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2022年の映画・演劇 評論

フラッグ・ディ ~父を想う日~

あらすじ:アメリカの国旗が制定された6月14日を記念する「フラッグ・ディ」に生まれたジョン・ヴォーゲル(ショーン・ペン)の娘:ジェニファー(ディラン・ペン)は、楽しい思い出を作ってくれる父親が大好きだった。しかし、その父親は、フラッグ・ディに生まれた自分は他の人から祝福されているいう思いが強く、一攫千金を夢見ては失敗し、借金も多くて家を出て行った。嫌気がさした母親:パティ(キャサリン・ウィニック)は、ジェニファーと弟のニック(ホッパー・ジャック・ペン)を連れて再婚するが、養父がジェニファーの体を狙ってくるので母親たちと分かれ、ジョンの元で一緒に暮らすことにした。しかし、ジョンのジェニファーを愛する気持ちは強かったものの、嘘をつくその生活態度は変わらず、金に困りついに銀行強盗を働き逮捕され刑務所送りとなった。そんなだらしない父親と気持ちの上で別れ、一人で生きていくことを決めたジェニファーは、どうにか大学を卒業しジャーナリストとしての職も得た。この間父親が獄中から頻繁に送ってくる手紙は無視していたので、仮釈放で出所したジョンと会っても戸惑うばかりだった。その父親が偽札作りで逮捕され、裁判を前に車で逃亡している現場が、テレビで生中継される・・・


これでは、実の娘を売り出すための映画だ。成功はしていないけど!!

 この「フラッグ・ディ」の映画化では、ジェニファー・ボーゲルの実体験を元にした原作があるようで、それを、俳優として有名なショーン・ペンが自ら監督をしている。
脚本は、ジェズ・バターワース とジョン=ヘンリー・バターワースとある。
 映画を観たあとで知ったが、配役として、娘役のジェニファーを演じたディラン・ペンと息子役のニックを演じたホッパー・ジャック・ペンは、共にショーン・ペンの実の子供たちだ。

 チラシのショーン・ペンが、まるで亡くなったスティーヴ・マックィーンに似ているのと、ジョンはアメリカ最大級の偽札作りだということが冒頭書かれていて、この偽札作りの苦労とか偽札を使用する緊張感とか犯罪組織との軋轢とかが主題かと思って観たが、偽札の件は、ほんの少しか触れられていない。
映画全体は、娘:ジェニファーの幼い頃から青春期、そして、最後のジャーナリストになるまでのお話となっている。

 しかし、この表現が実に分かり難い。
まず、父親の生活態度の出鱈目さが充分に描かれていないから、母親の苦労も分からないし、家庭崩壊もはっきりせずどうしてジョンが出ていくのか、母親が再婚する理由も希薄だ。

 思春期にぐれて薬に手を出すとか放火をするジェニファーの気持ちの映像も不明確で、また放浪するのも分からない。
路上生活者を出したり、雨をよけるためのビニール袋のシーンなどもバラバラと挿入しているが、これらもさらに何を意図しているのか分からない。

 父親:ジョンの好きな音楽はクラシックでショパンの「ノクターン 夜想曲」が出てくるが、これを使う理由もハッキリしていない。
彼の育った環境は、裕福だったと言いたいなら、もっとストレートに表現すべきだ。

 そこで、基本的にタイトルとなっている「フラッグ・ディ 国旗制定記念日」をアメリカ人が祝福するということだけど、それは単なる祭日でお祭り騒ぎをするのか、またそれ以上の特別な意味を持つのかが気になるが、そんなアメリカ人の気持ちは、私にはあまり関係がない。
日本人の私としては、外国映画がよその国の人には理解できないその国独特の風俗や習慣を描いていても、その内容が優れたものであれば、共感を覚え、感動を受ける。

 この映画「フラッグ・ディ」では、単純に父親を好きな娘の心情の表現も、父親が出した獄中の多くの手紙を無視したりと中途半端で、また、父親が娘を思う気持ちも、生活のために職探しに奔走しましたでは充分に表現できておらず焦点がボケすぎだ。

 ここは、実の娘を丁寧に撮るよりも、精巧な偽札作りを主題にした方良かったと思える映画だった。
 製作が2021年でありながら、2022年12月まで公開されなかった理由が分かる。

 ショーン・ペンの; 「ツリー・オブ:ライフ」 (2011年)

アバター ~ウェイ・オブ・ウォーター~ (3D,吹替版)

あらすじ:地球から惑星パンドラを征服するために派遣された元海兵隊員のジェイク・サリー(サム・ワーシントン)は、最新技術により現地の部族:ナヴィ人の身体を持ったアバター(分身)として部落に潜入したが、自然を大切にして暮らしているナヴィに共感して地球人と闘い、今はナヴィ族の女性:ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)と結婚し、二人の息子:ネテヤム(ジェイミー・フラッターズ)とロアク(ブリテン・ダルトン)と娘のトゥク(トリニティ・ジョリー・ブリス)、そして、養女のキリ(シガニー・ウィーバー)、また幼い為地球に帰れなかった人類のスパイダー(ジャック・チャンピオン)を家族にして平和に暮らしていた。しかし、地球人は、ネイティリに殺された元海兵隊の大佐:マイルズ・クオリッチ(スティーヴン・ラング)の記憶を持ったアバターを造り出し、彼が率いる部隊で再びナヴィの部落を襲わせる。再生されたクオリッチの狙いは、自分を殺すことだと知っているジェイクは、ナヴィから海の部族:メトケイナが棲む海辺に逃れるがここにも圧倒的な武力を持ったクオリッチたちが襲ってくる。そして、闘いの中、長男:ネテヤムは殺され、人質になった子供たちを助けるために、ジェイクとネイティリは・・・


確かに映像は綺麗すぎるが、物語は単純で上映時間も無駄に長すぎる!!

 映画「アバター」とくれば、もうその監督は、「タイタニック」などで有名すぎるあの、ジェームズ・キャメロンで、この前作にあたる作品「アバター」は、2009年製作だ。
前作上映から、もう何と13年が過ぎたのか。本当に時の過ぎるのは早いものだ。
2009年における「アバター」の公開時でも、その優れた立体感を表現した映像が大評判で、私も3D版で観ている。
 そこで、今回も通常の2D版ではなく特別の3D版で 通常の料金にプラス ¥300- して観た。(もう、私は、3Dメガネは、既に買って持っていますから、¥100ーは不要です。)

 前作では、森の中で漂うクラゲのような物や鷲を強大化したような鳥を自由に操る巧さ、また戦闘シーンでの弾の飛び方など、奥行きも目前への飛び出しもある立体画面ならではの超迫力を堪能したが、今回は海が舞台で、この表現力が半端ない仕上がりだ。
海が舞台ということで今回は本物のクラゲのような物は、ふんわり、ふんわりと漂うし、泳いでいる大型の熱帯魚は目の前にくるし、人間だけでなくヒトデのようなものに至るまで海中にいる全ての生物が実際の生き物のように動いていて違和感がまったく無い。
ファンタスチックだ。
 また、陸上でも立体感の再現は当然に手を抜いていない。
火災のシーンでは、細かな火の粉が目の前にあり、水しぶきや雨もまるで自分がその状況にいるような錯覚さえ覚えるほどの文句の付けどころがない立体の出来栄えには驚嘆する。

 勿論、ジェームズ・キャメロンは、戦闘のシーンでも丁寧に作っている。弓矢はガンガンと自分に向かって飛んでくるし、爆発では人々も飛ばされ、戦闘機は目の前で見事に落ちる。

 今度の作品では以前より進歩した3Dテクニックや「エモーション・キャプチャー」などを採用し人の表情の再現が細かくできた他に、通常の映画は、1秒間に24コマで流れるところを、1秒間に48コマとフレーム数を倍にして、より映像の滑らかさを実現したそうだ。このあたりの技術的なことはよく分からなくても、とにかく最新の立体技術と時間をかけたこの映像は、繰り返すが素晴らしい出来栄えだ。

 で、物語の方はどうかということだけど、この「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」は、前作の続編つまり「アバター 2」の位置付けで、物語としては前作から続いており、前作の約10年後から始まるため、主人公の元海兵隊のジェイクと結婚する現地の女性:ネイティリとの関係。さらに敵対するクオリッチ大佐の存在などは、一応前作を観ていないと分かり難い。
 その敵のボス役のクオリッチ大佐だが、彼は前作では ネイティリの矢で殺された筈だけど、簡単に今までの記憶を持ってアバターとし生まれ変わるとは、余りにも安易なやり方だ。
この方法を使うと、主な人物は永遠に死ななくなる。

 また中心となっている子供たちの成長と家族愛も、父親は家族を守るために生きているとか、いや母親も必死に最強の弓を使って子供たちを守る。仲違いする兄弟も結局はいい兄弟でしたでは、他の映画と同じでまったく平凡でダラダラとした展開で、このあたりは、上映時間 192分(何と、これは、3時間と12分という長さだ。観ていると、お尻が痛くなった。)をかなり短くすることが出来るシーンだ。

 それにパンドラの原住民たちと交流ができるクジラをもの凄く大きくした生き物の「トゥルクン」の扱い方だけど、これを地球人が捕獲するシーンは日本の捕鯨船をモデルにしたようで、残酷に銛を撃ったり、捕獲しても脳髄の一部分しか使わずあとは全部捨てるとかになっていて捕獲のやり方に非難的で、これは海洋生物を大切にするジェームズ・キャメロンの主張を押し出しているが、日本人としては、確かにクジラを獲るけど、そのクジラの肉や脂、また髭に至るまで全て無駄なく利用していると言いたい。

 最後の戦闘シーンも他の映画と変わらない設定は飽きる。
一度はクオリッチに捕まった子供たちが手錠バンドを外して逃げてもまた捕まったり、転覆し沈没していく戦闘船の船底に逃れて、段々と空気が無くなっていくシーンなどは、どうせ最後には助かるんでしょうともう先が見え見えで、まったくハラハラもドキドキもしない撮り方だ。

 この「アバター・シリーズ」は、最初から全部で第5作まで作る予定の映画で、この「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」でも、人間の子供のスパイダーが敵のボス:クオリッチ大佐を助けるシーンを入れて次に繋げている。

 でも、それほどの筋もなく立体映像の綺麗さだけで、今後の3本が完成できるかは、立体化の予算が膨大とのことで、今回の興行収入がどうなるか、かなり不安がある出来栄えだ。

 前作; 「アバター」 (2009年)
 

ラーゲリより愛を込めて

あらすじ:時は1945年。敗戦色が濃くなって来た頃の満州。日本軍の諜報部隊に属する山本幡男(二宮和也)は妻:モジミ(北川景子)や4人の子供たちと食事中に北から侵攻してきたソ連軍に襲われ、妻と子供たちは逃れられたが、自分はソ連軍に捕まり他の捕虜たちとシベリアにある「強制収容所(ラーゲリ)」に送られる。そこには、未だに軍隊組織を傘にきる相沢軍曹(桐谷健太)や戦場から逃亡していた松田(松坂桃李)たちがいたが、終戦となり多くの捕虜たちは帰国(ダモイ)できた。しかし、山本は、諜報活動をしていたという嘘の証言をした彼の上官:原(安田顕)のせいで、強制労働25年の刑を受け、また彼らとともにラーゲリに戻された。ロシア語が話せた山本は、ソ連軍との通訳をし、粗末な一切れの黒パンという食事や冬にはマイナス40度にもなる極寒の地シベリアの鉄道敷設で次々と倒れていく同胞の待遇の改善を要求したり、足の悪い新谷(中島健人)に読み書きを教え、希望を失っていく仲間たちを励ましていた。そんな山本を支えていたのは、日本へ無事に帰れた家族と連絡がつき、自分もいつか妻たちと会える日が来ることだったが、軽い中耳炎と思っていた病気は、喉のガンで、余命はなかった。そこで、山本に世話になった原たちは、山本に家族にあてた「遺書」を書かせるが、その遺書はソ連軍に押収される・・・


ソ連軍に押収された筈の遺書をこうして家族に届けたのか!!

 まず、タイトルとなっている「ラーゲリより愛を込めて」だけど、なんと陳腐で下手なタイトル付けだ。
チラシではその日本語のタイトルの下に「FROM SIBERIA WITH LOVE/シベリアから愛を込めて」とあり、これでは、スパイのジェームズ・ボンド=007でヒットした似たようなタイトル「FROM RUSSIA WITH LOVE /ロシアから愛をこめて」のパクリだ。
007の作品「ロシアから愛をこめて」を同じロシアの寒い地方のシベリアに置き換えただけで、こんなタイトルでは、この映画の内容、そう、強制収容所での過酷な生活と遺書を書いた山本幡男の気持ちがまったく伝わらない物になっている。

 ここは、原作者:辺見じゅん の「収容所から来た遺書」の方が、話の内容を示すいいタイトルだ。
脚本は、「糸」、「チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話」などの林民夫。監督は、瀬々敬久(ぜぜ たかひさ)で、最近の作品としては、「とんび」がある。

 作品としては、前半のラーゲリでの捕虜生活における優しく思いやりに溢れる二宮と彼を取り巻く人間関係、つまり、軍隊での上下関係をいつまでも持たせたい桐谷健太や、軍人でもなく足が悪いのにラーゲリに入れられている中島健人や、嘘の告げ口をして反省している安田顕などの描き方は、よくあるパターンで特に面白くもない。

 そして、映画の中で歌われるのが英語の「愛しのクレメンタイン Oh My Darling Clementine /オー・マイ・ダーリン、クレメンタイン」では、第二次世界大戦で敵国だったアメリカの歌で、これを二宮がみんなの前で堂々と歌うのは納得がいかないし、当時の世間の状況として違和感が強い。
どうしても歌を使うなら日本の民謡か童謡にすべき箇所だ。

 また、寒さや食事の酷さでラーゲリに入れられていた多くの帰還した捕虜たちが話すシベリアでの過酷で劣悪な生活も、この程度の雪中のロケと俳優たちの健康状態の良い肉体からは厳しさが表現ができていない。

 しかし、二宮の病状が悪化するあたりから、話は面白くなった。
前に二宮が出ていた作品「TANG ~タング~」の彼の演技とは比較できないほど、表情と喉を痛めたセリフがいい。

 監督(TANGは、三木孝浩)の違いか、それとも二宮の作品に対する熱意の入れ方の違いかは知らないがこの「ラーゲリより愛を込めて」の二宮はいい。
俳優:二宮和也を見直した。

 妻役の北川景子は、物資に恵まれない戦後であってもいつも綺麗なのは、かなり問題がある撮り方だけど、この女優に対しては監督も強く言えないのだろうと同情する。

 二宮が死の病床で心を込めてノートに書いた「遺言」はソ連兵に没収されたが、それでも家族に伝えられました。その方法は・・・

 そうか、この方法があったのかと上手く感動に持って行ったアイデアと構成は素晴らしい。
二宮が亡くなったことを知らせる人たちを応接間ではなく、玄関や庭先でお客様に対応するのはちょっとばかり設定として礼儀知らずで不満だけど、監督としては精一杯他の報告者との変化をもたらしたのだと理解した。

 最後での2022年における寺尾聡の結婚式のスピーチ・シーンはまったく無駄な付けたしだった。

 いい話としてまとまっていた作品だ。

 二宮和也の; 「TANG~タング~」 (2022年) 、 「浅田家!」 (2020年)、 「検察側の罪人」 (2018年)、
 北川景子の; 「キネマの神様」 (2021年) 、 「ファースト・ラヴ」 (2021年)、 「約束のネバーランド」 (2020年)、 「ドクター・デスの遺産」 (2020年)
 松坂桃李の; 「耳をすませば」 (2022年) 、 「流浪の月」 (2022年)、 「新聞記者」 (2020年)
 瀬々敬久監督の; 「とんび」 (2022年) 、 「糸」 (2020年)

月の満ち欠け

あらすじ:青森県は八戸で生まれ育った小山内堅(おさない つよし、大泉洋)は、東京の大学に通っていた時に学生食堂で出会った同郷の梢(柴咲コウ)と結婚し、生まれてきた娘には、梢が夢の中で告げられたという名前:瑠璃と付けた。瑠璃は7歳の時に変な高熱を出し、熱は何事もなく治まったが、それ以来瑠璃は今まで聞いたことのない古い歌を歌いだしたり、ぬいぐるみに「アキラ」という誰も知らない名をつけたりして、両親は少しばかり訝っていた。そんな幼い瑠璃が行ったことない高田馬場で補導された時に堅と瑠璃で交わした「高校を卒業するまでは、勝手に行動しない」という約束を瑠璃は守っていた。しかし、瑠璃の高校生活も終りの頃、梢と瑠璃(菊池日菜子)を乗せた車が交通事故に会い二人は亡くなってしまった。失意の堅は、一人八戸に戻り、病身の母親の面倒を見ていた。そこへ、三角哲彦(みすみ あきひこ、目黒蓮)と名乗る、堅のまったく見知らぬ男が表れ、瑠璃は、哲彦に会おうとして亡くなったのだという。事情が理解できない堅だった。一方、暴力的な夫:正木竜之介(田中圭)に耐えられない映画好きの正木瑠璃(有村架純)は、高田馬場の近くで三角哲彦と出会い、いつの間にか二人は愛する仲となり、離婚を決意した正木瑠璃だったが、踏切事故で亡くなった。この世には「生まれかわり」があるようだと気づいた小山内瑠璃の親友の緑坂ゆい(伊藤沙莉)は、小山内瑠璃が生前に描いた青年の絵が三角哲彦と知り、堅に持ってこさせる。ホテルのロビーで堅を待っていた緑坂ゆいの7歳の娘:るり が話すのは・・・


輪廻転生とは、少しばかり気持ちが悪いけど、まあまあに仕上げた!!

 原作は、佐藤正午の「月の満ち欠け」で、これを、「ビリギャル」の橋本裕志が脚本を書き、監督は、下で取り上げている「母性」や「余命1ヶ月の花嫁」の廣木隆一だ。
 同じ監督:廣木隆一の作品が、連続して公開されるとは珍しい。撮影は、かなり前に終わっていたのかな。それとも、早撮りが得意なのか。

 あまりチラシの文章も細かくは読まないで観た。

 「生まれ変わってもあなたに逢いたい」という惹起からでは、熱烈な恋愛映画かと思って観たら、なんと本当に生まれ変わるということとは。

 赤ん坊が亡くなったある人の記憶をもって生まれてくという、そう、死んだ人がまたこの世に生まれてくるというテーマは、日本では仏教に由来していて「輪廻転生」として、よく小説やドラマでも取り上げられる。
三島由紀夫の「豊饒の海」シリーズでも有名だ。
 その三島の作品に因んだのか知らないがタイトルの「月の満ち欠け」は、月が満ち欠けを繰り返すように、例え一度死んでもまた生きかえって来ますよということらしい。
私としては、「月」がメインなら直ぐに「かぐや姫」を思い出して、もうあちらの世界に行った人は帰って来ない気持ちになるけど。

 前半の大泉洋と妻の柴咲コウの部分では、八戸が舞台では、これまた、2011年3月11日に発生した東日本大震災に繋がるのかと予想したが、これは外れた。

 場所としては、何十年前かは分からないけど東京の高田馬場がキー・ポイントとなっていて、駅前の大きなビル「ボックス・ビル?」は改装される前の様子を再現しているようだ。
でも、今からこの映画を思い出してみると、その古い時代設定の筈の高田馬場での有村架純と目黒蓮の「ラブ・ロマンス」は、街の雰囲気や着ている洋服などでは時代背景がはっきりしていなくて、これでは大泉洋が生活している「今」と並行しているように思えたのは残念だ。

 禁断の人妻の恋を演じる有村架純には、トルストイの「アンナ・カレーニナ」をかぶせるとはこれまた凝った話だ。

 映画の中で使っている曲が、丁度これを書いている12月8日に、ニューヨークで銃で殺されたジョン・レノンが歌う「WOMAN」で、子供が口ぶさむ曲が、ジョン・レノンの奥さんのオノ・ヨーコの曲「REMEMBER LOVE」とは、偶然とはいえ、これも前世の因縁か。
 ジョン・レノンの「WOMAN」は、有名だから映画で使う理由は分かるけど、オノ・ヨーコの殆どヒットしていないマイナーな曲「REMEMBER LOVE」なんて選び出すとは、原作者の佐藤正午のセンスか、また、脚本の橋本裕志可かは知らないけど、凄い。

 まったく見知らぬ7歳の女の子から、「私は、亡くなったあなたの娘の生まれ変わりです」と言われても、いい大人なら信じることはないけれど、可愛い有村架純が生きかえってくれるなら、それも許されるかなという程度の仕上がりだった。

 ラストの「雨」について:この映画評論でも何度も指摘しているが、能のない監督は、雨を降らせれば、「絵」になるために必然性を感じないシーンでも雨を降らせる。この映画でも廣木隆一監督は本当に余分なことをしている。雨の中での抱擁は不要だった。

 大泉洋の; 「騙し絵の牙」 (2021年)、 「新解釈:三國志」 (2020年)、 
 有村架純の; 「花束みたいな恋をした」 (2021年)、
 柴咲コウの; 「天間荘の三姉妹」 (2022年)、 「沈黙のパレード」 (2022年)

 
ある男

あらすじ:2番目の幼児を病気で亡くし、また夫にも先立たれて失意の中、実家の文房具店を手伝っている里枝(安藤サクラ)は、度々店に買いに来る、絵を描くことが好きで口数の少ない大祐(窪田正孝)と恋仲になり、彼と再婚し一子をもうけたが、大祐は、林業の仕事中に事故で亡くなる。そこで、生前大祐がぼんやりと話していた故郷に住む兄の谷口恭一(眞島秀和)に連絡をとり、焼香にきた恭一から、亡くなったとされる男は彼の弟の大祐でないと聞かされた。では、亡くなった「男」は、一体どこのだれか。この探索を面識があった人権派の弁護士の城戸章良(妻夫木聡)に依頼した。身元を調査する章良は、大祐とされる男が描いた絵が、昔、一家全員を惨殺した死刑囚の絵に似ていることに気づき、大祐とされる男は、殺人犯の息子という素性を隠すために誰かと戸籍を交換したのではと推理し、今は獄中にいる戸籍交換のブローカーの小見浦憲男(柄本明)から事実を掴んだが、それだけでは、大祐と名乗っていた男と断定できかった。本物の大祐の行方を大祐のガールフレンドだった後藤美涼(清野菜名)の協力でみつけるが・・・


女:この内容では、かえって差別を招くことになる作品ね!!

男:知らなくてもいいことを、明らかにした原作は、平野啓一郎で彼の他の映画化された作品には「マチネの終わりに」がある。
  脚本は、「マイ・ブロークン・マリコ」や「聖の青春」の向井康介。
  監督は、「蜜蜂と遠雷」の石川慶とあるね。
女:予告編からでは、単なる身元不明の「X(エックス)」なる男を探す映画かと思って観たけど、全然内容が違っていたわ。
男:どうして、男は氏名を変えて別の人にならなければならなかったのか、の原因の設定が良くないってことだね。
女:それは、彼の父親が残酷な殺人者で、ボクサーとして有名になっても、その子供として扱われることを恐れたってことだけど、彼のボクシング・ジムの会長の でんでん などが、凶暴な親子の血は争えないとか、遺伝子的にも凶暴さは子供にも伝わるとか言っていることね
男:そう、そんな偏見的な意見が、正論のような作りかたが良くない。
  また、弁護士役の妻夫木聡は、在日朝鮮人三世であることになっているけど、これを、戸籍交換のブローカーの柄本明が会う早々に、声高に言っているけど、こんな映画の作り方では、明らかに在日朝鮮人の方たちに、失礼だ。
女:何も知らない人たちに、犯罪者の子供や朝鮮の人たちなら軽蔑・差別をしてもいいという、間違えた方向にもって行っているのよね。
男:その人が行ったことの責任は、その人が負うべきで、その子供や家族には関係がないのに、この映画では、犯罪者の子供にまで、罪を負わせている。
女:特に、在日朝鮮人というだけで、差別があるということは、別に取り上げなくてもいいことよ。
男:妻夫木聡が、最後に今までの自分を捨てて別の「ある男」になっているのは、差別の存在を認めていて、実に良くない。
女:この映画のスタッフでは、犯罪者の子供や在日朝鮮人、また死刑制度の是非など社会一般の「ヘイト」を題材として取り上げることはできないってことね。
男:それに、映画の作り方が雑で、疑問点が多いね。
  例えば、どうして、殺人犯の息子が、父親と同じような目の周りを削ったような絵を描くことが出来たのかとか、身元調査で、直ぐに戸籍ブローカーを見つけたりと解決策が簡単とか、また弁護士の家庭環境での妻役の真木よう子が浮気をしているとかは、付けたし感が強い。
女:それにしても、弁護士がここまでして、一人の男の身元調査を引き受けるかということが、納得がいかなかったわ。
  安藤サクラに気が有ったのかしら。

男:そんな気もするけど、私なら、大祐のガールフレンドの清野菜名の方がいいね。
女:別にあなたの好みのタイプを聞いていませんよっ。
男:えっ、あ、そう・・・

 妻夫木聡が出ていた; 「怒り」 (2016年)、 「家族はつらいよ」 (2016年)、 「悪人」 (2010年)
 安藤サクラの; 「万引き家族」 (2018年)
 清野菜名の; 「耳をすませば」 (2022年)、 「異動辞令は音楽隊!」 (2022年)
 窪田正孝の; 「マイ・ブロークン・マリコ」 (2022年)
 原作 平野啓一郎の;「マチネの終わりに」 (2019)

母性

あらすじ:上品な母親(大地真央)に育てられたルミ子(戸田恵梨香)は、同じ絵画教室に通っていた鉄工所で働く男(三浦誠己)と結婚をして娘:清佳(さやか、永野芽郁)をもうけた。ルミ子の清佳に対する子育て方針は、とにかく祖母を大切にすることだった。そんな祖母だったが嵐の夜に家の傍にあった大木が室内に倒れてきて、一緒に寝ていた幼い清佳を庇って亡くなった。災害で家を失ったルミ子たちは、旧家で農業を営む夫の実家に離れを建ててもらい移り住んだ。義母(高畑淳子)は、慣れない農作業や食事の世話をするルミ子にいつも強い言葉で文句を言っていたが、ルミ子は大人しく耐えていた。そんな母親を見て高校生になった清佳の娘心は複雑だった。そんなある日、父親が浮気をしていることを知った清佳は、自殺を・・・


何を言いたいのか、さっぱりわからない。本当に退屈で、つまらない映画だ!!
 
 原作は、「告白」などの売れっ子作家の湊かなえ。
これを、堀泉杏が脚本を書き、監督は、廣木隆一とある。
この原作本は、私は読んでいない。

 チラシでは、主演の戸田恵梨香と旬な永野芽郁が不思議なポーズで出ていて、また、原作はあの 湊かなえ となれば、一応観たくはなる。

 で、観たが、これが酷い出来上がりだった。

 タイトルが「母性」となっているが、これでは「母性」とは、子供を産んで次の世代に人間を残して行くだけで、そんな人類当然のことを、身を挺して孫を守りましたとか、父親の浮気がショックで自殺を図りましたとか、心根の優しい娘でしたとかを加えているだけで、何にも観客に訴える物がない。

 映画を観たくなる基本となるチラシのあらすじでは、娘が自殺をして、その証言が母親と娘では違うということで、チラシからは、死んだ娘は、てっきり永野芽郁かと思っていたら、それが違うのに驚いた。死んだのは、まったく他の高校生とは、酷いチラシの紹介文だ。

 そんな、出来の悪いチラシから始まって、こちらも冒頭の私独自の「あらすじ」をまとめるのに、かなり時間がかかる。
いつも言っているが、出来のいい映画の「あらすじ」はすらすらとキーボードを叩けるが、出来が悪い、まとまりのない映画の「あらすじ」は、記憶の整理と確認に時間がかかり、何度も、何度も消したり、見直したりとやたら無駄な時間を食う。
今度の「母性」は、後者の典型例だった。

 原作者の湊は、この本に対しては、思入れが強く、自分でも「これが書けたら作家を辞めてもいい」とも言っているが、この映画の低い完成度から評価すれば、それなら「作家を辞めなさい」と言うことになる。

 でも、原作を読んでいないけど、湊に好意的な私にしてみれば、この映画をダメにしたのは、まず、脚本の堀泉杏にあり、この脚本の段階で、原作本にあった多くの挿話から、取捨選択をすべきだったと思える。
「あらすじ」がまとめ難かったのは、清佳の学校でのいじめとか、父親が学生運動や安保闘争に参加していたこととか、父親の浮気とか、義母の家にいる娘の駆け落ちとか、ルミ子の手が水仕事であれるとか、今の清佳の生活とか、多分原作本にあったと思われることを、バラバラと入れすぎたせいで、それが原因で本来の主張である「母性」から離れたものになってしまい、何を言いたいのか分からない、全く散漫とした映画にした。

 それと、この作品を監督した廣木隆一の責任も大きい。
災害にあった大地真央が亡くなるシーンの緊迫感の無さを始めとして、父親の浮気を知って門のところで出会う永野芽郁と戸田恵梨香の様子と設定など、各場面の繋がりの悪さは、今まで多くの作品を手がけてきたらしい廣木隆一なら、この出来の悪い脚本を修正できた筈だ。

 それを怠って、おざなりな作品として公開したのは、折角熱演の戸田恵梨香と見事な「毒の義母」を演じた高畑淳子(たかはたあつこ)に対して失礼だ。
「母性」のような女性に特有な問題を扱うなら、男性の監督でなく女性の監督を登用すべきだった。

 観る前は、かなり期待度が高かっただけに、この表面だけの出来では、訴える物は何もなく残念も言えない。

 永野芽郁が出ていた; 「マイ・ブロークン・マリコ」 (2022年)、 「そして、バトンは渡された」 (2021年) 、 「キネマの神様」 (2021年)
 湊かなえの; 「告白」 (2010年)
 怪演の高畑淳子の舞台; 「土佐堀川」 (2017年)
 懐かしい大地真央の舞台; 「マイ・フェア・レディ」 (2009年)

 

ザリガニの鳴くところ

あらすじ:時は1969年。場所はアメリカの南東部に位置する黒人差別を始めとしていろいろな差別が強いノースカロライナ州の、近所へは小型ボートで行き来する湿地帯にある田舎町で金持ちの息子で女遊びが派手なチェイス・アンドリュース(ハリス・ディキンソン)が、火の見櫓のそばで死体となって発見された。現場には足跡も指紋もなく火の見櫓から転落した事故死の可能性もあったが、警察は「湿地の少女」と呼ばれて町の人たちと交流がない24歳のカイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)を容疑者として逮捕した。カイアの父親は酒に酔うと家族に対して酷い暴力を振るうので、身の危険を感じた母親が家を出ていき、カイアが6歳の時には兄や姉も家から出て行った。その後、幼いカイアが一人で父親の面倒を見ていたが、カイアが10歳の時に、その父親もどこかに行ってしまい、一人残されたカイアは沼の貝を取り、優しい黒人の雑貨商のジャンピン(スターリング・メイサー・Jr)に売ってどうにか活きていた。見かねた行政も、小学校に行かせようとするが、生徒たちが裸足のカイアを臭いなどと言っていじめるので、二度と学校には行かなかった。そんな町の人たちから離れた生活を送るカイアを慰めてくれるのは、湿地に棲む鳥や草花、貝などの自然と、兄の友人だったテイト(テイラー・ジョン・スミス)だった。テイトは、学校に行かないカイアに読み書きを教え、自然について多くの本を借りて来てくれた。淡い恋に落ちたカイアとテイトだったが、テイトは、大学に受かると余りにも自然の中にいるカイアが疎ましくなり二人の仲は終わった。そんなカイアに近づいてきたのが遊び人のチェイスだった。男性に初心なカイアだったが、結婚を約束するチェイスには別の婚約者がいることを知って・・・


ミステリーと言うより、自然に囲まれて強く生きていく少女の恋愛物語だ!!
 
チラシによると、全世界で1,500万部を売っているディーリア・オーエンの同名の原作を映画化したとある。
脚本はルーシー・アリバーで、監督は、オリヴィア・ニューマン。綺麗な撮影をしたのは、マイケル・ダナ。
私は、この本は読んでいない。

 まず、タイトルの「ザリガニの鳴くところ」だけど、このタイトルを見たときに、「ザリガニ」は、子供の頃、近くの田んぼや池でスルメイカを餌にしてとったことがあるけど、私の記憶にある限りでは、ザリガニは、「鳴かない」だろうという疑問だ。

  

 英語のタイトルは「Where the Crawdads Sing」とあり、「Crawdad」がアメリカ・ザリガニで、「Sing」は歌を歌うことだから、邦訳の「ザリガニの鳴くところ」では、抽象的でどこなのか意味が分からないけど、映画を観るとザリガニが鳴くほどに「自然が豊かな場所」ということか。

 映画の構成としては、カイアの恋人のチェイスの変死体が発見されて、カイアが容疑者となり始まった裁判と交差して、カイアの幼い頃やテイトから読み書きを教わり、また自然についての知識を得ること、湿地帯の自然を取り上げた本を出版するようになるまでなどが、実に綺麗な湿地帯の景色を背景にして描かれている。

 そこで、アメリカの湿地帯というとフロリダ半島にあることは知っていたが、ノースカロライナ州にも湿地帯があるとは知らなかったのでその位置が分からないので調べてみた。

  

  このノースカロライナ州の東海岸では広大な湿地帯があり、干拓が行われているらしい。
本当にアメリカという国の広さには、驚き、まだまだ、私の知らない世界があることを、この映画は教えてくれた。

 それは、さておき、話を映画に戻すと、実に練られた面白い設定だ。
時を人種差別や身分差がある1970年代にして、その差別的な要素を取り入れ、また、文明の開発が進んでいない湿地で町の人とは接触が薄く、しかもたった一人で暮らす「少女」とは、どんな生活をしているのか、一体彼女にはどのような秘められた過去があったのか。

 それだけでも充分に興味津々となり次から次へと想像力を掻き立てられるのに、加えた味付けとして「湿地の少女」に絡んだ恋人の変死体が登場し、果たしてそれは事故死かそれとも殺人事件かとこれまた、話を面白くさせている。
確かに、この展開ならアメリカ人だけでなく、世界中の多くの人々を魅了する内容がある。

 私がチラシから当初抱いたイメージとしては、湿地で、文明から離れて一人で暮らす「野性の少女」なら、裸足で野山(山はないか)を駆け巡り、髪はボサボサ、衣服はボロボロという感じだったけど、流石に1970年代のアメリカが舞台では「野性のターザン」にはなっていない。

 それどころか、カイアを演じたデイジー・エドガー=ジョーンズの演技が実に瑞々しく、はつらつとしていていい。
設定としての男性を知らないのは当然ながら、湿地以外の世界を知らない娘役にはまっている。

 チェイスの変死体の裁判の進め方も、このままでは、カイアが殺人者として陪審員から評決を受けるのではと思わせるのも上手いやり方だ。
観ている私たちにすれば、こんな無垢な生活を送ってきた女性が人殺しであっては欲しくないという感情に導かれている。

 ここでの弁護士役をした、デビッド・ストラザーンもいい演技をしている。

 カイアが裁判で無罪となっても、実は・・・
ということになっているので、カイアがチェイスにあげたキーとなる「貝殻のネックレス」の行方には、触れないが、125分という上映時間も短く感じる程の内容があり、見ごたえがあった。

 まあ、チェイスによってめちゃくちゃになった部屋を誰が綺麗に片づけたのかとか、いつも綺麗な家をどうやってメンテナンスしていたのかとか、また、セックスのシーンでデイジー・エドガー=ジョーンズの胸を出さない変な撮影方法は納得が行かなかったけど、面白かった。

 この映画を元にデイジー・エドガー=ジョーンズやテイラー・ジョン・スミスの今後の活躍が期待される。

すずめの戸締まり (アニメーション)

あらすじ:九州は宮崎に住む17歳の高校生の岩戸 鈴芽(いわと すずめ、声: 原菜乃華)は、通学の途中で、廃墟にある「扉」を探しているというおかしな大学生:宗像 草太(むなかた そうた、声: 松村北斗)に声を掛けられ、興味をひかれて山中にある廃墟へ一人で向かうと、確かに変な扉があった。その扉を開けるとそこには綺麗な世界が広がっていた。扉を締めソバにあった石を何気なく抜くと、今度は扉から得体の知れない凶暴な物が現れ鈴芽は襲われていたところを草太に助けられた。この「扉」は、災害をもたらす「ミミズ」を閉じ込めたもので、鈴芽が抜いてしまった石は「要石」で、ミミズを封印していたのだ。草太は、日本中の廃墟にある災害をもたらす「扉」を締めることの出来る「閉じ師」だった。扉から出てきたミミズは、九州から四国、神戸、関東へと次々と「扉」を開けて災害を企ていくが、要石から変身した猫:ダイジン(声: 山根あん)に導かれた鈴芽とダイジンから鈴芽が子供の頃使っていた3本足の椅子に変身させられた草太は、協力してどうにか強大な災害の発生を未然に防いでいた。しかし、ミミズの次の標的の東北地方へと向かう鈴芽と草太を・・・


女:話が難しくて、全然面白くないわね!!

男:監督は、「君の名は。」や「天気の子」で、アニメ界では超有名な新海誠だね。
  彼が原案から脚本を書き、監督もしている。
女:アニメは余り見ないあなたも、この岡山のシネマ館の4つのスクリーンで、1日20回も上映されていて、興行収入も凄いとなると、話のついでに観たわけね。
男:世間の評判で同じような考えの大人は、かなりいたようで観たのは、平日の昼間の回だったけど、いつもならがら空きの映画館の席が、ほぼ1/3は埋まっていたのは、驚きだ。
女:入場時にもらった「新海誠本」を読むと、この「すずめの戸締まり」は、2020年の企画段階で、日本の地方の過疎化と2011年3月11日に東北地方を中心に起きた「東日本大震災」を結びつけることになっていたようね。
男:日本に住んでいる限り地震とは縁が切れない。
  この地震の発生原因は、どこかに強大な「ミミズ」がいて、封印が解かれるとそのミミズが暴れだすという発想だ。
女:あれ、地震はおおきな「ナマズ」が暴れるのが原因じゃなかった。
男:まあ、それは置いといて、このミミズの描きかたが、赤黒くて頭のない竜巻見たいで、新海監督の絵心としては、ミミズならこうなるかも知れないけど、かなり迫力がない。
女:でも、扉がある水面の描き方や草花なんかは、流石に新海ワールドで、描写が細かくて綺麗よ。
男:新海監督が描くアニメのまるで実写のような映像は、相変わらず素晴らしい。
  また、音の使い方も真実を追及している。
  走っている自動車は、それだけで、メーカーと車種名が分かるし、高速道路を走っているとコンクリートのつなぎ目があり、一定感覚で微かな車体音がポコポコとするんだけれど、それもチャント再現してる彼の繊細さには、脱帽だ。
女:その他にも実写では表すことのできない東京のお茶の水なんかの街並みの表現も上手いわね。
男:でも、話としては、変なところに入ったという感じだね。
女:そうね。まず、「要石」だった猫のダイジンの設定が良くないわね。
  最後の方に行けば、ダイジンは、いいやつだったということだけど、草太を子供用の3本足に変えちゃうんでは、ちょっと納得が行かないわね。

男:それに増して終り頃に出てくる大猫のサダイジンは、まったく突然の出現で訳がわからない。
女:新海監督としては、幼くして災害で母親を亡くした高校生が、その悲劇を草太という新しい恋人の出現で乗り越えましたということを言いたかったのかしら。
男:さあ、それが、はっきりとでていないから、話が間延びして退屈で面白くないものになったんだろうね。
女:宮崎から愛媛。また、神戸から東京、そして三陸へと旅をしているけど、こんなに、それぞれの場所でのエピソードは要らないって感じね。
 どこかをカットしても良かったわ。

男:2011年の3月11日に起きた東日本大震災という未曾有の悲しい現実で受けた気持ちをどう人々は解決すればいいのかは、新海監督のレベルでは映像化できない。
女:今回の新海監督は、解決できないまま、アニメにしたってことね。
男:取り上げた地方都市の過疎化と大震災がテーマでは、彼には荷が重すぎた。
  これでは、映画の中で井上陽水が歌う「夢の中で」や河合奈保子が歌う「けんかをやめて」も活きてこない。
女:音楽ファンのあなたとしては、他にも「ルージュの伝言」や「Sweet Momories」など懐かしさも一杯だったけど、残念な作品だったということね。
男:思い出の「扉」を開けることは出来たけど、悲しい記憶の「扉」には到達できなかったというところだね。
女:じゃあ、今夜はこの辺で丁度時間となったようですから、戸締まりをして、お休みしましょうか。
男:折角、いい言葉で締めようとしたのに、平凡な終わり方だなぁ。
女:誰も、あなたには、そんなに期待していませんから、これでいいの。
男:そんな・・・

 新海誠監督の;「君の名は。」 (2016年)
 東日本大震災なら; 「天間荘の三姉妹」 (2022年)

天間荘の三姉妹

あらすじ:幼くして両親を亡くし施設で育った小川たまえ(のん)は、自分の気持ちを押し殺す性格だったが、交通事故に会い、彼女の魂は生死の間をさ迷っていた。そんな天国へ行くか現世の肉体へ戻るかで迷っている魂は三ツ瀬と呼ばれる町で決心がつくまで過ごすことになっていた。そこで、たまえも霊界の案内人イズコ(柴咲コウ)に連れられて、魂の旅館:天間荘に暫くの間泊まることになった。その天間荘の大女将で酒好きの天間恵子(寺島しのぶ)は、亡くなった たまえの父親(永瀬正敏)の前の女性で、また腹違いの姉になる若女将の のぞみ(大島優子)と、イルカのトレーナーをしている かなえ(門脇麦)がいた。腹違いとはいえ、初めて家族に近い天間荘の人たちに近親感を抱いた たまえは、客ではなく仲居として働かせて貰うことになった。料理や花の生け方なんかに小うるさい財前玲子(三田佳子)の気持ちを穏やかにさせたり、盗作問題で投げやりの芹沢優那(山谷花純)と打ち解け、父親とも再会できた たまえは、生きていることの意味を知って、現世に戻る・・・


突然、命を奪われた人たちの魂を見事に救った!!

 原作は、髙橋ツトムのコミック「天間荘の三姉妹 スカイハイ」があり、これを、嶋田うれ葉が脚本を書き、監督は、北村龍平だ。

 予告編を観て、のんや門脇麦が楽しく旅館をやっていく話かとこちらも気楽な気持ちで映画館に足を運ぶ。
しかし、映画の展開は、そんな穏やかなものではなかった。

 最初は生死の狭間をさ迷う魂があの世か現世に戻るかの決心がつくまで、旅館:天間荘に留まるなんてその発想のユニークさに感心した。
出てくる三姉妹の名前が、のぞみ、かなえ、たまえ では、昔テレビの欽ちゃん(萩本欽一)がやっていた番組の「わらべ」のトリオかと小さく笑ってしまった。
このあたりの描きかたは、実に漫画的だ。

 しかし、観ているうちにどんどんと内容は深刻になって行く。
どうして、あの世とこの世をさ迷う魂のために天間荘が存在しなければならないのかが明らかになってくる。

 必要とされない人間なんて、一人もいない。
折角授かった「命」を軽々しく亡くすことはしては欲しくない。

 これは、原作者:髙橋ツトムの主張で、そんな幻想的な話を見事に北村龍平監督が、映像化し綺麗に、また涙を誘う映画としてまとめあげている。

 話の途中での家族が大切とか、軽々しく死ぬなんて言うななんて部分は、当然のことで、このあたりは中だるみがしているが、後半になってからは、綺麗な海辺、かなえ が恋人の高良健吾と過ごす洞窟また天空の広場、過去を見られる走馬灯の使い方、成仏してあの世に旅立つ多くの魂などファンタスチックな場面が、この映画を盛り上げていく。

 主演を務める のん(元能年玲奈)が演じたNHKのテレビ・ドラマ「あまちゃん」と同じ話、つまり、2011年3月11日に発生した東日本大震災での三陸沖の大津波がこの物語の根底にあることが徐々に分かってくる展開が上手い。

 演技か素顔かははっきりしないが、いつも前向きで、元気を与えてくれる のん を主役にしたこの配役は大いに成功している。
勿論映画は主役一人で成功するわけではない。

 脇を固めた腹違いの姉たちを演じた、大島優子と門脇麦、そして、大女将を演じた寺島しのぶも役柄としてびったりだ。

 強制的なお涙頂戴でなく、観ていると自然にまなじりを濡らす演出ができる北村龍平監督は素晴らしい。

 エンディングに歌われる玉置浩二と絢香による「Beautiful World」もこの映画にふさわしい内容だ。

 このような「天間荘」があれば、突然の大津波によって理不尽に奪われた三陸地方の犠牲者の魂も充分慰められるだろう。
少しばかり長い(150分)映画だったが、観て良かった。

 余談:カメオ出演(ちらっと出ている)で、高橋ジョージ、つのだ・ひろ、とよた真帆は分かったけど藤原紀香はどこに出ているのか分からなかった。

 門脇麦がまったく活躍していない; 「あなたの番です」 (2021年)
 柴咲コウの; 「沈黙のパレード」 (2022年)

線は、僕を描く

あらすじ:災害で両親と仲の良かった妹らを全て失い喪失感しかない大学生の青山霜介(あおやま そうすけ、横浜流星)は、会場設営のバイトで行った篠田湖山(三浦友和)の水墨画の展示会場で、湖山の孫の篠田千瑛(しのだ ちあき、清原果耶)が描いた白黒の椿の水墨画に感動していたところを湖山に見込まれて彼の内弟子となった。墨の摺り方、1本の筆での濃淡の表現の仕方など水墨画の世界は、習えば習うほど奥が深く、また、一本の線に託された自分の気持ちも現れるため、子供の頃から湖山の元で習っている千瑛にしても水墨画を会得することは難しかった。一方、霜介の大学では、友達の古前巧(細田佳央太、ほそだ かなた)達が、千瑛を講師とした水墨画サークルを立ち上げ、サークルでも水墨画に熱中する霜介だったが、どうしても家族を奪った災害の悪夢からは離れることができなかった。そんな時、湖山が主催する一門の発表会の日に湖山が倒れる。病院に駆けつけた千瑛に対して湖山は「迷いを絶て」と冷たく接する。他人の模倣から脱した自分の世界を描ける日はくるのか・・・


水墨画の素晴らしさは分かったが、恋愛物語から離れすぎだ!!

 原作は、水墨画をたしなむ砥上裕將(とがみ ひろまさ)の小説があり、これは、漫画化もされているようだ。
映画化は、片岡翔と小泉徳宏(こいずみ のりひろ)が脚本を書き、監督は小泉徳宏。
この監督の作品には、映画の「ちはやふる」がある。

 出ている俳優が、横浜流星と清原果耶とくれば、これは、当然に恋愛物語かと思って観たら、恋愛の方はかなり薄めの扱い方で、この描き方にはがっかりした。

 映画の前半の展開は、大学生の青山霜介が都合よく、あっという間に、篠田湖山の内弟子(本当は、水墨画教室の生徒になるけど、この内弟子と生徒の違いに拘るいきさつが、どちらでもよく、面倒くさい。)になり、湖山の家に出入りし、そこで、孫の千瑛と出会う。また、湖山の家の庭仕事や食事の世話をしている西濱湖峰(江口洋介)の存在などが、まるで漫画のように簡潔にテンポよく紹介される。

 そこで、習うことになった水墨画だけど、1つの筆の濃淡とその運び方で、生き生きとした竹が描かれるが、これは素晴らしい芸術だ。
こまやかな細い線を迷いなく、最初から最後まで一気に描ききることは、本当に難しい。
椿の葉の葉脈までを単なる墨の濃淡で表現できる技術があるとは、まったく知らなかった。

 というわけで、この映画を通じて水墨画のもつ凄さ、その芸術性の高さは、認識したし、それを描き出した撮影方法も褒められる。

 で肝心の映画の構成の方だけど、これは、かなり退屈な出来栄え。

 心に家族を失ったトラウマを抱えた青年の設定は、この映画において必要か。
あまり話の展開に自信がない下手な作家が物語を補うつもりで、よく挿入するテクニックからまったく脱していないこの程度のトラウマなら、健全な家庭で育った大学生が水墨画を習うの内容でいい。
安易に読者や観客のお涙頂戴に訴える文才の無い平凡な作者の意図は不要だ。

 また、水墨画を変に権威付けしようとしてフランスの文化大臣を登場させて長々と引っ張るが、これも、そんなことをしなくても、この内容なら水墨画の素晴らしさは分かる。
変な大臣を登場させなくても、真っ向から勝負をしても大丈夫だ。

 本当は水墨画が上手いけど雑用をしている江口洋介の役割はいい。
また、横浜流星の友人役をした細田佳央太は最近、様々な役柄に挑戦しているようだけど、彼もいい。

 しかし、折角、横浜流星と清原果耶という旬な俳優を得ながら、恋愛の方に力をいれず、水墨画の宣伝映画にした監督:小泉徳宏の罪は大きい。

 2022年10月26日:役名:西濱湖峰を篠田湖山に訂正した。

 横浜流星が良かった; 「アキラとあきら」 (2022年)、「流浪の月」 (2022年)
 小泉徳宏監督の; 「ちはやふる」 (2018年)

耳をすませば

あらすじ:中学3年生の月島雫(つきしま しずく、安原琉那)は、魔法系の本が大好きで父が勤める図書館の本を借りては読み漁っていた。そんな彼女が借りる本の貸出簿にはいつも天沢聖司(あまさわ せいじ、中川翼)と言う名があり、彼の存在が気になっていた。そんな時、変な猫に導かれて訪れた骨董屋の「地球屋」の2階で、チェロを練習している天沢に出会いそれから二人は淡い恋心を抱くようになったが、まだ二人ともそれが「恋」だとは知らなかった。それから10年が過ぎ、世界的なチェリストになる夢を叶えるためにイタリアに留学した天沢(松坂桃李)は、他のミュージシャンとコンサートを開くまでになっていたが、出版社の編集者として働く月島(清野菜名)は、童話作家への夢も捨てきれず、仕事にも熱意がなかったため、担当の作家(田中圭)から外されることになる。気持ちを整理するために、天沢がいるイタリアへ行った月島を待っていたのは・・・


メリハリもなく、初心者が作った退屈な映画!!

 あとで調べていて、分かったことだけど、この映画「耳をすませば」は、1995年にスタジオ・ジブリがアニメ化したものがあった。その原作者は、柊(ひいらぎ)あおいとのこと。
私は、そのジブリのアニメも観ていないし、原作もまったく眼にしていない。
ただ、9月に観た映画「異動辞令は音楽隊!」に出ていた清野菜名の演技に気をひかれ、また、5月に観た「流浪の月」での松坂桃李が素晴らしかったので、映画館に足を運んだ。

 映画の脚本と監督は、「約束のネバーランド」の平川雄一朗とのこと。

 この作品が本当に平川雄一朗が脚本を書き監督をした作品なら、この平川雄一朗は、もう一度、映画というものを最初から勉強しなおす必要がある。

 映画の展開は、中学生時代の月島と天沢との出会い、それから10年が過ぎた25歳頃の出版社になんとなく勤めている月島と彼女の友人で結婚を控えた原田(内田理央)との生活、またイタリアで活躍している天沢の生活が錯綜する形で描かれている。

 交錯する中学生時代と25歳頃の映像は、はっきりと違っていて混乱することはない。

 タイトルとなっている「耳をすませば」だけど、これは、子供の頃に持っていた「夢、心の声」が年齢と共に聞こえなくなるので、そのような時には、心を静かにして「耳をすませば」聞こえるという、実にメルヘンというか、他愛のない表現。

 そのタイミングを水滴が水面に落ちることで表現したが、この映像が単に水滴のスローモーションというありふれた手法であり、また、スクリーン全体をこれだけに使っているという下手さで感動どころか、どうしてこのタイミングでこの画像という唐突感しかない。

 中学生時代の「初恋編」の方は、まあ、子供時代だからそういうものかと許せるが、10年後の出版社の社内環境の描き方といったら、どこでも、いつでもよくあるまったく、平凡な、上辺だけのとってつけたような描き方は、酷い。

 ガミガミいう上司、有給休暇をとるのは、会社を辞めることだと思わせるのは、まあ、当時ならありとしても、それを暖かくカバーする同僚の描き方。

 これらには、全然オリジナリティがなく、他の映画から盗ってきて、挿入しましたでも、分からないほどだ。

 月島がイタリアに天沢を訪ねて行く場面はさらに、納得できない場面の連続だった。
大体、人生初めてのイタリア旅行で、急に一人で天沢達がチェロの練習を終わった場所に行けることも不自然だし、現地の恋人だと誤解するような行動も、先が見えている展開だ。

 例え、日本とイタリアという遠距離恋愛でも、度々手紙のやり取りはしていたし、時には、公衆電話から海外電話もしていたというこの状況から、二人の恋愛感情の確認は出来ていたはずで、今更イタリアには、別の恋人がいましたは、無い設定だ。

 猫の人形「バロン」は、よくできている。
できれば、未完成だったこのバロンの恋猫のその後も知りたかった。

 また、この「耳をすませば」では、赤い鳥が歌ってヒットした「翼をください」が、キィーになっているが、この扱い方も個人で歌うのではなく、グループで歌う方策があれば、活かされた。

 メルヘンでもなく、大人の愛でもないよくある平凡で退屈な映画だった。
本当に脚本の大切さを、しみじみと感じた。

 清野菜名が出ていた; 「異動辞令は音楽隊!」 (2022年)
 松坂桃李が出ていた; 「流浪の月」 (2022年)、「新聞記者」 (2020年) 、 「ちょっと今から仕事やめてくる」 (2017年)
 平川雄一朗監督の; 
「約束のネバーランド」 (2020年)


 イタリアをもっと知りたいなら; 「ヨーロッパの旅」 のイタリア編をご覧ください。

 マイ・ブロークン・マリコ

あらすじ:労働環境が厳しい会社で営業をしているシイノ トモヨ(永野芽郁)は、立ち寄った食堂のテレビのニュースで小学生の頃からの長い親友のイカガワ マリコ(奈緒)が自殺したことを知った。マリコの家庭は常に暴力を振う父親(尾美としのり)のせいで荒れ果てており、母親も出て行っていなくなり、虐待を受けるマリコは、幼い頃から何度も手首を切るような状態だったが、トモヨだけが壊れていくマリコの心の拠り所だった。今までは何でも話してくれたマリコがどうして、自分に手紙もくれずまた相談もなく自殺をしたのか。追い詰められたマリコの遺骨を憎んでいた父親の元に置くのを不憫に思ったトモヨは、鞄の中に包丁を潜ませて、今はタムラ キョウコ(吉田羊)と再婚をしているマリコの実家に乗り込み、彼女の遺骨箱を奪い、生前マリコが行きたがっていた「まりがおか岬」へ向かう。途中バイクによるひったくりに会い、バッグや財布も奪われるが、釣りに来ていたマキオ(窪田正孝)の助けで、どうにかマリコの遺骨を海岸まで持ってこれたが、揺れるトモヨの気持ちは・・・


女:女優:永野芽郁の転機になる作品ね!!

男:原作のコミック本は、平庫ワカ(ひらこ わか)が書いていて、脚本は、向井康介とタナダ ユキで、これをタナダ ユキが監督した。
女:このコミック本は、やたら名前にカタカナが多くて、また、苗字と名前の間にスペースがなくて読み方が面倒ね。
男:脚本と監督をしているタナダ ユキにしても、カタカナでは男か女か分からず、NETで調べて、どうにか女性だと分かった。
女:話としては、あちらこちらは当然にコミック的で笑えるシーンや、小学生が校舎でタバコを吸うのかというような、普通ならそれは、ないでしょうという場面もあるけど、本題としている「友情」と「頼られる」重さは充分に観ていても伝わって来るわね。
男:永野芽郁が暴力を振るっていた父親から奪った遺骨箱を抱えてアパートの窓から飛び降りた先が土手で、その川を渡るのは、まさしく漫画的な発想だった。
女:釣り人の窪田正孝が、小舟に野宿した永野芽郁に歯磨きセットをあげるのは、女性監督ならはではの感性ね。
男:上手い表現は、ラストの永野芽郁と窪田正孝との電車での別れのシーンだね。
  窪田正孝の方は、電車に乗り込んだ永野芽郁をしっかりと見送っているのに、永野芽郁の方は世話になったにも関わらず、そんなプラット・ホームにいる窪田正孝には眼もくれずに、彼が買ってくれた弁当を電車に乗って直ぐに口にほうばるのは、実に笑える。
女:壊れていくマリコの気持ちをしっかりと受け止めていたシイノは、男性には余り興味がない性格だということが、よく出ていたわ。
男:映画の構成としてマリコの酷い家庭環境やマリコがシイノを頼る状況は克明に描かれているけど、相手となるシイノが育った家庭環境は描かれていない。
  でも、観客にしてみれば、この設定でも、シイノがここまで、マリコに対して親身になれるのは、マリコと似たような家庭環境で育ったのかと想像させる楽しみがある。
女:今までの永野芽郁のイメージとしては、おっとりした感じの娘役があったけど、この映画では、たばこを吸ったり、乱暴な言葉も使っていて、かなり役柄を変えたわね。
男:いい意味での新しい役柄への挑戦で、これは、成功したね。
  彼女の女優業で演技の幅を広げることが出来た作品になったと思う。
女:あまり漫画が原作の映画は、好きでないあなたにしては、今回は好評価ね。
男:本当に独自のアイディアがなくて、漫画ばかりに頼っている映画界の実情は嘆かわしいけど、漫画界の方が競争が激しくて、いいアイディアがたくさんあるのは認めるよ。
女:そう言ってるけど、結局、永野芽郁って若くて可愛い女優だから、評価が甘いだけじゃないの。
男:いや、わたしは、映画の評価を出演している男優だとか、女優で見方を変えていないよっ。
   基本的には、いい評価になるのは、脚本と男女を問わず彼ら出演者の演技力だね。
女:まあ、今回は、そういうことにしておきましょう。
男:いつも、そうなんだけど・・・

 永野芽郁が出ている; 「そして、バトンは渡された」 (2021年) 、 「キネマの神様」 (2021年)

 沈黙のパレード ~ガリレオ~

あらすじ:東京のとある町に研究のため来ていた帝都大学の天才的な物理学者:湯川学(福山雅治)教授は、その論理的な検証方法で今まで警察が解決できなかった数々の難事件を解決し「ガリレオ」と呼ばれていた。そんな関係から、また警視庁の刑事:内海薫(柴咲コウ)から、数年前から行方不明になっていた歌手を目指していた高校生:並木佐織(川床明日香)の白骨死体が発見され、容疑者として蓮沼寛一(村上淳)が浮かび上がったがったが、彼は完全に黙秘をして、犯行の動機も証拠もなく苦労しているという相談がくる。この蓮沼は以前、湯川の親友の草薙俊平(北村一輝)刑事が担当した少女殺害事件でも容疑者だったが、その事件でも完全に黙秘を通して無罪となっていた。今回の事件でも蓮沼は釈放され、堂々と亡くなった並木佐織の両親(飯尾和樹/戸田菜穂)の店に顔を出し、店にいた町内会の人たち(田口浩正、吉田羊ら)から責められるが、また来ると言って平然と立ち去った。しかし、数日後町内の「仮装パレード」の日に、蓮沼が殺される。殺人動機として一番あやしい並木佐織の両親にはアリバイがある。一体犯人は誰だ・・・


「ガリレオ」のDNAもなく、ミステリーの謎解きの楽しさもない映画だ!!

 映画の元になっているのは、テレビで評判が良かった福山雅治が出ている「ガリレオ」シリーズだ。
このテレビ版は以前見ていて、また、最近再放送があり、これも、ほとんど見た。
物理学者の湯川が、謎とされる犯行方法やトリックを複雑な数式をもちいて解き明かすのは面白かった。また、その数式を壁とか道路とか所かまわず書き散らすアイデアも気に入っていた。

 「ガリレオ」シリーズは、映画版にもなっていて、「容疑者Xの献身」 と「真夏の方程式」は、私も観ている。

 で、今回の「沈黙のパレード」だが、これも他の「ガリレオ」シリーズと同様に、原作は東野圭吾で、脚本は福田靖、監督の西谷弘も前作からの担当だ。

 劇場版の前作「真夏の方程式」から約9年の時を経て、今回の「沈黙のパレード」の公開となったわけだが、この構成ではまったくいただけない。

 まず、基本となっている湯川学の役の設定が変わりすぎだ。

子供が嫌い、いや苦手なのはまあ、しゃぽん玉で子供たちと共に遊ぶ程度にしたのは許せるが、大学の研究室を出て、どうして町中の工場みたいなところで研究しているのかこれでは全く分からない。
単に映画として盛り上げるつもりの町内会主催の「仮装パレード」に湯川を引っ張り出し、ダラダラと参加している「絵」が欲しかっただけとしか映らない。
このロケとしての「仮装パレード」は、多くのエキストラを集め、出し物も作りここで予算を使った以上映像としてもかなりのシーンを採用したかっただろうが、編集としては無駄な場面が多く、もっと、もっとカットできる。
湯川は、物理的な研究にのみ興味があり、人間的な繋がりには興味を示さないのがこの「ガリレオ」での「お約束」だった筈。それが、ダラダラと「パレード」に付き合うとは、解せない。
また、そんな湯川が町内の定食屋の常連客という設定に至っては、無理が有りすぎだ。

 そして、肝心の殺人方法が扉の小さな取っ手を外してそこから挿入された液体窒素だったというのは、まったく「実に面白くない!」。
殺人のやり方としては、もっと論理的に緻密な方法を提示してくれないと観客は納得できない。
そして、その解決の数式をどこかに書くというこれもお約束のシーンがないとは、手を抜きすぎ。

 構成として、湯川の性格付けのミスの前に、町内会の「のど自慢大会」のくだりが延々と続いているけど、ここも、もっとカットしていいシーンが多かった。
確かに「のど自慢大会」で歌っていた女子学生の殺人が核になっているけど、この演出では、彼女の歌の先生だった椎名桔平が、教え子に手を出して妊娠させたことを隠ぺいするために殺人を強行したのかとも、女子学生殺人の犯人は分かっているのに、本来の映画の筋とは異なった方向にもなってしまうのは、下手すぎる脚本だ。

  テレビ版でも、謎のような殺人方法のネタが切れて、後半は面白くなかったが、もしかしたら劇場版ではまた新しいトリックが出来たのかと期待したが、これもなく残念なままだった。
特に前半の「のど自慢大会」関係は、あくびがでるほどの退屈さ。

 また、テレビで好評だった刑事役の柴咲コウとの掛け合いの場面が少ないのも、物足りなさを増している。
これでは、福山雅治が主役でなく、刑事役の北村一輝の方が主役となっていた。

 福山雅治が出ていた; 「マチネの終わりに」 (2019年)、  「三度目の殺人」 (2017年) 、 「SCOOP!」 (2016年)、 「そして父になる」 (2013年)、 「真夏の方程式」 (2013年) 

 百花

あらすじ:父親の顔も知らず、近所の子供たちにピアノを教えている母親:葛西百合子(原田美枝子)に育てられた泉(菅田将暉)だったが、幼いころ一時期百合子から見捨てられたこともあり、あまり、百合子に対しては母親としての愛情は抱いていなかった。最近、泉が実家に帰るたびに、母親の認知症が酷くなってきたため母親を施設へ預けることにした。その施設を出産まじかの妻:香織(長澤まさみ)と共に訪れると、百合子は、ますますあいまいになっていく記憶の中から「半分の花火」を見たいと強くいうので、湖からの半分の花火で有名な諏訪湖へ連れていき花火を見せるが、百合子はこの花火ではないという。一体百合子が固執する「半分の花火」とは、なにか・・・


違和感だけしか残らない出来の悪い作品だ!!

 原作と監督は、「告白」やアニメの「君の名は。」などの売れっ子プロデューサーとして有名な川村元気で、彼が、平瀬謙太朗と共に脚本も書いている。
この「半分の花火」は、川村元気の監督としてのデビュー作品だ。

 チラシでは俳優として、菅田将暉、原田美枝子、そして長澤まさみの3人が載っていたので、とりあえず観た。
予告編からは、菅田と原田の親子関係がかなり変だとは感じてはいたが。

 まあ、この映画で取り上げているように認知症だけに限らず人の記憶とは実にあいまいで、また、自分の都合のいいようにしか覚えていないのは、みんな知っている。
ある人はあることを鮮明に覚えていても、それに関係した人でもまったく覚えていないことはよくある話。

 この映画が主題としているのは、謎のような「半分の花火」だけど、それは、自宅の庭から花火大会の花火を団地の屋上越で見たので全輪の花火も半分にしか見えなかったという思い出ということ。
確かにこの「半分の花火」の着想は言葉としても面白い。

 だけど、その「半分の花火」をどうして自宅で見ることになったのかの説明が実に不十分で分からない。
その状況に至ったのは、家庭が貧しかったせいか、それとも父親がいなかったためか、でも、無料の花火大会を一体どうして自宅から外に出て見物出来なかったのかおかしな話だ。
原作者か脚本家のせいか知らないが、詰めの甘さが露見されている。

 甘すぎると言えば、冒頭の菅田将暉が実家に帰った時に母親が居なくて、外に探しに行くシーンからもう違和感があった。
それは、もっと家の中で母親を探すべきだということだ。
私なら、訪ねて行った家で母親の声がしなければ、まず、トイレとか風呂場や他の部屋に母が倒れているのではないかと考え、家中を探すけど、この演出では、手抜きすぎる。

 菅田将暉が実家の整理で母親の日記を見つけて読む訳だけど、この描き方では、母親が愛した不倫相手の立場も母親の心情もまったく出ていないし、どうして1年ぐらい子供を置き去りにしたかその訳も描かれていない。
原田美枝子が神戸で再会した昔の女友達は、原田の不倫相手の奥さんかと思わせる下手な演出もいただけない。

 そう、出来の悪い映画では、まだまだ悪い点は挙げられる。
原田のスーパーで買い物のシーや団地の階段での繰り返しシーンが3回と無駄に重なる退屈さ。これほど繰り返す必要はない。
阪神・淡路大震災も出てくるけど、この災害がどう原田の心情と結びつくのかも意味が不明だし、AIロボット歌手の登場の段に至っては、どうしてここで出てくるのかさへ、理解できない拙さ。
話のつなげ方が下手すぎる。
観ていても途中で度々あくびが出る。

 メイクの力で原田美枝子に老け役と若いころのイメージをやらせた努力は買うが、この撮影方法、1カット・1カメラでは、俳優の後頭部をアップで見せる動きが無駄だった。

 山田洋次監督にも相談したようだけど、この感覚で映画を作られては、まだ、まだ観客の要望を満足させるにはほど遠い出来だった。
こんな映画製作に付き合わさせられた原田美枝子にしても菅田将暉にしても、またほとんど出番がなかった長澤まさみにしても、残念な記憶、「半分もその内容を覚えていない映画」として記憶に残る映画になっただろう。

 菅田将暉の; 「キネマの神様」 (2021年)、 「キャラクター」 (2021年)、 「花束みたいな恋をした」 (2021年)、 「糸」 (2020年)、 「アルキメデスの大戦」 (2019年)
 長澤まさみの; 「マスカレード・ナイト」 (2021年)、 「MOTHER マザー」 (2020年)、 「コンフィデンスマン JP ~プリンセス編~」 (2020年)

 異動辞令は音楽隊!

あらすじ:令状もなく被疑者宅に上がりこむなどかなり強引なやり方で刑事として30年間勤めてきた55歳の成瀬司( 阿部寛)は、仕事一筋で家庭をおろそかにし、そのため妻とは離婚となり、今は認知症の母親:幸子(倍賞美津子)と、時々訪ねてくる娘:法子(見上愛)がいた。管内で起きた「老人を対象にしたアポ電話による金銭強奪事件」でも、本部の方針に従わない法令違反の捜査をし、またパワハラをしているとの投書もあって、県警本部長の五十嵐和夫(光石研)は、警察音楽隊への異動を命じる。警察本部とはかなり離れた場所にある音楽隊の隊長:沢田高広(酒向芳)は、成瀬が子供の頃夏祭りで太鼓を叩いていたという経歴からドラムを担当させることにした。音楽隊の編成も自動車警ら隊や交通課また会計課所属など成瀬を除いて音楽隊と兼任の者ばかりで、彼らも音楽には熱心でなく演奏も下手だった。異動の当初から音楽などに興味がなく練習もおざなりな成瀬だったが、トランペットを担当する来島春子(清野菜名)や娘のバンドとセッション演奏をしている内に音楽の楽しみを覚えてきて、真面目に練習をするようになると、彼の意気込みが他のメンバーにも伝わり、音楽隊もかなりのレベルで演奏ができるようになった。しかし、県警本部長の五十嵐は、効果がない音楽隊を廃止する気でいた。「アポ電窃盗」の被害はついに殺人事件までになる。どうする成瀬・・・


女:あの阿部寛が、ドラムを叩くとわね!!

男:原案と脚本そして監督までを内田英治がしている。
女:内田監督は、2021年の日本アカデミー賞の最優秀賞をとった「ミッドナイトスワン」の監督よ。
男:でも、私も君もトランスジェンダーを扱った内容の「ミッドナイトスワン」は観ていないね。
女:今回の「異動辞令は音楽隊!」の話の構成としては、どうなの。
男:阿部寛と言えばテレビの「ドラゴン桜」の弁護士役や映画での「テルマエロマエ」など、そのあくの強い濃い顔を活かした役で有名だね。
女:最近では「とんび」にも出ていたわよ。
男:背が高いからどうしても、威圧感のある役柄を与えられるけど、この映画での刑事役は、監督の期待した役を演じたんじゃないかな。
女:阿部寛は、以前からコメディ的な映画にも出ていたわね。
男:話としては、こわもての融通がきかない刑事が異動先の音楽隊でも仲間意識を持てなかったが、そのうち同僚たちを知ることによって、気乗りのしなかった音楽隊でやっていくってことだね。
女:よくある展開ね。
男:話の構成として、当初はゴタゴタしていても、最後には、結局みんな良い人でしたでは、余りにも安易な設定で退屈だ。
女:製作者サイドとしては、話の結末をハッピー・エンドにしないと観客を集められないという、変な観念が有りすぎなのよ。
男:紆余曲折があっても、最初からもう終わりが読める展開では、良い映画とは言えないな。
女:また、話の作りが粗雑なのね。
男:「アポ電」の犯人を捕まえるシーンは、まったく酷いやり方だった。
女:ピエロに扮したり、ドラムを胸に付けたままでは、敏腕な刑事の設定と矛盾するわ。
男:単に絵的に考えて盛り上げようとしてもおかしくなるだけだ。
女:また、阿部寛がしていた腕時計も何かありそうな取り上げ方だったけど、分からないのよ。
男:腕時計の件は、どこかで回収しようとしたけど、編集ミスでわすれたのか。
女:この映画では、トランペットを吹いていた清野菜名が、ちょっと気になるわね。
男:彼女は、「今日から俺は!劇場版」で、橋本環奈らと一緒に出ていたのを覚えている。
  「今日から俺は!」の高校生役は、いくら何でも年齢的に無理があったけど、この映画での役は、いいね。
女:特徴のない映画だと、いつまでも続く暑すぎる夏のひと時を、冷房のきいた映画館で過ごしたという程度の評価になるわね。
男:でも、二人分の映画料金を考えたら、冷房のきいた家でテレビを見ているほうが、安上りじゃないかな。
女:そんな、けち臭いことを言ってるから、日本経済が良くならないの。
男:きみは、日本経済をよくするために、映画を観ているの。
女:そうよ。
   お金は天国に持っていけないのだから、老人は、もっと、もっと、お金を使うべきね。

男:でも、これから先の生活もあるし・・・
女:先のことより、今を楽しむのが、人生なの。
男:でも、でも・・・

 阿部寛が出ていた; 「とんび」 (2022年)、 「恋妻家 宮本」 (2017年)、 「不思議な岬の物語」 (2014年)、 「つやのよる」 (2013年)

 アキラとあきら

あらすじ:父親:山崎孝造(杉本哲太)が経営する従業員が、5,6名しかいない町工場が倒産し、幼い頃から苦労してきた山崎瑛<アキラ>(竹内涼真)だったが、融資で献身的に動いてくれた銀行員(バンカー)の姿をみて、大学を卒業後大手都市銀行:産業中央銀行に就職した。一方、古くから続く大企業:東海郵船の社長の長男として育った階堂彬<あきら>(横浜流星)は、叔父たち(ユースケ・サンタマリア、児嶋一哉)ら同族による争いと杜撰な会社経営をみていて、後を継ぐのが嫌になり、次期社長の座を弟の龍馬(高橋海人)に譲り、山崎瑛の同期として産業中央銀行に入行した。新人研修会の頃から良きライバルとして成長していた<アキラ>と<あきら>だったが、山崎<アキラ>は、融資先に寄り添ったためにミスを犯し、福島支店に飛ばされる。しかし、福島で、成績をあげ、また、本店に戻って来た。この間も本店勤務で成績が良かった階堂<あきら>だったが、弟の龍馬が叔父たちが関係する不振のリゾート・ホテル再建の口車に乗せられて、莫大な融資の連帯保証人となりこのままでは、龍馬の東海郵船も連鎖倒産の危機に陥る。そこで、階堂<あきら>は、銀行を辞め、龍馬に代わって社長として戻るが、倒産を回避する策が見つからない。銀行員の山崎<アキラ>は、階堂<あきら>を救えるのか・・・


銀行員を介して、仕事をする楽しみを与えてくれる!!

 原作は、銀行を舞台にしたテレビ・ドラマ「半沢直樹」シリーズなどで評判の良い池井戸潤で、この原作は、かなりの長編らしいが、私は、読んでいない。
脚本は、池田奈津子とあり彼女は、テレビで活躍しているらしいるが、詳しくは知らない。
監督は、三木孝浩で、彼のことも詳しくは知らなかったけど、下で紹介した駄作の「TANG タング」も彼の作品だったとは、驚きだ。

 監督が誰かなど全然気にしないで、この「アキラとあきら」を観たわけだが、この監督:三木孝浩が実に退屈だった「TANG」も監督したとは、信じられないほど今回の「アキラとあきら」の出来はいい。
いや、本当に素晴らしい作品に仕上げている。
映画の出来は、まず脚本の良し悪しによって決まるという言葉が立証されている。
池田奈津子という脚本家の存在が大きいわけだ。

 ダブルで主演となっている山崎<アキラ>の竹内涼真は、貧しい家庭の出身で真剣に融資先に寄り添い、もう一人の<あきら>の横浜流星は、お金持ちの出で大企業の社長を約束されていたが親族間の争いが嫌で銀行に入り融資も効率を求めてクールに対応するという、このような登場人物の貧富の対比、仕事に対する姿勢の対比は、もうよくある設定ではある。

 しかし、二人の「あきら」が銀行に入ってからの仕事に対する真摯な描き方が丁寧で、銀行の融資の有り方も分かりやすく、さすが元銀行員の池井戸潤の原作であると感心させられる。
銀行から「かね」を借りる方にしてみれば、何としても「かね」が欲しいわけで、そのためには業績が不振でも粉飾した経理データも捏造する企業も出てくるわけで、それに対応する銀行マンとしては、最近はバンカーと呼ぶらしいが、情にほだされて真実を見失い融資してしまうと、確かにお客様から預かった貴重な財産が回収できなくなる恐れが発生する。

 融資した金が、将来無事に回収できるかどうかの判断は、バンカーでない素人の私が考えても、「未来」という不確実性が存在している実に難しい問題で、銀行の稟議書でも、数名の管理職が次々と目を通し、多様な角度から検討し承認の「ハンコ」を押すことが必要な作業であることは理解できる。

 特にこの映画のように貸した金が、融資先の企業成績が悪化し現実に回収出来なくなった場合においていかに、損失を少なくできるかという方策を練るバンカーの描き方は、元銀行員の池井戸潤でなければできない世界だ。
赤字のリゾート・ホテルを単独で処分出来なければ、親企業が持っている販売網ともセットで処分するという現実的な解決策まで持ち出すとは、普通の作家には思いつかない。

 熱血漢的に進む山崎<アキラ>を演じた竹内涼真は、今丁度テレビで韓国版の「梨泰院クラス(イテウォンクラス)」を日本版にリメイクした「六本木クラス」に出ていて見ているが、この「六本木クラス」の熱血店長の演技とかなり重なるが、この映画での印象としてはいい演技だ。

 一方、クールな感じで挑む階堂<あきら>の横浜流星だけど、彼の存在は、これもテレビのドラマで海上保安庁を舞台にした「DCU Deep Crime Unit〜手錠を持ったダイバー〜」を見て気になっていた俳優だ。
彼の今回の演技もいい。
 竹内涼真と横浜流星、二人とも、見事に主演としての役目を果たしている。

 その二人の演技を助ける銀行の上司役を演じた江口洋介の存在感が、これまた半端ない。
誰がなんと言おうと、自分の信念を変えることなく銀行に尽くす役を見事に演じている。印象に残る演技だった。

 主な女性俳優としては、新人銀行員として竹内涼真と一緒に動く上白石萌歌しか描かれていないのは、残念で、上映時間:128分は、少しばかり、長い気もするが、銀行員で無くても、この「アキラとあきら」を見た後で、会社で真面目に仕事をすることは、成功しても失敗しても構わないということを感じさせるいい映画だった。

 なお、「半沢直樹」で有名になった「土下座」も出ています。

 三木孝浩監督の; 実に退屈な 「TANG ~タング~」 (2022年)、
 池井戸潤の; 「空飛ぶタイヤ」 (2018年)、 「七つの会議」 (2019年)

 横浜流星の; 「流浪の月」 (2022年)

 TANG ~タング~

あらすじ:判断力が弱くて職を失った研修医の春日井健(二宮和也)は、弁護士の妻:絵美(満島ひかり)に頼りきりで、庭に捨てられていた古い記憶を失った汚い旧式のロボット:タングの廃棄処分もできず、タングが製造された中国の深圳まで行くことになった。そこで出会ったロボット歴史学者:大槻凛(奈緒)からタングは、最新の戦闘用のAI技術を持ったロボットで、開発中に居なくなったことを知らされる。タングに生まれた特殊な技術を応用しようとするタングの生みの親の馬場博士(武田鉄矢)は、強引にタングを奪おうとするが・・・


女:まったく退屈な出来の悪い映画ね!!

男:原作は、デボラ・インストールの「A Robot In The Garden (庭のロボット)」があり、これを、金子ありさの脚本で、三木孝浩が監督している。
女:大体、予告編を見ただけでも、出来の悪そうな映画だとは想像がついたけど、夏休み期間中はお子様向けでも少しはましな出来かと思って観たけど、矢っ張り、酷い出来の映画だったわね。
男:そうだね。
  出演者の二宮和也に対しても、俳優としての演技は期待していないけど、いくらいつも相手が現場にいないCG上のロボットとしても、この下手な演技とセリフでは、観ていても感情が入らないな。
女:そして、妻役の満島ひかりの使い方も、この監督:三木孝浩は出来ていないのね。
男:満島ひかりの大きな眼に浮かぶ涙は、印象的なので、つい怒りや泣いているシーンばかりを撮りたがるのは分かるけど、そればかりでは、脳がない。
監督として、もっと独自の方法で彼女の使い方を考え出さないと駄目だね。
女:基本として、脚本の段階でイギリスが舞台なのを強引に日本にしたところから、この映画の暗雲が始まっている気がするわ。
男:タイトルとなっている「TANG」が、競走馬を運んでいた車に「TANIGAWA」と書いていてその「I」と「AWA」が薄くなっていたので「TANG」になったというのは、良くわからないね。
女:筋も荒っぽいのよ。
  「TANG」を盗もうとする小手伸也の立場もはっきりしていないし、開発者の武田鉄矢が宮古島でズーッと監視していたのもかなり無理な設定よね。

男:ここまで「TANG」の眼を通じて世間をモニターできるなら、もっと前に、楽に「TANG」を取り戻せるね。
女:また、中国の深圳の場面では、龍が飛んだりして、ここまで、深圳をファンタスティックに描く必要性があるわけ。
男:最近の映画製作では、配給を日本だけでなく中国市場を考えているから、中国への忖度がどうしても入るんだね。
女:原作者が言いたかった、できそこないの男と訳の分からない汚いロボットの友情を描こうとして、それを消化できず、子供騙しにもならない退屈な映画を観ちゃったてことね。
男:ロボットを登場させるのなら、せめて、汚いポンコツ・ロボットでなくて、若い女性型のロボットにしてくれたら、もっと話が弾んだと思うけどね。
女:結局、あなたの評価は、ロボットでも出ている女性によって良し悪しが決まるのね。
男:そう言われれば・・・

 二宮和也が出ていた; 「浅田家!」 (2020年)、 「検察側の罪人」 (2018年)、 「硫黄島からの手紙」 (2006年)
 満島ひかりの; 「駆け込み女と駆け出し男」 (2015年)、 「悪人」 (2010年)、

 ジュラシック・ワールド ~新たなる支配者~

あらすじ:恐竜など中生代生物をDNA操作により復元したテーマ・パーク「ジュラシック・ワールド」があった島が火山噴火により壊滅し、その際に救助された恐竜たちはイタリアの山中などに集められていたが、一部は、世界各地で生息していた。以前はそのテーマ・パークで恐竜の飼育係をしていたオーウェン(クリス・プラット)はその経験を活かし今は恐竜の保護活動を行い、妻のクレア(ブライス・ダラス・ハワード)とクローンの研究をしていて亡くなったシャーロットが造った多くの病気に対応できる体を持った14歳のクローンの娘:メイジー(イザベラ・サーモン)と3人で人里離れて暮らしていた。ある日彼らが住む家の近くに、ジュラシック・ワールドにいたヴェロキラプトルでオーウェンが飼育しブルーと名付けた恐竜の子供が現れるが、その子は恐竜の遺伝子操作を企む巨大企業:バイオシンに誘拐され、また、娘:メイジーもバイオシンに誘拐された。そこで、オーウェンとクレアは、メイジーとブルーの子供の救出へ向かう。一方、巨大イナゴが大発生した原因を突き止めるために動き出したサトラー博士(ローラ・ダーン)は、かっての恋人だったグラント博士(サム・ニール)と、今はバイオシン社で働いている顔見知りのマルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)の協力を得て、バイオシンの研究所に忍び込む。そして、オーウェンとクレアも元軍人パイロット:ケイラ(ディワンダ・ワイズ)の飛行機で・・・


恐竜の名を借りた、ただの二流のアクション映画になった!!

 この「ジュラシック・ワールド」シリーズの元になっているのは、スティーヴン・スピルバーグ監督がマイケル・クライトンの原作を1993年に映画化し、古生代の大型恐竜が画面で暴れるので大評判になった「ジュラシック・パーク」だ。
この映画は、私も観ていて、恐竜のT-REXが近寄る恐怖を「コップの中の水が揺れる」シーンで現した効果は抜群で、今でも覚えている。
 その後、「ジュラシック・パーク」は、「ロスト・ワールド/ジュラシックパーク」、「ジュラシック・パーク Ⅲ」と続いた。

 恐竜たちのテーマ・パークの「ジュラシック・パーク」は壊滅したことになったので、これを受け、2015年に今回と同じコリン・トレヴォロウ監督で「ジュラシック・ワールド」と名付けて、主演もクリス・プラットとブライス・ダラス・ハワードで製作したのが「ジュラシック・ワールド」の第一作目で、「ジュラシック・パーク」から、数えると、これは、通算4作目ということ。

 「ジュラシック・ワールド」もそこそこ当たったので、2018年には続編として「ジュラシック・ワールド/炎の王国」を作った。
監督はコリン・トレヴォロウからJ・A・バヨナに代わったが、主演は、前作と同じクリス・プラットとブライス・ダラス・ハワードだった。

 そこで、ヤットこの「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」の話になるわけだが、監督は1作目のコリン・トレヴォロウで、彼が脚本を書き、製作の総指揮には、昔関係したスティーヴン・スピルバーグも名を連ねている。
主演は、クリス・プラットとブライス・ダラス・ハワードの他に、以前の「ジュラシック・パーク」に出ていた、ローラ・ダーン、ジェフ・ゴールドブラムそしてサム・ニールの3名も参加して、過去の展開を懐かしむという寸法だ。

 それにしても、「炎の王国」でも指摘したが、危機一髪から間一髪で助かるシーンの連続で、最初はハラハラしても、こう度々都合よく生き延びては、何にも面白くない。

 例えば、バイクに乗ったオーウェンがマルタ島で恐竜に追いかけられるシーンがあるが、ここは、「007」や「ワイルド・スピード」また、「ミッション・インポッシブル」など他のアクション映画でよくある、有名観光地を舞台に悪役に車やバイクで追いかけられるシーンでの「悪役」をただ単に「恐竜」に置き換えただけで、映画ファンならもう見飽きた展開で、少しも興奮しない。
以前なら恐竜をここまで実写に入れた合成技術の出来栄えは、大したものだと感心しただろうが、こんにちの映画界では、もう当たり前の技法で終わっている。

 乗っている飛行機が墜落しても命には別条もなく行動できるし、湖に落ちて怪獣に食べられそうになっても助かるし、研究所には難なく忍び込めるし、イナゴが襲いかかっても無事脱出できるし、恐竜が襲っても他の恐竜と闘わせて、間一髪無事だとか、まあ、本当にこの監督は、基本となる話の展開よりも、いかに多くの迫り来る危機を作りそれから逃れることを盛りだくさんにすることだけを目的としてこの映画を作ったようだ。

 その危機から逃れる方法が実に安易で、特に考えもない程都合よすぎて、映画館で観ている周りの子供たちには受けても、この内容では、映画を愛する大人は納得しない。

 悪役になっているバイオシン社の研究所の展開は、もっと酷い。
そこのセキュリティも杜撰で簡単に地下深くにあるらしいイナゴの飼育室に行けるし、主人公たちが脱出で困難に出会うと謎の研究所の職員が現れて助けてくれるとは、人物の設定が甘すぎる。

 「ジュラシック・パーク」で怪獣が好きになった子供達には、新しく「羽毛」を覆ったピロラプトルや体長が15mも有ったとされる巨大なギガノトサウルスが登場するのはたまらないだろうが、緊迫感が無さすぎる出来栄えだった。

 前作; 「ジュラシック・ワールド/炎の王国」 (2018年)、 「ジュラシック・ワールド」 (2015年)
 ローラ・ダーンが出ていた; 「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」 (2020年)、 「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」 (2017年)
 ジェフ・ゴールドブラムが出ていた; 「グランド・ブダペスト・ホテル」 (2014年)

 キャメラを止めるな! (フランス映画)

あらすじ:「早い、安い、でもそこそこの質はある」が売りもので、テレビの再現ドラマなどを監督しているレミー(ロマン・デュリス)に、日本で評判になったゾンビの復活を扱った映画「カメラを止めるな!」をフランスでリメイクする話がきた。だが30分間も生(なま)で、しかも1台のカメラだけで撮り続けるというのは無理な注文で、一度は断ったレミーだったが、元女優の妻:ナディア(ベレニス・ベジョ)や娘の勧めもあり引き受けた。リハーサルの段階から主役のラファエル(フィネガン・オールドフィールド)は役の設定に文句を付けるし、アルコール中毒のフィリップ(グレゴリー・ガドゥボウ)はいつも酔っている。また、日本からきたプロデューサーのマダム・マツダ(竹原芳子)は、急遽登場する人物の名を「ケン」や「ナツミ」など日本名に変更しろと言い出す始末。どうにか、本番当日となったが、肝心の監督役やメイク役が交通事故にあい現場に来られない。仕方なくレミー自身が監督役となり、見学に来ていた妻のナディアがメイク役ででるが、今度は、カメラマンが腰を痛める。多くの障害を抱えた中、果たして、本番はうまく終わるのか・・・


二度見ても、いや 四回観ても、楽しめる!!

 話は、この映画で描かれるように、実際、2018年に日本で公開され、大評判になった、上田慎一郎監督の「カメラを止めるな!」のフランスでのリメイクだ。
 上田慎一郎監督の「カメラを止めるな!」は、私も観ている。

 フランス版での監督は、特徴のある白黒・無声映画の「アーティスト」でアカデミー賞を獲ったミシェル・アザナビシウス。

 フランス版「キャメラを止めるな!」の展開は、日本版とほとんど同じで、前半の30分は、生(なま)本番を想定したものが画面を流れ、これを観ている人の感想としては、この程度の描き方ではよくあるゾンビを扱ったもので、しかも、カメラ・アングルが傾いたまま止まったりして撮影も悪く、また話の進め方も途中で脈絡が繋がらないなど、実に不自然な出来の悪い映画だということで、本当に、前半だけを観て、余りにも出来の悪さに呆れて途中で帰ってしまう観客もいたほどの作品。

 しかし、この映画の狙いは、この後が本題だったのです。

 冒頭に流れた約30分の本番のシーンが終わると画面は、本番を迎える3ヶ月に遡り、レミーの家庭の事情やリメイクを引き受けた訳、その後のリハーサルでの俳優とのトラブル。
腹の調子が悪いスタッフや、急遽メイク役をやることになった元妻が護身術を習っていたとか、映画の前半の「生」の場面で、これが出ていては作品として「出来が悪い」と思わせた数々の状況・伏線が、全部「そうだったのか」「そういう事情があったからこうなったのか」と回収される脚本のテクニックの上手さに感心し、全編を観終わって初めてこの映画の評価が、「酷い出来」から「素晴らしい出来栄え」に変わる。

 つまり、観客は、前半ではかなりおかしくて退屈な「生本番」を観せられ、後半では、そのおかしな場面になった「メイキング映像」をまた観て「うん、そうだっだのか」と、2回目で納得するという仕掛けがある。
 私の場合は、日本版で「生本番」と「メイキング」を観ており、またこのフランス版でもこの展開を2回観たから、合計4回観ても、結構楽しめたということだ。

 日本版でもフランス版でも、作品としてその根底にあるのは、映画造りは、いつも大きく取り上げられる監督や出演者だけでなく、名も知れない大道具、小道具、美術、音声など多くの裏にいるスタッフが、一丸となって映画を完成させようとする凄い熱量が必要だということを認識させてくれることだ。
それが、最後のスタッフが造る「人間ピラミッド」として表現されているのは、いい集約の方法だ。

 日本版とフランス版でも、登場する人物は酒好きの俳優、お腹の調子が悪い男など設定と話の流れはほとんど同じだけど、監督の妻の護身術が、日本版では「ポン」と言って身をかわす(この表現は面白く、私のお気に入りだったが)、フランス版では相手の急所をつく方向になっていたのは、日仏の文化の違いのせいか。
またフランス版では新しく、音響担当者を入れて、彼に笑いをとらせているが、これは、フランス版のオリジナリティとして評価する。

 お笑いの担当の真髄は、日本からきたプロデューサーのマダム・マツダ役の竹原芳子だけど、この人は、日本版と同様に何もしなくても、その容姿を見るだけでも笑える存在だ。(これは、誉め言葉です。)

 映画の中で日本の真珠湾攻撃が例えとしてでるのは、分からなかったが、既に筋を知っていても楽しめた作品だった。

 エンド・ロールが出てもまだ「落ち」の1カットが出ますから、最後まで席を立たないように。

 日本版; 「カメラを止めるな!」 (2018年)
 ミシェル・アザナビシウス監督の; 「アーティスト」 (2012年)

 

 エルヴィス

あらすじ:1950年代のアメリカ。カントリー・ソングを歌うハンク・スノウを中心にした巡回見世物小屋の経営者の自称:トム・パーカー大佐(トム・ハンクス)は、巡業先のテネシー州メンフィスの小さなライブ・ハウスでギターを抱えて腰を振りながら黒人的な歌を歌い若い女性たちから熱狂的な声援を受けている若者:エルヴィス・プレスリー(オースティン・バトラー)を見て、すぐに彼とマネージメント契約を結んだ。エルヴィスは白人だったが、家は貧しく、幼い頃から黒人たちと交流があり黒人が歌うゴスペルやリズム&ブルース(R&B)とカントリー・ソングを融合させた彼の新しい歌:ロックンロールは、パーカー大佐が予見した通り瞬く間にアメリカ全土だけでなく世界中の若者をとりこにし、エルヴィスの家族も豊かになり念願の大きな邸宅とピンクのキャデラックも買えた。しかし、アメリカの保守的な層からは、エルヴィスが腰を動かしながら歌うロックンロールは卑猥で青少年を非行に走らせるなどの批判を受けステージでの行動も制限される。ドイツでの2年間の懲役義務を終えたエルヴィスは、テレビ出演で息を吹き返し、ラスベガスのホテルでのショーは、連日大入りだった。しかし、日本など海外でのコンサート・ツアーをやりたいエルヴィスの望みに、なぜかパーカー大佐は強行に反対する。妻:プリシラ(オリビア・デヨング)との離婚もあり、薬に溺れるエルヴィスは・・・


女:エルヴィスの歌なら、ほとんどの曲は知っているわよ!!

男:1960年頃の私が好きな洋盤は、ビートルズが中心だったけど、洋楽ファンとして、超有名なエルヴィス・プレスリーの曲も知っている。
女:ラジオから流れるエルヴィスが歌う「ハウンドドッグ」を最初に聞いたときは、これが英語かと耳を疑ったものよ。
男:今までの英語教育では習わない「ユーエンナシバラ・ハウンドドッグ」だったね。
  私も後から歌詞カードを見てこれが「You ain't nothin' but a hound dog」とは、英語といっても凄い方言が有るんだといういうことを思い出した。
女:この映画の中でも歌われているエルヴィスのデビュー時の「監獄ロック」や「冷たくしないで」「ハートブレイク・ホテル」から、彼が出ていた映画の「ブルー・ハワイ」や「ビバ・ラス・ベガス(ラスベガス万才)」、またバラードの「好きにならずにいられない」「イン・ザ・ゲトー」「ラヴ・ミー・テンダー」「サスピシャス・マインド」など、あげれば切りがないほどエルヴィスの曲ならどんどんでてくるわ。
男:君もあの時代のエルヴィスのファンの一人だったんだね。
女:勿論よ。本当にセクシーな歌手よ、エルヴィスわ。
  女心に響いたわ

男:確か、君の友達は、彼のハワイ・コンサートやラス・ベガスのショーを見に行っただけでなく、テネシー州のメンフィスの彼の家まで押しかけた程だったね。
女:彼女ほどの熱心さとお金は無かったけど、優しくて甘い歌声。太いもみあげ、高い襟の衣装と幅広いベルト。そして、大きく開いた胸元は、今思い出してもうっとりするわ。
男:エルヴィスの熱心なファンとしては、湯川れい子さんが有名だけど、こうしてみると身近な女性にも、エルヴィスのファンは多くいるんだな。
女:彼が42歳で亡くなった時には、私も涙を流したのよ。
男:いまだに多くの人の脳裏に強烈なイメージを残しているエルヴィスを演じたオースティン・バトラーは、さぞ大変だったろうね。
女:最初に映画のオースティン・バトラーを見たときは、全然本物のエルヴィスには似ていないと思ったけど、観ている内にエルヴィスに見えてきたから、彼の演技力も大したものね。
男:衣装と所作は多くの資料があれば真似られるからね。しかし、映画の出来としては、どうかな。
  まず、上映時間が159分と約2時間半では、観ていて長すぎる感があるね。
女:そうね。映画の進め方が、エルヴィスのマネージャーのパーカー大佐の語りで構成されているのが長くなった原因ね。
  巡回見世物でハンク・スノウなんかのと関係や、RCAレコードとの契約前のごたごたは、省ける内容ね。

男:それと、キング牧師やロバート・ケネディ上院議員の暗殺事件なども、省ける。
  私はこの映画で初めてマネージャーのパーカー大佐の存在がエルヴィスにとって大きな存在だったことを知ったけど、パーカー大佐は、本当に金に対して強欲だったのかな。
女:私もあとでパーカー大佐が借金まみれで、またアメリカ国籍がないということを知ったけど、パーカー大佐がエルヴィス・プレスリーという田舎の青年を掘り出して、世界的なスターにしたという事実はあるわけでしょう。
男:そうだね。
  ショー・ビジネス界のことを何も知らない田舎の青年とその家族だけでは、レコードの宣伝方法やマスコミ対応はできないだろうから、マネージャーとしてのパーカー大佐の手腕は評価すべきだね。
女:そのマネージャーの手腕をもっと中心にした演出にしたら、太ったトム・ハンクスももっと活かされたんじゃないの。
男:いやあ、最初にこの映画のトム・ハンクスを観た印象は、あれえ、太ったなあ、だった。
女:特に役のために太ったのかしら。
男:それはともかく、エルヴィスの自伝映画としては、描き方が単調だった。
  「脚を無くした鳥は、飛び続けないと死んでしまう」というように「歌手は歌い続けないと人気が無くなり終わりになる」なんていう表現はよくあるし、仕事にかまけて妻や子供を顧みない話、ヒットが出ない不安から薬に頼る描き方も、他のミュージシャンを扱った映画でもあることだ。
女:この描き方では昔のファン向けの偉大だった歌手「エルヴィス・プレスリー」を懐かしむ映画だったてことね。
男:うん、そう、私がいつもカラオケで歌う「アンチェインド・メロディ」で、この映画が締めくくられていたのは、良かったけど。
女:でも、あなたの歌う「アンチェインド・メロディ」とエルヴィスが歌う「アンチェインド・メロディ」は、まったく違った曲のようだったけど。
男:えっ、何か言った?
女:いいえ、何も言っていませんっ。

余談:冒頭のワーナー・ブラザースのタイトルとエンド・ロールが凄く凝った作りになっています。

 ミュージシャンの映画なら; 「ボヘミアン・ラプソディー」 (2018年) 、 「リスペクト」 (2021年)、 「ジュディ」 (2020年)
 トム・ハンクスの; 「ペンタゴン・ペーパーズ~最高機密文書~」 (2018年)、 「ブリッジ・オブ・スパイ」 (2016年)、 「インフェルノ」 (2016年) 、 「ハドソン川の奇跡」 (2016年)

 

 ベイビー・ブローカー (韓国映画)

あらすじ:借金をしながら細々とクリーニング屋をやっているサンヒョン(ソン・ガンホ)には裏の顔があった。それは、孤児院育ちで今は教会の「赤ちゃんポスト」を担当しているドンス(カン・ドンウォン)と組んで、教会に捨てられた赤ん坊を欲しがる夫婦に闇で赤ん坊を高値で売る「ベイビー・ブローカー」だった。そんな「赤ちゃんポスト」へ若い女性:ソヨン(イ・ジウン)が赤ん坊を捨てたので、早速その赤ん坊を店に連れ帰る。しかし、翌日、気が変わったソヨンは施設を訪れてサンヒョンたちが赤ん坊を連れ去ったことを知る。そこで、ソヨンは二人を問い詰め警察に訴えるつもりだったが、彼らの「いい養父母を見つけるための方法」だという言い分には納得していなかったが、ソヨンにも公にはできない過去があり、報酬を目当てに、3人と赤ん坊は養父母探しの旅へ出る。だが、サンヒョンたちの裏の稼業は警察も察知しており、現行犯逮捕をしようとする二人の女性刑事:スジン(ぺ・ドゥナ)とイ(イ・ジュヨン)が彼らを尾行する。果たして赤ん坊の養父母は見つかるのか・・・


家族の大切さは分かるけど、他の部分がかなり分かり難い!!

 舞台と俳優は全部韓国だけど、オリジナルの脚本と監督、そして大変な編集までを「万引き家族」や「海街diary」などで、家族の問題を扱ってきた日本の是枝裕和がやっている。

 チラシのカンヌ国際映画祭でナントカ賞を獲りましたとかいうおまけの話は、実際に映画を観て、各々の観客が評価すべきものだ。

 韓国を舞台にしているために、映画の冒頭から分かり難い。
例えば、「赤ちゃんポスト」が置かれているのが、建物の十字架に気が付けば教会だと分かるが、出ている韓国のハングル文字だけでは、日本人にはどこだか分からない。
 また、養父母を求めて撮影場所もドンスが育った養護施設とかソウルなどへ移るが、これらも画面ではハングル文字だけで、察しのいい私には、雰囲気から場所が分かるが、ここらは、説明として日本語の字幕も欲しいものだ。

 また、登場人物が抱える複雑な背景の描き方が、上映時間が130分と長い割には、拙い。
クリーニング屋をやっているサンヒョンの借金を取り立てるヤクザやどうして「ベイビー・ブローカー」になったのか、養父母はどうやって探すのか、また別れたらしい妻や娘との関係、売春婦にされたソヨンの過去と殺人事件、養護施設で花形だったらしいドンスの立ち位置、尾行する女刑事の家庭と現行犯逮捕に拘る気持ちなど、後で思い出そうとしても、みんなはっきりしない。

 そして、話の展開がよくある展開だった。
血の繋がりがない赤ん坊を中心にして、共同生活をおくり、その子を育てていくうちに、関係する人たちに「疑似家族」の思いが育成され、互いに夫婦とか親子として信頼する気持ちが生まれることは、もう他の映画等で扱った内容だ。

 社会的にも子供を捨てるという問題で、産んだ母親の責任、捨てられた子供の将来など検討すべきことがが多い「赤ちゃんポスト」という題材に着目したのはいいが、苦労して産んだ子をどうしても捨てなければならなかった切ない母親の気持ちをもっと掘り下げた内容にしたら、評価も高くなったと思うが、期待値が高かっただけに、この程度の是枝作品では、残念な作品で終わる。

  是枝監督の; 「万引き家族」 (2018年)、 「海街diary」 (2015年)、 「そして父になる」 (2013年)、 「三度目の殺人」 (2017年)
 ソン・ガンホなら; 「パラサイト ~半地下の家族~」 (2020年)
 イ・ジュヨンの; 「野球少女」 (2021年)

 
 峠 ~最後のサムライ~

あらすじ:1867年、徳川幕府は大政奉還を行ったが、新政府軍(西軍)と旧幕府軍(東軍)は、争いを続けていた。そんな頃、越後の小藩:長岡藩(今の新潟県長岡市)で、欧米の情報を得て様々な改革を行い家老職に就いた河合継之助(かわい つぎのすけ、役所広司)は、攻めてくる西軍に備えてガトリング砲などを購入し兵も鍛えていた。彼が目指していたのは、西軍と戦わない「中立」だったが、西軍の軍監:岩村精一郎 (吉岡秀隆)は、そんな長岡藩の要望を聞かず、5万の兵で攻めてくる。戦うことより民を重視する継之助だったが・・・


役所広司、ただ彼一人のために作られた時代劇!!

 原作は、司馬遼太郎の同名の本「峠」があり、それを小泉堯史(こいずみ たかし)が脚本と監督をした。
サブタイトルの「最後のサムライ」は、勝手に小泉が付け加えたようだけど。

 小泉堯史には、いつまでも元黒沢組という名がついているが、もうそろそろ、小泉堯史独自の作品が欲しいものだ。

 この作品「峠」も、新型コロナウイルス感染症のせいで、2020年7月からたびたび公開が伸びて、どうやら2022年6月17日に公開された。
下で取り上げた「トップガン ~マーヴェリック~」といい、コロナは、大きく映画界に影響を与えていると、しみじみと実感する。

 司馬遼太郎の原作は読んでいないけど、かなり長編らしい。

 で肝心の出来の評価は。

 話のまとまりが悪くて、主張が明確でないということだ。

 まず、冒頭の東出昌大が演じる徳川慶喜の大政奉還のセリフがやたら長くて、また下手でこの映画の先行きに不安を感じたのが、あたってしまった。

 だいたい西軍にも東軍にも付かないで、「中立」したいといいながら、軍備を着々と補強するのでは、これは、西軍の軍監でなくても、私にも単なる時間稼ぎとしか思えない。
夜遅くまで粘っても、そんな歎願を聞き届けることはできないという感じだけで、継之助が言いたい「中立」が表にでてこない演出のまずさ。

 他にも、場面場面が、ただ挿入されているだけでしかない展開の下手さ。
例えば、妻である松たか子を芸者遊びに連れていくシーンや、継之助の父親役の田中泯が竹やぶで刀を振っているシーン。
芸者屋の娘か旅籠屋の娘か、分からない存在となっている芳根京子の扱いかた、など、脈絡もなく話が流れるだけだった。
また、中心をなしている戦闘のシーンにしても、これでは明らかに呑気に映画に駆り出されたエキストラだとわかる人たちで終わった統制のまずさ。
戦闘なのにいつも平服を着ている継之助に対する違和感もある。

 「武士の時代」から新しい「人民が中心になる時代」を目指したとされる河合継之助の生き様が、断片的な形ばかりの場面の集まりでは描くことができていない。

 サブタイトルの「最後のサムライ」とカタカナで「サムライ」を表されるとどうしても英語の「ラスト・サムライ Last Samurai」となり、これでは、日本の新しい時代を望んだ「侍像」からその姿が離れてしまう。
ここは、付けるならカタカナの「サムライ」でなく、漢字の「侍」がいい。

 ほかにも、仲代達矢や山本學、井川比佐志、香川京子など、有名な俳優が、小泉監督を思って出てくれているが、役所広司のはっきりしない活躍だけしかないこの脚本と演出では、多くの有名な俳優は無駄な出演であった。

 小泉堯史監督の; 「散り椿」 (2018年)、 「蜩の記」 (2014年)、 「明日への遺言」 (2008年)
 役所広司の; 「三度目の殺人」  (2017年)、 「渇き」 (2014年)、 「終の信託」 (2012年)

 はい、泳げません

あらすじ:大学で哲学を教えている小鳥遊雄司(たかなし ゆうじ、長谷川博己)には、川で溺死した息子を、自分が泳げなかったために助けられなかったという痛ましい記憶があり、妻:美弥子(麻生久美子)とも別れたが、新しく付き合い始めた奈美恵(阿部純子)の子供が海に行きたいということから、水泳教室に通うことになった。水泳コーチの薄原静香(うすはら しずか、綾瀬はるか)は、なんだかんだと屁理屈をつけては、水に入ることさえ拒む小鳥遊を徐々に説得して、水に浮かぶこと、泳ぐことの楽しさを体得させていった。前にも後ろにも進めなかった小鳥遊は、ついに、上に向かって・・・


スイミング・スクールが、人生哲学の教室とは、呆れる!!

 原作は、高橋秀実で、それを渡辺謙作が脚本を書き、監督をしたとある。
私は、原作は読んでいない。

 久しぶりの綾瀬はるかが出ていて、タイトルの「はい、泳げません」というチラシのイラストの印象と予告編から、これは、てっきり以前綾瀬はるかが出ていた「おっぱいバレー」的なお笑い路線を見せてくれるのだと思って観に行った。

 そうしたら、まったく面白くもなく、ためにもならない出来の悪い作品だった。

 大体、小鳥遊(たかなし)という苗字が、「鷹がいないから小鳥が遊べる」なんて説明の話から、主題の哲学を扱うことの胡散臭さが感じられる。
登場人物の苗字のいわれから説明をしなければいけない程の奥深い苗字なら、最初からよくある苗字の「田中」や「鈴木」にすれば、説明もいらないわけで、いくら哲学が屁理屈の連続を扱う学問とはいえ、どこかに哲学を持ち込んで主題をごまかす「えせ物」感がある。

 そう、泳ぐことで「無我の境地」を得るだとか、「人間はなぜ生きるのか」や変な友人の禅僧の寺で座禅を組むなんて、この作品のセリフや流れが、実にとりとめがなくて不自然さだらけだった。

 不自然さは、別れた妻:麻生久美子のどこかおかしな関西弁と一般人としてはやたらに長すぎる髪の毛でも増長される。
また、子供が溺死したというのに、同じような子供をもつ女性を恋人にするのも、これでは哲学者:小鳥遊の性格付けが弱すぎた。

 思い出すのは、一度忘れるからなんてことは、誰でも知っている脳の構造だ。

 基本的に面白くないのは、折角、綾瀬はるかといういい女優を使っていながら、プールで、いつも、水泳の堅苦しい水着しか着せていないことだ。
これでは、女優:綾瀬はるかが、まったく活かされていない。
彼女も交通事故のトラウマを抱えているという設定だけど、この部分の深い掘り下げはなく、これでは他の女優でも務まる程度の使われ方で、大いにがっかりした。

 笑いもなくて、小理屈の哲学を出されても、実に退屈な作品だった。

 綾瀬はるか の; 「奥様は、取扱い注意」 (2021年)
 長谷川博己の; 「シン・ゴジラ」 (2016年)
 麻生久美子の; 「散り椿」 (2018年)

 極主夫道 ~ザ・シネマ~

あらすじ:元は極道の世界で「不死身の龍」として恐れられていた黒田龍(玉木宏)だったが、今は美久(川口春奈)と結婚し、もらい子の娘:向日葵(白鳥玉季)と3人家族の専業主夫となり、美久たちの弁当を作ったり、町会費を集めたり、また町会の揉め事を片づけていた。そんな龍が住んでいる街に暴力的に地上げを強行している近藤(吉田鋼太郎)一味が現れ、土地の買収に応じない保育園の園長:白石(安達祐実)を脅していた。それを見かねた龍は舎弟の雅(志尊淳)や元の兄弟分のクレープ屋の虎二郎(滝藤賢一)、そして虎二郎の妹でレディースの総長の虎春(松本まりか)らの助けを借りて近藤と決着をつけることになる。しかし、一方では、龍の家の前に置き去りにされた子供の世話を見ることになり、話は・・・


女:よくも、まあ、一般の観客を置き去りにした、おふざけの映画をつくれたものね!!

男:まったく、予備知識を持たないで、ちょっとばかり予告編が面白そうだからと観たら、出来の悪い酷い映画だった。
女:漫画が原作だとは知っていたけど、脚本や監督は誰なの。
男:漫画の方は、おおのこうすけって人が書いていて、脚本は、宇田学で、監督は、瑠東 東一郎(るとう  とういちろう)で彼は、脚本にも関わっているよ。
女:瑠東 東一郎ね、覚えておきましょう。悪い意味でね。
男:瑠東監督は、お笑いを得意とするようだけど、この人の笑いのセンスはどこにあるのか、実に薄っぺらで分からない。
女:関西風のドタバタもピンとこないし、置いて行かれた子供を巡る家族の愛情も表現できていないし、一体何を目的として、この映画を作ったのかしら。
男:一応、玉木宏や吉田鋼太郎、滝藤賢一などいい感じがだせる俳優を貰っていながら、彼らを使いこなすことができなかったんだね。
女:それは、最近の映画造りがオリジナルの脚本を持たないで、安易な漫画にその元を頼り過ぎているという弊害ね。
男:今はおとなしい社会生活をおくっているけど元は極道や殺し屋が、一皮むけば、過去の性格をむき出しにして、本領を発揮するというパターンは、漫画だけの世界だけど、よく映画になっている。
女:そんな、漫画だけの世界で、よくある話を、今更映画にして取り上げることはないでしょう。
男:漫画本が売れているからその愛好者を対象にして、脚本は十分に検討しないでレベルの低いまま映画にしている。
女:そんな映画に出させられる川口春奈も可愛そうだけど、この女優では、愛情に溢れた母親の役は、無理の上に無理が付くわね。
男:子供みたいな顔をした安達祐実や端正な松本まりかなどの女優陣が関西弁で喧嘩の啖呵を切るのを、意外性で売りにしたいようだけど、「奥歯をがたがたいわせる」とか「脳みそをストローで吸う」なんて古い関西のギャグでは、まったく笑えない。
女:野性爆弾のクッキーが玉木らに武器を選ばせるシーンは、出ている俳優たちも本当に笑っていたけど、このシーンはメイキング映像として使うべきで、ここは、監督は俳優たちにチャンと芝居をさせないと駄目ね。
男:女子同士の騎馬戦も、まったく面白くなかった。
女:稲森いずみが扮する和服を着た姉御は、「極道の妻(おんな)たち」の岩下志麻のパロディとしては、活きていたけど。
男:中途半端な運動会や、これまた無理に盛り上げようとしている盆踊りは、まったく予算の無駄使いだ。
女:瑠東 東一郎監督は、映画化で貰った予算や俳優を活かす工夫がまったく見なれない最低の監督ね。
男:映画造りにもっと熱意と主張があれば、こんな作品にはしなかっただろうね。
女:瑠東監督には、この作品の出来の悪さを反省して次回作に反映して欲しいものよ。
男:謙虚さと他人の意見を尊重する態度は、必要だ。
女:その態度が無くて、人生で失敗してきたあなたの貴重な反省点ね。
男:えっ、私はいつでも、他人の意見に耳を傾け、謙虚に活きてきているでしょうに。
女:そう、思っているのは、あなただけ、
  そう、あなただけよ。

男:そんな、ことは、ないでしょうが・・・

玉木宏の; 「空母いぶき」 (2019年)、 「ラプラスの魔女」 (2018年)


 トップガン ~マーヴェリック~

あらすじ:アメリカ海軍において誰もなしえていない敵機を3機撃墜したという輝かしい戦績を持ちながらも40年にわたり現役の戦闘機乗りに拘るピート・“マーヴェリック”・ミッチェル(トム・クルーズ)大佐は、今日も開発中の超音速戦闘機に乗り込みマッハ10に挑み成功するかと思われたが、開発機は空中分解してしまった。マーヴェリックはどうにか、無事生還できたが、彼の行動は、有人戦闘機から無人戦闘機へ移行するという軍の方針に沿わないため、軍の上層部は厳しい処分を考えていたが、マーヴェリックの古い頃からの戦友で今は、海軍大将になっているトム・“アイスマン”・カザンスキー(ヴァル・キルマー)の計らいで彼は、カリフォルニアにあるノースアイランド海軍航空基地へ教官として赴任することになった。そこで彼に与えられた使命は、アメリカの各地から選抜された優れた戦闘機パイロット=トップガンを指導して、ある国が山の谷底の地下に設けている核施設を破壊することだった。そこに到着するには、レーダーや多数の迎撃ミサイル網を掻いくぐるために高速での低空飛行や急反転の背面飛行などが要求され、シュミレーション・システムを使った攻撃では、誰も成功しなかった。また、訓練生の中に、マーヴェリックの相棒で亡くなったグースの息子ルースター(マイルズ・テラー)がいて・・・


有人戦闘機による最後の空中戦か?

 「トップガン」といえば、そう、今から36年前の1986年日本公開で、まだ若手のトム・クルーズを一躍有名にした戦闘機映画だ。
当時のアメリカの最新鋭戦闘機:F-14と国籍不明のミグ28戦闘機(ミグ戦闘機ならこれは、当時のソ連と分かるけど)との空中戦のド迫力、物凄いスピード感を表現した映像は、実に見ごたえがあった。
それを、60歳近くになったトム・クルーズが、あまりスタントマンを使わずに、再び主演で続編を作ったということ。

 ちなみに、「トップガン」とは、海軍の優秀な戦闘機パイロットの養成施設でもあり、そこの優秀な戦闘機パイロットを指している。
また、ここでタイトルにもなっている「マーヴェリック」や「アイスマン」また「グース」などは、パイロットごとに付けられたコード・ネームだ。

 この「トップガン ~マーヴェリック~」も、流行りのコロナ過で2021年11月から公開が度々延期され、どうやら、この2022年5月27日に日の目を見た作品。

 監督は、ジョセフ・コジンスキー。「オブリビオン」では、トム・クルーズも出ていた。

 前作を見ていると、トム・クルーズが演じるマーヴェリックと亡くなったグースとの関係、良きライバルであったアイスマンとの関係も分かりやすい。
 でも、前作を見ても、新しい恋人ペニーとその娘の話は、もう古くて記憶にないが。

 観た感想としては、「懐かしい」だ。本当に懐かしさ満載の映画だ。
前後・左右に行き交うジェット戦闘機の爆音。大型バイク(日本のカワサキ製です。)にまたがるトム・クルーズとその恋人。見栄えのいい海軍のま白い軍服。兵隊たちがたむろするバーと音楽。いつもサングラスをかけてかっこうをつけているトム。
など、などは、ほとんど前作を踏襲している。

 新しく付け加えられた筋としては、亡くなったグースの息子が出てくるくらいだけど、これも、トムを最初は嫌いだったが、最後には、トムを助けるなんていうのは、もう先が読めている。

 奇跡が2度起こらないと成功しない程難しい「ミッション・インポッシブル」な核貯蔵所の爆破計画に成功するとは。
これも、最初から、上手く行くことは、予想できた。上手く成功しなければ、映画として成り立たないから。

 でも、これでは、終わらず、古いF-14戦闘機と最新の5G世代の戦闘機との空中戦が待っていたのは、この映画の最大の見せ場だ。

 どうして、敵の飛行場にトムが操縦できるF-14戦闘機が、都合よくおいてあったのかは、あまり追求しないが、この一連の空中戦のシーンは、前作と同じように大型スクリーンとステレオ・サウンドの映画館でないと、ここまでの迫力はでない。

 60歳近くになっても、凄い重力に耐えているトム・クルーズの顔を見ていたら、元気で動ける内には、だらだらしないで、しっかりと後世に残せるものを作ろうという気になりました。

 最近の戦争は、ドローンや無人機での闘いで、もう有人戦闘機同士が戦うことはないので、この映画のような空中戦はなくなるのでしょう。

 ジョセフ・コジンスキー監督の; 「オブリビオン」 (2013年)
 トム・クルーズなら、: 「ミッション・インポッシブル~フォールアウト~」 (2018年)、 「ミッション・インポッシブル~ローグ・ネイション~」 (2015年)、「ジャック・リーチャー」 (2016年)、
 マイルズ・テラーなら; 「セッション」 (2015年)

 流浪の月

あらすじ:公園で一人本を読んでいた19歳の引きこもりがちな大学生の佐伯文(サエキフミ、松坂桃李)は、雨が降ってきてびしょ濡れになっても両親に代わって面倒を見てもらっている叔母さんの家には体を触りにくる甥っ子がいるので帰りたくない小学生の家内更紗(カナイサラサ、白鳥玉季)に優しく傘を差し出し、それから二人は、食後には一緒にアイスクリームを食べたり、泳ぐに行くなど互いを尊重しあう楽しい生活を送っていた。しかし、2カ月後、文は、未成年者誘拐犯として逮捕されるが、更紗は自分の意思で文の家にいたとは言えず、文は刑務所に送られる。それから15年後、更紗(広瀬すず)は、誘拐された過去を隠すこともできず、明るく元気にアルバイトをし、また、更紗との結婚を望んでいる中瀬亮(横浜流星)と同棲生活をしている。しかし、更紗は幼い頃の嫌な思い出から男女の関係は好きではなかった。ある日、同僚の安西佳菜子(趣里)と共に入った目立たない小さな喫茶店でマスターをしている文と再会する。更紗はすぐに文と分かったが、文は、誘拐犯との負い目から更紗に気が付かない振りをしていた。度々、文の店に通う更紗の行動に気が付き暴力をふるう亮と別れ、文の近くに住むことができた更紗は、文の体の隠された秘密を知る・・・


女:目の離せない、出来のいい作品ね!

男:監督は、「悪人」や「怒り」を手がけた李 相日(リ・サンイル / り そうじつ)で、原作は、凪良ゆう(なぎらゆう)の同名の小説があり、脚本も李 相日が書いている。
女:撮影監督には、評判の良かった韓国映画「パラサイト 半地下の家族」のホン・ギョンピョがなっているのも、チラシの売り文句よ。
男:作品としては、まず上映時間が長いね。
女:150分ということね。途中で、トイレに立つ人もちらほらといたわ。
男:いつも社会的な問題になる幼児虐待に絡めた幼児誘拐となると、是枝裕和監督の「万引き家族」がすぐに思い出させられるが、この主人公「文」は、ちょっと違うね。
女:文は本当に幼児が好きな、いわゆる「ロリータ・コンプレックス=ロリコン」男子だったのかという謎ね。
男:男性が女性を性的に好きになるということは、もう本能であり、それは罪ではない。
女:だけど、まだ性に目覚めていない幼児を相手に体に触ったりすると、それは、罪なのよね。
男:両親やある程度の家族の人が幼児を風呂に入れたり、体を温める行為は罪ではないけど、第三者がそのような行為をすると罪になるということだね。
女:親でない私でも、街で出会った子供を見て可愛いと思って、思わずその子の体に触ることは、あるわよ。
男:その程度なら、世間も別に罪だとまでは言わないだろうけど、たまたま公園で知り合った子供がなついてきて、自分の家に住むようになると、これは、事情はともあれ、世間では誘拐とするんだ。
女:子供が家族から虐待を受けていても、その部分は家庭内の問題で、眼をつぶるというのはおかしな法律だけど。
男:幼児が自分の意思で第三者の家に行ったと言えば、誘拐にはならないようだけど、この映画の更紗は、それを言えなくて、ズーット、文に対してすまなかったと思い続けて来たんだね。
女:10歳ぐらいの子供が、誘拐罪が成立するかどうかまで、知るわけないでしょう。
男:そこで、主人公の文がロリコンだったかだけど、この映画では、文が男性として「成人の大人」になれなかった性的な病気が有ったために、大人の女性に接することを恐れていたことにしている。
女:それが、この映画では最後のやせた体の松坂桃李が、パンツを脱いで全裸になり股間を見せているシーンでしょうけど、その場面が暗くて、一体どうなっているのか分からないのよね。
男:このシーンの後の、松坂桃李と広瀬すずの会話から、男性器に障害があることがやっと分かるけど、このシーンは肝心な部分だから、難しいだろうが、もっと上手く描いてくれないと、ダメだった。
女:その部分を除いては、全体としていい出来上がりだったわ。
男:撮影も、真上から撮ったり、かなり下から撮ったりとか、アップで撮ったりと、確かに、撮影監督にホン・ギョンピョを据えた効果が出ている。
  湖での波紋がきれいな円形を描いていた。
女:効果といえば、独特な効果音の付け方が、活きていたわよ。
男:その場にある他の音は無視して、本をめくるページの音や靴音など、一つの音だけを抽出し強調するやり方はいいね。
女:広瀬すずチャンももう「チャン」付では呼べない大人の女優になったのね。
男:成長したね。体だけでなく、こんな難しい役をこなせるとは、演技も見事に成長した。
女:心と体に問題を抱えた文を演じた松坂桃李も、難しいのに、実にいい演技をしているわよ。
男:常に、やや異常な男を演じるのは、そのテンションを維持する上で難しかったと思うけど、上手かったね。
女:広瀬すずの恋人役を演じた横浜流星の暴力シーンやマンションの玄関での脅しのシーンも印象に残るわね。
男:演技をする上で、通常の自分とは違った役はやりやすいけど、この映画での横浜流星の演技は、褒められるね。
女:チラシでは、多部未華子が松坂桃李の恋人として重要な役回りかと思ったけど、まったく出番がないのね。
男:この程度の出番では、多部未華子を使う意味が無かった。
女:他の役者としては、更紗の子役の白鳥玉季チャンね。
男:どことなく、成長した広瀬すずを思わせる顔立ちで、よく探してきたと思うよ。
女:いつもあなたが問題にする「雨」の使い方はどう。
男:この映画での「雨」は、冒頭の公園から、更紗が文のマンションまでストーカー的についていく場面など、今回は矛盾なくまた心情的にも無駄感がなく使われている。
女:更紗が同僚から預かった子供がその後どうなったかなどの疑問点は残るけど、いい出来だったわね。
男:そうだけど、食後にアイスクリームを食べるのが、子供っぽいという設定は納得が行かないね。
女:冬場でも、食後のアイスクリームが欠かせないあなたは、子供なのよ。
男:一流のレストランでも、料理の口直しとして、食後のデザートにアイスクリームが出るのに、この脚本作家は、余り高級な店で食事をしたことが無いんだね。
女:また始まった。
  はい、はい、お金持ちのあなたと違って、脚本を書いた李 相日さんはそんなレストランには行ったことが無いんでしょ。

男:いや、いや、そこまでは、言っていないけど・・・
女:でも、本当のお金持ちなら、安い棒アイスじゃなくて、ちゃんとしたカップに入ったアイスクリームを食べているでしょうに。
男:何か、言った?
女:いいえ、何も言っていません。

 李 相日監督で、広瀬すずも出ていた; 「怒り」 (2016年)
 広瀬すず の; 「いのちの停車場」 (2021年) 、 「ラプラスの魔女」 (2018年)、 「ちはやふる」 (2018年)
 松坂桃李なら; 「新聞記者」 (2020年) 、 「ちょっと今から仕事やめてくる」 (2017年)

 カモン カモン (白黒映画)

あらすじ:ニューヨークを拠点に子供たちの生活を取材している独身のラジオ・ジャーナリストのジョニー(ホアキン・フェニックス)は、今は亡くなった母親の看病を巡って余り仲が良くないロサンゼルスに住む妹:ヴィヴ(ギャビー・ホフマン)から、彼女の夫が精神病気味でその看病のためしばらく家をあけるので、その間息子:ジェシー(ウディ・ノーマ)の面倒を見てくれないかとの頼みを断り切れずに、ロスへ行く。子供をもったことのないジョニーにとって、9歳のジェシーの予期できない行動やどうして叔父さんは結婚しないのかなどの質問は、彼を戸惑わせはしたが、新鮮だった。甥っ子の面倒を見るのは数日で終わると思っていたが、妹の夫の精神状態が落ち着かないため、ジョニーは、やむなくジェシーをニューヨークへ連れていく。その後も妹の夫の精神状態は良くならず妹はジェシーの面倒見をジョニーに頼む。デトロイトやニューオーリンズなど、ジョニーのクルーたちと子供たちを取材する現場にも、ジェシーを同行させることになり、二人は仲良くなるが・・・


面倒くさくて、実に退屈だ!

 監督と脚本は、マイク・ミルズ。

 タイトルになっている「カモン カモン C’mon C’mon」は、訳すと「もっと、もっと (先へ)」となるか。

 今時分、この作品も下で紹介した「ベルファスト」のように白黒だ。
まず、どうして、作品をカラーでなく、情報量の少ない白黒にしたのか、この発想を疑う。

 雑踏のニューヨークや海のロサンゼルス。また、デトロイトやニューオーリンズなどアメリカの各地が出てきて、そこの場所、地理的な特色が当然あるはずなのに、この白黒画面では、それらが全然分からない。
折角のロケが活かされずに、どこでも同じ場所の感覚になるのは、大いに損をしている。

 そして、白黒画面は、見ていて疲れる。

 また、子供たちの生の声だという高邁な発言内容の訳が実に面倒くさい。
この映画では、9歳から14歳の子供たちに本当にインタビューをして、その答えをそのまま採用したといっているけど、死後の世界の生まれ変わり(リインカネーション)だとか、両親の愛についてとか、自分が大人になった時とか、本当に子供たちがこのような発言をしたとは、到底信じられないほど、内容が深すぎる。

 これだとアメリカの子供たちは、幼くして評論家や精神治療の先生になれる。

 その面倒臭さに輪をかけるのが、時々、画面上に出てくる、本からの引用。
これって、監督の独りよがりで、観客にとってはまったく、どうしてここで知らない本からの文章が出てくるのか意味がない。

 そもそも不安になった子供の気持ちを大人が一つ一つ分析して意味があるのだろうか。
子供の感情を冷静に分析する前に大人はその子を抱きしめてやれば片付く問題だと思うけど。

 ホアキン・フェニックスの名前に惹かれて観たけれど、内容は退屈の一言に尽きた。

 ホアキン・フェニックスなら: 「ジョーカー」 (2019年)
 子供が活躍している白黒映画の: 「ベルファスト」 (2022年)

  

 とんび

あらすじ:時は、戦後が落ち着いてきた昭和37年。場所は、瀬戸内海に面した広島県の備後市。そこで生まれ育った市川安男:通称ヤス(阿部寛)は、あけっぴろげの性格で近所の人たちとも親しくしていた。そんなヤスも今は中堅運送会社の運転手となり、大好きな妻:美佐子(麻生久美子)との間に男の子:アキラ(後年、北村匠海)が生まれたが、美佐子はヤスの運送会社を見学中に荷物が落ちてきて亡くなった。美佐子が亡くなった後、ヤスは同級生の寺の息子の照雲(安田顕)夫婦や、飲み屋のたえ子(薬師丸ひろ子)たちの助けを得て、アキラを愛し育てた。しかし、アキラが東京の大学に進学し、母親が亡くなった本当の理由をヤスが教えなかったために、ヤスとアキラの仲は、どんどん疎遠になる・・・


よくある作り話で盛り上げようとしても、下手な演出では無理だった!

 監督は、「糸」や「64-ロクヨン」の瀬々敬久(せぜ たかひさ)で、原作は重松清。脚本は、「Mother マザー」の港岳彦。
 私は、原作を読んでいない。

 タイトルとなっている「とんび」は、普通の親が優れた子を生む例えの「トンビ(トビ)が鷹を生む」からとったようだ。
 最後には、親子とも優れた「親子鷹」とも言っているが。

 昨年に東京の葛飾から岡山市に引っ越してきて、岡山の映画館でこの「とんび」の予告編を見ていたら「この映画は、岡山のトラック協会が協力しています」とあったので、それなら岡山に関する知識が増えるかと思って観たが、本当の舞台は岡山県の隣の広島県の話だった。確かにロケは、岡山でやったようだけど、広島の話では当然ながら、岡山を舞台にしたNHKの朝ドラの「カムカムエヴリバディ」のような後楽園などは出ていない。

 原作はどうなっているのか分からないが、詰め込んでいる話が、普通の家庭なら起こりえない出来事のオン・パレードだ。
 まず、母親が子供を庇って亡くなったのはいいが、その子に精神的な負担をかけさせないように嘘をつく父親の立場だけど、いつかは本当のことがバレルと分かっていながら、嘘をつくかと、そのスタートから、疑問符がつく。
それを良しとして映画作りの根本としている製作側の理解の弱さだ。

 雪が降りしきる中、無理やり薄着の子供を寒い風が吹く海岸に連れて行って、寒いときには、誰かが暖かい手で背中を庇ってくれるって話は、もう幼児虐待でしかない。
 アキラが中学生の時に野球部の後輩をバットで殴って怪我をさせ、それを父親に説教されて、最初は反抗的なアキラがなんだかんだと言いながら、結局謝りに行くのでは、もう、先が読める退屈さ。
 この青年時代のアキラの坊主頭のかつらがひどいのは、付け加えておくが。
 そして、アキラが会社の入社にあたり書いたという「父親の嘘」という作文は、まったくの出鱈目さに、開いた口がふさがらない。
こんな時間がかかることをする会社はありえないし、またそれを都合よく保管している会社の人事部があるとは、話を盛り上げすぎだ。
 最低の作り話は、アキラが好きになったのは、7歳の年上で、離婚した子ずれの女性とは、もうよくもまあ、この家族には、まさに小説のような出来事が重なるものだと、その作り話の取り入れ方に呆れた。

 出だしの阿部寛のセリフと演技では、これは渥美清が演じた「フーテンの寅」の路線、つまり笑いと人情が絡んだものかと感じたが、突っ込んだ笑いもないし、かといって、世話になった和尚が亡くなったりしても、この演出では下町の人情も出ていない。
阿部寛が得意とするその肉体を見せるためか、銭湯でアキラに母親が亡くなった真相を話すシーンも、ピンとこない。

 突き詰めて言えば、登場人物がみんな「いい人」であることが、話を上辺だけの見せかけの内容にしている。
特に安田顕にはもっと、悪友としての設定があれば、映画のアクセントになる。
もったいない使い方だ。

 映画の演出のアクセントでまた、また指摘したいが、素人の監督はよく訳もなく「雪」を降らせたり「雨」のシーンを入れたがるが、この瀬々敬久監督も、まったくその域を出ていない。
もっと、必然性を考えて雪や雨を使って欲しい。

 主演の阿部寛も監督の瀬々敬久もこの路線では、もっと、もっと練った映画にする努力が必要だ。

 瀬々敬久監督の; 「糸」 (2020年) 、 「64-ロクヨン」 (2016年)
 港岳彦脚本の; 「Mother マザー」 (2020年)
 阿部寛の; 「恋妻家 宮本」 (2017年)

  

 ナイトメア・アリー

あらすじ:時は1930年代のアメリカの中西部。憎んでいた高齢の父親を暖房をあたえないで殺したスタントン・“スタン”・カーライル (ブラッドリー・クーパー)は、住んでいた家を父親とも焼いて、身元を問われない巡回見世物の一座に紛れ込んだ。そこで読心術を操るジーナ・クルンバイン ( トニ・コレット)と親しくなったスタンは、読心術のからくりを教えてもらい、感電ショーをしていたメアリー・エリザベス・“モリー”・ケイヒル( ルーニー・マーラ)と巡回見世物一座を離れて都へ出る。二人が組んだ読心術ショーは、街でも評判を得ていた。そのスタンの読心術を怪しいと睨んでいた心理学者のリリス・リッター博士 (ケイト・ブランシェット)も信頼させたスタンは、大金持ちのエズラ・グリンドル(リチャード・ジェンキンス)の亡くなった妻を呼び出すというやってはいけない危ない橋を渡るが・・・


女:飽きさせない仕上がりね!

男:原作は、1946年に出版されたウィリアム・リンゼイ・グレシャムの小説「ナイトメア・アリー 悪夢小路 Nightmare Alley」があり、これを「シェイプ・オブ・ウォーター」でアカデミー賞を獲ったギレルモ・デル・トロがキム・モーガンと共に脚本を書き、ギレルモ・デル・トロが監督をしている。
  この「「ナイトメア・アリー 悪夢小路」を元にして、1947年には、タイロン・パワーの主演で「悪魔の往く町」のタイトルで一度映画化されているらしいが、そんな古い映画は、さすがに観てないね。
女:この映画の予告編を見た時の感想は、変な詐欺師がでてくる暗くて気持ちの悪い内容だという感じだったけど、違っていたわね。
男:気持ちの悪いのは、産みの母親を殺したというホルマリン漬けの胎児のせいだね。
  そして、少し気持ちの悪いのは、話のキーとなっている日本語での訳「獣人」だけど、これは英語だと「Geek」で、生きた鶏をかじる程度の男の訳としては「獣人」は物足りない訳し方だ。
女:訳はともかく、スタンは分かっていてもその「獣人」にさせられるとは、本当に練った脚本よ。
男:人の心を読むという読心術にしても、ちゃんと仕掛けがあるし、人の態度や服装、身体的な特徴を観察すればその人の過去や現在が推定できるというのは、言われてみればそのとおりだ。
女:言われるまでもないけど、読心術師や霊媒師に相談するような人は、必ず心に傷や罪の意識を持っているのは、当然なのね。
男:それには、単純な占い術師も入るね。
女:それにしても、全編をとうしてどこかでタバコを出し続けるギレルモ・デル・トロ監督のこだわりには、感心したわ。

男:画面の構成上、不都合がなく誰かにタバコを吸わせる設定は、脚本の段階で十分な練り合わせが必要だけど、さすがにギレルモ・デル・トロ監督だ。
  タバコが一つの出演者にもなっている。
女:もう一つのこだわりとしては、絶対酒を飲まないと決めていたスタンが、単なる読心術ショーから、その先の一線を超えた途端に酒に溺れる比較も分かりやすいわね。
男:衣装やセットそして撮影も全編を統一したものになっているのも高く評価できる。
女:いつもながら、心理学のリリス・リッター博士を演じたケイト・ブランシェットの存在感はすごいわね。
  金髪と真っ赤な口紅には、観ていても圧倒されたわ。

男:ギレルモ・デル・トロ監督の曲選びも、「アマポーラ」や「スターダスト」など独特だ。
女:でも残念だったのは、アメリカと日本が太平洋戦争を始めるラジオ放送が流れる点ね。
  ここは、日本人としては、他の話にして欲しかった。

男:どうして、この作品がアカデミー賞のあちらこちらにノミネートされたけど、一つも賞をとれなかった訳が分からないな。
女:そこは、トリックを使えば人の気持ちも読み取ったような気分にはなれるけど、本当の心の奥までは読み取れないギレルモ・デル・トロ監督の限界だったということね。
男:そうか、この歳になっても特に女性の気持ちは分かった積りでも、分からないからね。
女:そうよ、基本的に誰も他の人の気持ちは分からないのに分かった振りをするから間違いが起きるのね。
男:でも、男女の誤解ならいい方になるんじゃないの。
女:いいえ、私はそうは思わないわっ。
男:えっ、どうして。
女:それは、あなたの胸に聞いてみればいいでしょう。

男:それは・・・

 ギレルモ・デル・トロ監督の; 「シェイプ・オブ・ウォーター」 (2018年)
 ブラッドリー・クーパーの; 「アメリカン・スナイパー」 (2015年)、 「アメリカン・ハッスル」 (2014年)、 「世界にひとつのプレイブック」 (2013年)
 ケイト・ブランシェットの; 「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」 (2009年)
 ルーニー・マーラの; 「ドラゴン・タトゥーの女」 (2012年)

 ベルファスト BELFAST

あらすじ:イギリス領の北アイルランドの港町:ベルファストの隣近所とも付き合い関係が深い公営アパートが立ち並ぶ一角で生まれ育ち、のんびりと平和に暮らしている9歳になった少年バディ(ジュード・ヒル)には、兄と、ロンドンに出稼ぎに行って時々戻ってくる建具工の父(ジェイミー・ドーナン)と、夫がいなくてもしっかりと家庭を切り盛りしている母(カトリーナ・バルフ)、そして、バディの悩み事をなんでもよく聞いてくれる優しい祖父母(キアラン・ハインズ、ジュディ・デンチ)がいた。そんな1969年の8月15日、突然、プロテスタント教の武装集団がカトリック教の住民を襲い、バディが住む地域もバリケードが築かれて厳しく出入りがチェックされるような状況になった。時々、騒動はあったが、バディの日々は、学校の成績を上げて好きな同級生のキャサリンの隣に座ることと、将来彼女と結婚したいと思うことや、父親が家に帰ってくると家族揃って映画を見たりして遊んでいた。しかし、紛争は激しさを増すばかりで、心配した父親はロンドンに移住を考えるが、地元で育った母親と好きな子がいるバディは、引っ越すことには大反対だったが・・・


子供の眼でアイルランド紛争をみると少しは、余裕がある?

 脚本と監督、そして製作までを、このベルファストで生まれ育ち「TENET]では俳優だったケネス・ブラナーがしている。
ケネス・ブラナーが本当にベルファストで体験した話が映画のもとになっているようだ。
 音楽は、これもベルファスト出身で、シンガー・ソングライターのヴァン・モリソンだ。

 

 まずは、この映画の元になった実際の北アイルランド地方の紛争だけど、遡れば、発端は16世紀頃までにあり、旧イングランドとアイルランド間の領土の紛争にカトリックとプロテスタントの宗教間の対立が加わり、紛争はズーット続いていて、一応、1921年にベルファストなどがある北アイルランドはイギリス領となり、アイルランドも独立した。しかし、その後も、この映画のように1960年代から紛争が激しくなり、アイルランドの統一を旗頭とするIRA(アイルランド共和軍)はイギリス国内でのテロ活動を行い、1970年代にも度々事件が起きていたことは、私も記憶している。

 そんな、宗教間の問題を抱えた、北アイルランドの、処女航海で沈んでしまった船の「タイタニック号」を造り、アイルランド民謡の「ダニー・ボーイ」の発祥の地(?)とされるベルファストの1968年からを、ケネス・ブラナー監督が子供時代の自伝的な思い出をこめて作った。
 なお、「ベルファスト」というなら、ボニーMが歌う「ベルファスト」をすぐに思い出した私ですが。

 予告編からは、画面は全編が白黒映画かと感じたが、本編では、冒頭のベルファストの街の紹介や、バディの家族が時々映画館で見る色っぽいラクエル・ウェルチが出ている「恐竜100万年」や西部劇の「真昼の決闘」、「リバティ・バランスを射った男」、そして、ミュージカルの「チキ・チキ・バン・バン」、またテレビから流れている画像などは、カラーにしたという凝り方は、面白い。

 なお、この上映されている西部劇は、本編でも父親の行動での布石となっている。

 紛争や軍事的な侵攻となると、2022年3月現在のロシアによるウクライナへの残虐的な軍事的な侵攻、つまり戦争を浮かべるが、この映画ができたのは、2021年でまだロシアのウクライナ侵攻は始まっていない。

 民族間の紛争にしろ、この映画のような宗教の違いによる紛争にせよ、人間が争えば、そこには血が流れ、人は死ぬ。
人の死は、家族たちの涙を誘い深い悲しみを呼ぶ。戦争を仕掛けたロシアの大統領:プーチンの体は傷つかず、血は流れないが。

 しかし、まだ何も知らない子供の眼から見れば、人間の争いも単なる出来事の一つで終わり、争いよりももっと自分に関係の強い他のこと、例えば、好きな女の子との将来の問題、の方に関心が行く。
人は成長するたびに、様々な知識と感情を得て、世間との関りも広がっていくわけだ。

 この子供時代の描き方が、実に上手い。
これは、主演のバディを演じたジュード・ヒル君の演技力によるものだけど、彼に演技指導をした監督:ケネス・ブラナーの故郷:ベルファストへに対する強い、強い愛情を感じる仕上がりになっている。

 昔の日本の村や都会の下町でも存在していた、隣近所の人たちはみんな顔なじみで、誰かが子供の声を呼べば、伝言式にその子に伝わったり、物の貸し借りは当たり前の状況が、日本から遠く離れたアイルランドでもあったとは、懐かしい。

 また、祖父母の存在も上手く描かれている。
祖父母のキアラン・ハインズとジュディ・デンチが両親の足りない愛情を、両親に代わって孫に注ぐ関係もこの紛争という緊張感のなか、笑いを誘って、息抜きになる。
祖父母の関係は、一見亭主関白のようだが、互いに信じあい、愛しあっているのがよくわかる。
祖父母のデートで、ジュディ・デンチは靴下がなかったので、自分で脚に手書きの靴下を書いたのは、面白い話だった。

 なお、007シリーズで諜報部の「M」役を長く演じていたジュディ・ディンチは、今年(2022年)で、87歳とか。かなり視力が悪くて、台本はもう読めないようだ。年齢相応の皺が映画でも十分に活躍している。

 1969年の世界的な話題の、人類で初めて月面に着陸したアポロ11号のニール・アームストロング船長の言葉「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」も、後まで活きている。

 騒動でバディが街のスーパーを襲っても、「環境に優しい洗剤」を奪い、それをいつまでも離さないのは、もう声をあげて笑える。
カトリックでは「懺悔、告解」をすれば殺人でも許されるとい皮肉はありだ。

 基本的に舞台となるのはベルファストの賃貸住宅の狭い一角で、そこで騒動が起こり、バリケードが設置され、またバスが出ていくという、コンパクトな場所の設定も上手い。

 強い反戦の主張はないけど、子供心を介して争いのない世界にしたいというケネス・プラナーの気持ちは観ていても十分に伝わった。

 本当に、民族や宗教の争いのない、そして、国境のない平和な地球はいつ来るのでしょうか。

 ケネス・プラナーが俳優ででている; 「TENET テネット」 (2020年) (偶然にも、この映画の内容は、ウクライナを扱っています。)
 ジュディ・デンチの; 「キャッツ」 (2020年) 、 「マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章」 (2016年) 、 
 子供とヒトラーを描いた; 「ジョジョ・ラビット」 (2020年) はおすすめ。

 KAPPEI カッペイ 

あらすじ:ノストラダムスが唱えた1999年に世紀末が訪れるという話を信じた格闘技「無戒殺風拳(むかいさっぷうけん)」の師範(古田新太)は、その時に備え、世界を滅亡から防ぐために日本各地から優れた子供たちを孤島に集め「終末の戦士」として、厳しい修行をさせて育てていた。しかし、時は2022年となったが、世紀末は起こらなかった。そこで、師範は道場を解散し「終末の戦士」たちは、独自の道を歩むことになった。無戒殺風拳の中でも優れた「獅闘流(しとうりゅう)」を会得した勝平(伊藤英明)は、不良に絡まれていた大学生の入間啓太(西畑大吾)を助けたことから、同級生の可愛い山瀬ハル(上白石萌歌)を紹介され、その場で、勝平は山瀬に一目惚れをした。同じ道場で武闘を会得した守(大貫勇輔)、正義(山本耕史)たちとも再会できた。だが、無戒殺風拳でも最強の「龍咆流(りゅうほうりゅう)」を武器とする英雄(小澤征悦)も、山瀬を好きになっていた。ついに山瀬の心を求めて争う勝平と英雄。果たして、勝利は・・・


動きのない漫画に、ただ動きをつけただけでは、まったく面白くない!!

 原作は、若杉公徳の同名の漫画「KAPPEI」があり、脚本は、「翔(とん)で埼玉」の徳永友一。そして、これまではプロデューサーであった平野隆が初監督した。

 予告編からでは、もうこの穏やかな世界では役に立たない武術を無駄にマスターしたおじさんが、丸顔のキュートな上白石萌歌に惚れてどうなるのかと、かなり笑いを期待して観に行った。

 元は漫画だと分かっていたが、この出来では、狙いがどこにあるのか、まったく分からない。
「笑い」を獲りたいのか、それとも「武術」を見せたいのか、はたまた「オジンの初恋」の無理さを取り上げたかったのか。

 大体、これでは、伊藤英明や小澤征悦などの俳優の選び方からミスだった。
いくら、肉体派男優といっても、この程度の肉体では、最強の武闘術シーンが出来る訳が無い。
実際の闘いでも、山本耕史がおしりをひっぱたく程度の退屈な内容で終わっているけど。

 また、映画の場面にアクセントをつけようとしても、小澤征悦が上白石萌歌に告白するシーンで、ダンスをしたり、天井から花束を持ってロープで降りてくるのは、笑いもなく、突飛さを超えていて、見ているほうは、白けるだけだ。

 原作の漫画は見ていないが、多分、同様な「絵」がある気がする。
動きのない「漫画」を動きのある「映画」にするには、脚本の段階で、映画独自のアイディアを入れなければいけない。
また、作品としての狙いを明確にしなければ、観客にとっては、時間が無駄に過ぎ去るだけだ。

 そして、登場人物を最後には「みんな良い人」としては、観た後の印象が、薄くなる。
際立った悪人を善人に心変わりさせてはいけない。

 平野隆の初監督作品と言うことで、有名な俳優たちに、自分の思いを伝えられず、気を使いすぎたのかな。

 もっと笑いを期待したが、出来が悪すぎた。

 伊藤英明の; 「22年目の告白 ~私が殺人犯です~」 (2017年)

 

 ウェディング・ハイ 

あらすじ:結婚式場と日程がどうやら決まり、石川彰人(中村倫也)と新田遥(関水渚)は、式に招待する人たちの絞り込み、引き出物はどれにするか、披露宴でのスピーチや余興は誰に頼むかなどを、他愛なく揉めながら決めていた。そして、結婚式の当日。上司の財津(高橋克実)や井上(皆川猿時)のスピーチが長くなり、その後の余興などの予定を一時間ほど短くしなければならなくなった。しかし、新郎新婦にとっては、結婚式は一生に一度の大切な思い出。特に父親たち(尾美としのり、六角精児)がやりたがっている「マジック」や「マグロの解体ショー」は、カットしたくない。そこで、「NOとは言わない」ウェディング・プランナーの中越真帆(篠原涼子)は、他の余興の太鼓演奏やダンスも合わせた解決策を捻りだし、事なきを得た。しかし、その披露宴が行われている裏では、遥の元の彼氏や怪しい男の行動が・・・


女:細かく計算された”笑い‟はよくできているわね!!

女:このあなたの「映画・演劇 評論」のホーム・ページが開始されたのは、なんと2002年の3月からだったのよ。
 もう、今日の2022年3月で、20年になったということね。

男:簡単に20年というけど、凄い年月が過ぎたんだね。
  これまで観た、映画や舞台の評論をホーム・ページとして載せてきたけど、一体、いくつの映画と舞台の評論をしたのか、私も数えていないね。
女:最近載せているのは、平均すると月、3本程度のようだけど、今までの全体では生半端な数ではないようね。
男:そもそもホーム・ページを始めたきっかけは、パソコンを買ってインターネットに加入したら、ホーム・ページ開設の無料サービスがついていたので、それなら、好きな「映画・演劇 評論」でもしてみようということだった。
女:無料などのサービスがあれば、それらは必ず活用するのがあなたの特徴ですものね。
男:20年前は、ホーム・ページの構成や言語も知らないで、マイクロソフト社の「WORD」で作っている。
  その最初の記念作品は、ブラッド・ピットやジュリア・ロバーツなどが出ている 「オーシャンズ 11」 だった。
 いまその「オーシャンズ 11」の評論を読むと、単純な感想だね。
 でもこの頃から、基本的な構成は映画のチラシに拠らないで自分の文章で纏めた「あらすじ」と「評論」のスタイルで、それは今でも変わっていない。
女:でも、あなたの最初の頃の文章は、確か、もっと赤とか黄色とかの色使いが派手で、文字の種類も、やたらと多く使っていなかった
男:初心者の常として、自分が得た知識の全てを他の人に見せビラかしたくなるんだね。
女:それを途中で反省して、ホーム・ページ作成用の専用ソフトを買ってきて、色使いなどおかしな箇所は、後で直しているのね。
男:インターネットのいいところは、今まで大きなマスコミ組織でなければできなかった情報の発信が、ちっぽけな”個人”でもできることだよ。
  これからも偏った情報に左右されずに、自分の感じたことを素直に伝えて行こうと思っている。
女:はい、はい。
  あなたの高邁な意見はそこまでにして、映画「ウェディング・ハイ」に戻りましょうか。

男:この「ウェディング・ハイ」の脚本は、お笑いのバカリズムで、監督は大九明子(おおく あきこ)とある。
女:一人話術で活躍しているバカリズムは、テレビで観ているから知っているけど、監督の大九明子の作品は観ていないわね。
男:大九明子も以前は、芸人だったようだね。
女:それで、バカリズムが脚本した細かな笑いの数々が、うまく演出出来ていたのね。

男:結婚式をあげるかどうかから始まり、やるなら披露宴に呼ぶ人達をどうやって選ぶのか、引き出物は何にするか、また、余興をどうするかなど、本当に、結婚式「あるある」がうまく詰められていた。
女:今から昔の結婚式を思い出すと、あなたもそうだったけど、引き出物なんかには、まったく関心が無かったわね。
男:いや、引出物は、後のことを考えて軽くて、持ち運びが楽なのは、気にしていた。
  映画でも揉めていたけど、些細なことだよ。
女:そう、じゃ、それは、もう、おいといて。
  予告編では、ウェディング・プランナーの篠原涼子が中心になって慌てふためくのかと予想したけど、本編は大違いね。

男:新郎新婦、その両親、また二人の上司や友人たち。
  登場人物は多いけど、それらの関係が要領よく描かれている。
女:新郎の後輩の中尾明慶が好きなことができないテレビの演出家として出ているけど、この役が脚本のバカリズムや監督の大九明子の一番言いたかった役じゃないの。
男:訳も分からない退屈な内容で、しかもロシア語のビデオを披露宴で見せられて、本当は、参列者には評判が良くなかったと思えたが、これを受けたとして、中尾明慶が感激するとは、笑える。
女:笑いを研究しているバカリズムとしても、披露宴での上司がするスピーチが本当にうける内容までは、書ききれなかったのは、よくわかるわ。
男:この上司役の高橋克実と皆川猿時のスピーチの状況を「語り」にしたことで、大きな笑いでなく、クスっとした笑いの効果が生まれている。
女:映画の前の方で出てくる縄や謎の男の向井理などの伏線も、後半でちゃんと回収している手法も、手抜かりがないわね。
男:そうだね。
  そこで、もう一本別の話の流れとなっている新婦の元の彼氏の岩田剛典が、映画「卒業」ばりに花嫁を奪いに来る話が片付いていないと感じていたら、時間を巻き戻して、そうだったのかと、これも観客の期待を裏切っていない。
女:でも、ここは、「ウンチ」でないやり方を考えて欲しいところよ。

男:多くの俳優が出ていて、新婦の恩師役の片桐はいりは、ちょとしか映っていないけど、相変わらず存在感がある。
女:映画の出来をよくするのは、特に、主演の俳優一人でないってことね。
  この映画のように、みんなが、主演というやり方も多いにありよ。

男:そうだね。

女:あれ、今回は、「落ち」はないのっ。
男:うん、もう少し、「笑い」を追及する時間を頂戴。
女;何を、気取っているのよ。
  もともと、そんな才能が無いのに。

男:えっ、そんなに厳しい言い方をしなくても・・・

 篠原涼子の; 「今日も嫌がらせ弁当」 (2019年)、 「アンフェア the end」 (2015年)
 関水渚の; 「コンフィデンスマンJP プリンセス編」 (2020年)

 ゴヤの名画と優しい泥棒 

あらすじ:時と場所は、1961年頃のイギリスは、ニューカッスル。ここの狭いアパートに住みタクシーの運転手をしているケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)は、自分が豊かで無いのも顧みず弱者救済の気持ちが強く、時々貧しい人が乗るとタクシー代をまけたりするので、会社を首になるほどだった。若い頃から戯曲が好きな彼は、暇な時は幼くして自転車事故で亡くなった娘を題材にして戯曲を書いている。今の彼の主張は、公共放送のBBCが徴収する受信料を、テレビしか話し相手がいない高齢の年金受給者には免除しろと、息子のジャッキー(フィオン・ホワイトヘッド)と共に署名活動をしてまでも訴えていることだ。そんな我儘に生きている夫と家庭を支えているのは、家政婦をしている妻のドロシー(ヘレン・ミレン)だ。ケンプトンは、高齢者に対するテレビ受信料の免除を訴えにロンドンにまで出かけてBBCや国会議員にかけ合おうとしたが、無駄足となった。しかし、彼は、政府がイギリスから持ち出されそうになったゴヤが描いた名画「ウェリントン公爵」を14万ポンドという高額の税金で買戻しナショナル・ギャラリーに展示してあったので、これを盗み出すことに成功した。絵を盗んだケンプトンの政府に対する要求は、この「ウェリントン公爵」の絵と引き換えに寄附をさせ、高齢の年金生活者の公共放送の受信料にあてることだった。しかし、隠し持っていた絵は妻のドロシーらに見つかり、仕方なくケンプトンは、ナショナル・ギャラリーに絵を戻しに行き、警察に捕まる。始まった裁判で、陪審員が出した評決は・・・


NHKの受信料を払いたくない人は必見だ?!
 監督は、イギリス人のロジャー・ミッシェルで、彼の代表作としては、ヒュー・グラントとジュリア・ロバーツが主演した「ノッティングヒルの恋人」がある。
 この作品「ゴヤの名画と優しい泥棒」は、日本での公開は2022年2月だけど、完成は2020年で、その翌年2021年9月に65歳で、監督のロジャー・ミッシェルは亡くなっている。「ゴヤの名画と優しい泥棒」は彼の最後の作品になった。合掌。

 英語のタイトルの「The Duke 公爵」は、「ウェリントン公爵」を指している。
日本語のタイトル「ゴヤの名画と優しい泥棒」は、映画の実態を表していて、いい付け方だ。

 

 映画の冒頭でもあるようにこの映画は、事実に基づいていて、1812年頃から、スペインの画家:ゴヤが描いた「ウェリントン公爵」の絵は、1961年、実際に展示中のナショナル・ギャラリーからケンプトン・バントンという老人によって盗まれたがその絵は戻され、捕まった彼は、裁判となったが、有罪となったのは軽い額縁の件だけで、肝心の絵の盗難については「無罪」になったという。
 しかし、犯行から4年後、新しい事実が判明したという、前代未聞の事件。

 主役のケンプトン・バントンを演じているジム・ブロードベントとその妻役のドロシーを演じているヘレン・ミレンの演技が実にいい。

 特に、ヘレン・ミレンは、今更の表現で申し訳ないが、凄い役者だ。
一見、夫を立てているようだが、裏ではしっかりと質実に家庭を守り、静かに毛編みをしているシーンなど、もう本当のイギリスの余り豊かではない家庭をしっかり切り盛りしているお母さん感をしっかりと、伝えてくる。
移民に対して「パキスタン野郎 (パキ野郎)」などの汚い言葉を使うとたしなめるのは、音楽バンドのクイーンを描いた映画「ボヘミアン・ラプソディー」でも、この言葉が使われていたのを思い出した。

 時代背景も冒頭からうまく出している。
音楽ファンなら、クラリネット奏者のアッカー・ビルクが奏でる「白い渚のブルース  Stranger On The Shore」を最初に持って来たとは、以外でもあり、すぐに、映画の「ウエスト・サイド物語」も流行っていたあの時代かと分かる。

 日本のNHK(日本放送協会)が、放送法での公共放送であることから受信料をとる原点は、このイギリスのBBCのやり方を真似したものだ。
その受信料の徴収をイギリスでは、郵便局が担当していたとは、知らなかったが。

 誰でも税金の使われ方には多くの疑問がある。
この映画のように、スペイン人のゴヤが描いたというあまりイギリスでも評判が良くなかった「ウェリントン公爵」の絵を国外に出さないために多額の税金を使うなら、その金額を貧しい人々の生活支援に回せという主張は実に応援できる。
絵の取り戻しに支払った14万ポンドという金額が、現在いくらの日本円に相当するかは、はっきりしないけど、それだけあれば、多くの年金生活者の出費が抑えられたことはわかる。

 作品の構成上では、ケンプトンとドロシーが自転車事故で幼い娘を事故死させたことの責任をその後も負い続けていたり、息子の夢がいい船を造ることなどは、かなり盛り込んだ感じがするが、まあ、邪魔ではない。

 イギリスならではの軽いジョークが活きている。
ケンプトンが「人類の為 Man Kind」の行動というなら「自分ちのため Own Kind」が先だろうとドロシーが反論するが、そりゃ、そうだ。

 法廷でのケンプトンの発言は、本当にはここまでは言えなかったのではと思うが、特に笑える。
ゴヤの絵は盗んだものではなく、暫く借りた物だったのだ。

 そして、最後に明かされる盗んだ真犯人については、映画を観ていてどうして老人がそんなに簡単に、警備も厳しかった筈の美術館から盗めたのかはっきりしなかったけど、分かってスッキリした。

 大きな笑いはないけれど、観る価値はあった。

 余談:本当の絵を盗んだ犯人は、映画「007 ドクター.・ノオ (前は、「007は殺しの番号」のタイトル)」で出てくる、ドクター・ノオですか?

 ヘレン・ミレンといえば; 「クイーン」 (2007年)、
   訳の分からなかった; 「ワイルド・スピード/ジェットブレイク」 (2021年)
 ジム・ブロードベントの; 「キング・オブ・シーヴズ」 (2021年)

 ウエスト・サイド・ストーリー 

あらすじ:時と所は、1960年代のアメリカはニューヨークの貧しい移民たちが多く住んでいて再開発が進むウエスト・サイド地区。この場所で縄張り争いをしている2つの非行少年族があった。一つは、ポーランド系の青年を中心とした「ジェット団」と、もう一つはプエルトリコ系の若者が集まった「シャークス団」だ。彼らは、度重なるいざこざの決着をつけるためジェット団のリーダー:リフ(マイク・ファイスト)とシャークス団のリーダー:ベルナルド( デヴィッド・アルヴァレス)の二人が決闘をして、勝った方が縄張りを仕切ることにした。しかし、アメリカに来たばかりのベルナルドの妹:マリア(レイチェル・ゼグラー)と、リフと一緒にジェット団を作り、今はおとなしくしているトニー(アンセル・エルゴート)は、ダンス会場で初めて出会った時から、恋に落ちていた。マリアから決闘を止めるように頼まれたトニーだったが、はずみでベルナルドを刺し殺してしまった。マリアとトニーの夢が叶う「どこか」はあるのか・・・


女:この内容で、スピルバーグ監督が、再映画化する訳がわからないわ?!

男:この「ウエスト・サイド・ストーリー」は、日本では、「ウエスト・サイド物語」のタイトルで、1961年に公開された映画をあのスピルバーグ監督が再映画化したんだね。
女:オリジナルの映画公開から、60年後という、またこの映画もコロナ禍の影響で公開が延びて、延びて、やっと2022年2月のこんにちに公開されたという、いわくつきの作品ね。
男:1961年末に日本でも公開された元の「ウエスト・サイド物語」は、公開当初から凄い評判をよんでいて、ロングラン公演となり、当然に、きみもわたしも観ているし、サウンドトラック版のLPレコードは、映画を観てすぐに買い、今も大切に扱っていて、たびたび聴いている名作だ。
女:LPレコードだけでなく、DVDも持っていて、なんども観ているわよ。
  何度観ても、冒頭のニューヨークの街でロケをしていて、ベルナルド役をしたジョージ・チャキリスが大きく足を広げたダンスなどは、衝撃的よ。


男:そうだね。
  戦後新しく紹介された、それまでのミュージカルと言えば、単なる言葉が音楽にのっただけの物が多かったけど、この「ウエスト・サイド物語」では、冒頭での飛び跳ね方、体育館での両グループが踊り合う「マンボ」や、指を鳴らす「クール」など、今まで日本人が経験したことのない「歌」と「踊り」の内容を持っていて、これが本場の「ミュージカル」かと衝撃的だった。
女:また、実に記憶に残るいい曲が網羅されているわね。
  「トゥナイト Tonight」や「サムウェア  Somewhere」などは、わたしも歌えるほどよ。

男:きみの自慢の歌声はさておき、音楽を作ったのは、今ではクラシック音楽界でも巨匠のレナード・バーンスタインで、彼のクラシック・コンサートでも「ウエスト・サイド物語」としてよく演奏されている。
女:当初の監督は、ロバート・ワイズと同時に振付も担当したジェローム・ロビンズで、今回のリメイク版では、監督は、スティーブン・スピルバーグで、振付は、ジャスティン・ペックとのことね。
男:ここまでくると、もう俳優たちも前作と比べなくてはならないかな。
女:前作のマリアは、ナタリー・ウッドで、トニー役は、リチャード・ベイマーだったのを、今回は、レイチェル・ゼグラーがマリアを、アンセル・エルゴートがトニーを演じたのね。
男:リメイク版での最高の配役は、前作では、ベルナルドの恋人役のアニータを演じて評判が良かったリタ・モレノが今作品では、トニーの面倒をみているドラッグ・ストアーの店主役になっていることだね。
女:そして、そのリタ・モレノが、「Somewhere」を、熱唱するとは、意外だったわ。
男:話の流れは、大体、前作もリメイク版も大差がないけど、この「Somewhere」や「Cool」の曲の入り方が違っているのに気付いた。
女:調べてみたら、今度の構成は元の舞台版に近いようね。
  前の映画版で少し舞台版を変えたみたい。

男:リメイク版の特徴は、なんだろうか。
女:「シャーク団」がプエルトリコ出身ということで、1曲新しく「ラ・ボリケーニャ  La Borinqueña」が追加されたことと、やたらスペイン語がでてくることね。
男:トニーとリフの拳銃を巡るシーンや、リフとベルナルドの決闘のシーンは、前は高架下が今度は塩工場になっているなどの変更はあったけど、全体の流れは同じだ。
女:そうすると、前作をよく知っている私たちにすると、どうして、今、あのスピルバーグ監督がこの名作をリメイクする必要があったのかということね。
男:スピルバーグ監督にしてみれば、昔から、いつかはミュージカル映画を撮ってみたいという願望はあったにせよ、もう、不朽の名作と言われるていてロバート・ワイズとジェローム・ロビンズが監督した「ウエスト・サイド物語」を超えられないことは、充分に分かっていたはずだけどね。
女:前作を知っている私たちにしてみれば、どうしても、出来の良い前作、いいえ、出来が良すぎる前作と今度の作品の物足りなさを比べてしまうけど、スピルバーグ版を初めて観る人はどう感じるのかしら、知りたいわね。

 それにしても、あなたの一番の不満は、マリア役のレイチェル・ゼグラーが、前作のナタリー・ウッドほど、可愛くない点でしょう。
男:いいやっ、そっ、そんなことはないよっ。
  レイチェル・ゼグラーだって充分に、可愛く・・・
女:結局、あなたは、出ている女優で映画を評価しているのねっ!
男:いやぁー、そんなことは・・・

 スピルバーグ監督の; 「ブリッジ・オブ・スパイ」 (2016年)

 フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊

あらすじ:フランスでアメリカ系の新聞社が発行する雑誌「フレンチ・ディスパッチ」の名物編集長:アーサー・ハウイッツァー・Jr.(ビル・マーレイ)が心臓まひで突然亡くなり、最終号で各記者の思い出が始まる。出だしを飾るのは、美術評論家:J・K・L・ベレンセン(ティルダ・スウィントン)が取り上げた、監獄で抽象派の絵を描いている画家: モーゼス・ローゼンターラー(ベニチオ・デル・トロ)と彼の絵のヌード・モデルとなった女性看守:シモーヌ(レア・セドゥ)の関係だ。次は、学生運動家:ゼフィレッリ(ティモシー・シャラメ)を取材するルシンダ・クレメンツ( フランシス・マクドーマンド)の番だ。最後は、一人息子が誘拐されたアンニュイ警察署長:(マチュー・アマルリック)と署の料理人:ネスカフィエ(スティーヴン・パーク)だ。これで、アーサー編集長の追悼となるのか・・・


独りよがり過ぎた監督:ウェス・アンダーソン!!

 「グランド・プタペスト・ホテル」を観て、私も好きになったウェス・アンダーソンが脚本を書き監督をしているとのことで観た。

 しかし、今回の「フレンチ・ディスパッチ」は、酷い出来だ。

 まず、映画の展開にとりとめがなく、映画を観た後で何があったのかわからず、あらすじがうまく書けない。
取りあえず、上の様に纏めたが、出だしから癖のある記者たちにオーウェン・ウィルソンや美術商にエイドリアン・ブロディなど、有名な俳優が出ていてどこに焦点があるのか、よく分からなく進む。

 話を分かり難くしているのが、英語のナレーションの早さと多さ。これに、時々、フランス語のセリフも入るから、字幕を追っている日本人の私としては、話について行けない。

 それに輪をかけているのが、画面の構成の酷さ。
白黒もカラーもありで、また、左右に画面の分割もありで眼が集中できない。
さらに、アニメーションもありでは、本当に好き勝手なことをしでかしている、ウェス・アンダーソンのこのやり方は、自分だけの世界に入り過ぎで、観客を完全に無視していて、今回採用した白黒の画面を入れたり、左右にシーンが繋がって流れるなどの手法は、斬新ではなく下手くそ過ぎる。

 私も、最初は真剣に観ていたが、話の展開が余りにも退屈で、途中で眠たくなったほどの観客から離れた作品だ。

 あちらこちらに、クスッとした笑いを入れるのが、ウェス・アンダーソンの手腕だけど、この「フレンチ・ディスパッチ」では、まったく活きていない。

 この作品も脚本の段階で、誰かがウェス・アンダーソンに注意して書き直させるべきものだった。
一人で脚本を書いていると、独善的な世界に入っていて、観客を見失う例だ。

 この映画で、ただ一つ良かったのは、レア・セドゥの完全な・・・

 ウェス・アンダーソン監督の: 「グランド・ブダペスト・ホテル」 (2014年)、「ムーンライズ・キングダム」 (2013年)、 「ダージリン急行」 (2008年)

 フランシス・マクドーマンドの; 「ノマドランド」 (2021年)、「スリー・ビルボード」 (2018年)
 レア・セドゥの; 「007 スペクター」 (2015年) 、 「ミッション:インポッシブル~ゴースト・プロトコル~」 (2011年)

 ビル・マーレイの; 「デッド・ドント・ダイ」 (2020年)

 Coda コーダ ~あいのうた~ 

あらすじ:所はアメリカの漁師町。トロール船で漁を獲っている頑固な父親:フランク・ロッシ(トロイ・コッツァー)と母親のジャッキー(マーリー・マトリン)も兄のレオ(ダニエル・デュラント)も、「ろうあ者」の家族の中で、唯一の健聴者で歌が大好きな高校生の娘:ルビー(エミリア・ジョーンズ)は、魚獲りを手伝い、また家族と町の人たちとの間の重要な通訳となっていた。今朝も早くから船に乗り、そのまま着替えもしないで高校に来たルビーを同級生たちが魚臭いといっても、気にしない程の明るい性格だった。そんな彼女がほのかに恋心をいだいているマイルズ(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)が、合唱クラスに入ったので、つられてルビーも合唱クラスに入ると、音楽の担任の巻き舌のV先生(エウヘニオ・デルベス)は、ルビーの声の良さに気がつき、秋の発表会でマイルズとのデュエットをさせる。発表会にむけて互いに練習をする内にマイルズとの仲は近づいたが、家族が獲った魚を高くるための運動を始めたため、通訳としてのルビーも忙しくなった。ルビーは自分のために歌を取るのか、それとも家族のために・・・


分かっていても、引き込まれる。 うまい仕上がりだ!!

 元になっているのは、2014年製作のフランス映画「エール!」があり、今回リメイクした女性監督:シアン・ヘダーは、脚本も書いている。

 私は、元の「エール!」は、観ていないが、「エール!」との大きな違いは、家が酪農から漁師に変わったことぐらいのようで、ろうあ者の家族と歌との関係には、変わりはないようだ。

 タイトルになっている「Coda コーダ」とは、「Children of Deaf Adults =ろうあ者の子供」とのことで、また音楽では、「曲の終わりの部分をさし、曲をしめくくる」意味があるらしい。
 音楽の記号としては、「」 だ。

 この映画のチラシからの情報では、映画の内容は、耳は聞こえず、豊かではないが、互いに優しく支えあう一家。そこの一人娘は耳が聞こえ、歌が上手くて、音楽大学にいける話が持ち上がる。揺れる家族の絆って感じだった。

 この内容なら、良くある障害を持った思いやりのある親とそれを支える健気な娘。口では言い争っていても、心の底では互いに思いやる気持ちに満ち溢れている家族愛と言うことで、実に退屈な、単なるお涙頂戴の映画かと余り期待していなかったが、予告編を見ていたら、昔流行った、ジョニ・ミッチェルが歌った「青春の光と影 Both Sides Now」が流れていたので、この複雑な意味の歌詞を持つ曲がどんな使われ方をしているのかと、気になり映画館に足を運ぶ。

 確かに、設定と展開は、もう今までも度々映画や本で描かれた、「こてこて」の内容で、最初から結末まで予想を裏切らない。

 しかし、良く出来ている。

 世間の同情などは全く気にしないろうあ者。いや、それどころか、健常者を引っ張て行く手話の力強さを見事に出している。
両親を演じたトロイ・コッツァーとマーリー・マトリン、そして、兄役のダニエル・デュラントも本当のろうあ者とのことだけど、3人ともセリフを口ではなく体で演じられる優れた役者だ。
英語の手話だけど、その内容は、字幕を介さなくても、日本人にも分かるから凄い。

 深刻な場面でも、手話が下ネタで笑わせてくれる。
笑いの取り入れ方がいい。できの良い脚本だ。

 ルビーが苦労ばかりしていなくて、マイルズとちゃんと青春を過ごしているのも入れているのが憎い。

 この映画の最高の見せ場の「秋の発表会」で、当然娘役のエミリア・ジョーンズの歌声が流れると思っていたら、映画館が完全に「無音」となったのは、もう絶賛される演出だった。
耳の聞こえない両親の立場から、娘の歌声が耳の聞こえる観衆にどう響いているのか、よく分かる。
感動が、涙腺を心地よく刺激する。

 父親が娘の歌声を喉に手を当てて感じようとするシーンも、まなじりを濡らす。

 ろうあ者の立場に立った素晴らしい出来映えの映画として、後世まで語れる一本だった。

 この映画では、主演のエミリア・ジョーンズの可愛さも目立つが、音楽教師役のエウヘニオ・デルベスもいい演技を見せている。

 手話がいいところをとっている日本の映画; 「ドライブ・マイ・カー」 (2021年)

 コンフィデンスマン JP ~英雄編~ 

あらすじ:信用詐欺師のダー子(長澤まさみ)、ボクちゃん(東出昌大)そしてリチャード(小日向文世)の3人は、今まで同じ仲間としてうまくやってきたが、彼らが師と仰いでいた三代目ツチノコ(角野卓造)が亡くなり、次の四代目ツチノコを誰が継ぐのかをかけて、地中海に浮かぶマルタ島へやって来た。彼らが狙うのは、世界的なマフィアだったジャラール・ゴンザレス(城田 優)が持つ古代ギリシャの彫刻「踊るビーナス」を奪うことだ。美術商としてジャラール家に入り込んだボクちゃん。一方、ダー子はジャラールの内縁の妻:麗奈(生田絵梨花)が日本人であることを理由に海上自衛官として身辺警護を口実にジャラールに近づく。そんな詐欺師たちをインターポール(国際刑事機構)の敏腕捜査官:マルセル真梨邑(瀬戸康史)と日本の警視庁からきた丹波(松重 豊)が追う。以前ダー子たちが騙した日本のマフィアのボス:赤星(江口洋介)も噂を聞いてマルタ島に乗り込んできた。ダー子の連絡係の五十嵐(小手伸也)の動きもあやしい。最後に笑うのは・・・


もう、騙しのネタが尽きたのか、脚本家:古沢良太! ひどい作りだ!!

 この映画の元になっているのは、長澤まさみ、東出昌大、小日向文世や小手伸也の活躍で面白かったフジテレビで放映されたものがあり、劇場版もすでに「プリンセス編」と「ロマンス編」の2作が公開されこの「英雄編」は、劇場版では、3作品目となる。

 長澤まさみのファンの私としては、テレビ版も劇場版もみんな観ている。

 面白くて意外性のある騙しのテクニックを考えてきたのは、脚本家の古沢良太。そして、監督は、テレビから、ずーっと、田中 亮だ。

 テレビ放映から劇場版まで全部を観てきた私としては、当初は詐欺師たちに騙されたが、もうこの程度では騙されない。
 というか、騙しの方法がじつに雑になっている。

 なんで身辺警護で海上自衛隊員がでてくるのか、ここはダー子を簡単に信じる設定に無理があるし、さらに、インターポールや警視庁から派遣された真梨邑や丹波にしても、普通ならもっと身元の確認をしたという展開でないとおかしい。

 私には、真梨邑と丹波が登場した時から、二人は偽者だと先が読めた。
こんな、観客にすぐ見破られる安易な作りは、いけない。

 騙し方に進歩がない。今までと同じ方法を続編で採用しては、飽きがくるだけだ。

 それに輪をかけて、編集も下手だ。
日にちが遡ったりしていて、話が分からない。

 脚本の雑さが目立つ。
基本となるツチノコは、実は死んでいなかった。ダー子たちが手に入れたユーロ札が偽物というのは、いつどこでそうなったかの説明がないと、いけない。

 真梨邑の財宝の隠し小屋ににせて、別の小屋を作っているが、この設定では、いくら真梨邑が焦っていたとしても、間違えるのはあり得ない。

 この映画でも下の「99.9 ~刑事専門弁護士~」のように、多くの俳優をチョコ、チョコと出しているが、これも無駄遣いだ。

 特に広末涼子のパスタ屋と、真木よう子の捜査官は全然使い方ができていない。
エンドロールをみると、二人のシーンは、もっと撮影したものがあるようだけど、多くの場面は編集でカットされているようだ。
実に勿体ないやり方だ。

 いい意味での悪役の江口洋介まで、ダー子の仲間にしてしまう脚本なら、もういらない。

 正月映画として期待していた「コンフィデンスマン JP」だったが、長澤まさみの活躍だけしか印象にない出来だった。

 前作: 「コンフィデンスマン JP ~プリンセス編~」 (2020年)、 「コンフィデンスマン JP ~ロマンス編~」 (2019年) 
 母親役が無理だった、長澤まさみの; 「MOTHER」 (2020年)、
 まあまあの: 「マスカレード・ナイト」 (2021年)
 東出昌大の; 「聖の青春} (2016年)

 99.9 ~刑事専門弁護士~ THE MOVIE

あらすじ:起訴されれば、ほぼ100%の確率で有罪になるという特殊な日本の刑事事件裁判において、0.1%の事実を追及して無罪を勝ち取って来た弁護士:深山(みやま、松本潤)は、今回も漁師殺人事件の容疑者を、新人の河野弁護士(杉咲花)や事務所の職員の助けで無罪にした。続いての事件は、15年前にワイン醸造で有名な村で起きた毒入りワインによる4人の殺人事件だった。犯人とされた者は無実だと主張していたが当時の裁判官:川上(笑福亭鶴瓶)によって死刑の判決を受け、獄中で既に亡くなり、彼の娘:エリ(蒔田彩珠)は、弁護を請け負った南雲(西島秀俊)が身元を隠して引き取り、ピアニストとして育てていた。早速、事件があった村に乗り込み、深山が得意とする再現シーンを、村の若者:重盛守(道枝駿佑)の助けで当時の村人たちも参加してビデオに収め、犯行当時に撮影された内容と比較するとそこには・・・


女:肩のこらない、平凡なできね!!

女:まだまだコロナ禍が収まらない2022年がスタートしたわね。
男:そうだね。
  一時は下火になったかと思った新型コロナも変異をして、以前に増して感染者が出てきた。
女:でも、病状としては、重い人は少ないようで、インフルエンザと同じような感じですむと、経済活動も回るでしょうけど、これだけは、今後の状況をみないとなんとも言えないわ。
男:そんな中だけど、この「映画・演劇 評論」は、健在だよ。
女:なんと! この「映画・演劇 評論」のホームページを始めたのが、2003年ってことで、もう19年間も続けている訳ね。

男:自分でも、よく中止せずにやって来たもんだと感心するね。
女:この「映画・演劇 評論」のホームページのお陰で、東京から岡山に引越しをしても、ホームページを見て連絡をくれるお友達もいたわけね。

男:昔のホームページと比べると、自分でも苦労して改良したんだなあとつくづく感慨深くなるよ。
女:そんな、あなただけの感傷の話はもうおいといて、映画にもどりましょう。

男:元になっているのは、TBSテレビで放映された同じ松本潤が弁護士で出ていた話だね。
女:監督は、テレビと同じ木村ひさしなのね。
男:テレビの方は見ていて、今回は活躍していない裁判官役の笑福亭鶴瓶や、木村文乃も出ていた。
女:映画版では、新米の弁護士として杉咲花を新しく登場させて、これが、半沢直樹シリーズの香川照之バリに「デス」などを連発し、また、松本潤のダジャレに突っ込みを入れて、場を和ませるようにしたのね。
男:あらすじでは、香川照之は出していないけど、この深山らがいる弁護士事務所の所長の役で、豪華な家や洒落た服装が目立つ。
女:香川照之は多忙なので、出番を変えた気がするわ。
男:でも彼は相変わらずの興奮した口調だし、この話が特徴とする弁護士事務所の騒がしさは、何とか整理が必要だ。
女:テレビでも分からなかったのは、居酒屋で多くのプロレスラーがどうして、こんなに出てくるのか、どうして場がそんなに盛り上がるのか、私には知らない人ばかりで、全然面白くなかったシーンの一つね。

男:チョットだけだけど人は出ているね。
  有名な男優としては、あらすじであげた笑福亭鶴瓶の他に石橋蓮司、岸部一徳、奥田英二、青木崇高、高橋克実。女優では、木村文乃の他に榮倉奈々もアメリカ帰りの1シーンでている。
女:映画版を作るなら、テレビの続編の形を取らなくても言い訳でしょう。
男:でも製作サイドとしては、興行上の心配からどうしても有名な俳優を映画のチラシに載せて観客動員を稼ぐ気持ちが働くんだ。
女:だいたい、映画版を作るのは、テレビの評判を活かしたものだから、仕方ないのね。
男:今後続編を作るなら、テレビでも特徴だった犯罪の再現シーンを中心にした話で纏めれば、俳優の数に頼らなくても、行けそうだけどね。
女:話の出来が退屈なのは、犯人を庇った村人にしても、死刑の判決を出した判事役の笑福亭鶴瓶が反省したように、結局、みんな「いい人」でしたで終わったことね。
男:殺人事件は現実にあったのだから、それを曖昧にしては、いけないね。
女:真実を明らかにすることに反省をするようなセリフがあるのは、この映画の真実追及の主題と矛盾していて残念ね。
男:日本の刑事事件で起訴されれば、ほぼ100%有罪になるというのは、世界から見て異常なんだよ。
  犯罪捜査に携わる警察の人や検事にしても、人間の行動には誤りもある。だけど、どうして、日本の警察や検事は完璧に犯罪の立証ができるのか。
 そこには、警察と検事の強引な自白の強制や証拠の捏造の可能性が多く潜んでいて、裁判所も目をつぶって検察側の判決文を書いているという事実をこの映画は扱っているのだから、「知らなかったら良かった事実もある」なんて真実追及の手を弱めるようなセリフは、この映画には似合わない。
女:一貫した主張と主人公に対立したいい意味での「悪役」がいれば、また、映画の出来も良くなったってことね。
男:儲けに走ると、主張は弱まるからね。
女:その点、あなたのホームページは、自己主張が強いから、世間一般に受けていないようね。
  でも遠慮しないのが、あなたのいいところよ。
  これからも、マイペースでやってね。

男:えっ、これでも、かなり、遠慮して居る積りだけど・・  

 西島秀俊が良かった; 「ドライブ・マイ・カー」 (2021年)
  普通の; 「奥様は取扱い注意」 (2021年)、 「空母いぶき」 (2019年)、 「任侠学園」 (2019年)
 杉咲花なら; 「湯を沸かすほどの熱い愛」 (2016年)
 






更新記録:2022年 3月19日:Windows11 へ


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