「公団住宅 金町団地」 建替闘争の記録



 1992年(平成4年)から始り、1999年(平成11年)の7年間という長きに渡り、住宅公団と裁判となり互いの「協定書」により一応の決着をした「公団住宅 金町団地」(現在:独立行政法人 都市再生機構(UR) 金町第一団地)の建替闘争の一部を住民の立場からまとめたものです。
UR団地における強引な「建替え」に名を借りた、その実態は既存の居住者の住居を奪った「追い出し」に興味のあるかたは、参考にしてください。 


「建替と向かい合った日々」

小さな団地の大きな闘い



更新記録 :
  *2021年 9月 6日: サイトを、https://tk4982hachi.web.fc2.com/tatekae/bb-tatekae-v3/kana-top-v3.html へ移した。
  *2019年 3月15日〜:過去の「ジオシティ」 の閉鎖に伴い、サイトを移行した。

  *2002年 10月 6日  「弁護団/支援者名簿」 追加
  *2002年  9月 4日  「住民運動」 追加
  *2002年  8月29日  「協定書」 追加
  *2002年  8月25日  「建物明け渡し裁判の記録」 追加
  *2002年  8月 1日  「金町団地 居住者の意見」 追加
  *2002年  7月 7日  「金町団地の建替闘争 組織図」 追加
  *2002年  6月10日 「東京23区公団住宅自治会協議会 林守一氏」の「金町団地の組織活動」 追加
  *2002年  6月 4日  「金町団地の建替闘争」作成 「田中弁護士 の論文へ」 


◎ 「公団 金町団地」の所在地 

 1992年(平成4年)7月、住宅・都市整備公団(現在;都市基盤整備公団 その後改組織で:独立行政法人 都市再生機構 へ)は、東京都葛飾区金町にある、「金町団地(現在:金町第一団地)」の建替を決定しました。

金町団地は、東京の東のはずれに位置し、江戸川を挟んで、隣は千葉県松戸市、北は埼玉県三郷市に接しています。また、南は「フーテンの寅さん」で有名な葛飾「柴又」の隣町です。

 





◎ 「金町団地」概要 


 金町団地は、1958年(昭和33年)に入居が開始され、2階建て、庭付きの、今は環境に恵まれた団地です。
6戸または8戸が一棟を構成し、ハーモニカのような棟が全部で31棟あり、総戸数226戸と公団の中では、小さな団地です。

金町団地 概要 
 所在地 東京都葛飾区東金町2丁目12番他
 最寄り駅  JR常磐線(地下鉄千代田線) 金町駅 徒歩8分
 敷地面積  約27,200(約8,200坪)
 棟数と総戸数  31棟 226戸
 入居開始  1958年(昭和33年)

 

◎入居当時の周辺事情
 建築当初の昭和33年の葛飾区の金町地区や元々の団地の所在地であった水元地区は、金町団地の周囲は住む人も少なく雨の頃にはカエルが鳴き、近くの小池にはザリガニがいる田圃に囲まれていました。
 また、通勤・通学で利用する最寄の常磐線金町駅の南口には、大きな工場があったため北口改札口の1つしかなく、駅に行くには暗いガード下を迂回して駅に通っていました。
 また、道路事情も悪く、南側にある金町団地から駅に出るにも、雨の日は長靴が当たり前、晴れても、ぬかるみ道が乾くまで、まだ長靴が必要というひどい、でも、のんびりした状況の田舎でした。

 昭和の時代も進み、戦後の東京の発展に伴い、金町団地の周辺も開発され、都市化がすすみ、多くの田圃が住宅地に変わり、ドブが埋め立てられて、舗装された道になり商店もできて来ました。

 金町団地の居住者と地域住民が共に街を発展させ、東京下町の夏祭りや餅つきなどの行事と地域の交流がある、いい場所になりました。

 

◎途中で外周の改修と部屋の増築があった
 建築年度は、1958年(昭和33年)と、確かに古いのですが、途中、1977年(昭和52年)に、各戸にあった庭に一部屋が増築され、その際、木製であった窓枠、玄関扉もアルミサッシに改修されました。
 一階はダイニングと6畳間それに浴室・トイレがあり、二階は3畳と6畳間と言う間取りです。まだこれから後、20年はこのままで生活できる住宅です。

 その建築から、34年が過ぎ、多くの団地居住者が、「終の棲家」と考えていた、1992年の世帯主の構成は、51歳から60歳が一番多く全体の30%を占め、60歳代、70歳代を含めると、51歳以上の世帯主が72%を占めていました。

ほとんどの世帯が子育てを終え、この金町団地をこれからの終(つい)の棲家と考え、庭の草花を愛し、余生を地域と共におくるべく生活していました。





 このような状況下、1992年(平成4年)7月、突然、大家である公団からまだこのままでも住める住宅環境にあるにもかかわらず「老朽化に伴う建替指定」を言い渡されました。


◎ 「建替計画」の概要 


金町団地の概要と公団の「建替計画」の概要は以下の通りでした。

   建替前 建替後 
住宅戸数   226戸 約550戸
階 数   2階建 6階〜11階建
 棟 数  31棟 8棟
 住宅形式 3DK(庭付き)  1DK〜3LDK
専用床面積  約56  約34屐腺僑鍬
構 造   鉄筋コンクリート造  鉄筋コンクリート造
家 賃/月  平均¥55、311  ¥96,000〜
¥183,000−

◎ 「建替計画」に対する居住者の怒り


この公団が考えた「建替計画」の実態は、

1.家賃(¥18万/月)が現在の3倍とあまりも高額になる、

2.高額家賃設定の妥当性がない、

3.計画に賛成しなければ、2年間で「住み慣れた土地」から追い出される、

4.建替ても、「居住水準」が向上しない、

5.「話し合い」で計画は進めるといいながら、住民の意見をきかず、「威圧的」「強権的」な公団の姿勢、 

など今までの団地居住者にとって「住み続ける事の出来ない」内容でした。


◎毎月 18万円の家賃を支払える世帯がどのくらいいるのでしょうか?

 私が、「建替」という言葉から連想するのは、確かに建物や住宅設備が新しくなるので、家賃が上がるのは仕方ない。
でも現在の近隣の家賃相場から考えて、¥10万/月、ぐらいかと思っていました。
それが、何と、¥18万/月 になるということです。
これでは、完全に「家賃が払えない人は出て行け!」です。

 この建替計画が発表された、当時(1992年)は、もう既にバブル経済も終わり、世間の家賃相場は下降して、金町団地の近辺でも、3LDKのマンション・タイプで¥10万〜¥13万/月が相場でした。

 また東京近辺だけでなく、全国的に見ても公団の家賃は、近隣の相場より高いため、空家が増大して社会問題になっていました。

◎公団の「建替」が居住者に与えるもの
 ・公団が強行しようとしている「建替」は本当に居住者にとって必要なものか? 
 ・私たち、現在の居住者の生活はこれからどうなるのか? 

 今まで平穏に培ってきた金町団地での生活を「終の棲家」とし、余生を設計してきた私たち金町団地居住者の肩に大きな問題が重く覆いかかって来ました。

 公団が言う「建替計画」の実態は毎月、家賃もチャント支払い、問題のない善良な「借家人」に対して、高額家賃をふっかけ、その家賃を払えない元の居住者を追い出し、支払のできる一部の人から収益を上げようとする金儲けだけを重要視した「大家=公団」の「強制立ち退せ計画」でした。

 そこには、今まで住んできた「借家人」の権利、「生活権」「居住権」を蹂躙した、下々の民を、一度決めたことに強引に従わせようとする国家組織である公団という、本当に思い上がった「お上(かみ)」意識が強くありました。

「建替」で「大家」が自分の好きなだけ高額家賃を設定していいなら、「借家人」の権利が守られない!



◎ 住民闘争の概要 〜単なる1団地の闘争から地域の運動へ〜 

 余りにもひどい、公団の「建替計画」の実態:強制追い出し:を目の当たりにしてし、該当の金町団地の居住者だけでなく、団地近隣の方々や、同様の「建替問題」で悩む他の公団住宅居住者、さらに運動を支援する多くの人々が参加して、「金町団地 建替闘争」は大きな市民運動となって行きました。

 だんだんと勢いを増す住民闘争を無視して、公団は強硬に追い出しを画策し、裁判に訴えてきました。

 しかし、居住者を無視した公団の姿勢は誤っているという強い信念に支えられた金町団地の居住者や支援する地域の人たちの団結は強く、「裁判」においても怯むことなく、公団という国家組織を相手に闘い、常に公団が主張する建替計画の不当性を訴え、東京地方裁判所がある霞ヶ関近辺や金町団地がある最寄の金町駅頭でも、度々、運動を行い、行きかう人たちに「ビラ」も手渡し、活動の輪を広げていきました。

◎葛飾区議会も動かした!
 更に地元「葛飾区議会」及び「東京都議会」にも陳情を繰り返し、「公団が策略している建替計画」」の不当性を広く世間に理解してもらいました。

 これらの、たゆまない運動の成果により、公団の「建替計画」は名目で、その実態は家賃を引き上げ、高い家賃を支払えない弱い居住者を「追い出す」内容である事が徐々に明らかになり、公団は窮地に追い込まれて行きました。

 そして、ついに、1999年(平成11年)3月、私たちは、公団に「裁判を取り下げ」させ、「団地全体の建替から」「一部は以前のまま10年間残す建替」を行う「一部建替の協定書」を締結し、「金町団地の闘争」は決着しました。

 決着の方法として、「期間が10年間」という今後見守っていかなければならない課題が残っています。
公団の民営化問題が10年先にどうなっているのか?金町団地の闘争はまだ終わっていません。

 これらを含め、「公団 金町団地」における「建替問題」の本質と「裁判での闘争」において、どのような実態があったのか、多くの人の参考になればと思い、建替闘争の一部ではありますが、このホームページを作成します。

 



 最初として、今回は、裁判が始まる前における「建替対策」の時代を入れると、10年近くになる、「金町団地 建替闘争」において、裁判だけでなくで、建替え運動の中心として献身的に協力・活躍された「田中 隆 弁護士」の闘争のまとめを紹介します。

 ★ 「金町団地闘争の対決点と解決」 弁護士 田中 隆 ★



 また、東京にある公団住宅の居住者で構成する「東京23区公団住宅自治会協議会」に属され、公団の「建替事業」が抱える問題解決に奔走された 「林 守一 氏」 の運動のまとめを紹介します。

 ★  「金町団地の組織活動」 東京23区公団住宅自治会協議会 林 守一 ★


 金町団地自治会を中心とした、「建替闘争の組織図」です。

 ★  「金町団地の建替闘争 組織図」 ★


 金町団地 居住者の意見です。

 ★  「金町団地 居住者意見」 ★


 住宅・都市整備公団から受けた裁判と和解の記録です。

 ★  「裁判の記録」 ★


 金町団地居住者/裁判対象者と公団との間で交わした「協定書」です。

 ★  「協定書」 ★


 どのような住民運動をしてきたか、団地居住者「吉澤 礼子氏」の文章です。

 ★  「住民運動」 ★


 裁判闘争で献身的に活動された「弁護団」と金銭と心で支援していただいた「支援する会」の方々のお名前です。

 ★  「弁護団/支援する会 名簿」 ★


  当ホームページに関する、連絡・内容に対するご質問などは、元の金町団地居住者であり、裁判の被告席に座っていた「香川 利民」にお願いいたします。お気軽にどうぞ。

郵便番号   702-8055
 新住所  岡山県岡山市南区築港緑町1-16-29
 氏名  香川 利民(かがわ としたみ)
 電話  080-7103-8578

 ★   香川のホームページへ(「映画・演劇評論」です) 

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旧金町団地(現在:金町第一団地)の50年史(1958年〜2008年)


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