当時を回顧していた。今年は、ある月食の日に、災害が縁で結ばれた向井幸治(淵上泰史)と杏(木南晴夏)の主催で小さなレストランに集まった。しかし、時の流れは、みんなの人生を変え、他人には言えない秘密もあった。世間的に有名な六甲隆(益岡徹)と六甲絵里(鈴木保奈美)夫婦には、16歳になる娘の妊娠問題があり、園山零士(田口浩正)と園山薫(常盤貴子)夫婦には、金銭と姑の問題があり、向井幸治と杏には、浮気の問題だ。また、独身の小山三平(東山紀之)には、ゲイを告白できない悩みがあった。だが、表面上は、何事もない会話が続く中、疑問を感じた杏からの提案で、7人は、互いのスマホをテーブルの上において、スマホにかかってくる全ての会話とメールを公開することにした。それは、スマホに秘められたおとなの事情を明らかにする。。。


女:1幕物の舞台劇を低予算のまま、映画にしても、まったく笑えないわね!

女:今年(2021年)の「映画・演劇 評論」のサイトは、例年になく立ち上がりが早いわね。
男:それは、私が今まで無料で提供してきた「目指せ! マンション管理士・管理業務主任者」のサイトで、毎年末実施されている国家試験のマンション管理士と管理業務主任者試験問題の解説を止めたので、正月からこちらに精がだせるようになったためだよ。
女:その「目指せ・・・」のサイトでは、なんとか試験問題の解説を続けてくれ、というメールもかなり来てるわよ。
男:それは分かるけど、受験生にマンション管理士と管理業務主任者にどうしてもなりたいという意欲が、少なくなってきたので、こちらとしてもやる気が無くなったんだ。
女:じゃあ、話を映画に戻しましょう。

男:チラシによると、この映画の元になっているのは、2016年製作のイタリヤの映画があるそうだ。
 それが受けて、今では世界の18ヵ国でリメイクされ、日本版では、岡田惠和が脚本を書き、光野道夫が監督した。
女:予告編を見ただけでも、余り出来のいい作品とは思えなかったし、全編を観ても、「おとなのコメディ」と唱っていながら、笑えない話なのね。
男:話の中心になっているのが、多くは浮気で、それも妊娠にまで進んでいるのでは、日本人にとっては、もう、笑いを超えて離婚紛争にまでなるもので、かなり深刻な話が続き過ぎだ。
女:元の映画のイタリアの風土と文化感なら多分、あちらこちらの展開は笑えるんでしょうね。
男:いろどりを変えて、東山のゲイの話も出てくるけど、ゲイであることを公表できないという実情は、まったく笑いが取れなくて、替えって切ない告白シーンとなった。
女:出だしのスマホをゲーム感覚でテーブルの上に出す必然性だけど、ここまで浮気の秘密を抱えている大人なら、もっと強い理由付けが欲しいのね。
男:また、各自の性格の設定も、娘と打ち解けない精神科医とか、妻に対して劣等感をもつ夫とか、司法試験に合格できない弁護士事務所務めとか、本当に何をしているのかよく分からない獣医とか、チャラい雇われ店長とか、日本ではあまり馴染みのない人々にしてあるのも、下手な翻訳劇になったね。
女:台風という災害時に共に生き延びた仲間という設定は、日本的だけど、その中の男女がラブホテルに行ったりしては、もう、倫理観が違い過ぎていたのね。
男:まあ、多くの場面で共感できないことが多いけど、一番変に感じたのは、娘が妊娠していないと分かった話で、ここは、簡単に終わらせないで、娘の相手への対応などがあるといいシーンだった。
女:こんな凄い修羅場を経ても、また、何事もなく日常生活に戻りましたという終わり方も、かなり物足りない纏め方ね。
男:製作者にコメディにするという基本姿勢がないから、こんな不出来になるんだ。
  この映画で徳をしたのは、コン・ビーフ・メーカーの野崎だね。
  良い宣伝になっている。

女:でも、あなたは、常盤貴子が、パンツを穿いていないというシーンでは、かなり顔がにやけて居たわよ。
男:へっ、コロナ禍で、マスクを付けていたのに、よくわかったね。
  これだから、面積の小さな「安倍のマスク」は、不評なんだな。
  これからは、もっと顔が隠れる大きなマスクをして、映画を観よーと。

 もう生活の全てを握ってるスマホなら; 「スマホを落としただけなのに」 (2018年)
 常盤貴子が出ていた; 「海辺の映画館」 (2020年) 
 東山紀之が出ていた; 「小川の辺 (おがわのほとり)」 (2011年)

 

 











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