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2023年の映画・演劇 評論


 PERFECT DAYS (パーフェクト デイズ)

あらすじ:東京は下町の安アパートに一人で住んでいる中年の平山正木(役所広司)の職業は、公衆便所の清掃員だ。彼の日課は完全に毎日同じだ。朝は近所にある神社を掃除する音で目を覚ますとキチンと布団をたたみ、歯を磨き、髭の手入れをし、湯呑茶碗を代用して育てている小さな花木に水をやり、作業着に着替え、手軽なフィルム式のカメラと携帯電話や小銭、そして車のキーを手に外に出ると朝食代わりに自動販売機から缶コーヒーを1本買い、作業がしやすいように改造した小型自動車を運転し、カセットから流れるアニマルズの「朝日のあたる家」なんかを聴きながら、割り当てられた公衆便所へ行き、そこの便器の裏側に至るまで綺麗に磨き上げる。トイレのある公園で顔なじみとなったホームレス(田中泯)やいつも昼食をとる際に見かけるOL(長井短)とは会釈を交わすし、そこでは木漏れ日を写真に撮る。仕事が終わると行きつけの銭湯の一番湯につかり、夕食は地下鉄の構内にある飲み屋でチューハイを飲み、寝る前には古本屋の店主(犬山イヌコ)が一言いった本をチラット読んでから寝る。そんな平山だったが、決して一人だけの生活をしている訳では無かった。同僚のタカシ(柄本時生)が彼女(アオイヤマダ)との付き合いで金が無ければなけなしの金を貸してやるし、豊かな生活をしている妹:ケイコ(麻生祐未)の娘(中野有紗)が家出して、彼のアパートに転がり込んでくれば訳も聞かずにおいてやる。また、たまには居酒屋のママ(石川さゆり)が歌う唄も聞く。そんな完璧な日々が、タカシが仕事を辞めるということで・・・


こんな物欲も出世欲もない中年男性の生活を何人が共感できるのだろうか?!

 監督は、「ベルリン・天使の詩」などのドイツのヴィム・ヴェンダースだけど、渋谷区にある公衆便所を中心にロケの現場とセリフは全部日本語で製作も日本。
脚本は、ヴィム・ヴェンダースと高崎卓馬とある。
撮影は、フランツ・ラスティグ。

 あらすじがいつもより細かくて長い。
そう、映画でも主人公の平山の日常生活が朝起きての布団たたみから始まり、トイレの掃除、車での移動から、寝る前の本を読むシーンまで、度々繰り返されているのでこちらも細かくなった。

 しかし、この繰り返される描写がないと、主人公:平山が過ごしてきた人生が理解できない映画だから仕方ない。、

 監督はドイツ人のヴィム・ヴェンダースだけど採用されている日本語のセリフは極端に少なくて、多くが映像だけで表現されているから観ている方としては、主人公の過去やここまでに至った人生を彼の日常の習慣から推し量ることになる。
多分、平山は元々裕福な家庭で育ち、ビジネスマンとしても一応そこそこだったが、何かを機に、物に対して執着心を無くし、また出世とかも考えなくてすむバイト的な給料だけど、自分の気持ちどうりに働くことができるトイレ掃除に生きがいを感じるようになったと推測できる。

 そういった推測ができるように、未だにフィルム式のカメラで木漏れ日を撮ったりとか、本が好きだとか、妹は運転手付の高級車に乗っているなどを上手く入れている。

 テーマにした日本の最近の公衆便所はそのデザインが秀逸で、またいつも綺麗だということは私もニュースで知っていたが、全面がガラス張りの透明でトイレに入って鍵を閉めると瞬間に曇りガラスになって中が見えなくなるという坂茂が作った代々木深堀小公園のトイレ以外にも、安藤忠雄が設計した神宮通公園、板倉竹之助の作品、隈研吾の木材を多用した鍋島松濤公園など、渋谷区には見たこともないような公共トイレが一杯あることを初めて知った。

 この映画を介して、海外からの旅行者も日本のお土産話として一度は、ガラス張りのトイレに入りたくなるだろう。

 確かにこの映画のように、中年の男でなくても、他からの余計な干渉を受けないで毎日が過ごせれば、それは「申し分のない日々 Perfect Days」ではある。
それは、ホームレスの人も体感しているようだ。

 しかし、とりあえず生活ができるだけの収入で、風呂なし、洗濯機なし、さらに小型の冷蔵庫すら無くてだと、独り者ならそれでもいいが、子供がいたり、老後のことを考えると不安ではある。
そのような状況を排除し、まるで僧侶のような生活は、他人の善意に支えらているお寺なら可能だけど、現実的ではない。

 もう既にかなりの年金で老後を不安なく暮らしている余裕のある高齢者なら、まさにこのような「PERFECT DAYS」を過ごしてもいいが、まだまだ、働き盛りの中年男性を主人公にしたのでは、夢物語としか捉えられない。

 口数の少ない役に役所広司の表情と演技ははまっている。
突然に現れる石川さゆりが歌う日本語の「朝日のあたる家」には驚きもあったが、私には、平山が住んでいる安アパートでの一階と二階部分が繋がったメゾネット形式は見たこともないし、部屋に鍵をかけないとか、いつの間にか自転車が2台あり姪っ子と共に隅田川べりを走っているなど、何か違うと感じさせる仕上がりだった。

 役所広司の; 「峠」 (2022年) 、 「三度目の殺人」 (2017年) 、 「関ケ原」 (2017年) 、 「蜩ノ記」 (2014年) 、 「渇き」 (2014年) 、 「終の信託」 (2012年) 、 「最後の忠臣蔵」 (2011年)

 あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら

あらすじ:幼くして父親を亡くした高校3年生の加納百合(福原遥)の生活は進学を始めとして不満だらけで、必死に働く母親の幸恵(中嶋朋子)と口論になり家を飛び出し、近くにある防空壕跡に身を寄せると雷が落ち気が付くと、終戦まじかの1945年(昭和20年)6月にタイム・スリップしていた。どこにいるのか分からず街を彷徨い疲れた空腹の百合を親切に助けてくれたのは、特攻兵の佐久間彰(水上恒司 みずかみ こうし)だった。彼の紹介で軍の指定食堂のお母さん:ツル(松坂慶子)のもとで働くことになった百合にとって、死ぬことが分かっていても、国のため、愛する家族のために死を覚悟している彰や石丸(伊藤健太郎)、加藤(小野塚勇人)たち特攻隊員の気持ちが理解できなかった。僅かな間だったが彰を愛していることに気づく百合。しかし、ついに彰を乗せた零戦が空の彼方に消える・・・


若い人たちに、恋愛よりも戦争の悲惨さ、虚しさが伝わるといいけど!!

 SNSで泣けると評判になった汐見夏衛の本を出浦雅大と監督もしている成田洋一が脚本を書いている。

 まあ、予告編を観て、よくある青春恋物語と踏んで観たが、まったく平凡な展開と粗い出来の映画だった。

 太平洋戦争が終わってからもうすぐ80年近くになる。
戦後の日本は他国と争うこともなく、生活水準は豊かになり、また憲法によって「言論の自由」も保障され、戦争を非難しても、政府のやり方を咎めても警察官から怒られる事はない。

 参考:憲法第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
            ② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない

 なぜ、憲法第21条で、集会や言論の自由を保障しているかの裏返しの理由として、この憲法が制定される前の時代、つまり戦前では、自分が思っていることを自由に発言出来なかった事実があるからだ。
この映画の中でも百合が町なかで戦争批判をして警官と揉めるシーンがあるが、警官の方が正しいのが戦争下の日本だったということを記憶して欲しい。

 誰だって心の底では、自殺行為に等しい「特攻」なんてことは、やりたくはない。
しかし、その時代の国民は、政府や軍隊など上が決めたことには反抗できな仕組みが厳しく存在していたということだ。

 「おかしい」と思うことを声を出して「おかしい」と言える時代になったのは、日本が戦争をすることの愚かさに気づき反省した輝かしい成果なのだ。
 だけど、今ある様々な自由は私たちのたゆまない努力によって守られて行くものであり、その努力を惜しむと、ロシアのようにある個人の領土拡大の意思でウクライナに侵攻するような行為を産むことを忘れてはいけない。

 戦争がテーマになるとつい話が映画からそれてしまうが、話を映画に戻そう。

 話の筋書きが粗すぎる。

 まあ、平和な時代に生まれて反抗的な娘が、死を覚悟した特攻兵に恋をするのにタイム・スリップをもってきたのは、これが無いと話が今までの他の多くの話と同じになるので、しかたないけど、今時の女子高生が、戦争中の時代に簡単に馴染んでしまうのが説明不足だ。
 着ている服装の違いから言葉使いの差、また井戸など生活習慣の違いが全然違和感もなく、簡単に当時の人たちに受け入れられているのは、物足りない。
ここは、もっと描写したら、面白くもあった箇所である。
 食堂を助けにきている千代(出口夏希)にハイタッチを教えるだけでなく、もっと現代と戦時下の違いを入れたら良かった。

 それに焼夷弾が落ちて町が焼かれるシーンはこの映画の見せどころのはずだけど、てっきり百合が住んでいる町が焼けたのかと思っていたら、鶴食堂やその近辺は何事もなく残っているのは、これでは一体どこの町が焼けたのかと、分からない。

 多くの白い百合が咲き乱れる山間のシーンは、VFXか知らないが、よく出来ている。
 
 しかし、予算が少ないのは分かるが、町が焼かれるシーンの迫力の無さ、また、明らかに零戦1機を使いまわして特攻に出るシーンでは、作り物感が残る。

 基本的に、いい娘のイメージのある福原遥がそのイメージのとおりにそつなく演じたというだけだった。

 それにしても、松坂慶子は太り、中嶋朋子はやせ過ぎか?

 怪物の木こり

あらすじ:やり手の弁護士と評される二宮彰(亀梨和也)だったが、裏では、所属する弁護士事務所の所長を自殺と見せかけて殺すほどの冷酷な男だった。その二宮がマンションの駐車場で変なマスクを被った男に斧で襲われ、頭に傷を負うがどうにか逃げのびた。その頃、世間では、頭を割られて脳が持ち去られる「脳泥棒」という猟奇的な殺人事件が連続して発生し、捜査に当たる警察のプロファイラー:戸城嵐子(菜々緒)たちは、被害者たちの共通点から、26年前に起きた「東間事件」が関係していることを突きとめた。「東間事件」とは、脳医者の東間翠が、誘拐した幼い子供たちの脳に猟奇的な殺人を犯すように仕組んだチップを埋め込みその結果を試すものだった。その実験で幼児15人が犠牲になり、4人が助かっていた。脳医者の東間翠は、犯行現場で自殺した。自分を襲った者が脳泥棒(中村獅童)と同じ者であることが分かった二宮のもとに脳泥棒から婚約者:荷見映美(吉岡里帆)を誘拐した画像が送られてきた。助けに向かう二宮の気持ちが・・・


ホラーとサスペンスを上手く融合させた手腕は、さすがに三池崇史監督だ!!

 原作には、倉井眉介(くらい まゆすけ)の本があり、脚本は、小岩井宏悦で、監督は、バイオレンス物では有名な三池崇史だ。

 私は基本的に血がたくさん出たり、人が残酷に殺される映画は好きでないが、まあこの程度は許される。

 この「怪物の木こり」はサイコパス映画として宣伝されているが、サイコパスって意味がハッキリしない。
精神異常者で人を殺すことに躊躇しない人とか、悲しみや喜びの感情を持たない人間とかを指しているのかな。
ヒッチコック監督の「サイコ」は観ているが。

 映画は子供が読む木こりをテーマにした絵本に従って、進む構成になっている。
こんな気持ちの悪い絵本が本当にあったら、私は決して買わないけど。

 人の首を切り裂いても表情を変えない、ニヒルな主人公役に亀梨和也を配したのは適役だ。

 「脳泥棒」は誰かと、二転三転するまでの展開が上手く描かれた。
亀梨の仲間と思われた医者の染谷将太もサイコパスで、亀梨を殺そうとする動機もちゃんとある。

 今から25年も前に脳内に小さなチップを埋め込んで猟奇的な殺人者を人工的に作るなんて考えは、IC化が進んだ今でなければ到底思いつかないけど、それを言ったら身もふたもないので、それには目をつぶろう。
また、罠にかかって足を怪我をした亀梨が警察に囲まれても、いつの間にか吉岡里帆を燃えている家から助けて逃げ出せているのも、不思議だけどほっておこう。

 全体として話のつなぎ方が良くて、観ていて息もつかせない。
スリル感があり、次にどう展開するのかと期待させる。

 特に、脳泥棒の中村獅童との争いの終りに、中村獅童にタバコを吸わせるシーンは、原作にあるのか知らないが、ここの撮り方は印象的だ。

 終わり方がいい。
話の流れでは、父親を殺されたことを知った吉岡里帆を非情な亀梨が殺してそのまま、優秀な弁護士の顔をして続編に続くというのかと思ったら、脳内のチップが殴られたせいで異変が起きていたとする発想は納得できる終わり方だ。

 プロファイラー役を演じた菜々緒も最近いい役に巡り合えている。スタイルのいいモデルを完全に脱した。

 三池崇史監督の; 「土竜の唄」 (2021年)、 「ラプラスの魔女」 (2018年) 、 {藁の楯」 (2013年) 、 「悪の経典」 (2012年) 、 「十三人の刺客」 (2010年)
 亀梨和也の; {事故物件」 (2020年)


 ナポレオン

あらすじ:フランス国王:ルイ16世や妃:マリー・アントワネットがギロチンの血を染めたフランス革命が始まった頃のフランス。イギリスの支援を受けていた王党派の拠点:トゥーロン港を落とした若き砲兵隊長のナポレオン・ポナパルト(ホアキン・フェニックス)は、革命を指導するロベスピエールに気に入られ、その後のイタリアやエジプト遠征でも名を成し、第一統領からついに独裁的な皇帝となりフランスを支配した。領土の拡大を図るナポレオンはイギリスとの戦いには破れたもののロシアへの侵攻を始める。しかし、彼の行く手は、厳しい冬将軍に阻まれ退却を余儀なくされる。一方、未亡人のジョゼフィーヌ(バネッサ・カービー)の魔力に取りつかれて彼女と結婚したナポレオンだったが彼女の浮気性に悩まされ、また子供ができないので、離婚するが、彼女への思いは断ち切れなかった。再び戦ったイギリス軍に破れセントヘレナ島に幽閉されたナポレオンもついに・・・


女:退屈で、観ている途中で何度もあくびが出たわよ!!

男:久し振りのリドリー・スコット監督で、主演がホアキン・フェニックスの作品だったんだけど。
女:その割には、NETや事前の評判が盛り上がって居ない訳が分かったわ。
男:、製作には、あのアップル社も関わっていて、上映時間も158分と長く、お金もかけたようだけどね。
女:扱っている人物が余りにも有名なナポレオンでは、脚本のデビッド・スカルパとしても、歴史をなぞることしか出来なかったのね。
男:ナポレオンが砲兵隊長として歴史上に登場するトゥーロン港での戦果から、エジプト遠征、大失敗に終わったロシア侵攻、エルバ島からの脱出、最後に流されたセントヘレナ島まで彼の生涯は描いている。

  

女:当時のイギリスやプロイセン、ロシアなどの関係を史実にのとって細かく描きすぎなのね。
  歴史の中から、監督の
リドリー・スコットが言いたかったことを抽出できていないのが、原因よ。

男:その割には、エジプト遠征では、変なミイラに触ったりしているけど、私としてはエジプト文字の解読の元になった「ロゼッタ・ストーン」に触れていないのは、残念だ。
女:基本的に撮影が下手なのね。
  全体が暗くて、多くの登場人物がハッキリしないのは、映画の出来として凄いマイナスね。

男:戦闘シーンは冒頭のトゥーロンから始まり、多く撮影されているけど、予告編で出てくる凍った湖での人や馬が水中に落ちるシーンだけしか印象に残らない。
女:ワーテルローの戦いで採用されている新しい陣形みたいな「方陣」での、人馬の突っ込み方も、撮影が拙くて迫力に欠けたわ。
男:ナポレオンが得意とするのが大砲戦にしても、ここまで度々登場させなくてもいいな。 
  この部分は、かなり省略出来た。
女:私はナポレオンが愛した女性のジョセフィーヌを知らないけど、この映画では随分と浮気性のようね。
男:ジョセフィーヌに熱をあげたのは、ナポレオンの方のようで、ナポレオンは映画のようにエジプト遠征中でも、彼女宛に度々熱愛の手紙を書いていたようだ。
女:でも、股間を誇示するような演出は、まるで彼女は下品な娼婦だったというような描き方だったわ。
男:ナポレオンにしてもジョセフィーヌにしても、また他のロシアの皇帝達にしても、登場人物について余りにも細かな記録が残っている人たちであったため、映画としての登場人物の独自の性格付けがなされていない。
 これでは、折角主演に個性的な俳優であるホアキン・フェニックスを持ってきても彼の演技力が発揮できて居ない寂しさを感じる。
女:また、英語のセリフでは私でも分かる「シーザー」と言っているのに、日本語の字幕では、わざわざと「カエサル」としているのもどこか無駄なのよね。
男::監督のリドリー・スコットも、もう86歳か。
  有名な監督として制作費として豊富な金を使えるようだけど、取り上げた題材が歴史そのままの「ナポレオン」では、観客を喜ばせる独自の解釈が出来ていない。
  この点、先日観た76歳の北野武監督が取り上げた信長暗殺の「本能寺の変」を扱った「首」の独自の解釈の方が出来がいい。
女:有名な監督の作品なら観客を呼べるという安易な発想で映画を作る映画会社も問題ね。
男:高齢化社会が老害だとか言われるが、まだまだ70歳や80歳を超えても活躍の場があるということは、もっと年下の人たちが頑張って、高齢者を超える実績を見せることが肝心だね。
女:それは、この「映画・演劇 評論」のホーム・ページで、20年以上に渡って評論を続けてきたあなた自身への誉め言葉なの。
男:いやいや、私にはそんな高ぶりはないけど・・・
女:やっぱり、あなたはいつまでたっても自画自賛から抜けられないのね。
男:えっ、そうなのかなぁ。

 リドリー・スコット監督の; 「最後の決闘裁判」 (2021年)、 「ゲティ家の身代金」 (2018年)、 「オデッセイ」 (2016年) 、 「悪の法則」  (2013年) 、 「アメリカン・ギャングスター」 (2008年) 、 「ブラック・ホーク・ダウン」 (2002年)
 ホアキン・フェニックスの; 「カモン カモン」 (2022年) 、 「ジョーカー」 (2019年) 、「ゴールデン・リバー」 (2019年)、 「エヴァの告白」 (2014年)、 「ザ・マスター」 (2013年)、  
 バネッサ・カービーの; 「ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE」 (2023年) 、 「ミッション:インポッシブル フォールアウト」 (2018年)


 翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛をこめて~

あらすじ:東京へ入るには通行手形を求められるなど数々の差別や不当な迫害を受けていた埼玉県民は、麻実麗(GACKT)や壇ノ浦百美(だんのうら ももみ、二階堂ふみ)をはじめとする埼玉解放戦線を組織し、隣の千葉解放戦線の浜野サザエ(小沢真珠)らと共闘の末、どうにか差別は撤廃させたが、まだ埼玉県民の心は一つになっていなかった。そこで、リーダーの麗は、越谷に海を作る計画を立て、美しい砂を求めて和歌山へと向かうが、船は到着前に遭難した。仲間とはぐれた麗は、滋賀解放戦線の桔梗魁(ききょう かい、杏)に助けられた。関西では、日本中をたこ焼きなどの食文化で征服しようとする冷酷な大阪府知事の嘉祥寺晃(片岡愛之助)やその妻の神戸市長(藤原紀香)と京都市長(川崎麻世)の3人がタッグを組んで、他の地域の住民に対しては関東よりも酷い迫害を行っていた。迫害の撤廃を求めて行動していた滋賀解放戦線の姫君(高橋メアリージュン)は大阪に占領された和歌山のリゾート地に捉えられており、魁はその救出に来たのだが、警護が厳しくて、二人は一度滋賀の琵琶湖のほとりにあるアジトへ戻った。麗の仲間(加藤諒)達も捉えた大阪府知事の嘉祥寺晃が滋賀解放戦線の拠点に迫る・・・


前作よりも、バカバカしさがたりない??

 極端に埼玉県とその県民性を自虐的に扱ったバカバカしさと正しく漫画のままなハチャメチャな展開で、制作者もこの内容ではいくら何でもヒットはしないと思いながら2019年に作った映画「「翔んで埼玉」が、興行収入37億円を超える大ヒットとなったために、今度はその舞台を近畿圏に移して、2匹目のドジョウを狙った映画だ。

 原作の漫画は、魔夜峰央(まや みねお)のがあり、脚本は、徳永友一で、監督は、武内英樹。
これは、前作と同じ。ただし、脚本は、オリジナルのようだ。

 前作は、私も観ている。
私は現在岡山に住んでいるが、長年東京に住んでいたので、東京の北側にある埼玉県や東側の千葉県の人達が、東京都民に対してコンプレックスをもっているなんてことは全然意識していなかったけど、都民である優越感や埼玉から東京に入るには通行手形がいるとか 、裏手形を出して私腹をこやしているとか、「埼玉県人には、そこらへんの草でも食わせておけ!」なんて言うセリフは面白かった。

 また、金髪で男装をしているけどどこか女性を隠せない二階堂ふみ やそれでなくても気取っているGACKTが更に気取っている演技は、千葉の海女たちを含めて笑えた。

 今度の「琵琶湖より愛をこめて」では、二階堂ふみ は、埼玉に残っていて埼玉を横に結ぶ「武蔵野線」を作る計画でしか活躍していないのは寂しい。

 その二階堂ふみ の代わりとして、二階堂ふみ と同じように杏に男装をさせている訳か。

 今回も大阪名物の「たこ焼き」や京都人の「本音と建て前」、滋賀県の「滋のナンバー・プレートがゲジゲジに見える」など「地元アルアル」が満載だ。

 「たこ焼」に象徴される関西の「粉(こな)物文化」の粉を麻薬に見立てて、これを空からふりまいて、日本中を関西圏にするという魂胆。

 片岡愛之助のケバケバしい演技やオッパイ・コチョコチョ、カード・ゲームの藤原紀香は本当は和歌山出身などで、クスットした笑いはあるが、東京人であった私には、関西に特有な細かな「地元アルアル」が、どうももう一つツボにはまらない。
続編は、第1作目には及ばないという定説のとおりとなったようだ。

 埼玉に東西を結ぶ「武蔵野線」を通す話は省略しても良かった。

 武内英樹監督の; 「テルマエ・ロマエ Ⅱ」 (2014年) 、 「のだめカンタービレ (後編)」 (2010年)
 GACKTの; 「コンフィデンスマンJP プリンセス編」 (2020年)
 二階堂ふみ の; 「糸」 (2020年)
 杏の ; 「とんび」 (2022年) 、 「真夏の方程式」 (2013年)
 藤原紀香の; 「サバイバルファミリー」 (2017年)


 首

あらすじ:時は戦国時代。天下統一を目指すやや狂気をもった織田信長(加瀬亮)は、百姓上がりの羽柴秀吉(ビートたけし)や武士の体裁を重んじる明智光秀(西島秀俊)ら多くの家臣が集まった場で、これからの働き次第で、その者に自分の跡目を継がせると言い放った。そして、光秀は、信長に謀反を起こした荒木村重(遠藤憲一)を捉えたが、彼との深い関係からその首をはねることが出来ず、彼を秘密裡に匿っていた。これを知った秀吉は、弟:秀長(大森南朋)や軍師:黒田官兵衛(浅野忠信)と策を練り、光秀が信長を殺するように仕向けていった。また、秀吉は、権力を増してきた徳川家康(小林薫)にも罪を着せて、天下統一に邪魔な彼の首を跳ねようとした。秀吉が描いた作戦がついに本能寺で・・・


北野武監督が作り上げた「本能寺の変」!

 原作・脚本・監督そして編集は、秀吉役もやっている「ビートたけし」こと北野武。
彼が、もう30年前から、この映画の構想を練っていて、やっと映画化できたという。

 北野監督が取り上げた基本の題材は誰もが知っている天下統一を目前にした織田信長が家臣の明智光秀に殺された歴史上でも有名な「本能寺の変」と呼ばれている事件だ。
 どうして、明智光秀が主君の織田信長を殺したのかについては、諸説があり、真実は明智光秀しか知らない。

 この「本能寺の変」を中心に、織田信長の狂人じみた指導者としての生き方、また彼が明智光秀や荒木村重と男色(衆道)関係にあり、さらに光秀と村重の間にも深い男色関係があり、この男同士の色恋沙汰も光秀が信長を暗殺した理由にしている。
信長の男色では、小姓の森蘭丸(寛一郎)との関係は有名だけど、黒人(副島淳)も加えている。

 あらすじでは触れていないが、この映画「首」では、木村祐一が演じている元は忍びの者で、今は、話術で人を笑わせる「芸人」という設定の曽呂利新左エ門が大きな舞台回し役として登場している。

 元々漫才師として活躍してきたビートたけしとしては、この曽呂利新左エ門役に、昔の自分を投影したかったと思うが、木村祐一の語りでは、笑いは取れなかった。

 深刻な首切りのシーンを挟んで、時々、秀吉のビートたけしと弟役の大森南朋、そして黒田官兵衛役の浅野忠信の三人が話す場面が挿入されていて、ここは殆ど掛け合い漫才的なセリフがアドリブのようで、クスツとした笑いはある。

 金をかけた映画ではある。
公表15億円の制作費で、上映時間も131分とかなりの大作時代劇となっている。
北野武監督は世界的にも有名になり、かなりお金を使えるようになった。

 確かに黒澤和子のデザインによる陣羽織などは大型画面で見ても綺麗な出来だし、合戦のシーンでの武器や人数は相当なものを揃えている。
VFXやCGも水攻めのシーンなどで効果がでている。

 予算が充分にあったせいで、千利休に岸部一徳を配したり、百姓から侍を目指す男に中村獅童を持ってきたり、また寺島進や桐谷健太、大竹まこと、荒川良々といった役者を贅沢に使っている。

 多くの首を刎ね、血が飛び散るが、日本の歴史として首切りを知っている私としてはあまりグロテスクには感じない仕上がりで、どこか黒澤明監督の時代劇映画を思わせる雰囲気にしたのは、北野監督の優れた手腕として評価できる。
76歳のビートたけしでは役者として活躍するのは、無理があったが、監督としては、まだまだ行けそうだ。

 多くの俳優がでているが、その中でも、信長を演じた加瀬亮の演技力に拍手をおくりたい。

 北野武監督の; 「座頭市」 (2003年)
 西島秀俊の; 「ドライブ・マイ・カー」 (2021年)、 「任侠学園」 (2019年) 、 「空母いぶき」 (2019年)、 「散り椿」 (2018年)
 加瀬亮の; 「沈黙 サイレンス」 (2017年)、 「舞子はレディ」 (2014年)
 信長を描いた; 「レジェンド&バタフライ」 (2023年) 

 

 
 法廷遊戯

あらすじ:共に家庭環境に恵まれず嫌な思い出がある施設で育った久我清義(くが きよよし:通称:せいぎ、永瀬簾)と織本美鈴(杉咲花)は、司法試験合格を目指して同じ法科大学院で猛勉強していた。その法科大学院では、現役で司法試験に合格した刑事訴訟法に強い結城馨(北村匠海)が主催する「無辜(むこ)ゲーム」と呼ばれる模擬裁判が開かれ、証拠調べでは学生たちの個人的な事情が露見することが多くあった。猛勉強のおかげで無事、司法試験に合格し弁護士となった清義のもとに馨からまた「無辜ゲーム」をやるので来てくれという連絡が入り、ゲームの場所に行くと、そこには馨を刺殺した美鈴が立っていた。裁判で美鈴の弁護をすることになった清義に、多くを語らない美鈴。その裏には、馨の自殺した父親:悟(筒井道隆)が刑事として清義と美鈴に絡んだ事件があった。複雑に絡み合う3人の人生。事件の真相は・・・


軽い気持ちで観たら、実は複雑な冤罪の再審請求だったとは!!

 監督は、「ドクター・デスの遺産 BLACK FILE」の深川栄洋(ふかがわ よしひろ)で、原作は弁護士の五十嵐律人(いがらし りつと)が書いた同名の本があり、これを、松田沙也が脚本した。

 タイトルとなっている「法廷遊戯」の「遊戯」からの連想で、これはゲーム感覚で裁判を扱った軽いタッチの映画かと思い、予告編も観ないで映画館に入る。

 冒頭で出てくる「無辜ゲーム」の無辜とは「罪のないこと。また、その人」とある。
これは、法律的にいうと無罪であり、この映画では、本当は罪を犯していないのに、裁判によって罪人にされた人の冤罪と言うことになるか。

 話が実に複雑。
セイギとミスズは同じ施設で育っていて、ミスズが電車内で痴漢にあった時にセイギがその変態者を咎めたらその男がもみ消しのためにお金をだしたので、味をしめた二人は、それ以来はぐるになって、痴漢騒動をおこして、金をせしめていたのが基本にある。
また、セイギはミスズに性的暴力をする施設長を刺していて、二人の絆は強いものがある。

 一方、カオルというと、尊敬する刑事の父親は、ミスズが故意に痴漢事件を起こしているので現行犯で捕まえようとしたら、逆に痴漢の汚名を着せられて、首吊り自殺したので、ミスズとセイギを使って父親の冤罪を明らかにしようといている。
また、カオルの苗字が元は「佐久間」だったのが、「結城」になっていて亡くなった父親が入っている墓も違う。

 カオルが企んでいたのは、セイギとミスズの過去を暴くことではなく、無念にも自殺した父親の冤罪裁判を開かせることだったのが、この映画を複雑にしている。

 冤罪の裁判(確定した判決の再審請求)は、本人か本人が死亡していると配偶者か直系親族などでないと起こせないのが、次の複雑さ。(この規定は、調べると、刑事訴訟法第439条にあった。)

 このあたりの話は、弁護士でもかなり冤罪事件について詳しくないと書けない。
原作者の五十嵐律人弁護士は、刑事事件を中心にしているようだ。

 また、原作者は、最近のIT事情にも詳しいようで、盗聴したデータはクラウドにあげてウイルスを潜ませていたとか、殺害現場を録画したSDカードにパスワードを設定して他の人は開けないや、日記が入っているUSBメモリーも出てくるので、観ている人は、チャントついていく必要がある。

 と、ここまで私の評論を読んだだけでも、この映画の複雑さは分かったと思うが、まだ、話は終わらない。
それは、話が進んで行くとまた、セイギやミスズそしてカオルの各当事者でないと知らない痴漢現場の駅の階段での状況が以前とは異なった白黒画面で追加されるのだ。

 そう、その白黒画面によって、話が一転二転ならず、三転もし、また、ミスズのカオル殺害も展開が変わるという複雑さに輪がかかる。

 ここまでの展開って、映画化にあたって必要なのかという疑問がわく。

 ミステリー本が好きな人なら複雑でもいいだろうが、映画化にあたっては、この複雑なオリジナルの筋から省略できる部分(どの部分かはまだ検討していないが)を除いて見せるべきだ。

 話は冤罪という重い内容を扱っているだけに、もっと、すっきりとした構成が望まれる映画だった。

 なお、最後に今まで無口だった杉咲花が、拘置所の面会場で永瀬簾に向かうシーンは、熱演でした。

 杉咲花なら; 「湯を沸かすほどの熱い愛」 (2016年)、 「99.9 刑事専門弁護士 THE MOVIE」 (2022年)
 北村匠海の; 「とんび」 (2022年) 、「
 深川栄洋監督の; 「ドクター・デスの遺産 BLACK FILE」 (2020年)

 ゴジラ -1.0 (ゴジラ マイナス・ワン)

あらすじ:海軍の特攻隊員として出撃した敷島浩一(神木隆之介)は、戦闘機の不調で南の小島に不時着し、橘宗作(青木崇高)らの整備を受けていた。その時、海中から巨大な怪獣「ゴジラ」が現れ、多くの兵が犠牲になったが、どうにか浩一は、生き延びて焼けはてた戦後の東京の家に戻った。隣人の太田澄子(安藤サクラ)から、空襲で両親が亡くなったことを知らされ、生きる希望を失った浩一だったが、焼夷弾の落ちた町中で赤ん坊を預けられた大石典子(浜辺美波)と知り合い気を取りなおし、3人の同居生活が始まった。そんな浩一に、水中機雷の爆破処理をする仕事がきて、船長の秋津清治(佐々木蔵之介)や元海軍で兵器の開発に携わっていた野田健治(吉岡秀隆)たちと航海していた。一方、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験で、被爆したゴジラは、更に大きくなり、東京に現れて銀座の街を破壊しまた海中に消えた。ゴジラの再来を確信した野田は、機雷でも倒せないゴジラを相模湾の深海に落とし、急速な水圧変化による退治作戦を立てるが、アメリカとソ連との冷戦で、軍隊は動けない。生き残った海軍兵たちの力を借りて民間人による再生能力のあるゴジラ壊滅作戦は成功するのか・・・


女:破壊神「ゴジラ」は、70年たっても健在ね!!

男:特撮で一躍日本産の怪獣として世界的に有名になった「ゴジラ」が1954年に製作されてから、もう70年が来るんだね。
女:70年目のゴジラを監督したのは、「ALWAYS 三丁目の夕日」や「アルキメデスの大戦」などの山崎貴で、彼が、脚本を書き、お得意のVFXを使って完成させたって訳ね。
男:昔は、縫いぐるみでできたゴジラがミニチュアの街を破壊する場面を合成という特殊編集技術を使って特撮監督の円谷英二が、かなりリアルに実写化したんだ。
女:今度のゴジラは、CGとVFX技術によって、昔の縫いぐるみのような動きのぎこちさはなくて、まるで生きているようだし、ゴジラの尻尾で壊される銀座の街も迫力ある壊されかたよ。
男:ゴジラが出てくる映画は度々日本だけでなく、アメリカでもキングコングと対決したりして作られている。
女:最近では、2016年に公開された庵野秀明監督の「シン・ゴジラ」は、観たわね。
男:今回の「ゴジラ -1.0(マイナス・ワン)」では、設定を特攻隊員や戦後にしているけど、太平洋での水爆実験がゴジラ誕生の原因とか、熱線を口から吐くなどの基本的な考え方は、当初のゴジラとして引き継いでいる。
女:それと、重要なポイントは、ゴジラは街や自然を壊す、また壊すということね。
男:第二次世界大戦のアメリカとの戦いで家々を壊され「ゼロ」になった日本を、またゴジラという怪獣が壊すということで、これは、日本社会にとって「ゼロ」ではなく、そこからまだ「マイナス」にされる事態だと言うことが、タイトルになったんだ。
女:あまり、昔のことはハッキリとは覚えていないけど、ゴジラの背中の突起は、かなり発達していないの。
男:ゴジラのフィギュアを見ると、この体形は同じようだね。
  背中の突起は、水色になっている。
女:さすがにVFXが特異な山崎貴監督で、戦艦がドラム缶をゴジラに巻き付けるシーンなどはハラハラさせたわ。
男:でも、ゴジラが浮上する前に、必ず深海魚が浮くことになっているけど、この深海魚は、最初何だか分からなかった。
  お風呂でよく遊ぶヒヨコかと思ったね。
女:銃や大砲でもやっつけることの出来ないゴジラをいかに退治するのかは、毎回この映画のキモよね。
男:そうだね。
  そこで、水圧の変化をもってきたのは、山崎貴監督の優れたアイディアだ。
  私もスキューバ・ダイビングをやっていたから分かるけど、海に潜る際には、いつも海の深さと時間は慎重に計算していた。
女:それに開発中の戦闘機「震電」を登場させたのも、山崎監督の研究熱心さのあらわれね。
男:知らなかったけど、この後ろに翼のある特異な形をした「震電」は、本当にあったんだね。
  それに目を付けて、最後に登場させるとは、山崎監督は歴史をよく勉強している。
女:怪獣のゴジラだけでなく、人間関係はどうなの。
男:こちらの方の描き方は、まったく物足りないな。
女:例えば。
男:主人公の神木隆之介と浜辺美波がバラック小屋に一緒に寝ていても、男女の関係にならないのは、余りにも不自然だ。
女:それは、ゴジラ映画は基本的にお子様も対象にしているから、仕方ないんじゃないの。
男:でも、夫婦になりました程度は表現してもいいね。
女:他には。
男:科学者役の吉岡秀隆はいい役を貰っているけど、セリフが軽くて、これでは、他の人たちを納得させられない。
女:あなたにとって、最終的には、浜辺美波があまり活躍していないのが、一番の不満じゃないの。
男:いや、以前よりかなり綺麗になった浜辺美波チャンだけど、そこまでは期待していないよ。
  でも、怪獣のゴジラよりも活躍する浜辺美波の映画も観たいな。
女:それだと、全然話がちがうでしょ。
男:確かにゴジラはいらないか・・・

 ゴジラの前作; 「シン・ゴジラ」 (2016年) 、 「ゴジラ」 (2014年) 
 山崎貴監督の; 「アルキメデスの大戦」 (2019年) 、 「海賊とよばれた男」 (2016年) 、 「寄生獣」 (2015年) 、 「永遠の0」 (2014年) 、 「ALWAYS 三丁目の夕日」 (2006年)、
 神木隆之介の; 「3月のライオン」 (2017年)、 「TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ」 (2016年)、 
 浜辺美波の; 「約束のネバーランド」 (2020年)、

 愛にイナズマ

あらすじ:いつか登場人物の「本音」と「赤い色」をテーマにした映画を撮り、無かったことにするのが大嫌いで家賃を滞納している26歳の折村花子(松岡茉優 まつおか まゆ)はいつも小型の動画用カメラを持ち歩いていた。今日もビルの屋上から自殺しようとする男を見物する人たちの「期待する本音」を捉えた積りだったが、カメラは不調でその見物人の本音は写っていなかった。そんな、花子のアイディアに目を付けた映画プロデューサーの原(MEGUMI)と口の達者な助監督の荒川(三浦貴大 みうら たかひろ)が花子の企画を騙し取る。失意の花子はいつも街をブラブラしていて、赤い自転車に乗っている空気の読めない男:舘正夫(窪田正孝)に励まされ、彼と共に、もう、10年以上も帰っていない田舎に住む父:治(佐藤浩市)からの連絡を受けて、故郷に帰る。故郷には、羽振りのいい兄:誠一(池松壮亮)と教会の牧師をしている雄二(若葉竜也)も父親からの連絡を受けて帰っていた。胃癌で死期の近いことが分かった治の口からは、家を出て行った母親の本当の理由や今まで花子が聞かされていなかった家族の「本音」が次々と明らかになる。家族の愛は、どこにあるのか・・・


理屈が多くて、実に退屈。結局、「家族はいいですね」を、140分もかけて描く内容ではない!!

  監督は、「舟を編む」の石井裕也で、彼のオリジナル脚本でもある。

 この映画「愛にイナズマ」では、英語のタイトル「Masked Hearts マスクで覆われた心」も用意されていて、新型コロナウイルスで日本だけでなく世界中にマスクが必要であった3年間を無かったことにできない、人生でカットすることができない事態だったと強く感じた石井裕也監督の、マスクの裏側に隠されてしまった人々の「本音」を明らかにしたいという気持ちがあるとのこと。

 映画の始めの部分での映画監督を目指す松岡茉優が演じる若い花子の意見と、すぐ反対の論を出す助監督の荒川役の三浦貴大とのシーンからこの映画は、かなり面倒くさいという気がしていた。

 基本的に、日本社会には「本音」と「建て前」があって、公の場で発表する意見「建て前」とその言葉とは反対の「本音」があることは、もう多くの人が知っている。

 確かに自分が本当に思っていることをそのまま素直に言葉にできればいいのだけど、そうすると、相手が強く傷ついたり、メンツを失い引っ込みが付かなくなることを恐れた日本の習慣だ。

 相手を慮っての心根の優しい日本人ならではの習慣と考えられる。

 相手の気持ちが傷つかないようにする行為が時には「嘘」をつくことにもなることがある。
この映画では、娘の花子が、母親がどうして家を出て行ってしまったのかの本当の理由を、父親からも兄からも知らされていなかったことだけど、「本当の事」つまり「真実」を知ると幼い花子が精神的に参るという、父たちの幼い娘心に対する配慮が嘘をつかせている。

  家族間だけでなく社会関係をギスギスしたものにしないためには、「本音」を隠して行動するが、「隠された本音」は、いつか、ハッキリさせる時がくるというのも、この映画で花子が厳しい口調で父親や兄に詰め寄るシーンにあるように、事実だ。

 でもこれらの事、「世の中は本音だけでは生きていけない」ということは、今更、石井監督に指摘されなくても分かっている事だ。
そんな、当たり前のことを、マスクから血がにじんでいくなんて、少しばかりの笑いを交えて映画にされても、内容は退屈。
観ている途中で、席を立とうという気持ちにもなるほどだった。

 基本的な脚本での設定が平凡だということもある。
余命が限定されないと真実を話さない父親とか、近所の人が父親が子供たちに話していない「良い話」をするとか、もう先が読めている事ばかり。

 いつも言っているが、登場人物が「善き人」達ばかりでは、観客を満足させる映画にはならない。
そこで、前半で出ている花子の企画を騙し取る悪い映画プロデューサーのMEGUMIの登場をもっと後半でも出せばよかった。

 チラッと出ている、北村有起哉、中野太賀、高原健吾などは上手い使い方だ。
携帯電話の解約を断る趣里の場面は面白い。

いくら稲妻が走っても、平凡な家族愛だけでは、「愛」まで持ち込めなかった。

 石井監督の; 「舟を編む」 (2013年)
 松岡茉優の; 「万引き家族」 (2018年)、 「騙し絵の牙」 (2021年) 、 「ちはやふる」 (2018年)、
 佐藤浩市の; 「春に散る」 (2023年)、「せかいのおきく」 (2023年)
 窪田正孝の; 「マイ・ブロークン・マリコ」 (2022年)

 キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン

あらすじ:時は1920年代。第一次世界大戦から帰ってきたアーネスト・バーグハート(レオナルド・ディカプリオ)は、叔父のウイリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)に呼ばれて石油が発掘され好景気に沸くオクラホマ州のある町にやってきた。叔父のウイリアムは、その町ではかなりの有力者で連邦捜査官も務め、別名”キング”とも呼ばれていた。その町の地下から出る石油の採掘権は、アメリカ政府から強制的にオクラホマを居留地にさせられた先住民(インディアン)のオセージ族達が全て所有し、彼ら先住民は石油の利権で得た金で車を持ち、白人の召使を抱えるほどで、アメリカでも一番裕福な人達だった。先住民の石油採掘権などの財産は、先住民と結婚すれば、白人でも相続できた。ウイリアムはそこに目をつけて、若いアーネストを先住民の娘:モーリ―(リリー・グラッドストーン)の運転手にした。ウイリアムの目論見どうりに恋に落ちたアーネストとモーリ―は結婚する。しかし、モーリーの親族ではアルコール中毒の姉が殺され、また妹夫婦がダイナマイトで殺される。不審な事件であったが、真剣な捜査はされなかった。一方、糖尿病を罹っていたモーリーには、高価なインシュリン注射が定期的になされていたが、まったく効き目がなかった。モーリー家だけでなく多くの先住民が殺害されている事実は、ワシントンの連邦政府にも届き、ジョン・エドガー・フーバーの指揮のもと特別捜査官:トム・ホワイト(ジェシー・プレモンス)が町にやってきて捜査を開始する。様々な悪事を行ってきたウイリアムとアーネストにも捜査の手が・・・


上映時間が、206分とは無駄に長すぎてかなりの部分はカットできる!!

  監督は、遠藤周作の小説「沈黙」を映画化し、また「ディパーテッド」や「タクシードライバー」のマーティン・スコセッシだ。
原作は、デヴィッド・グランが2017年に書いたノンフィクションの「Killers of the Flower Moon: The Osage Murders and the Birth of the FBI 邦訳:花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」)があり、これを、エリック・ロスとマーティン・スコセッシが脚本した。

 この原作本によると、オクラホマ州のオセージ郡で石油の採掘権を持つ先住民のオセージ族の人たちが20人以上殺されていて、後にFBI(アメリカ連邦捜査局)長官となったフーバーが扱った大きな事件のようだ。
映画の後半で、特別捜査官が出てくる訳が分かった。

 タイトルとなった「Flower Moon 花の月」とは、先住民の暦では「5月の満月」を指す。

  因みに、オクラホマ州オセージ(オーセージ)郡の場所は、以下にある。
現在の地図でも、先住民の居留地は表示されていた。

  

  

 1942年生まれのマーティン・スコセッシも、もう81歳か。

 監督がマーティン・スコセッシで、出ている俳優が、ロバート・デ・ニーロとレオナルド・ディカプリオという有名どころを揃えているのに、事前のチラシや封切日などの情報が殆どない映画で、木曜日の映画館情報を見て、この映画の存在を知り、早速、封切日の金曜日に観た。

 パラマウント映画だけど、この劇場公開が終わると、Apple TV+ でネットで配信されるようだ。

 上映時間が、なんと206分(3時間26分)と実に長い。下で解説している「ジョン・ウィック:コンセクエンス」も169分と長くてお尻が痛くなったりトイレの問題もあって閉口したが、この「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」は、それよりも長いとは、もう映画製作において無駄に長い上映時間は観客のためにならないという基本姿勢を忘れた作り方だ。

 私も必要な画面が続くなら、上映時間が少々長くなってもそれは認めるが、この映画にしても、「ジョン・ウィック:コンセクエンス」の無駄な階段での繰り返される殺し合いの時間延ばしは、観客にとって不必要な画面であって、編集の段階でカットが可能だ。

 物理的にも、1時間30分を超えるような映画は、途中で「休憩」の時間を挟むような(昔は、途中休憩を挟んだ作品(「風と共に去りぬ」や「ベン・ハー」「アラビアのロレンス」などもあった。)観客に配慮した作り方をすべきである。

 無駄と感じる場面は、監督のマーティン・スコセッシが、アメリカの先住民でありながら、武力に勝る白人に追われて居留地という不毛の地に強制的に住むことになったオセージ族の言語や文化に惚れ込んでしまって撮影を費やした彼らの出演シーンに多く感じる。

 1920年代当時のオセージ族の生活・衣装を再現し、この映画で昔の彼らの文化を保存するのに随分と凝ったようだけど、そんな主張は、この映画ではなく、別の記録映画として欲しい。

 レオナルド・ディカプリオと先住民のモーリ―を演じたリリー・グラッドストーンとの結婚のシーンは映画として必要だけど、他の先住民の家庭生活の描写はかなり削ってもいい。

 また、マーティン・スコセッシとして、当時オクラホマ州のタルサで発生した白人による300人もの黒人虐殺事件(タルサ人種虐殺事件)や、白人至上主義を唱え、多くの黒人などをリンチしていた秘密結社「KKK(クー・クラックス・クラン)」も取り上げているけど、これらは、この映画では必要とは思えない。

 まだ削れるのは、当時の殺人事件などがニュースの形で白黒画面で挿入されるが、これは、もう既に観ているので要らない。
また、レオナルド・ディカプリオの描き方が本当に妻を愛していたのか、それとも彼女をインシュリン注射で殺すことを考えていたのか、どちらかが中途半端なために映像が複雑になっている。
これは、脚本の段階で整理すべきだった。

 他にもレオナルド・ディカプリオが物取り強盗をしていたとか、ギャンブルですっていたとかの場面も、最後には先住民の妻を心から愛するという真面目な夫となっているのに、このような荒れた生活をしているという表現は彼の性格付けをあやふやにしている。

 そして、最後のラジオ風での効果音を入れて事件のあらましを語るのは、まったく不要。

 などなどの不要な場面が多い為に、映画としての流れ・テンポが遅くなりすぎた。

 でも、ロバート・デ・ニーロに悪役をやらせると、上手い。

 マーティン・スコセッシ監督の; 「沈黙 サイレンス」 (2017年) 、 「ウルフ・オブ・ウォールストリート」 (2014年) 、 「ヒューゴの不思議な発明」 (2012年) 、「ディパーテッド」 (2007年) 、「ギャング・オブ・ニューヨーク」 (2002年)
  レオナルド・ディカプリオの; 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」 (2019年) 、 「レヴェナント 蘇りし者」 (2016年) 、 「J・エドガー」 (2012年) 、「インセプション」 (2010年) 、 「アビエイター」 (2005年) 、「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」 (2003年)
  ロバート・デ・ニーロの; 「ジョーカー」 (2019年) 、 「マイ・インターン」 (2015年) 、「アメリカン・ハッスル」 (2014年) 、「世界にひとつのプレイブック」 (2013年)

 沈黙の艦隊

あらすじ:海上自衛隊に所属する潜水艦が海難事故にあい、艦長の海江田四郎(大沢たかお)を含む乗組員76名全員が死亡したとのニュースが流れた。だが、別の潜水艦「たつなみ」の艦長:深町洋(玉木宏)は、優秀な操艦技術をもつ海江田がそう簡単には死ぬ筈はないと疑っていた。その深町の疑念は当たっていた。この潜水艦事故はでっち上げで、攻撃能力が高く燃料を補給しなくても長く潜り続けられる最新の装備をした原子力潜水艦を何とか保有したい首相の竹上登志雄(笹野高史)や防衛大臣の曽根崎仁美(夏川結衣)らが、アメリカ政府と組んで秘密裏に高性能の原子力潜水艦「シーバット」を建造し、その乗組員に、亡くなったことにした海江田たちを任命していた。しかし「シーバット」の艦長になった海江田とその部下たちには、世界平和を実現したい目標があった。そのため、各国と交渉する手段として、隠れて核ミサイルを「シーバット」に搭載していた。初航海中にアメリカ軍の指揮下から離れた「シーバット」の艦長:海江田は、世界に向けて独立国家「やまと」を宣言し、何処かへ深く潜航してしまった。慌てた日本政府は、内閣官房長官の海原渉(江口洋介)を中心にして、「たつなみ」に「シーバット」を探させる。一方、アメリカ政府は「シーバット」をテロリストと認定し、太平洋を受け持つ第7艦隊は、総力を挙げて「シーバット」を探し出し、その消滅を試みるが・・・


女:「世界平和の実現」と壮大な目標を掲げているけど、全然内容がついてきていないわね!!

男:元になっているのは、「空母いぶき」も書いている かわぐちかいじ の漫画で、これを高井光が脚本し、監督は吉野耕平とある。
女:原作の かわぐちかいじ の「沈黙の艦隊」は、1988年から8年近く連載され、今からだいぶ前の1996年に終わっているのよ。
男:でも、映画では、2023年の現在で設定している。
  もう、27年前に漫画で書かれた世界情勢や軍事技術とは大いに異なっているから、脚本はかなりの部分で、最新のものに更新が必要となる。
女:多くの観客は、実際の原子力潜水艦なんて見たことが無いからその内部の装備が最新かどうかは、ほんの一部の人しか分からないでしょう。
  そこらの内装は、適当にLED表示にしていれば、ごまかしが効くわ。

男:潜水艦の映画としては、第2次世界大戦でのドイツの「U・ボート」や、艦長が亡命する「レッド・オクトーバーを追え!」や、艦長と副艦長が対立する「クリムゾン・タイド」などがあるね。
女:狭くて暗い潜水艦の内部だと、どうしても人間関係が問題となるけど、この「沈黙の艦隊」では、そこは、あまり描いていないわ。
男:日本の自衛隊という軍隊に属していながら、国への忠誠心を捨てて、一介の海江田艦長の崇高な夢「世界を争いのない平和な地球にする」に感服していく他の隊員達の心情も細かく描いて欲しい所だね。
女:部下との関係でいうと、以前乗っていた潜水艦に浸水があった時に、海江田艦長は、中村倫也が扮する入江隊員を犠牲にしていて、またその弟らしい人がいつの間にか海江田の近くにいるのも、ハッキリしないままね。
男:いくら「争いのない地球を」、「国境のない平和な地球を」と叫んでも、現在のロシアのプーチン大統領のように武力で領土を広げようとする人物が支持される国家が現実に存在すると、口先だけでは「世界の平和」が実現しないということは分かる。
女:口を酸っぱくして「平和な世界を」、「話し合いでの解決を」と叫んでも、何十年たってもそれは実現できない現実から、まず話を聴かせるために海江田艦長は「核ミサイル」を手に入れたのね。
男:この核兵器をちらつかせて大国との交渉材料にするというのは、北朝鮮の主導者:金 正恩(キム・ジョンウン)も取っている戦略だ。
女:でも、ある国が軍事力を増強すれば、他の国は相手国の軍事力以上の装備にしていくという、本当に「いたちごっこ」で、この軍事力競争は終りがないことも分かっているわね。
男:言葉では理解していても、強力な軍事力で、他国を支配し、その国の民衆から搾取するという構図を、人類はどこかで受け入れている。
女:悲しいけど、人類が進化してきた歴史での近くの部族間での争いから始まり、大きな民族間での争い、国家間での争いなどで多くの人が死んでいく教訓から何も学んでいないのね。
男:他の人間を支配して、自分の思いどうりに使うという考え方は無くならないのかな。
女:あなたがいつも言っている 元ビートルズのジョン・レノンが歌っている「イマジン」での、「国が無い世界」「平和に暮らす世界」はいつ来るのかしら。
男:確かに「争いごとから解放された平和な世界の実現」は、難しいけど、これを「夢」にはしたくないね。
女:この映画「沈黙の艦隊」も、そんな壮大なテーマがあるようだけど、この潜水艦がどうしたこうしたというだけの表現では、テーマがボケているわ。
男:映像の多くが平凡な描き方なのがそう思わせるんだね。
女:頼りない首相に笹野高史をっもってきたり、前髪が気持ち悪い江口洋介や、黒幕的な橋爪功などが、よくあるパターンでしか描かれていないのよ。
男:多分、原作には無かったような、防衛大臣に夏川結衣や副艦長の水川あさみなど女性の登用は、特に女性にしなくてもよくて、現代に合わせるための付けたしの感じで終わっている。
女:また、終わり方が、これから「やまと」は、日本国と軍事協定を結んで、次の続編を作りますという中途半端なのも気持ちを悪くさせる原因ね。
男:同じ大沢たかおが出ている「キングダム」の予告編とこの「沈黙の艦隊」の予告編との差があるので、つい観たけど、大沢たかおに期待し過ぎたか。
女:期待が大きいとその期待が裏切られた時の失望感も大きくなるのは、もう過去の人生で学んだでしょう。
男;でも、これだけは、観てみないと分からないじゃないの。
女:出ている俳優をみれば、その出来は想像できるでしょうに。
男:それは、大沢たかおという役者では・・・
女:そこまでは、言ってないわよ!

 原作が かわぐちかいじ の; 「空母いぶき」 (2019年)
 大沢たかおの; 「藁の楯」 (2013年)
 玉木宏の; 「極主夫道 ザ・シネマ」 (2022年) 、 「ラプラスの魔女」 (2018年) 、 「プリンセス・トヨトミ」 (2011年)

 

 ジョン・ウイック:コンセクエンス

あらすじ:以前は、「主席連合」と呼ばれる裏組織に属し凄腕の殺し屋だったジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)だったが今は引退していた。しかし、彼の腕を買うマフィアは彼に殺人を依頼する。断り続けるジョンの愛犬を見せしめに殺され怒ったジョンはそのマフィアを壊滅した。だが、ニューヨークにある裏社会の休み処「コンチネンタル・ホテル」では絶対に殺し合いをしてはいけないというルールを破ったために「主席連合」の有力な幹部であるグラモン侯爵(ビル・スカルスガルド)は、ジョンの首に高額の賞金を懸け、世界中の賞金稼ぎを動かす。またジョンの旧友で盲目の仕込み杖を使う暗殺者:ケイン(ドニー・イェン)をジョンに差し向けた。何とか懸賞首から逃れたいジョンは、大阪にいる友人:シマヅ(真田広之)に助けを求めたが、シマヅは、ケインに殺される。ジョンの協力者である地下組織のボス:バラリー・キング(ローレンス・フィッシュバーン)や、壊された「コンチネンタル・ホテル」の支配人だったウィンストン(イアン・マクシェーン)によって、どうにかパリのサクレ・クール寺院で、ジョンとグラモン侯爵との決闘が約束されるが・・・


人殺しの拳銃音が、バック・グランド・ミュージックのように全編に絶え間なく流れる!!

 ただもう、人殺しが連続しているだけのキアヌ・リーブス主演のこの「ジョン・ウィック」シリーズも、何と2015年公開の第1作から、今回で第4作目となる。

 全4作とも監督は、スタントマンあがりで、キアヌ・リーブスと仲がいいらしいチャド・スタエルスキだ。

 この映画の特徴は、カンフーを中心としたアクションと、犬使い、カー・チェイスそして、銃での闘いだ。

 今回の「ジョン・ウィック:コンセクエンス」でも、その路線はまったく迷いなく引き継がれている。
タイトルの「コンセクエンス:CONSEQUENCES」とは、「結果、成り行き」の意味だけど、この映画の内容では、「復讐、報復」が近いか。
なお、英語の原題は「John Wick: Chapter 4」だ。

 とにかくこの映画では、冒頭の砂漠での馬に乗ったアラブ人を殺す場面から始まるように、次々と人が殺される、また殺される、さらに殺されるの場面が、時を変え、場所を変え、武器を変えて連続する。
ただ、多くの人をどのように殺すかだけに特化した映画で、ニューヨークやパリなども背景として出てくるが、特に目立った主張もなく、納得出来るような筋書きもない。

 そんな、内容だけど、前作の「ジョン・ウィック:チャプター2」、「ジョン・ウィック:パラベラム」も観たし、今回も観てしまった。

 監督のチャド・スタエルスキは、かなりの日本好きのようで、前作「パラベラム」でも寿司屋の職人が殺し屋だったように(この殺し屋の日本語はなんて言ってるのか分からず、酷かったけど)、今回の「コンセクエンス」でも、日本の大阪を舞台にして、ジョンの友人として、まともな日本語を話す真田広之を登用している。
真田広之の英語のセリフも流暢だし、刀や弓矢を使った決闘シーンは、日本の時代劇の「殺陣(タテ)」を採用している本物だ。
が、日本を意識させる武者絵や甲冑は、前作の「パラベラム」のままだし、真田広之の娘役のリナ・サワヤマが、日本では男性の名前の「アキラ」だったり、映像が今時の大阪ではなく、おかしな電車が走っているのは、残念だが。

 衣裳デザインも、日本の忍者の忍びの黒服装を基調にし、「スター・ウォーズ」のような仮面を被っている。
グラモン侯爵のボディ・ガードの髭の形は、ハンマー投げの室伏広治の剃り方だ。
極めつけは、盲目の殺し屋:ケインの設定だ。

 盲目の殺し屋:ケインって、だれがみても完全に勝新太郎が演じてきた盲目の侠客である座頭の市のパクリでしょう。
仕込み杖の使い手で、それに加えて、拳銃も巧く使えるとは、もう、これなら、盲目の設定は不要で、健常者の扱い、いや健常者以上の能力をもった人物だけど。

 ジョン・ウィックが殺す方法の特徴は、必ず最後に頭を貫いたり、首筋を切ったりと完全に仕留めるのがあるが、これも、何十人と殺しても、必ず一人一人丁寧に映像に入れている。
今回の新しい映像にショット・ガンみたいな大型の銃を撃つと敵が火だるまになるシーンが出てきたのは、可成りのアイディアだ。
これを、上からの俯瞰撮影で見せるのは、評価出来る。

 特殊素材でできた薄手のスーツの威力も凄い。
敵からの防弾は、出来るし、階段から落ちてもダメージは受けないとは。

 階段か。
最後の方に出てくる決闘場のパリのサクレ・クール寺院に至る階段は、下から数えると222段あるそうで、ここでの殺しても殺しても現れる賞金稼ぎ達との闘いは果てしない。
多くの賞金稼ぎを殺して、ようやく半分まで登れたと思ったら、下まで落とされるの繰り返しは、しつこくて、長い。

 さすがに、59歳になったキアヌ・リーブスは、もうこの映画をやりたくないようで、ジョン・ウィックは死ぬが、エンド・ロールの後で、父親の真田広之を殺された娘のリナ・サワヤマが、盲目の殺し屋:ケインを殺すようなシーンが出てきて、監督のチャド・スタエルスキとしては、別な形でジョン・ウィックの続編を作りたいようだ。

 売り物の戦闘シーンがこう何度も、何度も同じで繰り返される169分は、長かった。

 おまけ:入場の際に、こんなカードを貰った。

  

 「ジョン・ウィック」シリーズなら; 「ジョン・ウィック:チャプター2」 (2017年)、 「ジョン・ウィック:パラベラム」 (2019年)
 他のキアヌ・リーブスなら; 「マトリックス: レザレクションズ」 (2021年) 、
 ビル・スカルスガルドの; 「IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。」 (2017年) 


 ミステリと言う勿れ

あらすじ:天然パーマのモジャモジャの髪が好きでなく、屁理屈のおしゃべりとカレーと美術が好きだけど友達がいない大学生・久能整(くのう ととのう、菅田将暉)は、広島で開かれていた美術展に来ていた。そこで、以前の事件で関係があった犬堂我路(いぬどう がろ、永山瑛太)の紹介を受けた女子高生の狩集汐路(かりあつまり しおじ、原菜乃華)から、父親:弥(わたる、滝藤賢一)たち親族4人が自動車事故で亡くなり、これから地元の大富豪の狩集家の莫大な遺産相続の発表があり、その狩集家では代々遺産相続を巡って死人も出ているので、ぜひ、立ち会ってくれというバイトを持ちかけられ、面白そうなので引き受ける。遺産相続対象者としては、汐路の他にいとこ関係にある専業主婦の赤峰ゆら(柴咲コウ)、臨床検査技師の狩集紀之助(町田啓太)、真面目なサラリーマンの波々壁新音(ははかべ ねお、萩原利久)がいた。「それぞれの蔵においてあるべきものをあるべき所へ過不足なくせよ」と書かれた謎の遺言書を読み上げる狩集家の顧問弁護士の車坂義家(段田安則)から、4人に渡された4つの蔵の鍵。蔵の中にあった12体の人形や偽物の陶器を追及するとそこには、天然パーマが浮かんできた・・・


無理矢理背景を複雑にした謎解きは面白くない!!

 原作には、田村由美の同名の漫画があり、これを、相沢友子が脚本を書き、テレビでこの「ミステリと言う勿れ」を演出した松山博昭が映画版でも監督をしている。

 テレビ版の連続ドラマでも菅田将暉が主人公の久能整を演じている。
このテレビ版は、謎解きが面白く、また、事件の裏にある人間味の追及もあって、毎週、全部観た。
この映画版の公開に先だって、2022年1月にテレビで放映された第1話と特別編が2023年9月9日に放映されたが、この第1話の家族を轢き逃げされた刑事を演じた遠藤憲一の話は、2回観てもいい出来だ。
特別版は、菅田将暉のスケジュールが多忙だったようで、菅田将暉は出番が少なく、彼の友人役が活躍し過ぎで、面白くなかった。
 なお、余談ですが、このテレビ版で御茶くみなどの雑用をやらされて、生き方に悩んでいる風呂光聖子(ふろみつ せいこ)を演じた伊藤沙莉は、この役で、大ブレイクしました。

 タイトルに「ミステリと言う勿れ」とあるように、難解な事件を観察眼の鋭い主人公:久能整が理屈に叶った理論構成で解決するのがこの漫画の特徴のようだ。

 しかし、今回では話しの中心が昔に遡り、おどろしい殺人事件が紙芝居のような迫力のない切絵で紹介され、まるでおとぎ話の、3匹の鬼が狩集家を乗っ取り、真の狩集家の子孫探しまでくると、漫画ならともかく、映画となるとまとめ方が雑過ぎた。

 殺人事件のヒントとなる伏線の設定が全然ミステリでない。
例えば、階段から人が転び落ちるシーンにしても、汐路が油を塗ったとのことだけど、階段から滑り落ちるほどの油は、そう簡単には塗れない。
また、崖から植木鉢が汐路の側に落ちてくるが、これは汐路が自分でロープを使って操作したのだけど、そんな操作の痕跡があるなら、その場にいた久能整なら直ぐに気づく程度のミステリだ。

 天然パーマの子孫が殺されるが、何歳までなら生きていられるのかが分からない。

 蔵の地中から発掘された人骨の表現方法も杜撰。
8年ぐらい前に既に掘られたのなら、埋め戻しても、再度掘れば、土は柔らかく、骨もある程度むき出しが正しくないか。

 そして、事件解決の鍵となっている、車が大炎上し亡くなった汐路の父親のポケットからUSBメモリーの小さなキャップが運よく出てくるという設定は、余りにも不自然すぎる。
2cmぐらいのプラスチック製のUSBメモリーのキャップは、映像にあるような炎上では火に解けて何だか分からなくなると思うが。

 久能整のこだわりでとる小さな笑いが未消化だ。
風呂は一人で入りたいとか、パンツの洗濯、「構いません」の言葉遊びでは、息抜きにもならない。

 原作者の田村由美の主張としては、犯罪や事件によって遺された家族、今回は特に少女:汐路、が受ける精神的なダメージに対する「心のケア」が必要とのことだけど、そんなの当たり前で、この映画のように久能整の出番よりも長く汐路の「涙」や顔のアップを多用されても、一体この映画の主役は誰だと判断に困る。

 訳の分からない大詰めは最後の正当な狩集家の子孫で今は「石の腕輪」製作をしている松嶋菜々子の場面だ。長々と4つの石の腕輪に託された願いを表現しているが、これってまったく不要だ。

 いや、まだ、訳の分からないのが残っていた。
チラシには出演者として、テレビで出ていた東京の警察署で久能整と事件を担当した風呂光役の伊藤沙莉や同署の尾上松也そして筒井道隆の名前が載っているが、彼らは、全然、これまで出ていない。
一体、チラシの記載は嘘かと思っていたら、最後の最後にチョコットした設定で出てくる。
こんな感じの付けたしは、これも要らない。

 脚本の相沢友子といい、監督の松山博昭といい、単に動きのない漫画を動画に置き換えるだけの才能しかないようだ。
テレビ版は面白かったが、映画化はまったく残念な作品だった。

 菅田将暉の; 「百花」 (2022年) 、 「キネマの神様」 (2021年)、 「キャラクター」 (2021年) 、 「花束みたいな恋をした」 (2021年)、 「浅田家」 (2020年)、 「糸」 (2020年) 、 「アルキメデスの大戦」 (2019年)
 

 こんにちは、母さん

あらすじ:東京の下町情緒が残っている墨田区向島の「足袋屋」で育ち、今は大企業の人事部長をしている神崎昭夫(大泉洋)は、会社ではリストラ問題を抱え、また、家庭では、妻・娘との別居と神経をすり減らしていた。そんな時、会社の同期会を隅田川の屋形船でやる話があり、情報を仕入れるために、父親が亡くなったあとも足袋屋をやっている母:福江(吉永小百合)が住む実家に久し振りに戻った。そこには、妻の元から家出してきた大学生の娘:舞(永野芽郁)も舞い込んでいた。暫く会っていなかった母の生活は、ホームレスへの炊き出しをする仲間(YOU、枝元萌)や牧師の荻生直文(寺尾聰)に囲まれて生き生きとしていた。地域の人みんなが助け合って生きている向島。荻生牧師が好きだという母を見て驚く昭夫は、ギスギスした今の会社生活に見切りを・・・


女:タッチは古いけど、ほのぼの感を醸し出すテクニックは健在ね!!

男:今は、91歳になった山田洋次監督の作品だね。
女:そして、吉永小百合さんももう、80歳に近いのよ。
男:原作は、永井愛で、脚本は、山田洋次と朝原雄三とあるね。
女:渥美清が演じた「フーテンの寅さん」の「男はつらいよ」シリーズを全巻観ているあなたにとっては、山田洋次監督の作品で、さらに、「男はつらいよ」でも度々マドンナ役を演じた吉永小百合が出ていれば、見逃す訳にはいかないわね。
男:流石に90歳を超えた山田監督では、サポートとして「釣りバカ日誌」の朝原雄三も加えないと完成は難しかったようだね。
女:家族を大切にする山田監督のいつもの主張は充分に出ているわ。
男:新しい時代を象徴する「東京スカイツリー」が出来ても墨田区の向島付近の街並みや人情は昔のままという事だね。
女:それは、フーテンの寅さんが葛飾・柴又で過ごしたおじちゃんとおばちゃんそして妹のさくらを中心にした下町の近所付き合いや親子・兄弟関係と同じね。
男:生活が洋式化して椅子にばかり座っている今では、畳とちゃぶ台がある家は、殆ど見られないセッティングだけど、隅田川べりの「足袋屋」ならギリギリ許される範囲かな。
女:話としては、特に目新しいものはないのね。
  会社でのリストラ、夫婦の離婚、老いらくの恋。そして、ホームレスの人たちの生活ですもの。

男:そのホームレスでは、行政の世話にはならずに空き缶を集めて生活をしている田中泯の演技は凄い迫力だ。
女:田中泯が出てくれば、確かに場が締まるわね。
男:でも、田中泯に未だに東京大空襲の焼けただれた人々の惨状を語らすのは、要らない気がする。
女:この主張が、山田監督でしょうね。
男:80歳に近い吉永小百合だけど、顔には皺もシミもなく、また、若々しいとは言えないけれど、しっかりとした動き方は流石に今まで122本の映画人生をおくってきた女優さんだな。
女:映画界に入って60年以上もこの位置にいるのは、もう、凄いことね。
  立派な足跡を遺しているわ。

男:新しく吉永小百合の恋人になった牧師役の寺尾聡のお父さんの宇野重吉とも共演しているんだから、本当に彼女は長い間活躍していると感心する。
女:今は、懐かしのラジカセ何かもでてきて、映画を観ている高齢者には、若い頃を充分に思い出させてくれるわね。
男:でも、娘役の永野芽郁ちゃんはいつも「へそ出しルック」で、今風だ。
女::彼女だけが、この映画が作られたのが、令和5年だと分からせてくれるのね。
男:この映画のおかげで、東京スカイツリーや隅田川の遊覧船、恒例の花火大会など墨田区は観光客が増えるだろうね。
女:観光案内なら、大きな足袋を買いに来た相撲取りもいたので、大相撲も入れてよ。
男:下町を代表する食べ物としては、「せんべい」もあるね。
女:確かに、せんべいは「割れせんべい」でも美味しいけど、もうこの歳では固いせんべいは食べにくいわ。
男:えっ、いつも健康を自慢しているきみでも、歯は弱っているんだ。
女:そうよ。人間を長い間やっていると、眼や歯から弱ってくるのよ。
男:そう、正論を言われると・・・
女:あたたも、現実をしっかり見て、山田監督みたいに90過ぎまで頑張りなさいね。
男:はい、健康には注意します。

 山田監督の: 「キネマの神様」 (2021年)、 「男はつらいよ お帰り寅さん」 (2019年) 、 「家族はつらいよ2」 (2017年) 、「家族はつらいよ」 (2016年)、 「小さいおうち」 (2014年) 、「東京家族」 (2013年) 、「おとうと」 (2010年)
 吉永小百合の; 「いのちの停車場」 (2021年) 、 「ふしぎな岬の物語」 (2014年)  、 「北のカナリアたち」 (2012年) 、
 大泉洋の; 「月の満ち欠け」 (2022年)、 「騙し絵の牙」 (2021年) 、 「新解釈・三國志」 (2020年) 、 「駆込み女と駆出し男」 (2015年) 
 永野芽郁の; 「母性」 (2022年) 、 「マイ・ブロークン・マリコ」 (2022年) 、 「そして、バトンは渡された」 (2021年) 、


 春に散る

あらすじ:不公平な判定負けを最後にボクシング界を引退した広岡仁一(佐藤浩市)は、アメリカでホテルのオーナーに拾われ職を得たが、今はそのホテルの仕事からも退き日本に戻って悠々自適な生活をしていた。そんな仁一が飲み屋で不良たちに絡まれ、彼らを一撃で倒す現場にいたボクサー:黒木翔吾(横浜流星)も、その不良仲間と間違えられて仁一と闘うと、瞬時に仁一のカウンターが決まりダウンさせられてしまった。翔吾は、暴力をふるう男から母親(坂井真紀)を守りたい気持ちでボクシングを始めたが、仁一と同様に不公平な判定で負けた苦い思いがあり、もう一度、世界一を目指す夢を持っており、仁一にボクシングを教えてくれと頼む。しかし、仁一には心臓疾患があり、過激な運動は無理なので断るが、仁一の昔のボクシング仲間の佐瀬健三(片岡鶴太郎)の勧めもあり、翔吾のトレナーとなった。厳しい練習が実り翔吾は、東洋チャンピオンを倒し、次の対戦相手は、世界チャンピオンの中西利男(窪田正孝)だ。しかし、翔吾の眼が・・・


話が間延びしているし、橋本環奈や坂井真紀ら周りとの関係の描き方が足りない!!

 監督は、瀬々敬久(ぜぜ たかひさ)で、彼の監督作品としては、「ラーゲリより愛を込めて」や、「とんび」などもある。
原作本は、沢木耕太郎で、これを、瀬々敬久と星航(ほし わたる)で脚本した。

 あらすじには出ていないが、この映画には、化粧気のない橋本環奈も、佐藤浩市の兄貴の娘として出ているが、この姪っ子の橋本環奈と佐藤浩市との関係が実に分からない。
大分に住んでいることになっている橋本環奈の父親が亡くなり、その家が解体されるなど、どうでもいいような映像は流れるが、いつの間にか橋本環奈は、東京の佐藤浩市の家に棲んでいて、それまで同居していたらしい片岡鶴太郎は引っ越したようだ。
このあたりの状況説明は映像として必要な部分だけど、手を抜いている。

 また、横浜流星の母親役を演じていてガソリンスタンドに勤めている男運が悪い坂井真紀だけど、男に暴力をふるわれても別れられないなんて描き方は、もう、良く見るパターンで、平凡過ぎるくらい平凡で、まったく下手な監督だ。

 それに、佐藤浩市と片岡鶴太郎、そして、哀川翔という三羽烏を育てたボクシング・ジムを父親から引き継いだ山口智子にしても、白髪の佐藤浩市のことを「くん」付で呼んだりしているが、具体的に佐藤浩市が好きだったとかの場面がないと、関係性がハッキリしない。
ただ、山口智子の振り返ったシーンを綺麗に撮るだけでは、話が詰まらない。

 空手をやっていたという横浜流星やチャンピオン役の窪田正孝の鍛えられた肉体はボクサーとして適しているが、ボクシングでの殴り合いは、シルベスター・スタローンが演じた「ロッキー」シリーズを観てきた私にとっては、いくら汗が飛び、眼の上を切って血が止まらなくても、こんな程度では、感動できない。

 だいたい、「人生には明日もある」と言いながら「この瞬間だけに生きる」って矛盾した話を追求したことが間違いだった。
みんな、何処かで観たとか、よくある話をまた映画にしても退屈だった。

 佐藤浩市の; 「騙し絵の牙」 (2021年)
 横浜流星の; 「ヴィレッジ」 (2023年)、 「線は、僕を描く」 (2022年) 、 「アキラとあきら」 (2022年) 、 「流浪の月」 (2022年)
 窪田正孝が出ていた; 「マイ・ブロークン・マリコ」 (2022年) 
 瀬々敬久監督の; 「ラーゲリより愛を込めて」 (2022年) 、 「とんび」 (2022年)


 リボルバー・リリー

あらすじ:時は、大正時代の末期。幼い頃から特殊な訓練を受け冷酷な諜報員として多くの人を殺し別名「リボルバー・リリー」とも呼ばれた小曾根百合(綾瀬はるか)だったが、今は、東京の花街で銘酒店を営んでいた。そんな彼女の元に秘密の金の行方を追う陸軍大佐(板尾創路)の命令で動く部下(ジェシー)により一家全員が殺され、ただ一人生き延びた片足の不自由な少年:細見慎太(羽村仁成)が助けを求めて来た。百合の頼みでその殺人事件を調査した海軍出身の弁護士の岩見(長谷川博己)によると、慎太の父親(豊川悦司)は、投資家で陸軍の武器を横流して得た国家予算の10分の1にも値する巨額の金を上海の銀行に預けていたのだ。慎太が身に着けていた腹巻から、銀行口座の暗唱番号は分かったが、上海の銀行との預金契約は1年ごとの更新が必要で、更新日までの期限はあと10日しかない。慎太の父親は、百合がかって愛した男と同一人物だと分かり、慎太を追う陸軍と闘う百合と石見たち。日比谷にある海軍省本部まで逃げ切れば、あとは保障するという山本五十六(阿部サダヲ)を信じて・・・


女:綾瀬はるかのドレスにお金をかけても、セットがお粗末ね!!

男:監督は、「世界の中心で、愛をさけぶ」の行定勲(ゆきさだ いさお)で、原作は、長浦京の同名の本があるようだ。
女:脚本も、行定勲と小林達夫とあるわね。
男:タイトルとなっている「リボルバー」は、回転式の拳銃で、「リリー」を訳すと「百合」となる。
女:小曾根百合が若い頃、その拳銃でやたら人殺しをしていたので、別名「リボルバー・リリー」とも呼ばれたということね。
男:いくら、綾瀬はるかのアクションが中心の映画としても、作りが悪いね。
女:そうね。
  まず、俳優の選び方が良くないわね。
  陸軍の方の狂信的な板尾創路(いたお いつじ)は、まあまあとしても、対立する海軍のそれも有名な実在していた山本五十六を阿部サダヲが演じているけど、彼のセリフが本当に軽くて、バライティから全然脱していないのね。

男:アクション物を引き立てるには、見た目から強そうな悪役が必要だけど、リリーを殺しに来る陸軍の役を演じているジェシーやこれも陸軍なのか立場がよく分からない清水尋也(しみず ひろや)にしても、演技とセリフが下手すぎて、綾瀬はるかのアクションが見栄えがせず単純なままだ。
女:一癖ありそうなヤクザの親分役がこれまた、にやけた顔をした佐藤二朗では、貫禄もなく映像が引き締まらないのよね。
男:リリーと逃げてきた慎太を結ぶ重要な役である豊川悦司も出番が少なくて扱いがおかしいね。
女:話の展開から察すると豊川悦司の役はリリーの元の恋人で、リリーは彼の子供まで産んだようで、その子が殺されたようなんだけどこれも映像としてみんな「ような、ような」という不完全な表現で終わっているのね。
男:リリーとどうして別れたのかもハッキリしないし、別人になったその後の豊川悦司は、戦争を避けるために儲けたお金を使うという高邁な考え方をしたということになっているけど、これを全部リリーの相棒役の長谷川博己が語っているだけとは、お粗末だ。
  作者の長浦京の主張としては、戦争をしない日本という信条がここに込められているとみたけど、この映画での扱いでは、ただ「そうですか」で流れるだけだ。
女:映画の流れを観ていて、本当は平和を願う豊川悦司の方の映像ももっと撮影したようだけど、上映時間の関係で、綾瀬はるかのアクションの方を中心にした感じがするわね。
男:話が散漫になっているのは、豊川悦司だけでなく、有名な俳優が本当にワン・カットだけしか出てこないのもよくない使い方だ。
  冒頭の服の仕立て屋の野村萬斎は、冒頭とあとの方でも出ているが、豊川悦司の仲間の石橋蓮司にしても、橋爪功にしても本当にワン・カットでこれでは、観客は納得できない使われ方だ。
女:有名な癖の強い俳優がでてくると、観ている方としては、彼らは、また後で何らかの重要な役で活躍すると期待しちゃうのね。
男:掘っ立て小屋に住んでいる石橋蓮司のシーンだけでなく、本当にこの映画は金をかけていないね。
女:あなたもそう感じたの。
  慎太が逃げる林の中のシーンがやたら長かったり、リリーの拳銃での撃ち合いが深いキリの中とは、もう完全に背景のセット代を節約するだけの発想ね。

男:白いドレスを身に纏って敵と闘う綾瀬はるかをもっと魅力的に見せるには、キリの中での拳銃音で片づけないで、もう少し、ちゃんとしたセットで互いに争う努力が欲しい。
女:それと、あなたがアクション女優に期待しているのは、もっと色気じゃないの。
  綾瀬はるかの筋肉質な背中を見せられるだけでは、大いに物足りないのね。

男:いやぁ、そっ、それは、余りないと思うけど・・・
女:やっぱりね。

 綾瀬はるかと長谷川博己が出ていた; 「はい、泳げません」 (2022年)
 綾瀬はるかの; 「レジェンド&バタフライ」 (2023年)、 「奥様は、取り扱い注意」 (2021年)、 「本能寺ホテル」 (2017年) 、 「海賊と呼ばれた男」 (2016年)、 「海街diary」 (2015年)

 ミッション:インポッシブル/デッドレコグニング PART ONE

あらすじ:ロシア軍が開発した現在の位置を特定できない最新鋭のAI(人工知能)を搭載した潜水艦が北極圏の海底で謎の攻撃を受け沈没し、そのAIをコントロールする鍵を持って死亡した乗組員は回収された。一方、アメリカ政府は、全ての情報に侵入できるAIの存在に気づき、「それ」をコントロールするには、2つの鍵が必要で、その1つはCIAが持っているが、もう1つの鍵はMI6から追われて今は盗品で稼いでいるイルサ・ファウスト(レベッカ・ファーガソン)が持っていて高額で売ろうとしていた。CIA長官のキトリッジ(ヘンリー・ツェーニー)は早急にイルサからその鍵を奪い返す指令を、イーサン・ハント(トム・クルーズ)たちのチーム:IMF:ルーサー(ビング・レイムス)とベンジー(サイモン・ペッグ)に出す。CIAが持っていた鍵を「だし」にして売人に接近しようとしたが、その鍵はスリのグレース(ヘイリー・アトウェル)にアブダビの空港で盗まれ、彼女を追ってローマへ飛ぶと、鍵を奪おうとするガブリエル(イーサイ・モラレス)と彼の部下のパリス(ポム・クレメンティエフ)との争いになる。鍵の取引を裏で仕切っているのは、武器商人のホワイト・ウィドウ(バネッサ・カービー)でこの取引にはCIAも絡んでいた。取引の場所となった「オリエント急行」で、イーサンと組んだグレースとガブリエルとの壮絶な闘いが始まる。全てを仕組んだAIは、・・・


都合よく作られた危機が、都合よく解決される!!

 テレビ放送で評判が良かった「スパイ大作戦」を元に、トム・クルーズが主演するこの「ミッション・インポッシブル(遂行不可能な任務)」シリーズの第1作が封切りされたのは、1996年で、今作「デッドレコニング」は、このシリーズとしては、第7作目となる。

 脚本と監督は、2015年公開のこのシリーズの5作目の「ローグネイション」から、前作2018年公開の「フォールアウト」も担当したクリストファー・マッカリーだ。

 タイトルとなっている「デッドレコニング Dead Reckoning」とは、映画の冒頭の沈没した潜水艦のところで出てくるが、日本語に訳すと「探知不可能とか航路位置測定不能」とでもなるのか。

 今回のミッション・インポッシブル「デッドレコニング」は、上映時間が164分と長いが、これは、PART ONE でもう続編の製作が決まっている。

 毎回述べているが、このシリーズのあらすじは、登場人物の関係、世界にまたがるロケ地の選定が話の展開と必然性に乏しくて、実にまとめ難い。
 今回もスリ役のグレイスや闇市場を取り仕切るホワイト・ウィドウの立場、また、新しく出てきたガブリエルの部下になっている女殺し屋パリスの役割など、どう脚本で設定しているのか、前作との関係はどうなっているのかが良くわからず登場していて、あらすじを書くのが実に面倒だった。

 特に最大の悪役であるガブリエルがどうしてコンピューターの手先になっているのか、分からないまま話が進んでいることだ。
 因みに、ガブリエルの部下のパリスは、胸にナイフを刺されているにもかかわらず、敵であったイーサンとグレースを助け、まだ生き延びて次回作に出るようです。

 このシリーズの呼び物のトム・クルーズがスタントマンを使わず、自分でこなすアクションについても、メイキングの映像で流されるノルウェーの荒々しい崖の上を、トム・クルーズが代役を使わずにモトクロス用のバイクで走って、そのまま渓谷に落ちていくシーンは、何度も、何度も、練習というよりは、訓練を重ねたようで、凄く苦労したとは思うけど、CGやVFX(Visual Effects)という進歩した技術があり実際の映像に代わらないものが作成できる今日、そこまで危険を冒してまでも生の映像に拘る必要性は感じられない。

 それにしても、最近の「ミッション・インポッシブル」のアクション・シーンは、他の作品と似すぎだ。

 アブダビの新しい空港は、他の映画ではまだ使われていないけど、イタリアのローマでのカーチェイスは、下で紹介している「ワイルド・スピード~ファイヤーブースト~」でも同様の使われ方で、また、小型のフィアット500と敵の車の追いかけっこは、これも、下で紹介している「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」の小型車「トゥクトゥク」に似た争いの置き換えで、ミッション・インポッシブルでは、イーサンとグレースが手錠をかけたまま車を操縦をするという小細工はあるものの観ていても、大筋のドタバタは同じ作りでガッカリする。

 敵との闘いで走っている列車を使い鉄橋を崩壊させる設定は、他の映画でも度々使われているやり方だし、また、お約束どうりに列車の屋根での争いと、これまた、最近の「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」でも使われているように良くある設定で、もう緊迫感もなく、またこれかと、実につまらない。

 そして、謎のAIの秘密を解くカギが2本あり、それを合わせないと謎が解けないというのは、まったく「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」の2つに割れたダイヤルと同じ発想で、これら「ワイルド・スピード~ファイヤーブースト~」と「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」そしてこの「ミッション・インポッシブル デッドレコグニング」は、多くのアクションと話の設定が非常に似ていて、まるで1つの脚本を、生成AIを使って各シリーズに合わせて単にアレンジしただけの感がある。

 原案は同じものを違ったタイトルで、少しばかり設定を変えて再現しているだけだ。
鉄橋が爆破されて列車が1両づつ下へ落ちて行く危機も毎回都合よく回避されるの連続では、多くの場面をカットできる。

  また、AIが小型原爆を爆発させる空港の手荷物場で、「あなたにとっていちばん大切なものは?」などの謎かけをするのも、無駄なシーンだった。

 多分、次の「PART TWO」での筋書きは、人間の支配を恐れ暴走するAIが基本となるソース・コードに手を加えられないように、悪人のガブリエルを使って、イーサンたちと闘うということだろうが、この暴走するコンピューターと人間との闘いなら、もう前に何処かで観た気がするが。

 余計なお節介:上映時間が、3時間弱と長く、冷房が効いた映画館は寒いのでトイレや長袖の服装など事前の対策が必要ですよ。

 ミッション・インポッシブルの前作; 「ホールアウト」 (2018年)、 「ローグネイション」 (2015年) 、 「ゴースト・プロトコル」 (2011年)
 トム・クルーズなら; 「トップガン ~マーヴェリック~」 (2022年)

 

 君たちはどう生きるか (アニメーション)

あらすじ:太平洋戦争も終わりの頃。少年:牧眞人(まき まひと)は、アメリカ軍の空襲で優しかった母を失い、父が育った地方都市へ引っ越したが、そこのクラスには溶け込めなかった。軍関係の仕事を請け負っている父親の家は広大で庭の外れにある古ぼけた塔には、本が大好きだった大叔父さんが居なくなった後は、言葉を話す「アオサギ」だけが棲んでいて、時々、眞人や家人が襲われることもあった。父は、亡き母によく似た母の妹:ナツコと再婚し、妊娠したナツコが塔のあたりで行方不明となる。屋敷で働くキリコ婆さんと共に塔の中に侵入した眞人は、地下の世界に入り込む。そこには、人間が生まれる前の状態があり、妊娠したナツコが、巨大化したインコの集団に囚われていた。亡き母のような「火」を操るヒミの助けを得て、眞人は・・・


映像は綺麗だけど、実にとりとめがなさ過ぎた!!

 原作と、脚本そして監督は、あの宮崎駿(みやざき はやお)。
 映画のタイトルとなっている「君たちはどう生きるか」については、宮崎監督が若い頃読んで感動した吉野源三郎の同じタイトルの本があるようだけど、映画の内容は、その本とは関係が無く、宮崎監督のオリジナルらしい。

 80歳を超えた宮崎監督は、もう10年前にアニメの世界から引退を表明していたが、引退を撤回してまでも、この作品を完成させたかったとのことだ。

 まず、言いたいのは、このアニメ映画については情報量が、極端に少ないということだ。
元々、アニメには関心が薄い私だけど、一応映画ファンとしてアニメ関係もチラシや予告編を事前に観ていて、どんな映画が新しく上映されるかの情報を得ているが、この映画については7月14日に封切りされていることも知らず、ネットのニュースで初めてこんな宮崎監督のアニメが上映されていることを知った。

 そこで、監督が所属する「スタジオ・ジブリ」のサイトを見ても、この「君たちはどう生きるか」については、なにも記載がなく、ネットの映画関係のサイトをみても、内容についてはまったく非公開ということのようで、どんなあらすじかも分からず、とりあえず映画館に足を運んだ。

 という状況で、作品を観た感想だけど、この映画の資料がないので、「あらすじ」をまとめるのが大変だった。
いつも自分が観て記憶した範囲内で「あらすじ」を書いており、その確認のために登場人物などの役や名前はチラシやネットの情報を参考にしているが、この映画では、それが出来ず、主人公の名前「牧 眞人」の漢字は、転校した黒板に書かれたのを見て分かったが、他に登場するナツコやキリコなどの人物の名前は、画面で発音されるだけでしか分からず、そのため「あらすじ」では漢字名はなく「カタカナ表示」になっている。

 また、担当した声優も、エンド・ロールを観ると菅田将暉や柴咲コウ、竹下景子、大竹しのぶ、國村準などそうそうたる俳優名が多くでているが、何分、声だけでは、誰が誰を担当したかなどは、分からない。
主題歌は、米津玄師とあった。
本来なら声優名も載せてあげたいところだけど、その資料もないので、辛うじて父親役はその声の特徴から木村拓哉が担当したことは、分かるが、他の詳細は分からない。

 で観た感想はだけど。

 当然ながら宮崎駿の世界観を出している。
綺麗な水の表現。他の作品でもでてきた顔をした老婆たち。画面一杯に広がる多くの「ふわふわ」やペリカンとインコなど。

 だけど、観ていても全然気持ちがワクワクしない。
登場人物、動物がまったく可愛くなく、話もどうしてここに結びつくのか分からない。
 そう、ファンタジー感がない。つまり、幻想的なゆったりとした気持ちにさせてくれないのだ。

 例えば、前半で出てくる「アオサギ」にしても、悪い鳥かと思っていたら、眞人の道案内をしたりで性格付けが統一していない。

 眞人が迷い込んだ地下の世界は、人間が生まれる前の状態を指しているようだけど、どうして、そこをインコの大群が支配しているのか、よく分からない。
 妊娠したナツコもどうしてインコに囚われているのか、助けに行った眞人に白い「しで(紙垂)?」が、時間をかけてまとわりつくシーンも迫力がなく退屈。

 「おち」となるあやふやな世界を支えている三角形や円形の石を、行方不明となった大叔父さんが守っていたとは、一体なに。

 うがった見方をするなら、インコなどは何かを比喩してるのだろうけど、この程度のアニメに、観客は、面倒な裏の解釈を求めてはいない。
 観ていてすっきりと主張が分かり楽しくなる映画として作って欲しかった。

 まったく、とりとめのない作品に終わった。

 宮崎駿監督の前作; 「風立ちぬ」 (2013年) 、 「ハウルの動く城」 (2004年)

 

 インディ・ジョーンズと運命のダイヤル

あらすじ:時代は、宇宙船:アポロ11号が月面に着陸して無事地球に帰還し、アームストロング船長らの盛大な歓迎パレードが開かれている1969年のアメリカ。学生たちにはまったく人気のない考古学を教えているインディ・ジョーンズ(ハリソン・フォード)教授は寂しく最後の授業を終えた。そこへ、ナチスの占領下で秘宝探しを共にし今は亡くなった友人のバジル・ショー(ドビー・ショウ)の娘でただ金儲けのために古代の宝を求めているヘレナ(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)が現れ、二人はバジルが残した専門的な資料から半分に破壊された「アンティキティラのダイヤル」を見つける。しかし、元ナチスのロケット科学者で今はアメリカのアポロ計画の中心にいるユルゲン・フォラー(マッツ・ミケルセン)もこの「アンティキティラのダイヤル」が持つと言われる時空を超えた力を使い、自殺したヒトラーに成り代わって世界を征服しようと企み「アンティキティラのダイヤル」を奪いにかかる。残された半分の「アンティキティラのダイヤル」はどこにあるのか。「アンティキティラのダイヤル」とは一体何か・・・


女:懐かしさだけが満載ね!!

男:今はシリーズとなった「インディ(インディアナ)・ジョーンズ」の5作目ということだ。
女:第1作目の「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」の日本公開は、1981年の年末で、もう40年以上も昔になるけど、私も観たわよ。
男:この映画は、次々と展開されるカー・チェイスや飛行機から落ちたりと多くのハラハラさせるエピソードが連続していて大評判となり、まるでジェットコースターに乗っているような気分を感じさせるので、当時は「ジェットコースター・ムービー」とも呼ばれたね。
女:その後、2作目の「インディ・ジョーンズ/ 魔宮の伝説」が、1984年に作られ、3作目の「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」は、1989年製作で、4番目の「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」の公開は、2008年だったから、この5作目は、前作から15年も過ぎた作品ね。
男:興行成績に拘るディズニー社の説得を受けてか、リバイバル製作となったようだ。
  監督は、前の4作品は、全部 スティーヴン・スピルバーグだったけど、今度の「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」では、新しく、「フォードvsフェラーリ」や「17歳のカルテ」のジェームズ・マンゴールドが採用されている。
 でも、スピルバーグは製作陣に名を連ねている。
女:5作品とも全部主演は、ハリソン・フォードで、この「インディ・ジョーンズ」シリーズと「スター・ウォーズ」シリーズは、ハリソン・フォードを超有名にしたわね。
男:そのハリソン・フォードも、80歳になるということで、流石に、この「インディ・ジョーンズ」シリーズは、これで終わりにすると言っているようだ。
女:話の作り方は、ナチスが出てくるのは、1作目の「失われたアーク《聖櫃》」からのアイディアで、変な青年が現れるのはインドを舞台にした「魔宮の伝説」とにているわ。
男:監督は、スピルバーグからジェームズ・マンゴールに代わったけど画面の印象は今までと同じ感じをさせるね。
女:出てくるアイディアが、過去の作品で使われたのと同じだからそうなるのよ。
男:そうだなあ。
  列車での闘い方やトンネルの使い方は、もう何度も他の作品でも観たのと変わりがないな。
女:列車だけでなく、宇宙飛行士が帰還したパレードで馬を使ったり、地下鉄でのすれ違いや、小型の三輪車:トゥクトゥクでのカー・チェイスももう興奮はしないわね。
男:「インディ・ジョーンズ」を特徴づける洞窟での「ムカデ」みたいな虫が一杯いたり、不気味な骸骨が散らばっていても見飽きた感じか。
女:陸だけでなく、海中に潜ったり、飛行機から飛び降りても昔のハラハラ・ドキドキ感は無くなったのね。
男:そんなアクションが古臭いものに感じる前に、物語の設定が雑で不自然なのがいけない。
  映画の前半で出てくる黒人のシャウネット・レネー・ウィルソンが演じているのが政府のCIAだか、悪役の科学者の部下だか分からない関係の存在だったのは、残念だ。
女:物語の要となっている「アンティキティラのダイヤル」ってなんなの。
男:調べると、別に「アンティキティラ島の機械」とも言われていて、ギリシャのアンティキティラ島の近くの古代の沈没船から発見された歯車でできた機械式の物で天文観測に使われたとか、古代のコンピュターじゃないかとか、まだ良くわからない代物だ。
女:夢のある古代の機械をもってきたのは、いいアイデアだけど、そんな複雑な歯車の組み合わせをしたダイヤルが綺麗に真っ二つに分かれていて、またピタットくっつくとは、どこからみてもおかしな設定だったわ。
男:また最後にタイムトラベルをして紀元前のアルキメデスが闘っている時代に戻るとは、空想も行き過ぎで、強引さだけとなったか。
女:だけど、この映画「インディ・ジョーンズ」シリーズだけでなく、「スター・ウォーズ」シリーズの音楽も担当しているジョン・ウィリアムズについても一言、言いたいわね。
男:どうぞ。
女:この映画で使われている「レイダースのマーチ」を聞けばその冒険のシーンが浮かぶし、「スター・ウォーズ」の冒頭の曲を聞けば、宇宙のシーンが浮かぶほど、ジョン・ウィリアムズが作曲した音楽は本当にその映画と密接した関係を見事に表現しているわね。
男:他にもジョン・ウィリアムズが作曲した映画音楽では、「E.T」とか「ジョーズ」などたくさんあるけど、その旋律がここまで映画の内容と絡められる作曲家としては素晴らしい人物だ。
女:この映画では皺もない若い頃のハリソン・フォードがチャンと画面で活躍しているのは、凄いわね。
男:アクションの場面ではかなりのスタント・マンを使っているようだけど、80歳のハリソン・フォードには見えない演技は流石だね。
  顔の皺は、メイクで隠せるんだね。
  最近のメイクアップ技術も進化が凄いな。
女:どうして、私の顔を見ながらしみじみというわけ?
男:いや、特にそういうわけでは・・・

 インディ・ジョーンズの前作; 「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」 (2008年)
 ハリソン・フォードなら ; 「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」 (2019年)
 ジェームズ・マンゴールド監督の; 「フォードvsフェラーリ」 (2020年) 

 ワイルド・スピード ~ファイヤーブースト~ (日本語吹替版)

あらすじ:今から10年前。ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで、ドミニク・トレット:愛称:ドム(ヴィン・ディーゼル)と彼の仲間達は、麻薬王のエルナン・レイエスの大型の金庫を襲うことに成功した。しかし、莫大な金を奪われたエルナンは、死に際に息子のダンテ(ジェイソン・モモア)に「ドミニクを死より恐ろしい目にあわせろ」と言い残した。それから10年。今のドミニクは静かに妻のレティ(ミシェル・ロドリゲス)と息子のリトル・Bと暮らしていたが、昔の仲間達、ローマン(タイリース・ギブソン)、ハン(サン・カン)、ラムジー(ナタリー・エマニュエル)、テズ(クリス・“リュダクリス”・ブリッジス)の4人は、ダンテが仕組んだローマでの仕事で苦境に陥る。ローマに飛んだドミニクとレティは彼らを助けローマを中性子爆弾から救ったが、ダンテは、ポルトガルに隠れていた息子のリトル・Bを誘拐した。度々繰り返されるドミニクとダンテの争いで、最愛のリトル・Bは、取り戻したが、追い詰められたダムの堤防で・・・


もう筋はどうでもいい!? 自動車を使ったアクションは凄い!!

 最初の「ワイルド・スピード」が作られたのが2001年で、今回の「ワイルド・スピード ~ファイヤーブースト~」は、このシリーズの10作品目。
また、次の11番目も既に計画されているとのことだ。

 前作の「ワイルド・スピード ~ジェットブレイク~」は、2021年の公開だ。 

 基本としてこの「ワイルド・スピード」は、カー・レースが中心になっていて、車好きの私も、度々この「シリーズ」は観ている。
 しかし、前作だけでなく、この映画では、一度死んだと思っていた人物が生き返ったり、敵だと思っていた人がいつの間にか味方となったりと実に、筋書きが出鱈目で、「あらすじ」が書きにくい。

 また過去の作品に出ていた、ヘレン・ミレンやもったいない使い方をされているシャーリーズ・セロンを含めて登場人物のチョッコだけのシーンもありで、過去の作品との関係を考えると訳が分からなくなる。

 そういう訳で、もうこの続編は余り観たいとは思っていなかったけど、公開が5月19日と約1ヶ月前にも関わらず、未だに客足が途切れていないので、それでは、面白いのかと一応観る気になった。

 今回の脚本は、今までの「ワイルド・スピード」でも数回の監督と製作をしてきたジャスティン・リン。それにダン・マゾー。新しい監督は、「トランスポーター」を手がけたルイ・ルテリエだ。

 映画の中で取り上げられている10年前の麻薬王から金庫を奪う話は、2011年公開の「ワイルド・スピード ~メガ・マックス~」で、シリーズ5作目の話。

 で、感想としては、以前に増して話に合理的な流れが無くなっており、また、過去の作品から引き続き出演している人、また新しく敵として選ばれたダンテ役のジェイソン・モモアのような俳優など、登場人物がやたら増えていて初めてみた人で、話の筋を追う人にとっては、レティとサイファの女同士の闘いやどうして急に南極にいるんだとか、敵だか味方だかまったく不明の「エージェント」の立ち位置などで、「なんだこの映画は。実にくだらない」となるだろう。

 だが、話の繋がりには期待せずに、金をかけた「お遊び映画」として観ると、あのローマの「円形闘技場」や歴史的な建物を背景に巨大な球形の中性子爆弾が、街を破壊しながら転がりまわる息も切らせない迫力や、この映画の特徴のカー・チェイスも通常の車での追跡劇からパワー・アップして2台のヘリコプターも使うとは凄い演出だ。

 メイキングの画像でも車をひっくり返すタイミングや多くの車同士をぶつけるシーンで綿密なリハーサルをしていたが、今回も本物の自動車が何台壊されたか。

 この実際の撮影とCG。そしてVFXを組み合わせた編集が非常に巧くて、見事に大型画面に集中させられる。
1つのシークエンスが終わると、息継ぎを忘れていたことに気が付いた。

 使っている車も、金色に塗られて目くらましをする高級車の代名詞のランボルギーニ。メインの舞台となったイタリヤを代表してアルファロメオ。また、レーシング・カーとしては、ポルシェやマクラーレン、BMWと多くの車が出てきて、この映画は元々ロード・レーシングであったことを忘れていないのもいい。

 ただ、日本人としては、トヨタのプリウス程度しか採用されないていないのは、寂しいが。

 公開日からかなり過ぎているが、男女の観客が多かった。

 前作; 「ジェットブレイク」 (2021年)、 「ユーロ・ミッション」 (2013年) 、 「メガ・マックス」 (2011年)、

 ローマを知りたいなら; 「駆け足で回ったヨーロッパ ~イタリア編~」があります。テヴェ川や円形闘技場の場所が分かりますよ。壊されるスペイン広場も。

 
 水は海に向かって流れる

あらすじ:実家から高校へ通学するには時間がかかるため叔父:歌川茂道(高良健吾)と同居することになった熊沢直達(大西利空)を雨の中迎えに来たのは、榊千紗(さかき ちさ、広瀬すず)だった。案内された茂道の家はシェアハウスになっていて、家には、締め切りに追われる漫画家の茂道、そしてOLで料理の上手い榊の他に女装で占い師をしている泉谷颯(戸塚純貴)、また世界を旅するオーナーの大学教授の成瀬賢三(生瀬勝久)が共同生活をしていた。榊を叔父の彼女かと思っていた直達に対して、「恋愛はしない」と冷たく言う榊の過去が気になる直達。何も関係がないと思われた直達と榊だったが、10年前の二人の両親の複雑な不倫が明らかになってくる・・・


一体、監督:前田哲は、広瀬すずに何を演じさせたいのか、また、広瀬すずは、役をどう演じたいのかまったく分からない!!

 原作は、田島列島の漫画本があり、それを大島里美が脚本し、監督は、「そして、バトンは渡された」「ロストケア」の前田哲だ。
主演となっている広瀬すずもまもなく25歳になる。

 広瀬すずを有名にした「海街diary」以来、「ちはやふる」とか「怒り」など広瀬すずが出演している映画やテレビ・ドラマを観ていて、女優としての彼女の成長を期待している。  

 もう、額に汗を流すスポーツ少女から脱して、恋や仕事に励み悩む年頃になった筈。

 しかし、この映画「水は海に向かって流れる」の彼女の演技を観ていると全く残念だ。

 基本として、脚本の大島里美がいけなく、広瀬すずにいつでも綺麗なメイクだけをさせた前田哲監督の演技指導が悪くて、最後にもう今までの役柄を経て女優としての勉強をしてきた筈の広瀬すずに成長がないということだ。

 脚本としての失敗は、脱サラの漫画家、女装の占い師、世界を回っている大学の教授、そして、中心となる「恋をしないというOL」という実に個性的なキャラクターを多く設定した割には、どれもただ衣裳や風体が奇抜なだけで、その生活内容の表現が乏しくて画面に入りきれない。
 そして、極め付けの榊と直達の二人の両親のダブル不倫だが、この関係の整理が悪くて、チラシの相関図を参考にしても分かり難いのも、脚本と監督の下手さを露呈している。
不倫がばれても、元の鞘に収まる夫婦や子供を捨てた母親を描くなら、もっと、こちらの方の描き方にも力を入れたものにしないと物足りない出来だ。

 その他にも「捨て猫」や「カツアゲ」、たくさんの「ゆで卵」などの挿話もありで、これはいろいろと取り上げ過ぎで、メインであるべき「恋をしなくなった女性」「怒りを忘れた娘」の深刻さが何処かに行ってしまっている。

 まだ付け加えるとタイトルの「水は海に向かって流れる」だけどこの当然のタイトルは、この映画で表現できていない。
物事は留まることがなく、前に向かって進むという解釈のようだけど、時間が停まったことになっている榊にしても、学校を卒業し、会社に勤め、料理が上手くなった訳で、決して成長が停まってはいない。
変に哲学的なタイトルで読者や観客の注意を曳いても、それだけで終わる。

 これでは、男子高校生の綺麗なお姉さんへの初恋となっている。

 毒にも薬にもならない無駄な時間を過ごしてしまった。

 前田哲監督の; 「ロストケア」 (2023年)、 「そして、バトンは渡された」 (2021年)
 広瀬すずの ; 「流浪の月」 (2022年) 、 「いのちの停車場」 (2021年) 、 「ラプラスの魔女」 (2018年) 、「ちはやふる」 (2018年)、 「怒り」 (2016年) 、 「海街diary」 (2015年)

 

 

 渇水

あらすじ:群馬県の前橋市の水道局に勤める岩切俊作(生田斗真)は、子育てに自信がもてず妻との仲もあまり良くなかった。仕事では、後輩の木田拓次(磯村優斗)と共に水道料を滞納している家々を回り、どうしても払わない家には「給水停止」を執行していた。声をかけてもドア越にただ怒鳴る老人。ビニール傘の影響で売り上げが無くて滞納が続く古い傘屋。親と彼女に依存して払えるのに払わない若者。水道料を支払わないタイプは様々だった。そんな滞納者の一人で二人の幼い女の子(山崎七海、柚穂)と暮らしている男関係にだらしない母親:小出有希(門脇麦)は、スマホの料金は払っていても長期に渡って水道料を滞納しており、ついに子供たちを残して、男の元に走ってしまった。残されたのは子供二人という状況でも、仕事と割り切り水道を止める岩切。しかし、暑い夏が訪れ水不足が深刻になりプールも休業、公園の水飲み場も「使用停止」となり困った二人をみた岩切はついに・・・


子供を使っても渇きは潤わない!!

 原作は、故人となった河林満で、脚本は、及川章太郎。そして監督は、高橋正弥。彼は、宮藤官九郎が監督した「TOO YOUNG TO DIE!  若くして死ぬ」で、助監督をしている。
 その関係で、宮藤官九郎もこの映画では水道料の滞納者として、チョコット出ている訳が分かった。

 基本的に人類が生きていく上で欠かせない「水」を止めるということは、厳しい措置なので、正当な理由が無くて長期に渡り水道料金を滞納していても、この映画のように度々督促がある。
それでも払わない場合に、地方自治体の条例により最終手段として「給水停止」の処分となる。

 そこで、この映画のたった一人の保護者である母親が出ていき、幼い二人の子供だけが残された家庭という設定を考えた時、この「給水停止」が、適切な行為ではないと、映画を観ていて感じた。

 岩切だけでなく他の水道局の職員も貧困家庭の実情を目の当たりにして、「給水停止」を執行することに悩んでいるシーンもあるけど、水道料金滞納 即 「給水停止」 ではないはずだという疑問が浮かぶ脚本の拙さがある。

 この部分の描写が不十分であるため、仕事として「給水停止」を淡々とこなし、貧困家庭と分かっていても、幼い姉妹に当たり付のアイスキャンディしか与えられない水道局員の苦悩では、観ていても同情の気持ちに入り込めない。

 そして、主人公の岩切も、父親として子供を上手く育てる自信がないと家庭内の問題を抱えている設定も単に映画としての長さ稼ぎの上辺だけの描き方で平凡な話。
 大体、家庭内に問題を抱える人で「水の臭いがする」体臭を持った人なんて、臭いに敏感な私でも今まで逢った事がありません。

 幼い姉妹が水のないプールで「シンクロ」をしたり、お節介な隣のおばさんに水をかけたりなんて行動は、余り脳のない大人の脚本家が考えることで、子供を使えば、観客の同情を簡単に得られるという安易な「やらせ」の見本だ。
これは、下の映画の「怪物」でも言える発想の乏しい大人が考え過ぎた「やらせ」で、感心できない。

 貧困を描きたいのか、父親として子育てに自信のない男を描きたいのか、主題のハッキリしない映画では、観終わっても、心に「うるおい」は、なかった。

 生田斗真の ; 「土竜の唄 FINAL」 (2021年) 

 怪物

あらすじ:諏訪湖のほとりにある町に住み地元のクリーニング店で働いている麦野早織(安藤サクラ)。彼女は夫に先立たれたが一人で息子の湊(みなと:黒川想矢)を育てあげ、二人は何でも話す仲のいい母子の関係だった。その湊が小学5年生となり、ふさいでいるので、理由を聞くと、新しく担任となった保利(ほり)先生(永山瑛太)から「湊の脳みそは豚の脳と入れ替えれられた」とか、暴力を受けたことが分かった。事実を確認するために学校に乗り込む早織に対して、伏見校長(田中裕子)と学校側は、「真摯に受け止める。担任の行き過ぎた行動でした」などよくあるモンスター・ペアレントに対する紋切型な対応であったため、イライラした早織は何度も学校に足を運ぶことになった。そのうちに、湊の話と違う保利先生の言い分と湊が他の生徒と同じように同級生の星川君(柊木陽太 ひいらぎ ひなた)をいじめていることなどが分かってきた。しかし、湊と星川君は学校の外では、廃物となった電車を秘密基地として共に遊ぶ親しい仲だった。激しい嵐が来ても古びた電車の中で楽しく遊ぶ湊と星川君は・・・。また、真実はどこに・・・


女:大人が考えた小学5年生の恋では、表現できていない事が多過ぎたわね!!

男:監督は、「万引き家族」の是枝裕和で、脚本は、「花束みたいな恋をした」の坂元裕二で、音楽は、3月28日に亡くなった坂本龍一の最後の作品とくれば、これは、映画ファンなら観たくなるね。
女:そして、前宣伝として、最高に効果的に、今年開催された第76回のカンヌ国際映画祭で、この映画「怪物」は、脚本賞を獲っているのよ。
男:予告編は、子供が遊びで「怪物だーれだ」とか、髪の毛を切っていて、血が落ちたりするだけの実に短いもので、これでは完全なミステリー物かと思わせたね。
女:まあ、本当の事は、その本人にしか分からないのでしょうから、世の中の多くのことは、ミステリーと言えば、ミステリーと言えなくないわね。
男:映画の構成としては、母親:安藤サクラ編、教師:永山瑛太編、校長:田中裕子編、そして、子供たち二人:黒川想矢と柊木陽太編となるかな。
女:この映画では、最初に出てきた安藤サクラが演じた母親の部分が一番面白かったわ。
男:仕事をしているシングルマザーにしては、昼間から度々学校に良く行けるもんだという点はあるけど、子供の言葉を信じる母親がいじめらている事実を追求する意気込みの演じ方は、上手いね。
女:親でなくても、世間の見方として、基本的に子供は「ウソ」をつかないという前提を壊すとは面白い脚本よ。
男:子供の話がウソとばれる過程は、ドキドキしたけど、あとの方の展開は詰まらなかったね。
女:そうなのよね。
  担任の教師役の永山瑛太の設定は、前半で受ける教師像と後で描かれる実態に酷い落差があり過ぎね。

男:最初の彼は、母親の安藤サクラが怒鳴りこんできたら、学級内でいじめがあり、黙認していたと謝っている最中に飴をほうばるという非常識で頼りなく無礼な先生のイメージだったのに、教師:永山瑛太編だと、通っていたという噂の火事があったガールズ・バーにも行かず、実は、生徒思いの優しい先生でしたは、余りにも、最初の安藤サクラ編で観客をミスリードし過ぎで、これは、ないという描き方だ。
女:その永山瑛太の彼女役にチョコとしか出番がないけど高畑充希をもってくるとは、贅沢な配役ね。
男:贅沢な配役は、星川君のお父さんに中村獅童がなっている事もだね。
  これも、チョコっとだけ、酒飲みで庭に水を撒くのでは、もったいない役割だった。
女:本当は、星川君に「豚の脳みそを入れた」とか言っていたのは、この父親だった訳で、父子家庭で育った星川君の情緒に重大な影響を与えた筈でしょう。このあたりの描写がもっとあるべきよ。
男:湊と星川君の二人の感情を子供の遊び相手から同性愛ということで、カンヌ映画祭では「クィア・パルム賞」も獲っているけど、この描き方は、大人として無理にやらせた感が強い。
 まだ、性的な意識が薄い小学5年生の設定で、母親が息子の結婚を持ち出すと、走っている車から飛び出すまでの友達以上を意識した関係というのは、大いに無理を感じる。
女:無理もあるけど、湊が持っていた着火マンと多発する火事や女の生徒が話した猫の件、安藤サクラがどうして廃棄された電車の場所を知っていたのかなど未消化の部分が多いのも、この作品を退屈なものにした一因ね。
男:安藤サクラも上手かったけど、死んだ眼をした校長役の田中裕子も凄い役者だね。
女:ここまで誇張された校長は実際にはいないけど、魅せるわね。
男:結局、「怪物はだーれ」か分からないということか。
女:いいえ、怪物、それは、あなたということに気づかないの。
男:えっ、私は、怒鳴ったり、文句も言わず、実に世間的に平凡でまともな生活をしているけど。
女:そういうまともと思う人が、潜在的な「怪物」なのよ。
男:ジャー、世の中は怪物に囲まれた世界ってことか。
女:そう、私も、あなたも、みんな「怪物」なのよ。
男:良くわからないな・・・

 是枝裕和監督の; 「ベイビー・ブローカー」 (2022年) 、 「万引き家族」 (2018年)、 「三度目の殺人」 (2017年) 、 「海街diary」 (2015年) 、 「そして父になる」 (2013年)
 坂元裕二脚本の ; 「花束みたいな恋をした」 (2021年)
 安藤サクラの ; 「ある男」 (2022年) 、 「万引き家族」 (2018年)

 

 最後まで行く

あらすじ:年も終わろうとする12月29日の夕方。刑事:工藤祐司(岡田准一)は、別居中の妻:美沙子(広末涼子)から母親が危篤との連絡を受けて雨の中を車で病院を目指して飛ばしていた。そこへ、刑事課長の淡島(杉本哲太)から、地元のヤクザ仙葉組の組長(柄本明)から裏金を受け取っている疑いで本部から矢崎貴之監察官(綾野剛)が調査にくるとの電話が入る。また妻から母親死亡の電話も入り苛立っていた工藤は道に出てきた若い男をはねてしまった。その男は既に死んでおり事故を隠すために遺体をシートに包み車のトランクに入れた。病院へ向かう途中で行われていた飲酒運転の検問はどうやらうまく逃れ、事故死させた男の遺体は、亡くなった母親の棺桶に入れて安心していところスマホのメールに「お前は人を殺した。死体をどこへやった」と入る。なぜか監察官の矢崎が工藤の起こした交通事故を知り、亡くなった男の遺体の行方を気にしているようだ。娘を誘拐してまでも死んだ男の体に拘る矢崎の行動の裏には・・・


次々と展開される話の流れが途切れず、実に面白い!!

  一応この映画のチラシは持っているが、予告編と岡田准一の主演ではまったく興味が無く、チラシの中身も読まずに時間があったので観た。

 で、観たところ・・・面白かった。

 単なる刑事の交通事故の隠蔽工作映画かと思っていたら、事故死体を母親の棺桶に入れたり、警察の同僚が乗っている車が巨大なドラム缶に押しつぶされたり、広い納骨堂にある何兆円?かも分からない札束の中で格闘をするとは、アイディアが凄い。

 流石に墓石が多くある墓場で殴り合うのでは、墓石を壊し過ぎるので、気が引けてこのシーンは夜に設定したのも好感が持てる。

 また、監察官を演じた綾野剛のニヒルさ。殺しても殺しても死なないのは、まるで、アーノルド・シュワルツェネッガーが出ていた「ターミネーター」ばりで、上手く演じている。

 事件の鍵は、指紋認証にあるというのも、現代的なセキュリティ対策で納得できる。

 車で事故死させた男の遺体を葬儀場のホコリだらけの排気管の中を引っ張っていくシーンでは、こんな状況では下にいる警備員は気が付くだろうとか、ヤクザの親分が時限爆弾を作っていたというのは、余りにも都合が良すぎるが、それらを差し引いても、話が上手く練られている。

 そこで、誰の脚本かと調べると、なんと、この映画は、元々は2014年に韓国でヒットした映画「最後まで行く」の日本でのリメイクだということが分かった。
日本版の脚本は、平田研也と藤井道人で、藤井道人が監督もしている。

 まったく韓国版のリメイクとは知らず、どこまでが日本版のオリジナルなアイディアか分からないが、日本版も面白く出来ている。

 暇つぶしにはもったいない出来上がりの映画だった。

 藤井道人監督の; 「ヴィレッジ」 (2023年)
 岡田准一の; 「来る」 (2018年) 、 「散り椿」 (2018年) 、「追憶」 (2017年) 、 「海賊と呼ばれた男」 (2016年)
 綾野剛の; 「ドクター・デスの遺産」 (2020年)
 広末涼子の; 「コンフィデンスマンJP 英雄編} (2022年)

 

 ター

あらすじ:女性として始めてドイツの高名なベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の主席指揮者となったリディア・ター(ケイト・ブランシェット)は、オーケストラの指揮者を務める傍ら、出身の音楽院でも教えていた。今の彼女の悩みは、どうすれば過去にカラヤンやワルターなどが指揮したのとは違った解釈でのマーラーの「交響曲第5番」を演奏・録音できるかということと進まない新曲の書き上げだった。ターは同性愛者でオーケストラの第一ヴァイオリン奏者のシャロン (ニーナ・ボス)と同居し、幼い養子もいる。オーケストラ内でのターは独裁的で彼女から嫌われた若手の女性指揮者が自殺し、その原因はターにあると遺族から告訴される。一方、音楽院でのパワハラ的な講義をしている動画もSNSで拡散され、楽団内からも不協和音が・・・


セリフが長くて、分かり難く面白くない。また音楽を楽しんでいない!!

 予告編を見て、主演のケイト・ブランシェットの実にスマートな指揮者スタイルに、これなら楽しめる映画かと期待して映画館に足を運んだ。

 脚本・監督そして製作は、トッド・フィールドで、彼の過去の作品としては2002年公開の「イン・ザ・ベッドルーム」があって、私は観ているが、そんなに古くてはもう、確かな記憶はない。

 まず映画の構成として、いつもなら終わりに出てくるキャストの名やスタッフたちが冒頭から長ったらしく出てくるのは、いただけない。
これからどんな映画が始まるかというワクワクした期待感が、こんなに長くエンドロールを先に見させられては、失われた。

 その退屈感を増長させるのが、続いてのターと音楽評論家との専門的な討論だ。
音楽に関する専門的な用語が多くて、字幕を介して、どうでもいいような話しが続きすぎる。
上映時間も158分と長いけど、編集が下手で、そのために長くなっているだけ。
こんは、理論的な話は大幅にカットすべきだ。

 オーケストラの仕組みも副指揮者の存在、リタイヤーした先輩指揮者、楽団員との関係など、バラバラとした情報が挿入されるが、これも整理が必要だ。
ターが指揮者になるために今までしてきた苦労も当然あるだろうけど、それも出ていない。

 複雑なレスビアンの関係も、自殺した女性や現在の相手、また、新規オーディションにきたチェロリストなどが入り混じっていて、いったいどうなっているのか、良くわからない。

 また、突然鳴りだすメトロノームの音や夜中に何処かでピンポンと鳴る呼び出し音があるが、これって話全体の展開をサスペンスの方向に持っていく訳ではないので、まったく不要な話だ。
そして、若いチェロリストの後をつけて行ったおかしなアパートで怪我をするシーンも要らない。

 要らない、分からないのとどめは、終わりの方で、ドイツの楽団を追われてタイらしいアジアにきて相手の女性を選ぶ仕組みのマッサージ館で過ごしたあとゲロを吐くのは、何の意味があるのか。
こちらは、真剣に話を理解しようとして観たが、多くのシーンが無駄で、まったく、面白くない。

 ケイト・ブランシェットの指揮者スタイルが決まっていただけで、変に長いだけの実に退屈な出来だった。

 トッド・フィールド監督の; 「イン・ザ・ベッドルーム」 (2002年)
 ケイト・ブランシェットの; 「ナイトメア・アリー」 (2022年)

 せかいのおきく

あらすじ:時代は江戸幕府が終わろうとしていた物騒な頃。藩政を批判して勘定方をおわれた松村源兵衛(佐藤浩市)は、寺子屋で子供たちに読み書きを教えている娘のおきく(黒木華)と今はどぶ板長屋に住んでいた。おきくは、その長屋の肥しを扱うオワイヤの中次(ちゅうじ、寛一郎)が好きだったが、まだ声には出していなかった。そんな時、父の源兵衛が元の藩士たちに殺害され、闘いに巻き込まれたおきくは、喉を切られ声は失ったが一命は取り留めた。おきくの容体を案じる中次。二人の恋は・・・


女:清潔好きな人なら、途中で席をたつ内容ね!!

男:ここまで、「くそ」が中心に描かれるとは、凄い映画だ。
女:白黒映画にした訳が分かるわ。
男:この映画が全編カラーだと流石に観ていて気分が悪くなるだろうね。
女:でも、2ケ所ぐらいカラーのところもあったのよ。
男:黒木華が半紙に恋人の名前の「ちゅうじ」と書いて照れて横になるシーンと、オワイヤの仲間の池松壮亮が「くそ」を浴びせられるシーンは覚えている。
女:一体、ここまで汚物に拘った勇気ある監督は、だれ。
男:「北のカナリアたち」や「亡国のイージス」などの阪本順治だ。
  脚本も彼が書いている
女:貧乏長屋の生活やところどころに笑いを入れていて落語の世界からも影響をうけているようね。
男:本当に、ここまでウンチを長々と描くとは、度胸を必要とするね。
  この映画で取り上げているように人間の排泄物は、昔から肥料として再利用されてきた。
  でも、都市化が進んで今は衛生の面から、家庭のトイレから出た物は汚水として下水道を通って下水処理場に集められて、汚れを無くして河川や海に流す仕組みになっている。
女:でもまだ、日本全国のトイレが下水道に繋がっているわけでは無いでしょう。
  江戸時代だけでなく、私が子供だった戦後の東京の葛飾区でも下水道は完備されていなくて、時々バキュームカーが家に来て「ウンチ」を集めていたわよ

男:今でこそ多くの都会のトイレは水洗になっているけど、つい最近まで田舎では、農道のそばに肥溜めがあって、そこに落ちた人の話はよく聞いた。
女:映画でウンチが肥料として運ばれる「亀有村」は、私が育った葛飾区金町の隣よ。
男:この映画は、食べる ⇒ 出す ⇒ 食べ物の肥料になる ⇒ また、食べる という循環で、使い捨てでないことで、今話題のSDGs(Sustainable Development Goals = 持続可能な開発目標)という国連が掲げる目標を達成する社会生活が江戸時代にはあったという取り上げられ方もしているね。
女:持続可能って日本語としても分かりにくいわね。
  でも、それはウンチ以外には充分な肥料もなく、また畑にまかれるウンチがもたらす細菌や寄生虫の害の知識も薄かった頃なら、ヨーロッパを含めて世界中で糞尿は肥料となっていたわけで、特に日本の江戸時代だけがSDGsを達成している訳ではないわよ。

男:そんな、ウンチを長屋や武家屋敷から買い取って、亀有村の庄屋に売っているオワイヤを寛一郎(かん いちろう)とあらすじには出ていないが池松壮亮(いけまつ そうすけ)が演じている。
女:この二人の掛け合いと、こぼれたウンチを丁寧に手でかき集めたり、また時には、ウンチをかぶせられたりして、そこに、黒木華のほんわかとした恋心が加わった話ということね。
男:普通の私たちからみれば汚いと感じるウンチも、オワイヤという立場からみるとそれは金になる商品なわけで、素手で触ることも、少しはあるかなとは思うけど、ここまで度々みせられると、手を洗えとかの汚さの感情が先に来るね。
女:その汚さ感を黒木華のぽっちゃりした顔と声を失ってゆったりした演技がよくカヴァーしているわね。
  ところで、タイトルにした「せかいのおきく」の「せかい」ってどういう意味なの。

男:それは良くわからないけど、映画では「せかいとは、あっちにむかって、こっちからかえってくる」とかいっている。
  これから察すると、「日々の生活は繰り返し」とでもなるのかな。
女:それでも、良くわからないわね。
男:おきくが、父親にも食べさせなかった具を入れたおにぎりを持って中次の家に行くシーンは、この映画のクライマックスだ。
女:その愛を込めたおにぎりが無残にも、荷車にひかれて、ぺしゃんこになるけど、これがかえって二人の愛の確信につながったわけね。
男:都合よく雪を降らせるのは、時間のかけすぎと行き過ぎ感もあるけど、この場面は印象に残る。
  言葉が無くても愛は成立するんだよ。
  わかってる?
女:いいえ、私は、やっぱり声に出してくれた方が、いいわ。
男:いつまでたっても、君はかわらないなぁ。
女:なにか、言ったッ
男:いいえ、何も・・・

 黒木華の; 「ヴィレッジ」 (2023年) 、 「浅田家!」 (2020年)、 「来る」 (2018年)、 「小さいおうち」 (2014年)
 阪本順治監督の; 「北のカナリアたち」 (2012年)

 ヴィレッジ

あらすじ:巨大なゴミ処理場しかない村(ヴィレッジ)で生まれ育ち、幼い頃には村の伝統ある「薪能」の稽古もしていた片山優(横浜流星)は、今はそのゴミ処理工場で働く覇気のない青年だった。彼の母親(西田尚美)はパチンコ狂いが進みヤクザの丸岡勝(杉本哲太)から多額の借金をし、優は、母親の借金の返済のために、丸岡が持ち込む不法な産業廃棄物の処理を他の従業員たちとともに裏バイトで行っていた。また、優の父親はゴミ処理場の建設に反対で賛成派の人を殺し、家に火をつけ自殺した犯罪者だった。優は、その息子ということで、たびたび職場でも大橋村長(古田新太)の息子の透(一ノ瀬ワタル)たちからイジメを受けていたが我慢していた。そんな村に、東京に出て行ったが都会の生活に適応できなかった幼馴染の中井美咲(黒木華)が戻り同じゴミ処理場で働くことになった。やる気のない優をみて心配した美咲は彼にゴミ処理場を学校の生徒たちにPRする役を任せる案を提案しその案は会社で採用された。ゴミ処理場の説明役は優にあっていたようで、彼の行動は評判となりテレビ番組でも取り上げられ、村には多くの観光客も押し寄せるほどになった。しかし、美咲に横恋慕する透が美咲を・・・


閉鎖、格差、貧困などいろいろな題材をただ上辺だけを取り上げた、雑な仕上がりの映画だ!!

 監督とオリジナルの脚本は、「新聞記者」で評判が良かった藤井道人(ふじい みちひと)だ。
いつもなら、映画館でその映画の予告編をみているが、どういう訳か知らないが、この映画「ヴィレッジ」の予告編は観ていない。そこで、事前の情報はなく、映画館に足を運ぶ。

 観た感想としては、何をいいたいのか、まったく分からない出来の悪い映画だと言うことだ。

 まず、この映画の冒頭で取り上げられる能の「邯鄲(かんたん)」との繋がりの描き方が未熟だ。
「邯鄲」または「邯鄲の夢」とは、別に「栄枯盛衰、一炊(いっすい)の夢」とも言われ、映画でも説明があるので、簡単に言うと、これは昔の中国の話で、ある貧乏で出世を望む若者が邯鄲という村で不思議な枕を借りて寝ると、50年余りの自分の栄華を経験する。しかし、眼が覚めると、その50年あまりの出来事は、粟が炊きあがるという、一時の、短かくてはかない時間にしか過ぎなかったという。
これが、今は能の演目の一つとなっている。

 その「邯鄲」の話とこの映画の展開がどう結びついているのか。
人生は儚い一時(いっとき)のものだといいたいのなら、この描きかたでは、理解できないまとめ方だ。

 映画のタイトルを「ヴィレッジ」としているが、チラシにあるような、むかしからよそ者を受け入れない閉鎖的な「村」を意図するなら、ここは、いまどきの横文字の「ヴィレッジ」では、不適切な使い方で、英語の「ヴィレッジ」でなく「村」の方があっている。

 チラシでの閉ざされた世界という言葉が観た限り実に「ピン「とこない。
ロケされている場所も立派な道路がある所で、ただ山の中腹に巨大なゴミ処理場をCGで書きこんでは、閉鎖的のイメージからほど遠い。
ゴミ処理場を宣伝して、多くの観光客がくる村では、全然閉ざされていない。

 東京へ出ていった娘が舞い戻るほど住み心地が良いなら、そこはもう充分に開かれた村だ。

 いじめは特に狭いヴィレッジだけの問題ではない。
ビッグ・シティの東京の学校や職場でも起こっている。

 犯罪者の子供という立場の扱い方も、良くある平凡さのままだ。

 それに輪をかけて、拙いのが、不自然さの目立つ出来事の処理だ。
例えば、横浜流星が一ノ瀬ワタルにあれだけ顔面を殴らても、事件の直後のテレビにはメイクでなおして、普通の表情で出るシーンがあるが、ここまで殴らては、いくらなんでも眼や顎の腫れまでは隠せないと思える。
殺された一ノ瀬ワタルが写したスマホを壊さずに死体と一緒に埋めるというのも、もう酷い設定だ。
いくら気が動転していたとしても、これはありえない。スマホは、壊せと言いたい。

 また、そのスマホに一ノ瀬ワタルが黒木華を襲う証拠の録画があるなら、殺した死体は埋めなくても最初から「正当防衛」の主張もできると、刑事物に強くない人てもわかるけど。

 そして、病気の老女を演じた木野花は、一体なんだったのかとか、エンド・ロール後に出てくる知恵の足りない黒木華の弟がキャスター付のバッグを曳いているシーンも意味不明だ。

 村長の息子を演じた一ノ瀬ワタルの見事な悪役ぶりは、褒められる。

 この出来では、みんな、中途半端で、もっと、脚本の段階で、取り上げる的を絞ってから、映画にすべきだった。

 藤井道人監督なら; 「新聞記者」 (2020年)
 活躍している横浜流星なら; 「線は、僕を描く」 (2022年)、 「アキラとあきら」 (2022年)、 「流浪の月」 (2022年)
 どこかパットしない黒木華の; 「浅田家!」 (2020年)、 「来る」 (2018年)、 「小さいおうち」 (2014年)

 生きる

あらすじ:時と場所は、1953年のイギリスはロンドン市役所。そこの市民課に30年余り勤めるウィリアムズ課長(ビル・ナイ)は、妻が亡くなった後も、残された一人息子を立派に育て上げた真面目一筋の男だった。しかし、若い女性職員のマーガレット(エイミー・ルー・ウッド)が彼に付けたあだ名は「ゾンビ」で、彼の生き方は覇気が無く、他人からは生きているのかいないのかどうでもいい人生に見えていた。つい最近も、空き地に公園を造ってくれという地元の要望を公園課や土木課、設計課など役所内を「たらい回し」にして、結局結論を出さず、うず高く積み上げられた「未決」のファイルに入れていた。そんなウィリアムズだったが、体調がすぐれず医者に診てもらうと、もう胃がんが進行していて、余命は6ヶ月だと宣告される。それは深刻な事だったが、嫁の尻に敷かれている息子にも話すことが出来ず、貯金を降ろし自殺を考えた先で出会ったサザーランド(トム・バーク)から酒を飲んだり女性と遊ぶ事の面白さを知り無断欠勤をしていた役所に戻る。そこで、退屈な役所仕事に飽きて役所を辞めるマーガレットと親しくする内にウィリアムズも生きている間に後世に残る「何か」をすべきだと感じ公園造成の案件の実現に向かう・・・


女:日本もイギリスも役所では、積極的に仕事をしないで「たらい回し」は同じなのね!!

男:元になっているのは、日本の誇る名監督:黒澤明が監督した1952年の作品「生きる」があり、この映画に感銘を受けた、日系でノーベル文学賞を受けたカズオ・イシグロが脚本を書いた。
 イギリス版での監督は、オリヴァー・ハーマナスだ。
女:黒澤明監督の「生きる」なら、昔、観たことがあるわよ。
  もう大分前に観たので、筋は、はっきりとは覚えていないけど、覇気のない高齢の役所の課長役を演じたのは、志村喬で、彼が新しく造った公園のブランコの上で歌う「ゴンドラの唄」の「命短し、恋せよ、乙女」のシーンは、記憶に残っているわ。

男:私も日本版の方も観た記憶はぼんやりとあるけど、このイギリス版でも、話の展開は、日本版と同じ気がする。
 ただ、さすがに、イギリス版では、主演のビル・ナイが日本の「ゴンドラの唄」を歌う訳にはいかず、調べると「ナナカマドの木」というスコットランドの民謡をブランコの上でも歌わせている。
女:この曲は、どことなく「ダニー・ボーイ」を思わせる曲調だったわね。
男:映画で取り上げられている公務員は自分から仕事をしないで、理屈をこねて結論を先延ばしにするとか、他の担当部課に仕事を押し付けるいわゆる「たらい回し」は、日本のお役所だけの典型かと思っていたら、イギリスの公務員も同じなんだね。
  本当は誰でも公務員になった当初は、国民や市民の立場から問題を解決しようと思っているんだけど、公務員生活を経験しているうちに段々とそれができないジレンマに陥るんだ。
女:何もしない方が安泰に給料を貰えるなんて、税金の無駄遣いもいいとこね。
男:そういった職場の流れを変えるのは、既存の男性社会では無理だね。
  新人や女性が入れば、職場の風は変わる。
女:でも、それに必要なエネルギーは相当なものよ。
  組織を変えるより、この映画の女性職員のマーガレットのように、他の会社に勤めるわよ。

男:公務員を志す人には、死期が迫ってから行動を起こすなんてことでなく、逆風が吹いても、常に国民のため、市民のために積極的に仕事をして欲しいね。
女:黒澤監督もあなたと同じ思いだったんでしょう
男:主演のビル・ナイは淡々とした演技をしている。
女:彼が歌った「ナナカマドの木」も上手かったわよ。
男:この映画に出ているエイミー・ルー・ウッドは、他の作品を知らないけど、こんなに出っ歯なのかな。
女:わたしも、出っ歯が強調されていると感じたわ。
  この映画全体の出来としては、日本版を超えるリメイクにはなっていなかったわ。

男:そうだね。元になった黒澤監督の「生きる」をまた観たくはなるが、その程度のできだ。
  この映画が言うように、いくらお金があっても、あの世には持っていけないから、わたしも、今の内に遊びに精をだすよ。
女:そんなことを言っても、遊ぶ金も、度胸もないあなたでしょ。
男:えっ、なにかいった?
女:いいえ、なにも言ってません。

 カズオ・イシグロの; 「わたしを離さないで」 (2011年)
 ビル・ナイの: 「マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章」 (2016年)

 ロストケア

あらすじ:訪問介護センターで看護士をしている斯波宗典(シバ ムネノリ、松山ケンイチ)は、老人たちの面倒見が良くてその家族や介護センターの同僚たちからも良い評価を受けていた。そんな彼が受け持つある老人の家で老人と介護センター長(井上肇)の死体が発見された。事件を担当することになった検事の大友秀美(長澤まさみ)が取り調べを進めると、斯波は、今まで介護が必要だった42人の高齢者を薬剤注射で殺したことを自白した。殺人の動機は「介護の負担が重く、本人も家族も終わりを望んでいたので殺した」だった。しかし、彼が介護センターに勤務してからは、41人しか亡くなっていない。後の一人は誰なのか。死を望む人を私人が国家権力に代わって「殺すこと」は、許されないことなのか。検事の大友も直面している介護問題に答えはでるのか・・・


いい作品を観た! 前田監督の力と長澤まさみ・松山ケンイチの息もつかせない演技は、凄い!!

 原作は、葉真中顕(はまなか あき)の同名の本があり、脚本は、龍居由佳里(たつい ゆかり)と監督もしている前田哲の共同とのこと。

 予告編を観た限りでは、殺人犯の松山ケンイチと対決する検事役の長澤まさみとの事件物かとあまり深刻な気持ちは無くて映画館に足を運ぶ。

 しかし、この映画が扱っているのは、日本が、いや世界中が今直面している高齢化社会における老人介護の問題だったとは。

 老人介護問題は、単に身体が高齢により衰えているだけならまだ少しはいいが、これに脳障害の、親族も分からず、自分がやっていることも分からなくなる認知症も伴うと、もうその人は「ヒト」として生きていく価値があるのかという私たちが感じている事実にぶつかる。

 ボケて足腰が弱り自分のことも分からない高齢者の面倒をみる親族の肉体的また精神の疲労度は、その介護者でないと当然に理解できないほどの深さと厳しさがある。
さらに金銭がかかり生活も苦しくなるという冷たい追い打ちもある。

 いつまで続くか先の見えない介護疲れの果て親を殺したい気持ちになる子供もいるだろうし、また、現実に認知症の親を殺して、自殺をはかった事件も、たびたび起きている。

 しかし、終わりが読めない介護生活を要介護者を個人が殺すことで、解決することが社会的に許されてはいないという日本の法体系がある。

 映画の中でも出てくるキリスト教の「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」に従って斯波は、助けを求めている親族たちに代わって、41人を殺した。これのどこが、悪いことなのか。

 介護をする人が受けている疲労・生活苦という呪縛の「穴」に落ちていない国のシステムを代表する検事の大友に彼を裁く理論の正当性はあるのか。
幸い今の私は高齢であっても、まだ介護はされていないが、身近で認知症の親を介護している人の苦労話を聞くこともあり、この問題は、他人事ではない。誰にでも起こる現実なのだ。

 通常の裁判においても、残忍な殺人犯に対して課せられる罪が甘いと感じる被害者の家族は多い。だからといって、被害者の家族が、個人で復讐をしだすと、キリがない。そこで、近代の法は、不満はあっても裁判で出された判決で、我慢しなさいとしている。

 突き詰めていえば、そこには妥協はあっても、この映画のように明確な正解がない。

 多くの場面が、殺人者である松山ケンイチの困っている人を代わりに助けて何がわるいのかという理論と、法の正義を振りかざす検事役の長澤まさみとの議論で進む。
この二人の演技と互いに正しいと主張するセリフ運びが、顔のアップを多用した上手い撮影で流れていく。

 悟りを開き落ち着いた眼をした松山ケンイチ。法の番人でありながら、自身も介護問題を抱えていて、条文では裁けない何かが胸にある長澤まさみ。
この二人の一騎打ちの討論のシーンは、まさに見ものだ。
観ているこちらも息をつくことを忘れ、映画の緊張感を共に感じる。

 長澤まさみと松山ケンイチ。二人の優れた演技だけでなく、松山ケンイチの父親役を演じた柄本明の死に際のベッドでの演技も凄い。
私も歳をとった父親の顔をみた記憶があるが、本当に彼の演じた表情と口調だった。

 撮影も上手い。板倉陽子が撮影したとあるが、長澤まさみが多面的に写る鏡のシーン。雨の雫が長く綺麗に流れるガラス窓。
拘置場で面会する長澤まさみと松山ケンイチのハッキリした写し方。
板倉陽子の鏡とガラスの撮り方は、魅させる。

 長澤まさみの母親役の藤田弓子が歌う、荒木一郎の「空に星があるように」のシーンと、折り鶴は、心に強く残る。

 見習い女性看護士が、事件後風俗嬢になっていたというのは、良くわからないけど、長澤まさみと松山ケンイチの素晴らしい演技と観ている人に問題を投げかけた監督:前田哲に大きな拍手を送りたい。
最高の作品に仕上がっている。

 前田哲監督の; 「そして、バトンは渡された」 (2021年)
 長澤まさみの; 「百花」 (2022年)、 「コンフィデンスマンJP ~英雄編~」 (2022年)、 「マスカレード・ナイト」 (2021年) 、「MOTHER マザー」 (2020年)
 松山ケンイチの; 「聖(さとし)の青春」 (2016年)
 認知症の; 「半落ち」 (2004年)
 安楽死の; 「ドクター・デスの遺産」 (2020年)

 

 オットーという男

あらすじ:最愛の妻:ソーニア(レイチェル・ケラー)をガンで亡くし、機械系の会社も辞めたオットー(トム・ハンクス)は、曲がったことが大嫌いでコンドミアム団地内で散歩がてら団地内のごみの分別仕分や駐車許可証がチャンと貼られているかなどのチェックを毎日怠らなかった。しかし、子供もなくこれ以上生きる意義が無くなり、天井からの首吊り自殺を試みるが、天井が弱くて失敗する。そんな折、向かいに、メキシコから陽気なマリソル(マリアナ・トレビーニョ)一家が引っ越しをしてきた。世話好きで料理の上手いマリソルは、料理をもってきたり、車の免許をとるのでオットーに教官をさせたり、子供の面倒をみさせたりと、なにかとオットーの生活にはいってきて、その後も自殺を試みるオットーの気持ちも段々と変わってきた。また、教師だった亡き妻の教え子のトランスジェンダーの若者と一緒に暮らすことになり・・・


結局、みんな”善い人”では、ほのぼの感もかなり薄い!!

 オリジナルとなっているのは、スウェーデンのフレドリック・バックマンの小説「幸せなひとりぼっち」があり、これは、スウェーデンでも映画化され、それを、今回ハリウッドでリメイクしたという。
私は、このオリジナル映画は観ていない。

 脚本(脚色)は、 デヴィッド・マギーで、監督は、「007 慰めの報酬」のマーク・フォースターだ。

 取り扱っている題材が平凡で、主人公のオットーに扮したトム・ハンクスの演技で魅せてはいるが、作品全体としては、飽きはしないけど、毒にも薬にもならない評価だ。

 愛した妻に先立たれ、仕事も辞め、また、成長が楽しみな子供もいなくて、生きることが虚しくなり、最終手段としてこの世からおさらばの、自殺を試みる初老の男。
そこへ、夫を愛し子供もたくさんいて、妊娠中のまさに生きていることが最大の幸せと張り切り、充実した生活をおくっているいる世話好きの女性を中心に絡める。

 脇の話としては、昔は仲の良かった隣人とは車に関する些細な争いで、今は、絶交状態にあり、さらにその友人は、パーキンソン病で意識がない。
自殺を考えて行った駅のプラットホームでは、先に線路に落ちる人を助けることになり、SNSで評判になる。
追い出しを考えている不動産屋の話は、アメリカのコンドミアム形式の法的な位置がよく分からなくて、話が見えない。アメリカでは家の所有権があっても、棟割り長屋形式のコンドミアムだと維持ができないと不動産屋が介入できるのかな。
よくある懐いてくる子供の可愛らしさ。
そこへ、取ってつけたような面倒を見ることになったトランスジェンダーの若者の存在。

 近所の人たちも、ガミガミと小うるさいオットーを煙たがっているけど、オットーの行動は悪意からきたものではないと理解している。

 これらの話をまとめただけでは、観終わっても、そうだね、オットーは妻思いで、近所からもいい人と思われていたし、彼を取り巻く人たちもまた、善い人たちだったねで、別段の感動も感想もない。

 それが目的で作った映画だと言うのなら、よくある話に、別の見方/スパイスをさらに加えていないと、今までなん本も映画を見てきた私には、物足りないだけだ。
お節介な女性を演じた、マリアナ・トレビーニョの演技は上手かったが、出来上がりは、普通の映画だった。

 トム・ハンクスの; 「エルヴィス」 (2022年)、 「ペンタゴン・ペーパーズ~最高機密文書~」 (2018年)、 「ブリッジ・オブ・スパイ」 (2016年)、 「インフェルノ」 (2016年) 、 「ハドソン川の奇跡」 (2016年)
 似たような内容の; 「グラン・トリノ」 (2009年




 エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

あらすじ:アメリカに移住してきた気丈な中国人のエヴリン・ワン(ミシェル・ヨー)は、頼りにならない夫:ウェイモンド(キー・ホイ・クァン)と共に、余り経営状態がよくないクリーニングとコイン・ランドリー屋を営んでいた。彼女は店の経営やお客の苦情など全てを引き受け、また、税金申告の締め日も迫ってきていてイライラしていた。そんな多忙の折、中国から引き取った頑固で足が不自由な父親:ゴンゴン(ジュームズ・ホン)はうるさくて、年頃の娘:ジョイ(ステファニー・スー)が同性愛関係にある恋人(ジェニー・スレイト)を紹介しても、親身になれなかった。そして、税金申告で税務署へ向かう途中、離婚も考えていた夫:ウェイモンドの態度が急に変わり、実は彼は悪に犯された別の世界から地球へ来た者で、その悪からの危機を救うのは、エヴリンだと告げ、エヴリンに特殊な力を与える。突然にカンフーの力を得たエヴリンは、税務官に化けている悪人のディアドラ・ベアドラ(ジェイミー・リー・カーティス)たちと闘うことになった。苦闘の末、どうにか、ディアドラたちは倒したものの、悪の親玉は、娘のジョイだった。今までの人生の岐路で経験したことのない他の世界も知りながら、エヴリンとジョイの闘いが続く・・・


女:映画スタッフだけが納得していて、観客を置き去りした酷い内容の映画ね!!

男:監督と脚本は、これも訳の分からない「スイス・アーミー・マン」を作ったダニエル・クワンとダニエル・シャイナートの二人だね。
女:だいたい、タイトルになっている「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」ってどういうこと。
男:日本語に訳すと「いろんなことが、あちらこちらで、みんな、同時に起きている」ってことになるかな。
女:また、チラシにある「マルチバース」も分からないわね。
男:そうだね。
  そこで、調べると「マルチ」は、「複数」の意味で、「バース」は、「ユニバース =宇宙」ということで、この2つの言葉を合わせたものだそうだ。
 そして、「マルチバース」となると、この世界には、並行した別の世界も多数存在していて、そこではいろいろな分岐点があり、その分岐点から別の人生も存在しているという、もう空想が好き勝手にできるという、これは妄想家には、大変に都合のいい世界観だ。
女:そこで、平凡でなんのとりえもない主婦のエヴリンが、急にカンフーや料理の達人となったり、金持ちの旦那と結婚したり、綺麗な服を着たりするシーンが挿入されてるわけね。
男:そうだね。
 映画の内容をこの「マルチバース」に設定すれば、あとは、脚本家は、もう完全に、理論を超えて好きなことを書けるし、監督も話の流れなどには無関係に、自分の思い通りの映像を作れるという製作スタイルだ。
女:でも映画として公開する以上、そこには観客がいることが忘れられているんじゃないの。
  何でも、かんでも映画の製作者が好き勝手に作った物を見せられても、観ている私たちはうんざりするわよ。

男:うん。
  予告編からも、出鱈目な映画というこは予測できたけど、つい、つい、2023年度のアカデミー賞にもノミネートされているってことから観たけど、酷い作品だった。
女:普通なら、まだ上映中でも席を離れるという程、退屈な出来だったけど、この「映画・演劇 評論」に載せるってことで、席を立たずに最後まで観たけど、途中なんどもあくびがでて、眠くなったわよ。
男:映画を多く観ていると、この映画には、過去の映画から獲ったものが実に多く入っていることは、分かる。
女:例えば、「2001年宇宙の旅」や、「マトリックス」「レミーのおいしいレストラン」またレッサーバンダか洗い熊か知れないのが出ているのもあったわね。
男:それらの映画を知っていれば、そうかと思うけど、だからどうしたってことで終わる。
女:指がソーセージになるってなんなの。ついていけない発想ね。
  巨大な黒いベークルなんて、まったく分からないわ。

男:アメリカ人なら分かるかも知れないけど、日本人には、意味不明だったね。
  基本的にメタバースへの分岐になるのが、お尻の穴に変な物を入れるとか、下品も下品な発想だ。
女:崖の上で目玉を付けた2つの石が長々としゃべるのは哲学というか、これでは、どうしてここで石なのと思う違和感が強くあったわ。
男:最後には、娘と母親は理解しあって家族は1つ、メデタシ・メデタシでは、まったく平凡な作品で終わっている。
女:今後は、あなたも、アカデミー賞候補なんて、アメリカ地方での評判に踊らされないようにすることね。
男:でも、評価は自分で確かめないとできないでしょう。
女:そうね。
  もう、その歳では今更性格を変えることは出来ないわね。

男:性格と今回の映画の評論とは関係がないけど・・・

 訳の分からなかった; 「スイス・アーミー・マン」 (2017年)

 エンパイア・オブ・ライト

あらすじ:時と場所は、1980年代の始めのサッチャーが首相で黒人差別が強くあるイギリスの長い砂浜が綺麗な海辺の街。ここにある映画館の「エンパイア劇場」で働くヒラリー・スマオール(オリヴィア・コールマン)は、子供の頃の母親についての良くない記憶が元でやや軽い精神失調だったが、薬で押さえていた。彼女は、支配人のエリス(コリン・ファース)とは愛人関係にあった。その「エンパイア劇場」で、大学受験に落ちた黒人の青年:スティーヴン(マイケル・ウォード)が働き始める。当初は仕事に厳しいヒラリーに戸惑いを感じていたスティーヴンだったが、傷ついた鳩の介護を通じて、二人の仲は親密になり、一緒に泳ぎに行くほどになった。しかし、エリス支配人との愛人関係を清算するためにヒラリーが、「炎のランナー」のプレミアショーでとった異常な行動は、再びヒラリーを病院に送ることになり、引き裂かれた二人の仲は・・・


中年女性の恋を演じたオリヴィア・コールマンの演技はいいけど、ここまで性描写はいらない!!

 監督と脚本は、007シリーズを手がけたことのあるサム・メンデスだ。

 タイトルとなっている「エンパイア・オブ・ライト」とは、訳すると「光の帝国」で、ここでは、映画館の「エンパイア劇場」で映写機の光で上映される(数々の)映画とでもなるか。

 ロケ地となっているロンドンに近いリゾート地のマーゲイトの広い砂浜や建物が上手く撮影されている。

 ここにある、映画館で働く中年女性:オリヴィア・コールマンと若き黒人男性:マイケル・ウォードとの恋物語ということ。

 監督と脚本のサム・メンデスは、自分も大好きな映画を上映する映画館を舞台にして、若い頃のトラウマがある中年女性と、当時排斥を受けていた黒人問題を中心の物語にしたかったようだ。

 1980年代を思い出させる設定はいい。
ソニーが世界に誇った音楽プレーヤー「ウォークマン」(当然カセット・テープ型ですが)も出てくるし、「ローラー・スケート・ディスコ」も出てくる。
音楽では、私が好きだった、キャット・スティーブンスが歌う「Morning Has Broken (雨にぬれた朝)」も出てくる。

 だけど、映画の出来としては、あまり良くない。
肝心のオリヴィア・コールマンが抱えているというトラウマの実情がはっきりしないし、黒人青年のマイケル・ウォードには、後に若い恋人が出来ているのに、またオリヴィア・コールマンとの仲が戻ってしまうのは、恋が一貫していなくて、分からない展開になっている。

 1980年代に、黒人排斥運動があったのは事実だけど、監督・脚本のサム・メンデスとしては、これを単なる白人が黒人を襲ったニュース的にしか描いていないのは、残念な取り上げ方だ。
その後の、2023年の現在でも続いている黒人差別問題をもっと厳しく非難する主張も欲しい。

 それと、自分のアイディアがなくなった作家や脚本家等が良く採用したがる有名人の詩の引用は、やめてほしい。
特に、日本人では、誰の詩か全く分からないし、訳されてもピンとこない。

 酷いのは、支配人のコリン・ファースとオリヴィア・コールマンとの間でたびたび行われる性描写だ。
実に汚らしいとしか感じられない。
そのような性行為かもしれないが、ここは、カットしていい。

 確かにオリヴィア・コールマンは熱演しているし、映写技師を演じたトビー・ジョーンズも良い役を演じているが、これでは、映画の中まで入っていけない出来だった。

 オリヴィア・コールマンなら; 「ファーザー」 (2021年)、 「女王陛下のお気に入り」 (2019年)、 「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」 (2012年)
 コリン・ファースの; 「1917 命をかけた伝令」 (2020年)、 「メリーポピンズ リターンズ」 (2019年)、 「キングスマン」 (2015年) 、 「英国王のスピーチ」 (2011年)
 サム・メンデス監督の; 「007 スペクター」 (2015年)、 「007 スカイフォール」 (2012年)

 
 別れる決心

あらすじ:不眠症のチャン・ヘジュン(パク・ヘイル)刑事は、容疑者への夜中の張り込みも苦にならず手柄をあげ、若くして警察でも出世していた。そんなヘジュンの元に登山中の岩山から転落死した男の事件が飛びこんできた。一見、事故に見えるが、死んだ男の若い妻:ソン・ソレ(タン・ウェイ)は、中国から汚いコンテナに隠れて韓国に逃れてきており、当時移民関係を担当していた男と結婚して強制送還をのがれていた。ソレの職業は中国で関わっていた在宅の老人介護だが、以前暮らしていた中国では、介護中の老人を安楽死した疑いもあった。そこで、事件を担当することになったヘジュン刑事は、目薬を注し、注しソレを見張る。優しく老人を介護するソレ、自宅で半分眠りながらタバコを吸うソレ。気が付くとヘジュンは彼女の魅力に引き寄せられていく。一方、ソレもそれとなく身辺をうろつくヘジュンに刑事に気を許すようになった。捜査で、ヘジュンは、ソレの事件当日のアリバイがおかしいと分かったが、それには目をつむり証拠のスマホを海に捨てるようにソレに指示をして、事件は事故死扱いで終わった。それから、13カ月後、妻が勤務している海辺の町に引っ越しをしたヘジュンは、街の市場でソレに出会う。ソレの夫は、投資詐欺的なことをして殺される。二度もソレの近辺で起きた事件の行方は・・・


ミステリアスな展開、綺麗なロケ地、上手い撮影と編集は素晴らしい!!

 監督と脚本は、パク・チャヌクで、彼の近作の「お嬢さん」などは知らないが、2000年の朝鮮半島での南北兵士を描いた「JSA」なら観ている。

 上映時間が138分とこれまた、最近観た「バビロン」の189分、「レジェンド&バタフライ」の168分までは長くないが、138分は映画としては、長すぎる感はあるが、まあ、耐えられる出来栄えだ。

 中国から韓国にのがれてきた訳アリの美人容疑者に魅惑される刑事とは、よくある筋書きだけど、この映画では、それが細かく描かれていて平凡な出来になっていない。

 脚本の原点になった中国の諺らしい「賢い者は水を好み、慈悲深い者は山を好む」にひっかけて、特徴のある岩山で事件を起こし、水の海辺で終わりにした、ロケ地やこだわりの構成が上手くまとまっている。

 容疑者のソレの衣装でキーとなる「青色」は「賢者が好む水」を象徴していて、「青色」は時には「緑色」に見えるのは、日本の信号機の色の表現でも分かるように、うなずける。

 エロさとしても、不眠症のヘジュンを寝かせるのに、ソレが顔を近づけて、同じ呼吸のタイミングで行う程度に押さえたのは、律儀な刑事の設定としていい。

 想像の画面も適当に入れこんで、画面で物語を展開する手法も分かりやすい。

 それにしても、現代の日常生活で欠かせない「スマートフォン(スマホ)」の取り上げ方だけど、よくあるGPSや電話履歴・メール機能だけでなく、ここまでスマホを活用するとは、中国語も韓国語も分からない私には、感心した取り上げ方だ。

 スマホに自動翻訳アプリがあることは知っているが、この映画では、中国語から韓国語に翻訳された「心臓がほしい」は、「心がほしい」と分かるが、日本語の字幕で訳されている「単一」や「崩壊」にこだわっている。
「単一」は日本語では「唯一」に近いのかと思うけど、も一つのキー・ワードの日本語での訳の「崩壊」は、壊れていくという意味の他に、中国語での発音、韓国語での捉え方にもっと深い意味がありそうだ。

 ヘジュン刑事が自分の妻が食べたいといっても、一緒に食べない日本の高級な「寿司」を、取り調べ中の容疑者のソレには差し入れし、食後には、二人で無言で机を拭くシーンがあるが、このあたりの演出が、これからの二人の愛の行方を示していて良い。
他にも、ヘジュンが着ているポケットが多い服のどこに何が入っているかを、ソレは知っているが、ヘジュンの妻は知らないなど、言葉には出さないけど、ヘジュンと妻との距離感と対比した、細かな脚本に関心する。

 さらに監督のパク・チャヌクが拘っているのが昔韓国で流行った歌の「霧」の採用で、ヘジュンとソレの愛は霧の中にあるように、明確な形をとらない表現にしたようだ。
これも、私には韓国語の歌詞は分からないけど、曲調から成功している。 

 最後に砂に埋もれたソレは、助かっていたという結末もありかと思い、また、日本語のタイトルの「別れる決心」とは、退屈な付け方だけど、よくできた映画だった。

 韓国映画なら; 「パラサイト ~半地下の家族~」 (2020年)

 バビロン

あらすじ:時と場所は、無声映画で大儲けをしていた1920年代後半の映画の都:ハリウッド。今日も映画関係者を多く集め、実物の大きな象までをよんだ酒池肉林の乱痴気パーティが開かれていた。そこにはメキシコから来ていつか自分の映画を作ることを夢見るマニー・トレス(シドニー・パーマー)と映画女優を目指すネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)もいた。上手く雑用をこなすマニーは、売れっ子スターのジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)の目に留まり彼の助手から駆け上り映画製作を任されるまでになった。またネリーも器用に泣ける演技が認められ、徐々に大役をえる。出会った最初から好きになったマニーとネリーだったが、時代は無声映画から音声も出るトーキー映画へと変わり、時代に合わなくなったジャックは自殺する。また、薬に溺れるネリーは、ギャンブルで莫大な借りをつくりギャングに脅かされる。ネリーの借金を立て替えたマニーが用意したのは、映画で使う偽札だった・・・


こんな長々と汚らしく気持ちの悪い映画にはつきあっていられない!!

 監督と脚本は、デイミアン・チャゼルで、彼は「ラ・ラ・ランド」でアカデミー賞の監督賞もとっている。
タイトルになっている「バビロン」は、この映像では聖書に出てくる「道徳が乱れて退廃的な街」からとったようだ。
上映時間は、189分と何と、3時間以上の長編映画となっている。

 予告編をみたときから、音楽や画面が騒々しくて、まとまりのないゴチャゴチャしたものと感じは良くなかったけど一応観た。

 それで。

 本当に、無駄に長くて、画面もとりとめもなくうるさくて、動きが目まぐるしくて、さらに汚い、気持ちが悪いのオンパレードだ。
冒頭の象の糞尿をマニーらが頭から被る。ネリーは飲みすぎて大量のゲロを吐くから始まり、パーティではドラッグにまみれて乱交セックスはするし、最後の暴力団が絡んだ地下の洞窟の怪人がネズミをなまかじりするシーンは、今までの気持ちが悪い感情をさらにエスカレートさせる。

 タイトルにした「バビロン」の堕落・快楽そして退廃をここまで、汚く・グロテスクにする必要性はまったく感じない。

 サイレント時代の映画界は、まさになんでもありの無法地帯だったということを言いたいなら、この脚本と監督をしたデイミアン・チャゼルは、その表現手段をもう一度、最初から勉強して、出直して来いといいたい。

 観客を置き去りにしたこの方法は、厳しくけなされて当然だ。

 デイミアン・チャゼルが映画をこよなく愛しているというもう一つの言い分は、充分にでているだけにここまで気持ちを悪くさせる仕上げが余りにも下手すぎた。

 時代が無声映画から、トーキー映画に変わり、俳優がセリフを必死に覚えたり、音声と映像を同期させるため何度も何度も取り直しをするなどの苦労話は、生きている。
ジーン・ケリーが雨の中で熱唱するトーキー時代になっての名作「雨に唄えば」を観て、涙するマニーの気持ちは、映画が好きな私にも良くわかる。

 しかし、ガラガラ蛇との対決やワニまでいる最後の洞窟の化け物たちのシーンは、まったく無駄。
このあたりをカットしてくれて、せめて、上映時間は半分の1時間半程度にしてくれると、観客としても嬉しい。

 観終わると、気持ち悪さと、早くトイレに行きたいしか残らない、酷い作品だった。

 この映画では、角張った顔をした中国女優の、リー・ジュン・リーが、どうしてか、印象に残った。

 デイミアン・チャゼル監督の、「ラ・ラ・ランド」 (2017年)、 「セッション」 (2015年)
 ブラッド・ピットの; 「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」 (2019年)、 「アド・アステラ」 (2019年)
 マーゴット・ロビーの; 「スキャンダル」 (2020年)

 レジェンド&バタフライ

あらすじ:時は室町幕府の力が弱まり各地の大名が勢力争いを始めていた15世紀の末頃。尾張の国(今の愛知県の西部)を治める小さな大名:織田信秀の嫡男:信長(木村拓哉)は「うつけ者」と呼ばれるほどの変わった振る舞いと服装をしていた。そんな彼が美濃の国(今の岐阜県の南部)の大名:斎藤道三の娘で勝気な:濃姫(綾瀬はるか)と政略結婚をする。父親の亡きあとを継いだ信長であったが特に戦術もなくて駿河(今の静岡県)の強敵今川義元に「桶狭間」で勝てたのは、濃姫の力に負うところが大きかった。この桶狭間の闘いを機に、信長は「天下布武」を目指し、意見の合わない濃姫との仲は悪くなって行く。しかし、勢いに乗る信長は美濃(今の岐阜県の南部)を勝ち取り、比叡山延暦寺を焼き払い、安土(今の滋賀県東部)には強大な城を築き、濃姫との仲も回復してきた。だが、天正10年(1582年)京都の本能寺に泊まっていた信長を家臣の明智光秀が襲い・・・


女:信長と濃姫の壮大な恋物語ね!!

男:久しぶりにお金と時間をかけた日本映画を観たって感じだ。
女:東映が70周年記念として、製作費は20億円もかけたってことよ。
男:脚本は、「コンフィデンスマン JP」シリーズや「相棒」シリーズの古沢良太で、監督は、「るろうにん剣心」などを手がけた大友啓史だね。
女:上映時間は、3時間に近い、168分で、前もってトイレに行っていないと駄目よ。
男:タイトルになっている「レジェンド&バタフライ」での「レジェンド」の人物は、織田信長を指すのは分かるけど、「バタフライ」の「蝶」は、意味が分からなかった。
女:蝶なら映画の中では、兵士の死体にたかる「蝶」がいたけど。
男:調べると、信長の正室になった濃姫は別名「帰蝶」と呼ばれていて、これからとったようだ。
女:こんな、こてこての時代劇のタイトルに英語の「The Legend & Butterfly」を先に持ってきてその後にカタカナの「レジェンド & バタフライ」としているけど、東映のお偉いさんたちは、この横文字のタイトルに反対をしなかったのかしら。
男:まったくだね。
  この内容なら私が付けるタイトルは「信長と濃姫の燃える恋」とでもするけど。
女:それも、単に信長の最後の本能寺が焼け落ちた「炎」からの連想で、いまいちピンと来ないわね。
男:歴史的にも有名な人物の信長については、いまさら歴史を変える訳には行かないけど、濃姫については詳細が分からないから、彼女は勝気で信長を押さえていたとか、本当は、互いに強く愛し合っていたとかは想像して描けるわけで、ここらが脚本の、古沢良太の出番だね。
女:信長よりも弓矢が上手くて、狩りをしてもすぐに獲物を獲ったり、異国の楽器のリュートを簡単に弾けたりと音楽や踊りにも才能があったとは、濃姫に凄い盛りこんだわね。
男:凄いのは、通常の映画よりも、実に多くの点でお金をかけていることだ。
  信長がまとう着物も「錦」が入っているし、ロケ地も日本各地の国宝級のお城やお寺を使い、綺麗な湖畔や竹林など上手く撮影している。
女:そんなロケ地の中でも、長い階段の廊下がある山城は印象的ね。
男:また、部屋の襖に書かれた絵や、衝立などの美術・装飾だけでなく、茶碗に至るまで、チラットしか映っていないけど、これらは凄いものだと分かる。
女:動員したエキストラの数もかなりのようで、この人たちの戦闘シーンでの武具や衣装を用意するだけでも大変さは理解出来るわよ。
男:楽器を演奏する異国人のグループや、最後には南蛮船のセットまで出すとは、手を抜いていないいい演出だ。
女:撮影も上手いわね。
男:アップされた信長の頭の月代(さかやき)も違和感がなくてその出来栄えは、見事だね。
女:今は存在しないけど、信長が建てた安土城も絢爛・豪華に再現したわね。
男:信長の偉大さは、充分に描かれている。
女:映画の背景の立派さと凄さは分かったけど、その内容はどうなの。
男:信長を演じた木村拓哉は、彼が出ていた「HERO」などに代表されるように、乱暴な言葉使いやいつも「かっこう」をつけた気障な演技が特徴だけど、この信長役は、その彼のイメージにあっている。
女:時代劇だけど、尾張の乱暴に聞こえる言葉は、そのままで、また「うつけ者」といわれた気取った態度も、木村拓哉そのままで演じることが出来たということね。
男:濃姫役の綾瀬はるか も、馬に乗ったりと大変だけど気丈な女性としてしっかりした演技をこなした。
女:木村拓哉にとっても、綾瀬はるか にとっても、この映画に出演できたたということは、大きく次のステップに飛び立てるって内容ね。
男:本能寺で亡くなったとされる信長の死骸は発見されていないので、古沢良太独自の解釈として、濃姫と信長はその後、異国で仲良く過ごしましたというハッピー・エンドもあっていいかな。
女:わたしも、その方が良かったわ。
男:ほとんど出来がいい作品だったけど、信長と濃姫がスリの一団と血まみれになって闘うのは、かなり血が飛び交うシーンが多くて気持ちが悪い。
  ここまでする必要はない。
女:ここは、信長が声に出さないけど濃姫との愛の高まりを表現したかったのでしょうが、流石にこの演出はやりすぎね。戦闘シーンではなく、もっと、違う方法を考えて欲しい場面ね。
男:信長が本能寺で殺されたのが、49歳だった。
  歴史や人の人生に、「もしも」が許されるなら、もしも、信長が生きていれば、日本の歴史はどうなっていたか、ワクワクするね。
女:そんな、他人の仮定の話を想像する前に、あなたは、自分の今の生活をもっと充実させるべきでしょう!
  もう、残り少ない人生なんだから。

男:でも、現実の世界は厳しくて、たまには逃避を・・・
女:いつまでも、そんな甘えた考えだから、ダメなのよっ。
男:えっ・・・

 木村拓哉の; 「マスカレード・ナイト」 (2021年)、 「マスカレード・ホテル」 (2019年)、 「検察側の罪人」 (2018年)、 「武士の一分」 (2006年)、 「HERO」 (2015年)
 綾瀬はるか の; 「はい、泳げません」 (2022年)、 「奥様は取扱い注意」 (2021年)、 「本能寺ホテル」 (2017年) 、 「海街diary」 (2015年)

 イニシェリン島の精霊

あらすじ:時と場所は、1923年の内乱が続いているアイルランド本土に近い、住民は全員が顔なじみという小さな島:イニシェリン。そこに適齢期を過ぎてもまだ嫁にもいかない読書好きな妹:シボーン(ケリー・コンドン)と牛乳を売って暮らしている陽気なパードリック(コリン・ファレル)は、ある日、長い間親友だと思っていたコルム(ブレンダン・グリーソン)から、突然に「今後お前とは一切口を聞かない。もしも、話しかけられたら、自分の指を切る」と宣告される。その理由を聞くと、パードリックの話はためにならない話ばかりで、一緒に過ごしても時間の無駄でこれからのコルムは、かねてから考えていた作曲に集中するという。自分は「いいやつ」で絶交されることはないと思っていたパードリックは、このコルムの態度が理解できず、何とか仲を元に戻そうとするが、できず、コルムからは切り取られた彼の人差し指が玄関のドアに投げつけられた。それでも・・・


北の島での閉塞した生活が生んだ狂気の描き方は凄いが、暗すぎる!!

 監督と脚本は、娘を殺された母親を描いて評判になった「スリー・ビルボード」の、マーティン・マクドナーだ。

 原語でのタイトルになっている「BANSHEE(バンシー)」は、アイルランド地方に伝わる死を予言する妖精とのこと。でも、幽霊がでる映画では、ない。

 また、「イニシェリン島」とは、日本語として言いにくいが薬の「インシュリン」ではありません。

 昔だけでなく今でもそうだろうが、毎日同じことの繰り返しで何も変化がない島の生活を上手く表現している。
午後2時になれば、必ず島のパブに集まり、軽く地元産のビールを飲み、客同士でバカ話をし、休日には、教会に行って「懺悔」をする。
一人しかいない警官は暴力で島民を押さえ、雑貨屋を兼ねている郵便屋のおばさんは、受取人に無断で手紙を開ける。

 そんな島で今まで酔うと他愛なく馬のクソの話を延々と2時間も交わしてきたような親友:コルムから、突然に、「もう二度と、お前とは、口を聞かない。これからは、絶交する」と言われれば、余り学がないパードリックでなくても、混乱する。
どうして絶交するのかその訳を知りたくなるのは、観ている私たちも同じだ。
この気持ちにさせる、脚本のマーティン・マクドナーの持って生き方は上手い。

 絶交の訳をコルムに尋ねると、怒ったコルムは本当に自分の指を切ってしまい、その指をパードリックの家のドアに投げつけられては、どうしてそこまでするかと、さらに、知りたくなるのも人情だ。
観ている内に絶交の理由は、特にパードリックを物凄く嫌いという訳でもないが、他のこと、つまりコルムは彼が死んでも人々の心に残り続ける「曲作り」に集中したいということが原因かと分かるが、この程度から、「口を聞くと、自分の指を切る」までの感情、「狂気」にまで、持って行った脚本は凄い。

 コルムは最後には、左の指、5本全部を切り取って、パードリックの家に投げつけ、愛するロバがその指で窒息死したことに腹を立てたパードリックは、コルムが家の中にいることを知っていても、彼の家に火を付けるとは、もう通常の「絶交」の気持ちから、大きく離れていて、観ていても気分が悪くなる。
「島での閉塞感がもたらした狂気」にしては、扱いが異常だ。ここが、映画の出来としては、大いに疑問の残る箇所だ。

 パードリックを演じたコリン・ファレルの特徴の「ハの字」の太い眉毛は、あまり疑うことのない呑気な性格を充分に表しているし、コルム役のブレンダン・グリーソンも押さえが利いた言い出したら後に引かない頑固な風貌を見事に魅せている。
他にもパードリックの妹役のシボーンを演じたケリー・コンドンや、気の弱い若者:ドミニクを演じたバリー・コーガンも出番が少ないが、印象に充分に残る。

 撮影で使われた石垣に囲まれたアイルランドの島の景色も、そして、確かに演技もいいのだけれど、観終わっての一言として、「内容が暗すぎる」。
最後には、家に放火されたコルムは無事生きていたが、失恋した(?)ドミニクは死んでいたでは、気分が重たく、明るい気持ちにはなれなかった。

 マーティン・マクドナー監督の; 「スリー・ビルボード」 (2018年)
 コリン・ファレルが出ていた; 「ビガイルド ~欲望のめざめ~」 (2018年)

 

 SHE SAID ~その名を暴け~

あらすじ:2017年頃。新聞:ニューヨーク・タイムズで主に調査記事を担当しているミーガン・トゥーイー(キャリー・マリガン)とジョディ・カンター(ゾーイ・カザン)は、大物映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタインが、彼の製作する映画に関係する女優や会社の女性従業員たちに手を出し、長年に渡って性的暴行をしている話を聞き、取材を始める。確かにその事実はあったが、性的被害を受けた女性たちは、ワインスタインに有利な条件で示談に応じ、性的暴行を口外すると訴えられる書面にサインをしていて、関係者の多くは口を開かなかった。しかし、地道な取材活動を続ける内にワインスタインの行動を許さない被害者も表れて、ついに、ニューヨーク・タイムズは、記事を発表できる。


女:確かに事実はそうだけど、映画としては、面白くないわね!!

男:2023年、明けましておめでとうございます。
女:あなたが、コツコツと続けている、この「映画・演劇 評論」のホームページも、もう21年目を迎える訳ね。
男:簡単に21年目というけど、毎年、新年を迎えると、リンク先の変更とか、年のロゴや月のロゴをどのようなデザインにするかとか、みんなの目に見えない世界では苦労しているんだ。
女:基本となるデザインは、落ち着いて変わっていないけど、あなたもそれなりに専門的な知識を使っているのね。
  でも、それは、あなたの趣味だから、ほっといて、本筋に戻りましょう。

男:この映画が扱っている実在の大物映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタインは、映画会社「ミラマックス」の創設者で、彼がプロデュースした主な作品としては「恋におちたシェイクスピア」や、「シカゴ」「キル・ビル」「英国王のスピーチ」「アーティスト」などアカデミー賞や世界の賞レースでも高い評価を得ている。
女:そんな評判のいい映画にでることは、女優の卵たちにとっては出世ができる大きなチャンスな訳ね。
  若い頃のグウィネス・パルトロウも彼の部屋でマッサージをするように強制されたのよ。

男:その地位を利用して性的暴行を働き、裁判になりそうになると高額な示談金を払ってもみ消しができた男性優先の社会の仕組みも改善が必要とこの映画ではいっている。
女:映画界だけでなく一般の職場環境でも多くの女性が上司からの性的被害を受けていながら、声を出すことができない社会の状況が性的被害の問題をいつまでも解決しないのね。
男:そこでタイトルの「SHE SAID =彼女は事件を公にした」ということだ。
女:この2017年のニューヨーク・タイムズ誌の記事を受けて、今まで黙っていた世界中の女性があちらこちらから声をあげるようになって「私も、同じような性的被害にあった」という運動「#MeToo」に発展したのね。
男:この運動をきっかけとして、男性優位の会社組織でも「セクシャル・ハラスメント(セクハラ)」という言葉が取り上げられて、多くの叔父さんたちは、女性社員に対しての発言に注意を払うようになったのは、良いことだね。
女:そんな内容の映画だけど、出来としては、退屈ね。
男:折角、世界中に「#MeToo」運動を起こさせるきっかけとなった優れた告発記事だけど、その地道な取材活動での苦労感が出ていない。
  まあレストランでの取材はありだけど、イギリスでの海岸での取材は、これでは観光旅行気分の状況で緊迫感がない。
女:そして、記者のミーガンとジョディが路上を歩きながらコーヒー・カップを片手にして取材内容を検討しているけど、こんな片手間のシーンではなく、事件の重大性からもっとオフィスで真剣に話し合うシーンにしないと、ダメね。
男:いつも取り上げるけど、アメリカ映画の特徴として二人の記者の家庭や家族も描かれているけど、夫の手助けは当然のことで、出産のストレスもありましたは、どうして入れるのか無駄だった。
  話が途切れる。
女:それは、男性には分からない女性ならではの苦労話として入れたかったんじゃないの。
男:でも、新聞社やジャーナリストが持つ体制に対する批判の意気込みは買えるね。
女:このハーベイ・ワインスタインの記事が、絶対に没になるようなことがあってはならないのよ。
男:しかし、女性に対する性的暴行は許されないけど、それが拡大して女性に対する発言が何でもかんでもセクハラと捉えられては、叔父さんは困るね。
女:あなたのような古いタイプの男性の無意識なセクハラ行為が今まで実に女性たちを傷つけてきたか、分かっていないのね。
男:職場での場を和ませるための軽い冗談でもセクハラになると、ギャグも言えない。
女:職場の女性陣は、だれも、あなたのつまらないおやじギャグを期待してませんから、言わなくてもいいのッ!
男:えっ、私のギャグは受けていると思っていたけど・・・
女:それは、あなたのひとりよがりだけよ!
男:・・・

 新聞記者の暴露なら; 「ペンタゴン・ペーパーズ~最高機密文書~」 (2018年)、 「スポットライト 世紀のスクープ」 (2016年)

 

 






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